定年退職後の後片付け。
今まで段ボール箱に突っ込んでおいたものを開けてみると、いろいろなものが見つかる。
時には、玉手箱を開けたような思いになる。
玉手箱は、開けた人を一気に年をとらせてしまう。
しかし、私のその気分は、「年をとった」と言うよりも、「年がたったなあ」という思いだ。
あれから何年もたったなあという思いがするのだ。
その意味では、玉手箱を開けたのと同じような思いだと言える。
若い頃、同業の同年代の人々と一つの団体となり、研修を行う機会が時々あった。
その頃のものが、一つの箱からぞろぞろと出てきた。
こんなふうに、一人一人の実践原稿を何十人分も集めて、分厚い集録を作ったこともあった。
そして、研修会の要項を
改めて見てみると、初期の頃には、文字が手書きなのである。
今の若い人たちには、手書きなんて信じられないことだろう。
しかし、私たちの若い頃は、これが普通だった。
研修会と合わせて、バレーボールで汗を流すということもあったと分かる。
健全な若者たちだなあ…!?、
やはり、あの頃、自分の仕事に誇りをもってがんばっていたことが伝わってくる。
あれから30数年。
過ぎてしまえば本当にあっという間だった。
ただ、これで知り合った仲間たちも、「今」を一生懸命生きて来たのだと、改めて思う。
それが連続して、今に至っている。
定年で退職はした。
だが、退職したからすべてがなくなる訳ではない。
今までの懸命な足跡は一人一人誇っていいのではないかな、と思うのだ。
今まで段ボール箱に突っ込んでおいたものを開けてみると、いろいろなものが見つかる。
時には、玉手箱を開けたような思いになる。
玉手箱は、開けた人を一気に年をとらせてしまう。
しかし、私のその気分は、「年をとった」と言うよりも、「年がたったなあ」という思いだ。
あれから何年もたったなあという思いがするのだ。
その意味では、玉手箱を開けたのと同じような思いだと言える。
若い頃、同業の同年代の人々と一つの団体となり、研修を行う機会が時々あった。
その頃のものが、一つの箱からぞろぞろと出てきた。
こんなふうに、一人一人の実践原稿を何十人分も集めて、分厚い集録を作ったこともあった。
そして、研修会の要項を
改めて見てみると、初期の頃には、文字が手書きなのである。
今の若い人たちには、手書きなんて信じられないことだろう。
しかし、私たちの若い頃は、これが普通だった。
研修会と合わせて、バレーボールで汗を流すということもあったと分かる。
健全な若者たちだなあ…!?、
やはり、あの頃、自分の仕事に誇りをもってがんばっていたことが伝わってくる。
あれから30数年。
過ぎてしまえば本当にあっという間だった。
ただ、これで知り合った仲間たちも、「今」を一生懸命生きて来たのだと、改めて思う。
それが連続して、今に至っている。
定年で退職はした。
だが、退職したからすべてがなくなる訳ではない。
今までの懸命な足跡は一人一人誇っていいのではないかな、と思うのだ。