俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『谷川岳』

2011-06-23 17:31:21 | Weblog
そそり立つ壮大な絶壁に朝の光が射し始めたばかりの一ノ倉沢へ着いてシャッターを切ったのは午前4時49分でした。


絶景に感動して撮ることに夢中になっていたのですが、凍えるような冷気が雪渓の谷間から押し寄せてきました。
すぐに急いで車へ戻り、ジャンパーを引っ張り出しました。

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50台ほどの車が停まれるかという駐車場には、さっきは一番乗りだったのですが、もうすでに2台停まっていました。
一台は若い二人組みの別嬪さんの山ガールで、今から山頂を目指すのだという。
もう一台は普段着っぽい服装のアベックで観光客のようでした。

谷川を流れ下る雪解け水に手を入れると思わず引っ込めてしまうほどの冷たさでした。


切り立った岩塊には遭難者を悼むいくつもの墓標が打ち込まれていました。
辺りには沢山のタニウツギの花が咲き、蜜を求めてミツバチたちが短い夏の時を惜しむかのように飛び回っていました。


靴だけはトレッキング用なのですが、朝飯前なので宿へ引き返すことにしました。

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朝食後、谷川岳ロープウェイの土合口(どあいぐち)から天神平へ・・・ 
ついでにリフトで天神峠へ・・・ 360度大パノラマに感激・・・
谷川連峰から右回りに、朝日岳、至仏山、日光白根山、武尊山(ほたかやま)、皇海山(すかいさん)、赤城山、上信越の山々


ここから山頂までは、尾根伝いに3.1kmしかない。


飯はたっぷり食ったし、行ってみよう! 意気軒昂に出発! 
道があるとは言え名ばかりで、大きな岩の塊を乗り越えて登ったり下りたり、大小の石ころ路が続きます。

重いカメラリュックを背負い、手には三脚を持っての苦難苦行、100mも進むと汗が噴き出し、息があがって膝も痛くなってきたので、すぐに断念ました。
諦めが早いというか、決断が早いのです。
ショウジョウバカマなどの高山植物やヒメウツギの白い花を撮って帰途に着きました。


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朝早くから大自然の癒やしを存分に満喫して、気分は上々です。

でも、肝心のフォトコンテスト用の写真は撮れていません。
7月8日の締め切りです。

焦るなぁ~・・・ハァ~



『米山さん』

2011-06-21 18:07:28 | Weblog
船大工・藤吉と漁師の娘・お弁の「佐渡情話」はご存知ですよね?
何、知らないって?
じゃあ、中越地震の時に原発で事故があったことはご記憶にございますよね?
原発の事故って福島のこと?

いや、“柏崎”のことですよ。
柏崎の名前はこの時、全国区になったんですよ。
人のうわさも75日・・・そう云えばそんなこともありましたねぇ、だと?

         ♪米山(よねやま)さんから 雲が出た
            いまに 夕立が来るやら 
            ピッカラ シャンカラ
            ドンカラリンと 音がする~

ご存知ですよねっ?「三階節」の一節です。
でも、この頃民謡など、すっかり唄わなくなっちゃいましたから、知っている方のほうが少数派かも知れませんけど・・・

柏崎のシンボル・「米山さん」です。


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6月19日(日)は高速道路の料金が「ETC車限定(「普通車」「軽自動車等」)地方部上限1,000円終了」の日でした。
最後の日とあって関越道の大泉では渋滞するだろうと思い、6時前には通過するように出かけたのですが、至ってスムーズに通過、その先も一切の渋滞無しでした。

「トンネルを抜けるとそこはピーカンだった」
関東は霧に煙っていたのに、梅雨空には珍しく快晴、日本晴れの良い天気でした。
9時半には北陸道の米山ICで高速を下り、「恋人岬」(伊豆が本家かな?)と呼ばれる「鴎が鼻」へ・・・ 


名勝・「福浦海岸」の眺望です。


「鯨波(くじらなみ)」海岸では海水浴シーズンに向けて浜茶屋の建設に大忙しでした。
でも、最盛期には13軒建った浜茶屋も、今年は「東屋」など6軒だけになってしまったということです。

