今日は、第5回胎内市ロード大会に、一般選手として参加申し込みをした。
一般選手として、と書いたが、実はこの大会は、新潟県20kロード選手権大会であり、第20回新潟県マスターズロード大会を兼ねている。
小学生の3kmや中学生の5kmなどの種目もあったが、メインは、10kmや20kmなのである。
ただし、このロード大会は、ネットで公開はしていないのである。
だから、参加者は多くなく、知る人ぞ知る大会、ということなのである。
私も、去年は、この大会があるのは知ったが、申し込めなかった。
今回のゲストは、谷川真理さんであった。
開会式のあいさつでは、今日12時の飛行機に乗って北海道に行く用があるため、3kmの部だけ走って、この地を離れるのだそうだ。
ただし、来週同じく新潟県の五泉市のハーフマラソン大会では、ハーフを走るのだそうだ。
「今回の大会に出て、来週の五泉の大会にも出るという人はいませんか?」
谷川さんは、そう聞いたけど、残念ながら、手を挙げる人はいなかった。
その谷川さんが、3kmを走る姿を見た。
5kmを走る中学生にはついて行かなかったけど、昔懐かしいストライドのたくましい走りだった。
さて、10kmと20kmの同時スタートの時間が来た。
マスターズで20kmに出場する人は、45歳代から70歳代までいたのだけれど、男子は10人弱であった。
だが、市民ランナーも、10人余りしかいなかった。
女性も、マスターズ・市民ランナー合わせて6人。
スタートして、陸上競技場内400mを2周と4分の3走る。
谷川さんは、「マイペース、マイペース。」と声援を送ってくれた。
いよいよ、ロードに出た。
その地点で、10kmにエントリーしていた私の息子が、私を追い越して行った。
まあ、先に行ってくれい。
私の作戦は、早すぎないスピードで前半1km5分台を切って貯金し、15kmの関門を突破しようというもの。
そのために、自分が走りやすく付いて行きやすい人の後ろにぴったりくっついて走った。
迷惑だっただろうけど、その人は、この大会過去3回走っているとのこと。
信頼できる。
1kmごとのラップタイムは、4分36秒、4分51秒、4分35秒、4分49秒、4分57秒と続いた。
ここで、息子たち10kmのランナーは、折り返して戻って行く。
私は、さらに5km先へ行かないと折り返しは、ない。
それでも、4分54秒、4分58秒、4分57秒、4分57秒と9kmまでは5分以下で走ることができた。
いよいよ10kmの中間地点を過ぎ、折返し点を回った。
この折り返し地点の辺りは、私にとっては、実は思い出の多い土地。
子どものころ、よく走った道。
「新しい道」と呼んでいた道。
そんな感傷とは対照的に、体が少しずつきつくなってきた。
10kmまで背中を追ってきた人の背中が、少しずつ遠くなってきた。
12kmまでは5分を少し上回るくらいのペースだったのに、13kmで5分17秒、14kmで5分29秒もかかるようになってしまった。
しかし、ここで、後ろから追い上げてきた若い女性ランナーが、すばらしい勢いで私を抜いて行った。
「ついて行ってみよう。」
と無謀にも、15km関門まで、その人の後ろについて行った。
そのかいあって、15kmは、1時間14分余りで関門通過。
さすがに、この後の反動がすごく、その後の2kmは5分35秒台になり、18km地点では、5分55秒と、ぐんと遅くなってしまった。
ここで、かつて県の女子マラソンで何度も1位になったことのある、マスターズの女性が「がんばりましょう!」と言って、抜いて行った。
「よし、がんばろう!」と、19kmでは、逆に抜き返したりもしたが、陸上競技場内でまた抜かれて、結局1時間43分強でゴール。
10kmを自分で満足する記録でゴールした息子が出迎えてくれた。
20km。
最後まで走ることができた。
15kmでも、関門にかからずにその先に行けた。
満足したロードレースであった。
(でも、少ない参加者…ひょっとして、完走者の中で最下位!?)
