あれから3年になるのだなあ…
そう思ったら、
「あれから3年…」と歌詞が浮かび、頭の中でメロディーが流れた。
「あれから3年…」と歌う歌、と言ったら、何でしょう?
別な歌もあるかもしれないが、私には、
「あれから3年…」の後には、「縁切寺」と続く。
さだまさしが、グレープ時代に作って歌っていた「縁切寺」である。
「お願いここだけは 止してあなたとの糸がもし切れたなら生きていけない」と言っていた彼女と別れてしまい、
人の縁とは不思議なもので そんな君から別れの言葉 あれから3年 縁切寺
と歌う歌だった。
「あれは3年前…」
と歌うと、わかる人が多いことだろう。
あれは3年前 止めるあなた駅に残し 動き始めた汽車に ひとり飛び乗った
と歌うこの曲は、もちろん、ちあきなおみの「喝采」だ。
独自の味わいのあるこの歌。
ちあきなおみ自身が独自の味わいのある歌手だった。
彼女は、この歌で完全にスターダムにのし上がったのだった。
いつも間にか、芸能界を退き、世に出なくなってしまったのが残念だ。
「3年の年月(としつき)がそこにある」と歌うのは?
これは、作曲者、森田公一とトップギャランで歌ったものもあるし、それ以前では菅原洋一も歌っていた「乳母車」である。
めずらしく晴れた日の坂道を あの人と肩並べ歩いてる
このぼくは手ぶらでも あの人は カタカタと乳母車を押している
3年の年月がそこにある うめられぬ年月がそこにある
盗み見た横顔は今もなお あの頃のあの人のままだけど
かつての時代の若者の別れを描く名曲だと思う。
「3年 もう3年たったのに」
と、叫ぶように歌っていたのは、泉谷しげる。
その曲名は、「帰り道」だった。
3年たったら楽になれるというから僕はがまんをして働いてきた
その時彼の言うことは僕のために行っていると思ったから彼の言う通りに働いてきたんだ
いろんな人にどなられてもこづきまわされても、3年たったらというから 僕は汗もふかずに働いてきたんだ
3年たったのに3年3年たったのに 3年もう3年たったのに 3年3年たったのに
僕はけだるい顔をして歩いている 帰り道
…と働き出した若者の悲哀を描いている歌だった。
最後に、
「3年が過ぎました 1095日です」
と歌っていたのは、岩崎宏美の「わたしの1095日」という歌。
3年は日数に直すと、1095日になる。
3年が過ぎました 1095日です 私には毎日が特別の日々でした
何か言い忘れていませんか もっと大切な話はありませんか
と、付き合っていた彼に語りかけるような歌。
「乳母車」もそうだが、この歌も作詞は、阿久悠だった。
「3年」を思っていたら、1970年代の歌が、ポコポコッと思い浮かんできた。
名付けて、「3年SONGS」。
どれも、自分の高校・大学時代によく聴いた歌たちだ。
多感なあの頃聴いた歌たちというのは、忘れないものだな、と思わず苦笑した。
「3年」で言いたかったことは、また別の機会に…。