お隣の海水浴場は「番神岬」です。
ここは佐渡へ流された日蓮上人が赦免になって帰る途中、嵐に遭って漂着したところです。
丘の上には「番神さん」と親しみ呼ばれる日蓮宗妙行寺・境外仏堂・「番神堂」が雪国のきびしい風雪に耐えて建っていました。


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「番神さん」の参道を横切った奥の断崖絶壁の丘の上に日本海の天守閣「岬館」が建っています。
ドア越しに「鯛茶漬け」の案内看板が・・・
ここは日本海、地物の鯛は知る人ぞ知る柏崎の名物です。

これは、食わねばなるまい!
お造りはキス、ヒラメ、ヒラメのエンガワ、甘エビ、タイ、イカ、ハマチ、マグロ、コブ・・・
カレイの煮付け、小鉢、香の物、果の物
感動の新鮮さ、感動の味わい・・・

最後に真打ち登場・・・鯛茶漬け!
全国ご当地どんぶり選手権“第3位”!!!

さすが、「日本のホテル・旅館100選・料理部門」に20年連続入選の老舗の料理です。

わざわざ行っても価値ありです。

(・・・PR費用は頂いておりません、念のため)

『ケンケ~ン』

2011-06-18 18:48:26 | Weblog
朝4時に起きると、空は明けかかっていて曇り空だが雨は降りそうも無いので写真を撮りに印旛沼へ出かけました。

印旛沼は、岸辺寄りの大部分が水草に覆われていて、どうにも絵になりそうもなかったので、一回りして帰ることにしました。

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カラスの集団が畑に舞い下りて盛んに何かを啄ばんでいたし、白鷺たちは田んぼの中を歩き回っては、やはり何かを啄ばんでいましたが、いつもの見慣れた光景で、さすがに絵になりそうもありません。

途中の田んぼに、まだ明け切らない朝の光の中にぼんやりとハナショウブが艶めかしく咲いていたのでシャッターを切りました。


突然、 “ケンケ~ン”と、鋭くかん高い大きな声でキジがすぐそこで鳴きました。
キジも鳴かずば撃たれまい・・・


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朝早くから、なぜ写真を撮り歩いているかというと、7月6日のフォトコンテストの締め切りまで、良い写真を撮らなければならないのです。
まだ、良いのが無いのです。
もうすでに、会費は払ってしまったと言うのに・・・

明日からは群馬・上越方面へロケに行きます。

「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる・・・」、撃たなきゃ当たりません。

がんばろーッと!


『紫陽花』

2011-06-17 10:49:36 | Weblog
紫陽花のきれいな梅雨の季節です。
今にも雨が降り出しそうな空模様でも、雨がしとしと降っていても、咲いている紫陽花を見てると、なぜか心が明るくなります。

花言葉は“移り気”、“心変わり”などとあまり良くないけれど・・・、うっとうしい梅雨空からの“転換、脱出”のことだと考えよう・・・

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川村記念美術館の庭園には、ひと回りするのにちょうど良い長さの“森の散歩道”があります。
その道端に手入れの行き届いた紫陽花が咲き始めました。


梅雨空のなぐさめに、紫陽花のフォトをお届けしましょう!

















イナゴの赤ちゃんが花のふとんでお昼寝でした。


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うちの小さな庭にも一株の額紫陽花が咲き始めました。


おや! 今年もカマキリ君が生まれたようです。
ちびっ子は、まだ1cmぐらいしかないのに、蜘蛛の子などを追っかけて結構はしっこく動くのです。


乱暴者のモズやスズメがやって来たら、すばやく葉っぱの陰に逃げ込むのだぞ!
秋には立派なカマキリ君に育ってね!

『成東城跡公園』

2011-06-15 09:36:49 | Weblog
          ♪月夜の 田圃(たんぼ)で コロロコロロ
            コロロコロコロ 鳴る笛は
             あれはね あれはね
              あれは蛙の 銀(ぎん)の笛
               ささ 銀の笛♪

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この頃、カエル鳴き声がとんと聞かれなくなりました。
昔はちょっと郊外に出ればうるさいぐらいのカエルの合唱が聞かれたのに・・・

いつだったかの新聞の千葉版に、この「蛙の笛」や「里の秋」など沢山の童謡を作った童謡作詞家・斎藤信夫の記事が載っていました。
彼の生まれ育ったのが成東町五木田(現・山武市)とのこと、あの辺りなら今でも田舎の味がそのまま残っているに違いない、という事で行ってみました。

