俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『日本一広い田んぼ』

2009-05-30 18:36:35 | Weblog

この間、自転車で印旛沼のサイクリングロードをうろうろ走っていたら、立て看板が目に入りました。
ワルポンの住んでいる此の地にも“日本一”があったのです。

印旛沼の干拓事業で出来た田んぼでの作業性を高めるために、最近、再整備して出来た田んぼで、その面積は実に7.5ha、東京ドームの1.6倍もの広さがあるのです。

一枚の田んぼの大きさ“日本一”です。
京成本線の電車や車の大きさ、風車の高さと比べると、その広さが実感できませんか?

ところで、ものの大きさを比較するのに東京ドームの何倍という表現がよく使われますけれど、その大きさの感じがよく判りませんよね?
東京ドームの広さはグラウンドの面積が13,000㎡で建築面積が46,755㎡だそうで、大きさ比較では建築面積の方を使いますが、やっぱり感じはつかめませんよね?

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“日本一”と云えば桃から生まれた桃太郎が、おばあさんから“日本一”おいしい「きび団子」を作ってもらい、おじいさんには“日本一”と書いた幟を作ってもらって、鬼が島へ悪い鬼退治に出かけました。
途中、犬と猿とキジに「きび団子」をあげて家来にしたのです。

“日本一”は、「きび団子」の美味しさだったでしょうか?
それとも鬼退治をした桃太郎さんの強さだったのでしょうか?
はたまた、鬼たちからぶんどった宝の山だったでしょうか?

どなたかお判りの方は教えて頂けませんか?

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「当店は、日本で“二番目”に美味しい店です」などと妙にへりくだった看板を時に見かけますけど、“日本一”などと云うものは、いい加減なものですよね?
そもそも“日本一”とは何なのでしょうか?

辞書には
(1) 日本で一番すぐれていること。天下一。
(2) 最高・最良なこと。非常に立派なこと。室町時代に多用された。
とありました。

“日本一”高い山は富士山、“日本一”長い川は信濃川、“日本一”大きな湖は琵琶湖、“日本一”長いトンネルは青函トンネル、“日本一”高い建物は東京タワー・・・

りんご生産“日本一”は青森県、さくらんぼは山形県、そばは長野県、うどんは香川県、こんにゃくは群馬県、落花生は千葉県・・・
参拝客の多いのは明治神宮・・・初日の出が早いのは・・・

長生き、長い名前、背が高い、太ってる、小さい、狭い、重い、軽い、固い・・・
何にでも“日本一”があります。・・・数え切れない“日本一”があります。

“日本一”とは、何なんでしょう?

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え~い! 此の地にはもう一つ、“日本一”があります。

それは、ワルポンの「住まい」です。・・・日本に唯一つしかありませんっ!

(ちょっと違うか?・・・)

元気に育て!

2009-05-29 12:34:44 | Weblog
酒田大火後に、悪病・災害除けの「霊獣」である「獅子頭」が、酒田復興のシンボルとして創られています。現在、八体の赤と黒の大獅子がいます。



獅子頭は幅、高さ、奥行きが夫々2mほどの大きさです。口の中に入れられて噛んでもらうと健康に育つと言われています。パクパクされて元気に泣く子です。



周囲の制止を振り切って獅子頭に入り込んだオバサンはニコニコ顔で「Vサイン」、でも係りの引き手から「ダメ!」をもらいました。


『酒田まつり』

2009-05-27 22:14:21 | Weblog

2009年5月20日は「酒田まつり」の本祭りでした。
慶長14年(1609年)に始まって、今年でちょうど400年に当たるということで、大勢の人出で大賑わいでした。

酒田は、日本三大砂丘の一つである庄内砂丘を西に背負い、さらに日本三大急流の一つである最上川の河口にあって、鉄道輸送が出来るまでは米の集散地の港町でした。
北前船によって米を上方や江戸へ運び、物資や人の往来が盛んで、特に京都の影響を強く受けた土地柄でした。

☆       ☆       ☆       ☆

東北の方言はずうずう弁が多いと云われます。
栃木は○○ダッベ、茨城は○○ダッペ、福島は○○ダッパイ、仙台は○○ダンベ、山形の内陸地方は○○ダベと言葉の後の終助詞がつきます。

酒田弁では、「のう」の終助詞がつき、京言葉に近いと云われています。
あべこべは「あっちゃこっちゃ」、水に浸けるは「うるかす」、節約は「しまつ」、凍るは「しみる」、つっかい棒は「つっぱり」、山盛りは「てんこもり」、野菜などを刻むは「はやす」・・・など京都との共通の言葉が沢山あります。

