児童文学作家だった灰谷健次郎氏が亡くなってから、もう10年にもなるのか。
そんなことを思いながら、「遅れてきたランナー」を読んだ。
これは、ランニングに関して経験が描かれた氏のエッセイである。
「兎の目」や「太陽の子」などの作品で知られる氏が、走っていたことやそれについて書いていたエッセイがあることなど、私は知らずにいたのであった。
こんな本があると教えてもらい、さっそく読んでみた。
灰谷氏は、49歳で「ランナー」となって走り始めた。
しかし、義理で走ることになると、最初の頃は、走ることは苦しいこと、ひたすら辛抱、タイムや勝ち負けを気にしてひたすらがんばって走るだけだった。
初めて走ったフルマラソンがホノルルマラソンで、前半快調に飛ばした氏は、20キロを過ぎて走れなくなり、30キロからは地獄を見ながらなんとかゴールにたどり着いた。
走った時の細かいことが、さすが作家、詳しくわかりやすく書いてあるのだ。
その書いてあることの一つ一つが、私自身の経験したこととまったく同じであった。
だから、懐かしいような、失敗が恥ずかしくて仕方がないような、そんな気になって一気に読んだ。
その後は、当時住んでいた淡路島で毎日12km走ることによって、食生活の改善もあるのだが、心身共に健康な生活になったのだそうだ。
走ることによって、より深く自然を感じ、より多くの世界を知ることができたとも書いてある。
特に同意できるのは、ゆっくり走ることによって走ることが好きになっていったこと。
走ることが好きになると、走りながら様々なものが見えたり感じられたリするようになる。
一人で走る分には、人より早いとか遅いとかの比較は必要ない。
ただ、心や体との対話を楽しむ。
そんなことも書いてあった。
これらのことも、自分が走ってきた中で感じてきたことだ。
読んでいながら、自分の思いが作家の手で書かれているようで、うれしくなった。
面白いのは、走り始めたのは、先日ここで書いた高石ともやさんとの縁があったから。
そして、高石氏から紹介を受けた群馬大学教授の山西哲郎との出会いもあった。
本の後半には、3人の鼎談も載っていた。
そこで、見出しと使われている言葉だけでも、賛同と感心でいっぱいになる。
例えば、
・ 子どもの持っている可能性を引き出すのが教育の仕事。
・ がんばるということが唯一の善ではないと思う。
・ 走ったからって世の中変るわけじゃない。でも走る行為の中には大きな意味がある。
・ はやいだけの人生がすばらしいんじゃない。
・ 走るということには人生の生き方みたいなものがみんな絡まってる。
…そうなんだよなあ、と読んでいて深くうなずくことが多かった。
さすが元教育者であり、作家である。
残念ながら、灰谷氏は亡くなってしまったけれども、この本の中で書かれてあったことたちを思いながら、走ることを生活の中に入れて、人生を楽しみ、進んでいきたいと思っている。
そんな思いから、今回のテーマのジャンルは、「読む」ではなく「RUN」なのである。あしからず…