ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

娘よ(9)

2013-08-05 17:10:23 | 生き方
このごろの娘は、ベッドを起こしてもらって上半身を起こしていることが多くなった。
この方が、痰がたまらない。
呼吸用の酸素も外された。
胃かいようのための管も外された。
ただ、けいれん止めの薬と栄養剤の点滴は、ずっと続いている。
けいれん止めは、D剤が2.0、P剤が8.0。P剤は最高値のままだが、D剤は少しずつ下げられてきている。
食事はとれないままだ。

気の毒なのは、ベッドは起こされていても、手が使えないように固定されていることだ。
まだ、意識が正常ではないので何をするかわからない。命を守っている管を引き抜きでもしたら大変だ。
仕方がないとは思えども、テレビがあるわけでもなく窓もなく景色もない。
拘束されて何もすることがないまま一日を過ごすだけなのだ。

そんな不自由な生活を送っているせいなのか、著しい不安感に襲われるのだろう。よく泣く。
昨日も、娘は私たちが会いに行くと、眉間にしわを寄せ、涙を流して泣いた。
この頃は、いつもそうだ。
何を言っているのかわからないけれど、様々なものを指差しながら、不安感を訴えている。毎回その不安の中身は違うようだが、声がよく出ないのでよくわからない。
午後の時間に面会に行くと、この日も泣き出した。

看護師さんが、車椅子に乗ってみますか、と言うので、乗せてもらった。
集中治療室に、車椅子に座ったまま窓から風景が見えるところは、残念ながら、ない。
先日見たところと同じ場所に行き、同じ窓ごしに見える景色を見た。
「この前も見たよね。」と確認すると、首を横に振った。もう忘れているらしい。
それよりも、周囲で働く人の方に関心があるらしく、私と一緒に行った弟に、「○○ちゃん、いたよね。」などと、相変わらずとんちんかんなことをか細い声で言っていた。

ふと、私は、近くにあったカタカナの「アイウエオ表」に目が行った。それを借りて、一字ずつ声を出して、名前を指差してごらんと促した。
1回目は、名字を何とか指差せたが、名前の2文字目で間違えた。
もう1回、とさせてみると、2文字目で間違えてしまっている。
よく見えていないのか、認識できないのか…。
日頃話させてみるときに、言葉はよくわからないが脈絡がないことが多いことや、今回のこのことでも、やはり意識障害が継続していることがよくわかった。

それでも、ただ寝ているだけではないので、面会に行くかいがある。
泣くことは多いが、会うことによって、少しでも不安を解消してあげたり暇な時間をなくしてあげたりしたいと思っている。
午前、午後、夜と、集中治療室で面会可能な3回の機会をフルに生かして、会いに行った昨日日曜日の私であった。
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