☆       ☆       ☆       ☆

上日枝神社、下日枝神社の祭礼で、街中には巨大な「立て山鉾」が聳え立ち、酒田ばやしの太鼓や笛の粋なリズムに合わせて、朱色の面の「天狗の舞」や「獅子舞い」が奉納され、突然「ズド~ン!ドンドン」とお腹に響き渡る「山居大太鼓」の合図で「山車行列」が、いざ出発です。

粋な「酒田きやり」、「亀笠鉾」の引き回し、山車行列、「大獅子」の行列、子供みこし・・・などなど市内各地の50以上の出し物が次々と巡行したのです。
まつりに参加の若衆も、はじめこそ緊張気味でしたが、すぐに和気あいあいで、行列が進むに連れてお神酒をあおる余裕の引き手も見受けられました。

元気で健やかに育つようにと大獅子の口の中にくわえられて元気に泣き叫ぶ児らも・・・
沿道は鈴なりの人人人・・・ 子供も大人も、男も女も、赤ちゃんも老人も・・・みんな笑顔で見入っていました。

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昭和48年5月20日のお祭り以来、実に36年ぶりの酒田まつりの見物です。
敲き手や担ぎ手が親から子へと代わっても、あの日の祭ばやしも太鼓の響きも同じです。
目を細めて食い入るように見つめる人・・・ ワルポンも当時の祭り太鼓に導かれた合縁奇縁を想い起こして“親孝行せねば・・・”と、実に感慨深いものがありました。

奇縁に感謝して下日枝神社にお参りし、翌日の帰り際には上日枝神社も参拝して頭を垂れてまいりました。

「何が奇縁か?」って? 

内緒です・・・
久々の感傷に浸った6泊7日の長旅でした・・・感謝っ!

『その後のカマキリ君』

2009-05-13 13:34:50 | Weblog

二人以上で何かの勝負を決める時、よく、「じゃんけんぽん」や「あみだくじ」、「くじ引き」をやりますよね。
でも、用意する道具が必要の無い「じゃんけんぽん」を一番多く使うのではないでしょうか?

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五本の指を握り締めたのが「グー」で石を、親指と人差し指又は人差し指と中指を開いたら「チョキ」でハサミを、全部の指を開いたのが「パー」で紙を表します。夫々が「三すくみ」になっていて、「じゃんけんぽん」の掛け声の“ポン”と同時に、思い思いの手の形を前に出して勝ち負けを決めます。

同じだったり、三種類が同時に出たら「あいこでしょっ」の掛け声で再び手を出して、勝負がつくまで、「ポンッ」とか「しょっ」の掛け声で繰り返します。
遅れて出すのは「後出しじゃんけん」で、負けになります。

       ☆       ☆       ☆       ☆

三週間ほど前に、やまぼうしの枝先につくられた巣の上で蜘蛛に睨まれていたカマキリの赤ちゃんが、この頃どこに行ってしまったのか見かけなくなっていましたので、食べられてしまったかと心配していたのですが、“いましたっ!”

我が家の家庭菜園のジャガイモの花が咲いたのですが、イモの成長を妨げるということで花を摘んでいたら、かんかん照りの太陽を浴びた葉っぱの上を元気いっぱいに散策中でした。

「カマキリみたいに痩せ細って・・・」とは云いますが、体長も2倍の2cmぐらいの大きさに成長し、少し逞しさを増したみたいです。
ハエやカ、アリマキなどの動く生きた昆虫を食べるらしいのですが、あの体つきでも捕まえられるのかなあ?

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「三すくみ」じゃありませんが、天敵は蜘蛛の他にも、トカゲがうろちょろしていますし、蟻もいます。スズメやヒヨドリも飛んできます。

とかくこの世は、住みづらい・・・

頑張れ! カマキリ君!

