滝町界隈

私の住んでいる滝町の風景、花、動物等の紹介をしたいと思います

岡崎ものがたり  No3

2014年03月01日 | 日記

  カメキチさんお便りありがとう。またお出かけください。
 
  岡崎ものがたりの続きです。
  
  昭和24年5月  中根銀次の工場も順調に材料が入り、糸は作れば作るだけ売
   れた。
  「ガチャ万時代」に入ろうとしていた。6機のガラ紡機がフル稼働していた。
  
  ロスアンゼルスの全米水泳大会で1500M自由形予選で、古橋広之進が18分 
  19秒で世界新記録を出した年でもある。

  戦前が何軒あったのかは不明だが、組合員は2倍に増えていた。
  がら紡工場での糸の生産の材料は、屑綿で岡崎市内またはその周辺にある
  反毛屋が集めてワタにしたものを、ガラ紡工場で糸が作られる。

  この頃は糸問屋が、毎日のように現金を持って買い付けにやってきたそうです。
  オートバイが出てきて、荷車を引っ張り、麻の袋の中に入れてがら紡糸を運んで
  行く風景があちこちで見られ、予測できない現金が毎日のように入ってきたそうで
  す。
  まさに「ガチャ万時代」です。この後数年間がガラ紡の歴史の中で最も華やかな
  輝きを見せる時代に突入します。
  
  昭和24年秋トヨタの三輪車で荷を摘んで走るように発展しました。

  昭和26年から家康行列が始まりました。
  昭和27年春本番  康生地区も商店街らしくなり、戦後の闇市は姿を消します。
  服装も着物が多かったが、カラフルな洋服を着てファッションを楽しんでいる
  女性の姿も見かけられるようになりました。
  
  東康生に、岡崎がら紡会館があって、この頃にはガラ紡協会の会合に出席する
  時は上下の背広とチョッキを着て参加した。
  
  染色工場でがら紡糸を綺麗に染める技術も進歩し、今まで活躍してきた
  水車は時代遅れとなり、動く姿はほとんど見られなくなったようです。

  30年代に入る前にもう水車は使用されなくなっていたんですね。
 
  笛吹童子が映画化され、連尺通りには丸庄、大賀屋、美濃屋、大久保商店
  等の呉服屋が100Mくらい両側に並んでいた。

  29年には不景気風が吹き、ガラ紡工場の女子工員の労働条件の悪化が
  叫ばれました。
  
  30年テレビが普及し、力道山の空手チョップがテレビ放映されました。

 
 右側は近藤紡績の工場全景  左側の写真は新築したガラ紡工場内部です。
  

  

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