市役所近くには、「野菊の墓」の作者・伊藤左千夫の生家があり、「政夫と民子の像」が立つ「伊藤左千夫記念公園」がありました。




五木田集落の辺りは田んぼが無く、ほとんどが畑でした。
今では東京近郊の生鮮食料生産基地として、イチゴやトマトなど野菜生産の方が稲作よりも回転が良いのかも知れません。
従って、カエルの歌声も昔物語となって、聴くことが出来ませんでした。

小高い丘の上の「成東城跡公園」は、印東氏累代の「鳴戸城」の城跡です。


頂上の広場には、斎藤信夫自筆の「里の秋」の歌碑が建っていました。


成東市街が足下に広がり、五木田の集落の森や遠くには九十九里浜の松林が連なった空との間には太平洋が横たわり、「千重も五百重も鳴りかさなる多くの響きを一纏めにした、非常に底力の強いどよみ」の九十九里の波音が聞こえて来るようです。


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伊藤左千夫の生家の庭には「野菊の墓」映画化の記念樹がありました。


今ではすっかりオバサマになってしまった“聖子ちゃん”の清純な時代があった記念樹のようでもありました。


『殺生石』

2011-06-14 10:42:45 | Weblog
那須ICで高速道を下りて茶臼岳方面へ進み、那須湯本の温泉街を抜けるとすぐに史跡「殺生石(せっしょうせき)」が道の左側に見えます。




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平安後期、鳥羽上皇による院政が行なわれた時代(1129~1156年)、大変博識で美人の「玉藻前(たまものまえ)」という二十歳前後の若い女性が都に現れました。
上皇は妃として迎え、大そう寵愛したのでした。
でも、上皇は日に日に衰弱し床に伏すようになったのです。

天竺(インド)でも、唐(中国)でも散々悪さを働いて、追われ追われて日本へ飛来してきた「白面金毛九尾の狐」の化身がこの妃であることを、陰陽師(おんみょうじ)・阿倍泰成(清明ともいう)は見破ったのでした。

正体を暴露された「玉藻前」は「白面金毛九尾の狐」の姿に戻り、那須野が原へ逃げ去ったのでした。
上総介広常や三浦介義純の大軍勢が追い詰め退治すると、今度は毒気を噴出す巨大な石に化身したのでした。

人や鳥も動物たちもこれに近づけば、その命を奪われてしまったのです。
やがて、これを聞いた玄翁(げんのう)禅師がお経を唱え一喝すると、石は三つに割れて飛び散ったのです。
その一つがこの「殺生石」だと伝えられています。


以後、「白面金毛九尾の狐」は改心し、人のために尽くすことにしたのでした。

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その後、玄翁禅師は日本各地に多くのお寺を開山(かいさん)しました。
そして、その多くに稲荷神社を併設したのでした。

これは仏教を広めるのに、お経は難しく難解で判り辛かったので、「お稲荷さん」を拝むことによって“拝めば望みが何でも叶うと云う”という方が一般に受け入れやすいことにありました。

豊作祈願、大漁祈願、社運隆盛、商売繁盛、安全祈願、開運招福、心願成就、学業成就、合格祈願、就職祈願、交通安全、海上安全、家内安全、方除厄除、引越魔除、夫婦円満、交際円満、恋愛成就、良縁成就、復縁祈願、子宝祈願、安産祈願、縁切成就、無病息災、身体堅固、病気回復、当選祈願、諸願成就・・・

何でも叶います。
「お稲荷さん」は“霊験あらたか”ですゾ!

『東京都桧原村』

2011-06-12 12:46:35 | Weblog
桧原村へ行って来ました!
東京って、広~いですね!

