礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

周武廃仏の後に石仏と石経とが始まった

2013-04-15 06:54:20 | 日記

◎周武廃仏の後に石仏と石経とが始まった

 本そのものより、本に挟まっている付録のほうに興味を覚えることがある。数日前に入手した『法律史』(現代日本文明史・第五巻)などは、その一例である。
 同書は、戦争末期の一九四四年三月に、東洋経済新報社出版部から刊行された(第一三回配本)。中に、「現代文化」という付録が挟まっていた。ペラ一枚の粗末なものであるが、その内容がすごい。

◇忘れたころに文明史第五巻「法律史」が出ると言ふ。読者は死んだ児の一周忌に幽霊が出た位に思ふかもれない。併し之は正真正銘価三円二十銭の文明史である。三年前の正札の侭〈ママ〉で今時の書店へ出されたら、まるで浦島太郎が亀に乗つて来たようなことになるであらう。
◇骨を折つて損をする位なら、やめたら宜しからう〈ヨロシカロウ〉と忠告した人がある。併〈シカシ〉全集としての約束は何としても果したいのが、因果な男の意地とも言へよう。不要不急は人によつて見解が違ふ。私は文明史を完結することが此時局に於いて特に大切な意義のあることと信じて万難を辛棒して来たつもりである。
◇周武廃仏の後に石仏と石経とが始まつた、石経は岩石に大蔵経を刻んだものだ、将来に重ねて起るであらう廃仏排教の暴力から仏法を守らんがための石経である。印刷術の発達した今日でも、大蔵経の刊行は不可能に近い。然るに一字々々石に刻んだのだ、その熱意と五百年に亘る努力と言ふもの一は現代人の想像を超える。
◇私は文明史を石経だとは言はない。唯〈タダ〉石経を継続した支那仏徒の熱意と根気を噛みしめ乍ら〈ナガラ〉、文明史の完結を期して居ると言ふことを申し度い〈タイ〉に過ぎぬ。【以下略】

 署名は「編輯子」である。編集者が書いた文章で、これほど迫力のあるものを、これまで読んだ記憶がない。

今日の名言 2013・4・15

◎周武廃仏の後に石仏と石経とが始まつた

 東洋経済新報社出版部「編輯子」の言葉。中川善之助・宮沢俊義『法律史』(東洋経済新報社出版部、1944)の付録に出てくる。周武廃仏とは、北周の武帝がおこなった仏教弾圧をいう。石経〈セキキョウ〉は、北京にある雲居寺〈ウンゴジ〉の蔵経洞の石経を指しているのであろう。

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