【まくら】
あさりもしじみも、一五歳ばかりの少年が売る例は多かったようだ。
その様子は戯作の挿絵でも見られ、「佃から十五童子の蜆売り」という川柳からも知ることができる。
少しの元手で行商ができるので、貧しい家の年少の子供の仕事になったのだろう。
あさりのむき身は深川の名物だが、蜆は佃島や、本所の業平橋付近が知られていた。
業平橋は隅田川の支流の大横川にかかる橋で、このあたりで蜆を採っていたのであろう。
現在の大横川はほとんど水が流れていないが、江戸時代当時は隅田川から北十間川に豊富に水が流れ込み、それが業平橋から南下して大横川になった。
平賀源内の『根南志具佐』では、一升十五文で売られている業平蜆のザルの中に、閻魔大王の蜆のスパイがまぎれこんで、町を観察報告する。蜆売りは主に長屋を歩いていたようだ。
出典:TBS落語研究会
【あらすじ】
茅場町の魚屋和泉屋の親方次郎吉は裏では義賊のネズミ小僧。暮れの三っ日間博打で300両すっかり負けてしまった。雪の中、新橋汐留の船宿伊豆屋に船で送ってもらいたく立ち寄る。船頭と女将相手に雪見酒を飲んでいると、そこに十になったぐらいの素足にわらじ履きの小僧が「お~ぃ、しじみよ~」と売りにくる。次郎吉は全部買い求め前の汐留川に放してやる。
話を聞いてやると、母親と二十三になる患った姉さんがいる。姉はもと新橋の金春新道紀伊国屋の”小春”という売れっ子芸者であった。三田の紙問屋の若旦那”庄之助”といい仲になったが、通いすぎて庄之助は勘当された。小春が家に置いて面倒を見たが人気が無くなり、庄之助と姉は旅芸者になって箱根にいた。そのとき、庄之助がかけ碁ですってんてんに巻き上げられて、姉まで人質に取られるところ、隣の部屋から二十四、五の苦み走った男が現れ同じ江戸の者だからと掛け金100両を立て替え救い、ちょぼいちでいかさま師から金を奪い取り、50両を二人の路銀にと与える。その小判で宿の支払いをするが、金蔵やぶりの小判であったため、捕らえられ伝馬町に送られた。姉は心労が重なり病の床についたままになってしまった。そのため私がしじみを売っています。
次郎吉はその男が自分であったことを悟り、小僧に5両の金を持たせ、姉さんに悪いことばかりは続かないと言い伝えよと言いふくめ、折りを持たせて返す。「お~ぃ、しじみよ~」と空荷で雪の中を行く小僧を見やりながら、情けがあだになったことを知り、子分を自首させて庄之助を牢から出した。勘当が許され小春と夫婦になって、小僧と母親を引き取り仲良く暮らした。
天保義賊の内、ネズミ小僧次郎吉人情話、雪の朝のしじみ売りの一席。
出典: 落語の舞台を歩く
【オチ・サゲ】
人情話なので、落ちはない。
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『「出て来た、雪が降って来た、家ィ帰る」ようじゃ、いい商人にはなれねや』
『小さい時分に苦労しとけェ。なァ、そうすりゃ大きくなって立派な者になるから、なァ。』
【語句豆辞典】
【ネズミ小僧】志ん生は、人を助けた本当の義賊で、困った人から盗まず、大名から盗ってきた。500両盗むと、200両は困った人に、この200両は自分で使う分、残りの100両は税務署?のように、使い分けたという。
しかし、彼は義賊でもなんでもなかった、と言うのが今や通説です。
残された罪状記録を見ると、ネズミ小僧こと無宿の次郎吉は芝居の中村座で木戸番をしていた貞治郎のせがれで、建具職人に弟子奉公をしたり、鳶の人足をしているうちに小遣い銭が欲しくなり、盗みを働く様になった。金銭の保管も戸締まりも用心深い町屋に比べ、武家屋敷は外回りこそ厳重に戸締まりしているけれど、塀を乗り越えてしまえば案外手薄だというので、もっぱら大名や旗本の屋敷の奥をねらった。鳶で鍛えた軽快な身のこなしが、ここで役に立っていた。
諸説有るが、忍び入った回数は100回以上、盗んだ金は3000両あまり。そのほとんどを酒食遊興と博打に使い果たした。一度捕らえられ入れ墨の上、追放になったが入れ墨を消して、10年におよんで盗みを続けた。
逮捕後、小塚原の刑場で獄門となった。南千住の回向院に胴体の墓があり、両国回向院に立派な墓(首塚)が有る。没年37歳、諸説あるが、墓には天保二年八月十八日 俗名中村次良吉(次郎吉の郎と良が違う) 「教覚速善居士」と彫られている。この墓石を削ってお守りにすると賭け事に勝てるという。その為、奥の本当の墓石の前に、削られて角のまるくなった、削っても良い墓石と削るための小石が置いてある。
その年、講談「鼠小僧次郎吉略来」で、もう義賊的な話になっていた。また、歌舞伎にも義賊として取り上げられ、人気になった。
出典: 落語の舞台を歩く
【ちょぼいち(樗蒲一)】サイコロ賭博の一種類で、中でも有名なものが、「丁半」「チンチロリン」この「ちょぼいち」。
【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・立川志の輔
【落語豆知識】
【席亭】寄席の主。小屋主。また、地域寄席の責任者をそう呼ぶ場合もある。