一般選手として、と書いたが、実はこの大会は、新潟県20kロード選手権大会であり、第20回新潟県マスターズロード大会を兼ねている。
小学生の3kmや中学生の5kmなどの種目もあったが、メインは、10kmや20kmなのである。
ただし、このロード大会は、ネットで公開はしていないのである。
だから、参加者は多くなく、知る人ぞ知る大会、ということなのである。
私も、去年は、この大会があるのは知ったが、申し込めなかった。
今回のゲストは、谷川真理さんであった。
開会式のあいさつでは、今日12時の飛行機に乗って北海道に行く用があるため、3kmの部だけ走って、この地を離れるのだそうだ。
ただし、来週同じく新潟県の五泉市のハーフマラソン大会では、ハーフを走るのだそうだ。
「今回の大会に出て、来週の五泉の大会にも出るという人はいませんか?」
谷川さんは、そう聞いたけど、残念ながら、手を挙げる人はいなかった。
その谷川さんが、3kmを走る姿を見た。
5kmを走る中学生にはついて行かなかったけど、昔懐かしいストライドのたくましい走りだった。
さて、10kmと20kmの同時スタートの時間が来た。
マスターズで20kmに出場する人は、45歳代から70歳代までいたのだけれど、男子は10人弱であった。
だが、市民ランナーも、10人余りしかいなかった。
女性も、マスターズ・市民ランナー合わせて6人。
スタートして、陸上競技場内400mを2周と4分の3走る。
谷川さんは、「マイペース、マイペース。」と声援を送ってくれた。
いよいよ、ロードに出た。
その地点で、10kmにエントリーしていた私の息子が、私を追い越して行った。
まあ、先に行ってくれい。
私の作戦は、早すぎないスピードで前半1km5分台を切って貯金し、15kmの関門を突破しようというもの。
そのために、自分が走りやすく付いて行きやすい人の後ろにぴったりくっついて走った。
迷惑だっただろうけど、その人は、この大会過去3回走っているとのこと。
信頼できる。
1kmごとのラップタイムは、4分36秒、4分51秒、4分35秒、4分49秒、4分57秒と続いた。
ここで、息子たち10kmのランナーは、折り返して戻って行く。
私は、さらに5km先へ行かないと折り返しは、ない。
それでも、4分54秒、4分58秒、4分57秒、4分57秒と9kmまでは5分以下で走ることができた。
いよいよ10kmの中間地点を過ぎ、折返し点を回った。
この折り返し地点の辺りは、私にとっては、実は思い出の多い土地。
子どものころ、よく走った道。
「新しい道」と呼んでいた道。
そんな感傷とは対照的に、体が少しずつきつくなってきた。
10kmまで背中を追ってきた人の背中が、少しずつ遠くなってきた。
12kmまでは5分を少し上回るくらいのペースだったのに、13kmで5分17秒、14kmで5分29秒もかかるようになってしまった。
しかし、ここで、後ろから追い上げてきた若い女性ランナーが、すばらしい勢いで私を抜いて行った。
「ついて行ってみよう。」
と無謀にも、15km関門まで、その人の後ろについて行った。
そのかいあって、15kmは、1時間14分余りで関門通過。
さすがに、この後の反動がすごく、その後の2kmは5分35秒台になり、18km地点では、5分55秒と、ぐんと遅くなってしまった。
ここで、かつて県の女子マラソンで何度も1位になったことのある、マスターズの女性が「がんばりましょう!」と言って、抜いて行った。
「よし、がんばろう!」と、19kmでは、逆に抜き返したりもしたが、陸上競技場内でまた抜かれて、結局1時間43分強でゴール。
10kmを自分で満足する記録でゴールした息子が出迎えてくれた。
20km。
最後まで走ることができた。
15kmでも、関門にかからずにその先に行けた。
満足したロードレースであった。
(でも、少ない参加者…ひょっとして、完走者の中で最下位!?)