『我孫子・旧村川別荘』

2009-05-11 21:41:12 | Weblog
20日ほど前に行ったばかりの我孫子へ、土曜日も日曜日も日参したのであります。

何で我孫子詣でかと云いますと、“牛に引かれて善光寺参り”なんですよ。
つまり、万年文学少女(?)に引っ張られて行ったのであります。

       ☆       ☆       ☆       ☆

前回は「白樺文学館」と志賀直哉邸跡を見学したのですが、その時は茶室の雨戸が閉まっていて中を見ることが出来ませんでしたので、リベンジです。
一見して、昔文学少女とおぼしき方々がボランテアの説明を熱心に聞き、歌を詠む人、絵筆をとる方も多く見受けられました。

道々で連れ立った老若男女の多くのグループとすれ違いました。
うっそうとした木立におおわれた「天神坂」の急な坂道を上りきると、「三樹荘」と「嘉納治五郎別荘跡地」に出ます。
「三樹荘」は、現在お住まいの方がおられると言う事で非公開になっていました。

「嘉納治五郎別荘跡地」には立派な三階建ての建物があって、市民のいろいろな教室への貸室になっているそうです。嘉納治五郎は近代柔道の祖、講道館の創設者。お庭から見下ろす手賀沼の見晴らしは正に絶景、「北の鎌倉」と呼ばれた別荘地だったことに納得です。

「旧村川別荘」は東京帝国大学の村川堅固教授の別荘でしたが、現在は市の管理となっています。その母屋は「我孫子本陣」の離れを移築したものだそうで、江戸の佇まいを残す純和風の建物でした。
新館は銅板葺き、千鳥破風、反りのきつい屋根が特徴的でした(写真)。

我が“牛”は何事もスローペース・・・
あまりにのったりゆっくりなので、「先に行くぞ!」と云い置いて、すぐ上にある大黒様へお参りに・・・

       ☆       ☆       ☆       ☆

正式名称・子之神大黒天延寿院(真言宗豊山派)にお参りを済ませての帰り道、バイカーズモデルのカーブのついたゴーグルタイプの濃い色のサングラスをかけた妖艶な色白美人のご婦人に声をかけられたのです。

自転車を引いた彼女は、「やっと晴れましたねぇ、どちらからですか?」、「私も歴博に行ったことがありますぅ」、「佐原のあやめ祭りはいいですよね」、「JRのホリディパスはいいですよ、平塚、久里浜、奥多摩、大月まで2300円で行けますよ」、「高尾山だって鎌倉だって行けますよ」、「お徳ですよ!」・・・

歩きながら話がつきません。
「旧村川別荘」の山側の門の前に、やっと、うちの“牛”が、のっそり立っていました。

前まで来て、その彼女もやっと“牛”の存在に気が付き、今度は“牛”とも「ながっぱなし」を始めました。

       ☆       ☆       ☆       ☆

帰り道の車で、“牛”は、「私がいなかったら、楽しいひと時が過ごせたのにねッ!」と、やきもちを焼いたのでした。
いやー、もて過ぎるのも困ったものです。

なにぃ? 安全パイに見えただけだって・・・


(ちなみに、日曜日は母の日なので、娘のおごりで朝食バイキングに行ったのでした。ワルポンは運転手で自腹です。帰りに再び大黒天に行きましたが、ジイサンバアサンの一組で、“サングラスの女”は居ませんでした)

『雉も鳴かずば撃たれまい』

2009-05-07 21:58:19 | Weblog
ワルポンは高校時代の部活で弓道をやっていたのです。

が、同じ部活の同級生から、断固許せない行為があったので教室の中で罵り合いになり、取っ組み合いの喧嘩になったのです。
俺は悪くないので、もう、同じ空気を吸うのも嫌になって、それで2年で部活をやめちゃったのです。

それがこの頃、何かの拍子に、再びやってみたいと思いついて、あっちこっちの弓道場を見て回っているのです。

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印旛村の中央運動公園にある弓道場を見ての帰り道、印旛沼のほとりと山裾を縫うように走る道を通ったのです。

車がすれ違うのにもスピードを落とさなければならないぐらいに細い曲がりくねった道です。多分、その道は、昔から地元の人たちの生活道路になっていて、荷車や馬車で米俵や野菜を運んだり、隣のと行き来した道だと思います。

ハンドルを右に切り左に切りしてドライブテクニックを楽しんで何度かカーブを曲がって走っていると、突然、目の前の路上を右から左へ、トットットットッと横切る物体に出くわしました。

慌ててブレーキを踏み、車を停めて、物体の進んだ道路から一段低い左側の休耕田に目をやると、じっと立ちすくんでいるメスのキジを確認しました。
案外と華奢な小柄で、こげ茶とうす茶のまだら模様が、去年の秋に刈り取った稲の切り株によって保護色になっていました。

運転席の後部座席からカメラバッグを引き寄せて、おもむろにカメラを取り出し、車を降りて写真を取ろうとしたその時、背後から“ケンッケーン”と、するどい鳴き声が・・・ ビックリして振り返ると、真っ赤な頭のオスのキジが見下ろしているではありませんか・・・ 瞬間!シャッターを切りました。