あさりもしじみも、一五歳ばかりの少年が売る例は多かったようだ。
その様子は戯作の挿絵でも見られ、「佃から十五童子の蜆売り」という川柳からも知ることができる。
少しの元手で行商ができるので、貧しい家の年少の子供の仕事になったのだろう。
あさりのむき身は深川の名物だが、蜆は佃島や、本所の業平橋付近が知られていた。
業平橋は隅田川の支流の大横川にかかる橋で、このあたりで蜆を採っていたのであろう。
現在の大横川はほとんど水が流れていないが、江戸時代当時は隅田川から北十間川に豊富に水が流れ込み、それが業平橋から南下して大横川になった。
平賀源内の『根南志具佐』では、一升十五文で売られている業平蜆のザルの中に、閻魔大王の蜆のスパイがまぎれこんで、町を観察報告する。蜆売りは主に長屋を歩いていたようだ。
出典:TBS落語研究会
【あらすじ】
茅場町の魚屋和泉屋の親方次郎吉は裏では義賊のネズミ小僧。暮れの三っ日間博打で300両すっかり負けてしまった。雪の中、新橋汐留の船宿伊豆屋に船で送ってもらいたく立ち寄る。船頭と女将相手に雪見酒を飲んでいると、そこに十になったぐらいの素足にわらじ履きの小僧が「お~ぃ、しじみよ~」と売りにくる。次郎吉は全部買い求め前の汐留川に放してやる。
話を聞いてやると、母親と二十三になる患った姉さんがいる。姉はもと新橋の金春新道紀伊国屋の”小春”という売れっ子芸者であった。三田の紙問屋の若旦那”庄之助”といい仲になったが、通いすぎて庄之助は勘当された。小春が家に置いて面倒を見たが人気が無くなり、庄之助と姉は旅芸者になって箱根にいた。そのとき、庄之助がかけ碁ですってんてんに巻き上げられて、姉まで人質に取られるところ、隣の部屋から二十四、五の苦み走った男が現れ同じ江戸の者だからと掛け金100両を立て替え救い、ちょぼいちでいかさま師から金を奪い取り、50両を二人の路銀にと与える。その小判で宿の支払いをするが、金蔵やぶりの小判であったため、捕らえられ伝馬町に送られた。姉は心労が重なり病の床についたままになってしまった。そのため私がしじみを売っています。
次郎吉はその男が自分であったことを悟り、小僧に5両の金を持たせ、姉さんに悪いことばかりは続かないと言い伝えよと言いふくめ、折りを持たせて返す。「お~ぃ、しじみよ~」と空荷で雪の中を行く小僧を見やりながら、情けがあだになったことを知り、子分を自首させて庄之助を牢から出した。勘当が許され小春と夫婦になって、小僧と母親を引き取り仲良く暮らした。
天保義賊の内、ネズミ小僧次郎吉人情話、雪の朝のしじみ売りの一席。
出典: 落語の舞台を歩く
【オチ・サゲ】
人情話なので、落ちはない。
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『「出て来た、雪が降って来た、家ィ帰る」ようじゃ、いい商人にはなれねや』
『小さい時分に苦労しとけェ。なァ、そうすりゃ大きくなって立派な者になるから、なァ。』
【語句豆辞典】
【ネズミ小僧】志ん生は、人を助けた本当の義賊で、困った人から盗まず、大名から盗ってきた。500両盗むと、200両は困った人に、この200両は自分で使う分、残りの100両は税務署?のように、使い分けたという。
しかし、彼は義賊でもなんでもなかった、と言うのが今や通説です。
残された罪状記録を見ると、ネズミ小僧こと無宿の次郎吉は芝居の中村座で木戸番をしていた貞治郎のせがれで、建具職人に弟子奉公をしたり、鳶の人足をしているうちに小遣い銭が欲しくなり、盗みを働く様になった。金銭の保管も戸締まりも用心深い町屋に比べ、武家屋敷は外回りこそ厳重に戸締まりしているけれど、塀を乗り越えてしまえば案外手薄だというので、もっぱら大名や旗本の屋敷の奥をねらった。鳶で鍛えた軽快な身のこなしが、ここで役に立っていた。
諸説有るが、忍び入った回数は100回以上、盗んだ金は3000両あまり。そのほとんどを酒食遊興と博打に使い果たした。一度捕らえられ入れ墨の上、追放になったが入れ墨を消して、10年におよんで盗みを続けた。
逮捕後、小塚原の刑場で獄門となった。南千住の回向院に胴体の墓があり、両国回向院に立派な墓(首塚)が有る。没年37歳、諸説あるが、墓には天保二年八月十八日 俗名中村次良吉(次郎吉の郎と良が違う) 「教覚速善居士」と彫られている。この墓石を削ってお守りにすると賭け事に勝てるという。その為、奥の本当の墓石の前に、削られて角のまるくなった、削っても良い墓石と削るための小石が置いてある。
その年、講談「鼠小僧次郎吉略来」で、もう義賊的な話になっていた。また、歌舞伎にも義賊として取り上げられ、人気になった。
出典: 落語の舞台を歩く
【ちょぼいち(樗蒲一)】サイコロ賭博の一種類で、中でも有名なものが、「丁半」「チンチロリン」この「ちょぼいち」。
【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・立川志の輔
【落語豆知識】
【席亭】寄席の主。小屋主。また、地域寄席の責任者をそう呼ぶ場合もある。