ON  MY  WAY

50代を越えても迷えるキツネのような男が、スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

中学校還暦同期会に出席して

2017-07-16 21:35:10 | 生き方

50名弱が参加した中学校の同期の同窓会。
7組合同の同窓会。
幹事をやってくれた人たちの学級3年2組は、11人もの参加者がいた。
私のいた3年5組は、最少の5名の出席であった。
考えてみると、卒業する時、5組では、同級会の幹事を決めたりはしなかった。
2組は、ちゃんと決めて同級会をやってきたのだそうだ。
その違いは大きいかな?
卒業後に同級会をやるという発想が5組にはなかったから、幹事を決めようということもないまま、45年が経過したという訳だ。

くじを引いて、7つのテーブルの1つに着くと、女性が4人、私を含めた男性が3人という席だった。
女性のうちの一人は、奇しくも今住んでいる町内の方。
うちの息子と同級生の母親だったから、気が楽であった。
ほかの3人は、よーく考えると同学年にいたとわかるけれども、今まで口をきいたことのない方々。
そこを補ってくれたのは、隣席のよく知っている男性。
昔と違って積極的に女性の皆さんに語りかけてくれ、場の雰囲気が沈まずに済んだ。

もう一人の男性は、中学時代は近寄りがたい存在だった男性。
バスケットボール部で活躍していたし、結構腕っぷしは強かったし、にぎやかな友人たちと一緒に行動していた人だったから。
洋楽が好きだった彼らしく、今は東京の方で音楽関係の仕事をしているらしい。
中学校時代の思い出として語ってくれたことに、寺内タケシとブルージーンズが中学校の隣の体育館でコンサートをした時のことがあった。
友だちと二人して、なんとかない金を貯めて、チケットを買ったのに、入場の手前で先生に見つかり、チケットを没収され、コンサートは何も見ることができず、非常に無念な思いをしたそうだ。

私の席まで来てくれたのは、高校の同級生の人が次々に来てくれた。
昨年の同級会後に作った、還暦記念の文集づくりの御礼を言いに来てくれたのだった。
労をねぎらう言葉をかけてくれたのは、うれしかった。

さて、自分からも席を動いて話しかけていった。
中3時に同級生だった女性は、1人しかいなかった。
話しかけてみると、「あ、50fox君!」と私のことを覚えていてくれたのはよかったけど、50fox君、イボ痔になったよね!!」というリアクションが返って来た。
…何でそんなこと、覚えているかなあ…。
苦笑してしまった。
中学時代、8km先の中学校へ自転車通学した私は、中1の初めころ、長い距離の自転車乗りのおかげで、尻にイボ痔ができてしまったのだ。
そんな、私が自分でも忘れてしまっていた恥ずかしい話を覚えているとは、さすがである。

男性たちでは、中2や中3で、よく一緒に卓球をして遊んだ人たちがいた。
卓球台を求めて、あちこちの会社の厚生施設に入り込み、卓球をしたものである。
そういう人たちがいたからこそ、私は卓球が好きになり、高校1年の途中から卓球部に入ったりできたのである。

中2の頃に、学級対抗のバレーボール大会で学年優勝した時の、エースだった男性とも久々に会って会話した。
あの当時、私はひ弱だったが、前陣のエース君につなごうと一生懸命中堅でがんばった。
そして、チームは優勝し、地区内の中学校6校で争う大会でも優勝し、地区1位の学級となり、誇らしい思い出ができたのだった。

会の終わる頃にも、自分の名を名乗りながら、私に話しかけてくれる人がいた。
でも、よく思い出せなくて悔しかった。
もう一人、「50foxくん、久しぶりだね。懐かしい。」と言って、声をかけて来た女性は、中2の頃転校してきた人だ。
わざわざ声をかけてくれる人がいることがうれしい。

3時間余り続いた会も終わりを迎えた。
中学校を卒業して45年もたっているが、一緒に学校生活を送ったのは、多感な3年間でしかない。
それも45年も前。
しかし、皆、自分の人生をそれぞれ懸命に生きてきた。
かかわり方に一人一人の濃淡はあれど、同じ時代を共有した仲間だな、と改めて思った。
中学時代にそういう人たちがいたから、今の自分につながる基盤ができたのだなあ、ということを再確認した。

貴重な機会を作ってくれた幹事の皆さんに、大いに感謝したい。
本当にありがとう。
そして、参加した皆さん、今回会えなかった皆さん、またいつか会いましょう。

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