全身の姿を一枚撮らにゃと思って、そーっと近づくと、ギラギラ輝く濃い緑色の羽を全身にまとい、長い尾をピンと張り、真っ赤な頭の首をすっくと伸ばし胸を張って、誇らしげに悠然と雄姿を現したのです。ジャガイモ畑の前に・・・
その距離5m、さすが、国鳥! 王者の風格です。

素早くカメラを構えシャッターを押そうとしたその一瞬、くるッとひるがえってジャガイモ畑にもぐりこんでしまいました。

・・・ひょっとしたら、ジャガイモ畑の畝の間に隠れているのかもしてないと思って、さっき彼がいたあたりに忍び足で行ってみたのですが、いくら探しても、もうどこにも姿は見当たりませんでした。

道路の反対側の休耕田の彼女の姿も、どこにも見当たりません。

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「雉も鳴かずば撃たれまい」と云いますけれど、そんなことじゃございません。

メスの危険を察知したオスが雄叫びを上げて注意を引き、敵(ワルポン)を自分に引き寄せて、その間に彼女を逃がしたのです。
正に男の中の男、身を捨てて助けた彼に、彼女もきっと惚れ直したことでしょう。


いや~ぁ残念! 絶好のシャッターチャンスだったのにィ~・・・

口惜しくて云うのじゃありませんが、“ケンッケーン”という彼の鳴き声の“ケ”は、「ゲ」と「ギ」との中間ぐらいの、棘が咽に刺さったような濁声(だみごえ)の雄叫びでした。
先般、麻生さんがドイツへ出かけた際の演説も濁声で聞きづらかったけど・・・


ワルポンも高校時代に濁声を上げての喧嘩をしていなければ・・・
武士道を極めて今頃は王者の風格の紳士になっていたのに・・・ 

「雉も鳴かずば撃たれまい」



『川村記念美術館の庭園』

2009-05-06 18:35:04 | Weblog
5月3日(日)は「憲法記念日」、5月4日(月)は「みどりの日」、5月5日(火)は「こどもの日」で国民の休日です。
カレンダーの5月6日(水)も赤い字になっていますけど、何の日でしょうか?

ゴールデンウィークも今日までという方も多いのではないでしょうか?

☆       ☆       ☆       ☆

連休の間、ひたすら雑草と戦っていましたよ~・・・

板で作った小さな腰掛にケツ先を載せ、草を引き抜いてはゴミ袋に入れ、鎌で刈っては袋に詰め、毟(むし)り取っては袋に放り込んで、這いつくばって両手の届く範囲をなめるように取りつくしたら、次のポジションへゴミ袋を引きずりながら腰掛共々にじり進んで、同じ動作を繰り返す極々単純作業です。

家の周りの草取りに一日たっぷりかかりました。
お蔭様で、すっかり綺麗になりました。ぺんぺん草一本ありません。

畑の草取りは大変です。
日頃は畑で耕している部分しか草を取りませんから、畑の周りは伸び放題に伸びていて、まるでジャングルです(ちと、オーバーですが・・・)。

小さな真紅の花をつけるバラと、ジャムにする木苺(ラズベリー)、香りのペパーミント、白い清楚な花のテッポー百合などをランダムに植えてあります(勝手に生えている)ので、それらを護りながら、間の雑草を抜き取るのです。

中には両手で力一杯引っ張っても抜けないのもあったりして、取った雑草を積み上げましたら、その大きさが幅1m、長さ2m、高さ1mの小山が出来ました。
一日半の時間を要し、擦り減って指先の無くなった軍手三足を要しました。

5日の午後は雨となり肉体労働から解放され、ぐっすり昼寝となった次第です。

☆       ☆       ☆       ☆

でも、今日は連休最後の日とあって、何か遊びをしないと損な気がして、九十九里浜へ釣りに出かけました。

どんより曇っていたのですが、海にはカワウの大群みたいな真っ黒のサーファーたちが大波の間に間にぷかぷかと浮かんでいました。

釣竿に、大型アイスボックス、釣り道具を両手にぶら下げて、海辺の歩きにくい砂浜を斜めに横切って、やっとの思いで突堤に辿り着くと、突堤の両岸には釣り人たちが鈴なりでした。
波しぶきを顔に受けながら、太平洋に突き出した突堤の一番先に陣取りました。

