俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『我孫子・旧村川別荘』

2009-05-11 21:41:12 | Weblog
20日ほど前に行ったばかりの我孫子へ、土曜日も日曜日も日参したのであります。

何で我孫子詣でかと云いますと、“牛に引かれて善光寺参り”なんですよ。
つまり、万年文学少女(?)に引っ張られて行ったのであります。

       ☆       ☆       ☆       ☆

前回は「白樺文学館」と志賀直哉邸跡を見学したのですが、その時は茶室の雨戸が閉まっていて中を見ることが出来ませんでしたので、リベンジです。
一見して、昔文学少女とおぼしき方々がボランテアの説明を熱心に聞き、歌を詠む人、絵筆をとる方も多く見受けられました。

道々で連れ立った老若男女の多くのグループとすれ違いました。
うっそうとした木立におおわれた「天神坂」の急な坂道を上りきると、「三樹荘」と「嘉納治五郎別荘跡地」に出ます。
「三樹荘」は、現在お住まいの方がおられると言う事で非公開になっていました。

「嘉納治五郎別荘跡地」には立派な三階建ての建物があって、市民のいろいろな教室への貸室になっているそうです。嘉納治五郎は近代柔道の祖、講道館の創設者。お庭から見下ろす手賀沼の見晴らしは正に絶景、「北の鎌倉」と呼ばれた別荘地だったことに納得です。

「旧村川別荘」は東京帝国大学の村川堅固教授の別荘でしたが、現在は市の管理となっています。その母屋は「我孫子本陣」の離れを移築したものだそうで、江戸の佇まいを残す純和風の建物でした。
新館は銅板葺き、千鳥破風、反りのきつい屋根が特徴的でした(写真)。

我が“牛”は何事もスローペース・・・
あまりにのったりゆっくりなので、「先に行くぞ!」と云い置いて、すぐ上にある大黒様へお参りに・・・

       ☆       ☆       ☆       ☆

正式名称・子之神大黒天延寿院(真言宗豊山派)にお参りを済ませての帰り道、バイカーズモデルのカーブのついたゴーグルタイプの濃い色のサングラスをかけた妖艶な色白美人のご婦人に声をかけられたのです。

自転車を引いた彼女は、「やっと晴れましたねぇ、どちらからですか?」、「私も歴博に行ったことがありますぅ」、「佐原のあやめ祭りはいいですよね」、「JRのホリディパスはいいですよ、平塚、久里浜、奥多摩、大月まで2300円で行けますよ」、「高尾山だって鎌倉だって行けますよ」、「お徳ですよ!」・・・

歩きながら話がつきません。
「旧村川別荘」の山側の門の前に、やっと、うちの“牛”が、のっそり立っていました。

前まで来て、その彼女もやっと“牛”の存在に気が付き、今度は“牛”とも「ながっぱなし」を始めました。

       ☆       ☆       ☆       ☆

帰り道の車で、“牛”は、「私がいなかったら、楽しいひと時が過ごせたのにねッ!」と、やきもちを焼いたのでした。
いやー、もて過ぎるのも困ったものです。

なにぃ? 安全パイに見えただけだって・・・


(ちなみに、日曜日は母の日なので、娘のおごりで朝食バイキングに行ったのでした。ワルポンは運転手で自腹です。帰りに再び大黒天に行きましたが、ジイサンバアサンの一組で、“サングラスの女”は居ませんでした)


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