立川から五日市線に乗って武蔵五日市へ・・・そこからバスに乗り、深い谷に沿って、険しい山をぬって1時間・・・ 終点の数馬へ着きました。
更に、バスを乗り換え20分、広く真っ直ぐで急な坂道を、息を切らしてジグザグに登って、やっと目指す「都民の森」・レストラン「とちの実」に着いたのは、もうお昼でした。

家を出たのは6時15分でしたから5時間半以上も要したのです。

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昼食は「山菜天ぷら付きざるそば」で、頑張って登った自分へのご褒美にグラスビール一杯をこそっと付けました。

腹ごしらえが出来たので、桧のチップを敷き詰めた遊歩道を通って「三頭大滝」へ・・・
深い谷を跨いだ吊橋の上から眺めると、岩肌を流れ落ちる滝と木々の緑が爽快でした。


途中の展望台から東京湾方面の眺望は山また山の秘境で、南北朝時代に中村数馬が落ち延びて切り開いたといわれるのが実感できます。
また、村内には笛吹(うずひき)、人里(へんぼり)、神戸(かのと)、事貫(ことずら)、日向平(ひなたびら)などの難読地名が多くみられます。


3~5階建ての「兜造りの家」が200年以上も経った今も残り、養蚕が盛んで、炭焼きが主産業という往時の生活が偲ばれます。
現在では杉や桧の林業が盛んのようです。


透き通った声で鳴く「ウグイス」や、くぐもった鳴き声の「ツツドリ」が奥山に居ることを実感させてくれます。
標高1000mを超えたこの辺りでは、やっと「ヤマツツジ」や「ヤマアジサイ」が咲き始めました。




この日、何万枚の葉っぱ見たでしょうか?
その中でたった一枚変わった葉っぱを見つけました。
突然変異でしょうか?



ワルポンもちょっと変わっているので、親近感を持ちました。

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一日のしめくくりは温泉です。
「桧原温泉センター・数馬の湯」で汗を流してさっぱりと・・・
湯上りのビールの味は格別でした。

これで終らないのが、我らが写真クラブです。
立川駅前で充分な反省会をやりました・・・

『露出時間考』

2011-06-07 19:24:35 | Weblog
秋田県本荘市で日本海に流れ入る子吉川の支流にあたり、鳥海山の雪解け水を集めて落下する「法体の滝」を撮ってきました。
「日本の滝100選」の一つにも選ばれています。

流長は100m、落差57.4mで、上流側から一の滝(落差13m)、二の滝(落差2.2m)、三の滝と、連なって流れ落ちています。
この写真は三の滝ですが、落差が42mあり、瀑布の流幅が3mから30mに末広がりで落下している、正に天下の名瀑なのです。


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この写真はF値5.3、露出時間(シャッタースピード)1/250秒で撮りました。
水流の落下速度と露出時間の関係で、瀑布の写る状態が変化すると考え、滝の落下速度と露出時間の関係が最も適した瀑布を表現することが出来るかを「水理学」的に算式で表わしたいと考えました。

昔、「水理学」を学んで会得した時代もあったのですが、でも、ちょっと忘却してしまったので、次回に譲り省略いたします。

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写真を撮るのは経験と感と度胸です。
小面倒くさい水理学的な学問は必要ありません。

撮り捲るしかないのです。
「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」です。

明日は撮影会です。

『情景探しの旅』

2011-06-06 18:51:29 | Weblog
北関東北端の那須岳、栗子峠から板谷峠へ、月山・湯殿山山麓を通って、鳥海山高原から法体の滝を廻って来ました。
いつもと変わらない懐かしい“情景”が、あちこちで待っていてくれたのです。

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山には残雪が残り遅い春がやっと訪れて、淡い新緑の中で咲き競う木々の花たちに出会うことが出来ました。
そのきれいな表情をおすそわけいたしましょう。

溢れるほど豪華に花をつける「ヤマツツジ」


左巻きで大木によじ登る「ヤマフジ」


はずかしそうにうつむいて咲く澄んだ白の花、「ヒメウツギ」


可憐な「ミヤマツツジ」


秋田の地元では「ガザギ」、又は「イワシバナ」と呼ばれ、縁起の良くない木といわれ、庭には植えないそうです(「タニウツギ」)。


雄花と雌花が同じ木に咲くという「ブナの花」


豪雪で大木になれない「ヤマザクラ」


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雪解け水が音を轟かせて流れ落ちる名も無い谷川や、「日本の滝100選」に選ばれた名瀑にも会うことが出来ました。

出かけなければ出会えない“情景”が、出かけさえすれば何処にでもありました。

「情景探しの旅」がヤミツキになりそうです。