投げ竿で数回手繰り寄せていたら、「いしもち」がいきなり釣れました。これは幸先がいいやと思っていたら、空が暗くなって横殴りの雨が降って来た。
眼鏡は雨と波しぶきで視界不良・・・
びしょぬれになりながら、すぐに退散した。

相棒も一匹釣ったけれど、これじゃ晩酌のつまみにもならねえ・・・

☆       ☆       ☆       ☆

帰り道を間違えて「川村記念美術館」の前を、たまたま通りました。
庭園のつつじが綺麗だというのを思い出したので寄ってみました。
終わり加減でしたが、まだ、間に合いました。

刈り込まれた芝生や植え込み、噴水の上がる池に遊ぶ水鳥、程よく配された木立・・・
さすがに手入れの行き届いた名庭園、一分(いちぶ)の隙(すき)もありません。

俄か手入れの我が庭(猫の額)と比べるつもりは毛頭ありませんが・・・



※5月6日は、5月3日が憲法記念日で国民の休日なのですが、日曜日にあたりますので、その振替え休日ということです。

《ナヌッ! そんなことは小学生だって知ってるって? ・・・ドボン!》


『笠森観音』

2009-05-02 22:53:53 | Weblog
今日からゴールデンウィークの中盤が始まりました。
行楽地は何処も混むだろうし、特に高速道路は千円人気で渋滞行列でしょうから、どこにも行かないにしようっと!

・・・でも、ワルポンは家の中にじっとしていられないタイプの人間で、どこか放浪癖があるのです。

「男はつらいよ」の寅さんも“ふうてんの寅さん”と云われて放浪癖がありますけれど、“テキ屋”というれっきとした商売を持っているし、「釣りバカ日誌」の浜ちゃんだって“釣り”と云うはっきりした目的があります。「裸の大将放浪記」の山下清画伯は絵の天才だし、「奥の細道」の松尾芭蕉に至っては俳聖だしねェ・・・

無芸大食の放浪者は今日も只ひたすら彷徨い歩くのです(実際には車ですけど・・・)。

       ☆       ☆       ☆       ☆

そこで、高速道路に乗らないで比較的近く、しかも行楽客のあまり押しかけないところで、以前から行ってみたいと思っていたところの一つ・・・「笠森観音」へ行って参りました。

「ゴルフ銀座」と呼ばれるぐらいにゴルフ場が連なるゴルフ場とゴルフ場の間を通って走る「うぐいす道路」と名付けられた一般道(空いているので高速道路並みのスピードでみんなが走っていますょ~おまわりさん!)を終点まで走り、左折して茂原方面へ5kmほど行ったところに「笠森観音」の入り口があります。

「笠森観音」は、最澄上人により延暦3年(784年)の開基で、正式名称は「天台宗・別格大本山笠森寺」と称し、その観音堂は長元元年(1028年)に建立され、「国指定重要文化財」となっています。(案内パンフレットより抜粋)

「笠森観音」のある笠森山は「国指定天然記念物笠森寺自然林」となっていて、参道を杉などの巨木が被(おお)い、厳かな雰囲気を醸し出しています。
根元が一つの「三本杉」や「子授楠」などの奇怪な木たちにも驚かされます。

観音堂の木造の急な長い階段を手すりにすがって上り、お堂をぐるりと囲む欄干付きの外廊下に上がると、そこは境内の目の前の巨木のてっぺんより高く、遥か遠くまで見渡すことが出来ます。
でも、欄干越しに足下を覗くと“××××”が縮みあがりました・・・失礼!

性器の俗称である“××××”は放送禁止用語ということで“×印”の表現としましたが、お目付け役から「もっと品の良い表現は出来ないの、例えば“キモを冷やす”とか・・・」というご指摘ですが、そもそも“キモ”って何ですかねぇ?

“キモ”とは“キモイ”の“キモ”でやっぱり“××××”のことではないでしょうか?
“××××”だとすると、“××××”を“冷やす”とやっぱり縮みますよねっ、ご同輩!

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帰りに、竹の子の産地の大多喜まで足を延ばして旬の竹の子を買い求めました。
とてつもなく太い朝採り竹の子が1000円で、昨日の売れ残りは半値でしたので、安さに負けて半値の売れ残りをゲット・・・

帰り道、ドライブイン風の食べ物屋の前を通ったら「竹の子御飯」、「竹の子定食」、「竹の子めし」と、大書きの看板が有りました。

寄りませんでしたから、どこがどう違うのか判りませんが、明日の我が家の食卓にも「竹の子御飯」、「竹の子定食」、「竹の子めし」が並ぶことでしょう・・・イヒッ