8月2日。
午後から休みを取った。
午後からの面会可能時間に行くためだ。
娘のいる集中治療室に行くと、なんと娘が車椅子に座らされているところだった。
初めて車椅子に乗せたのだと言う看護師が続けていわく、
「そうだ、お父さん。車椅子を押してください。」
…ということで、フロア通路の数メートルを車椅子に乗せて娘と歩いた。
看護師さんは、キャスター付きのもので娘につながった点滴等や酸素ボンベを積んで一緒に歩く。
看護師さんは、外の景色を見せたかったようなのだが、車椅子から見る風景は低すぎて、高いマンションの一部とかつてNTTの電波塔だった部分しか見えない。
娘は、それよりも通路周辺のものの方が目に珍しいらしい。時にはきょろきょろと時にはぼうっとした目で見ていた。
娘がベッドを離れたのは、何週間ぶりだろう。7月は、上~中旬、ずっと昏睡状態にさせられていたのだから…。
最近は、目は覚めているのだが、手は手袋や手首のベルトで自由な動きができないでいる。
目が覚めているがゆえに、自分が自由がきかない状態にいるとわかることは、きっとつらいのではないか、と考えてしまう。
そんなこの頃だから、ベッドを離れて、車椅子に乗せてもらったというのは、うれしいことだった。
この後、ベッドに戻ると、リハビリ専門の方が来室して、ベッド上で、寄り添って娘を座らせてくれた。
そのベッド上での会話。
「あら、座るの上手だね。背中がピシッと伸びていていいわ。」
「そうだよな。もともとスポーツは得意だもんな。」
「あらそう。ねえ、何が得意なの。」
(口先で)「スポ、スポ、スポ…。」
「何が得意?」
(私に聞こえない小さな声で)「マラソン。」
これを聞き取ってくれた。
「へえー。そういえば、そんな脚しているよね。」
私はそこで帰ることにした。
夜7時、今度は妻とともに病室を訪ねると、娘は、車椅子に乗ったことは覚えているようだが、景色を見ようとしたことはもう忘れてしまっていた。
それでも、ベッドを離れた瞬間があったことに、少し希望が抱けた8月の2日目であった。
午後から休みを取った。
午後からの面会可能時間に行くためだ。
娘のいる集中治療室に行くと、なんと娘が車椅子に座らされているところだった。
初めて車椅子に乗せたのだと言う看護師が続けていわく、
「そうだ、お父さん。車椅子を押してください。」
…ということで、フロア通路の数メートルを車椅子に乗せて娘と歩いた。
看護師さんは、キャスター付きのもので娘につながった点滴等や酸素ボンベを積んで一緒に歩く。
看護師さんは、外の景色を見せたかったようなのだが、車椅子から見る風景は低すぎて、高いマンションの一部とかつてNTTの電波塔だった部分しか見えない。
娘は、それよりも通路周辺のものの方が目に珍しいらしい。時にはきょろきょろと時にはぼうっとした目で見ていた。
娘がベッドを離れたのは、何週間ぶりだろう。7月は、上~中旬、ずっと昏睡状態にさせられていたのだから…。
最近は、目は覚めているのだが、手は手袋や手首のベルトで自由な動きができないでいる。
目が覚めているがゆえに、自分が自由がきかない状態にいるとわかることは、きっとつらいのではないか、と考えてしまう。
そんなこの頃だから、ベッドを離れて、車椅子に乗せてもらったというのは、うれしいことだった。
この後、ベッドに戻ると、リハビリ専門の方が来室して、ベッド上で、寄り添って娘を座らせてくれた。
そのベッド上での会話。
「あら、座るの上手だね。背中がピシッと伸びていていいわ。」
「そうだよな。もともとスポーツは得意だもんな。」
「あらそう。ねえ、何が得意なの。」
(口先で)「スポ、スポ、スポ…。」
「何が得意?」
(私に聞こえない小さな声で)「マラソン。」
これを聞き取ってくれた。
「へえー。そういえば、そんな脚しているよね。」
私はそこで帰ることにした。
夜7時、今度は妻とともに病室を訪ねると、娘は、車椅子に乗ったことは覚えているようだが、景色を見ようとしたことはもう忘れてしまっていた。
それでも、ベッドを離れた瞬間があったことに、少し希望が抱けた8月の2日目であった。