ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

娘よ(7)

2013-07-29 22:54:40 | 生き方
 26日は、職場の慰労会だった。
 ただ、日々の娘の容体が気になっていた。
 病室を訪ねると、娘は、目を開けていることが多くなってきていた。D剤は8.0のままだったが、P剤の濃さが低くなってきているように思えた。
 職場の慰労会は大事だが、それ以上に娘に会うことの方が重要な気がする。午後8時までに病院に行くと、娘の見舞いができる。

 そんな訳で、慰労会は午後7時までと決め、わがままを言って中座させていただくことにした。
 慰労会の会場から病院までは25,6kmある。7時に出れば、およそ45分くらいで病院に着くのではないか。そう考え、実行に移した。
 酒は好きなのだが、6時からの会は、食べるだけ食べ、職員の皆さんに手際よく注いで回ることに専念。
 7時の時点で、人々に1回ずつは注ぎ終わり、並んだごちそうも、まだ出ないデザート以外は食べ尽くした。はじかみも刺身のつまも、全部平らげた…。残さいは残さない…地球にやさしく資源は大切に…単にいやしいだけかもしれないが…(いやしさは隠せない)。

 病室を訪ねると、横になっている娘は、目を開けてこちらの方を見てくれた。やっぱり宴会を切り上げて娘に会いに来てよかったと思った。
ベッド上の娘に手を振ると、看護師さんが、私に気付いて、「(主治医の)先生に会いませんでしたか?」と聞いた。
 いいえ、と答えると、小部屋に案内してくれた。
 そこには、8時近いのに、主治医が妻と息子相手に、最近の治療の様子を説明してくれていた。
 私が行ったことで、医師はもう一度一から説明をする羽目になってしまった、しかし、「20代の若い娘さんが、こんな状況になっているのは尋常な姿ではない。だから、なるべくきちんと説明する機会を大切にしたい。」と常々言ってくれていたが、それを実践してくださっていることに、心から感謝した。

 主治医の説明である。
 けいれん止めの薬を下げていかなければ、血しょう交換の効果は確認できない。呼吸の管をのどから抜いた日にけいれんが起きたのは、呼吸の管を抜いてけいれん止めの薬を急に薄くして、脳に急激に強い刺激が与えられたからではないか。
 けいれんが起きたことからすれば、けいれん止めの薬を一気になくすわけにはいかない。
 この間は、P剤を濃いままにしてD剤を薄くしたらけいれんが起きた。P剤は、肝機能も悪くしているようだから、今度はD剤を濃いままにしてP剤を少しずつ薄くしていこうとしている。
 熱が高いのは、肺炎を起こしていることが考えられる。
 本当に血しょう交換の効果があったのかどうかは、話ができるようにならないとはっきりしない部分がある。まずは、けいれんを起こさないで、話ができるようになることを目指したい。

 この説明を受けてから3日がたった。
 指定された時間に集中治療室に会いに行くと、大概は目を開けているし、姿を見てくれる。
 ただし、まだ大半はぼうっとしている。こちらの話しかけに、時々は反応して首を振ったりはするのだが、けいれん止めの薬はまだ濃い。
 管を抜かないようにと、両手首が固定されている。鼻から胃に管は通っている。口には酸素マスクがかけられている。
 口元が動くことはあるが、声はいまだ出せないままだ。なのに、痰がひどくからむので、ひどい咳を繰り返すことが多い。
 こんな娘が、話せるようになる日は来るのだろうか。
 言う内容がまたとんちんかんな内容になるとしても、娘の声が戻ってくる日を待っている。
コメント
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