滝町界隈

私の住んでいる滝町の風景、花、動物等の紹介をしたいと思います

ご無沙汰でした    すみません

2014年03月31日 | 日記

  作品展が終わり、ほっとしたのも束の間、長女一家が遊びに来ていて、、、

  普段一人暮らしの者にとっては、家族が増えるということは、大変な問題です。

  普段猫たちとの平和?な毎日で単調な日常が、もう食事時間から変わってきま

  す。

  自分時間での食事はキャンセルされ、孫の時間での生活リズムとなります。

  昨日大雨の中帰って行きました。お疲れ様でした!

  今日はビッグニュースがあります。昨年の11月末から8匹目の猫に加わったミィ

  の素性が判明しました。

  

  メインクーンという品種のようです。カナダ地方のメイン州の土着猫とアライグマの
  
  混血で、アライグマ=ラクーンでメインクーンと名付けられたとか。
  
  平均以上の知能を持っているので、トレーニングしやすい猫種のひとつであるそう
  
  です。ミィはどうかなー?なかなか賢いとは思うけど。

  まあ何かの縁でうちの子になったからには、ほかの子たちとも仲良くして欲しいん
  
  だけど、これがなかなか、、、今6、75キロもあって、、、やっぱり貫禄だなー

  ちなみに他の子は3、75キロ。太った子で4キロ位だものねー

  もっと大ききなったらどうしよう?

  でも種類がわかったでけでもいいか!


  今日は犬山城に行ってきました。桜が綺麗でしたよ。

   
  今週から又滝町界隈の情報集めをします。
  

すっかり春らしくなりましたねー

2014年03月15日 | 日記

  こちらはすっかりご無沙汰でした。
  畑仕事が忙しいのと、18日火曜日からの陶器の作品展の準備で時間が
  ありませんでした。草だらけの畑を耕して、やっとじゃがいもの種を
  植え付けました。今年は男爵。昨年の収穫品の残りのきたあかりとメー  
  クインかな。
  ポットに、宿儺かぼちゃとズッキーニ、胡瓜、ゴーヤを種まきしました。
  少しホッとしています。

  陶器の作品展ですが、3月18日(火)~23日(日)まで
  21日は休館日です。
  午前10時~5時までで、18日の初日は午後1時~
              23日の最終日は3時までです。

  康生通りの岡崎信用金庫資料館で行います。

  時間と興味のある方は是非お越し下さい。

  
  そんな訳で、滝町界隈の散歩も怠けています。ちょうどいい機会だから
  とうとう飼い主はわからず、捨てられたんだなと決り、昨年の11月末から
  我が家の一員に加わったミィの紹介をします。
  
  

   なんという種類の猫かわかりませんが、いい猫らしい。少しの間
   ノラちゃんやってたのか、拾った時は6、1Kgだった。
   動物病院で7Kぐらいになるよといわれて、現在6、75Kg。

   足も太けりゃ、態度もでかい!すっかり我が家の子になってしまって
   他の猫をいじめる。大きいくせに動作は素早い。足も早い!
 
  
  水も水道の流し水で飲む。。。これはもう1っ匹のグレイスもそうだから仕方
  ないか。
  

  時々黄昏て窓の外を眺めています。
  
  体が大きいから、普通の大きさの座布団では入らないので、長めの布団です。

  
 
 夜は発泡スチロールの箱に毛布を敷いてあげて寝ています。お腹を上にして
 無防備で寝ています。

   かなり人なっっこいので、随分可愛がられていたんだと思います。
  
   教室の主になっていますので、結構威張っています。鳴き声も大きいので
   皆にうるさいと言われていますが、最近は随分落ち着いてきました。
   やはり捨てられたことはショックだったんでしょうね。

   何歳かわからないけど、まだ若いと思うから、私も頑張って元気でいないとねー

   
   

  
 

  

岡崎ものがたり No4

2014年03月05日 | 日記

  昭和29年 滝村(この頃はまだ村だったんですね)では、ガラ紡業者が中心と
  なって、家族と従業員の為の共同食堂や共同入浴場ができていて、女工や家族
  に大変評判の良い施設となっていたようです。
  ただこの施設がいつまで続いたかは記載されていません。

  この頃滝地区のガラ紡業者は、25件有り、大抵は女工や従業員5人から20人位
  の規模であったようです。交代で当番を決め運営されていたようで、すごく
  画期的であったと感心させられます。
  
  昭和31年神武景気真っ只中ではあったが、化学繊維に押されて、減産による
  操業短縮を余儀なくされ、「ガチャ万」とは程遠い産業となりつつあった。
  されでも岡崎のトップ産業として走り続けてはいた。
  
  昭和32年国民の所得は上がり、当時の大蔵大臣池田勇人が、
  「もう戦後ではない」と言った言葉にその時代が反映されている。
  しかし、丈夫なナイロン糸が出てきて、くず糸を中心とした天然の素材である麻
  ワタ、生糸、羊毛しか使用できなっかったガラ紡職は、化学繊維の増加で、
  ナイロン、ビニロンといった合成繊維も扱える特紡に転換して行かなければ
  ならなくなった。  
  しかし新品機械は1000万円、中古機会でも300万円もする特紡の設備投資に
  負担を強いられ倒産する業者も相次いだ。
  
  それに追い討ちをかけたのが、昭和34年9月26日東海地方を直撃した
  伊勢湾台風であった。926ミリバール、死者5000名以上を出した。
  岡崎では、矢作川の決壊はなかったものの、山間部に大雨が降り、山間部に
  点在する水車ガラ紡のほとんどは壊滅してしまった。
  中根銀次の工場も、水車は流され、工場の屋根は飛ばされ、機械は水に浸かり
  ダメになった。

  昭和36年貿易の自由化に伴って、良質な繊維が海外から入ってきて、競争力
  のないガラ紡績は追い討ちをかけられて、次々と父さんや廃業に追い込まれた。
  
  中根銀次の工場は、息子に受け継がれて、特紡に転換された模様です。
  
  
  右側上の写真は、康生通りを通過中の市電、下は31年頃のガラ紡製品
  左上は伊勢湾台風で被災した康生町の新天地。下は板屋町付近の浸水の
  様子。

   以上で岡崎ものがたりは終了させて頂きます。本に沿って話を進めるだけ
   ではなく、もっとお年寄りで当時の事に詳しい方にお話を聞いて書けば
   良かったと反省しています。
   自分の中でも、不完全燃焼っぽいので、きっと時間ができたらガラ紡に
   関わった方からお話をお聞きしたいと思っております。

  
  

岡崎ものがたり  No3

2014年03月01日 | 日記

  カメキチさんお便りありがとう。またお出かけください。
 
  岡崎ものがたりの続きです。
  
  昭和24年5月  中根銀次の工場も順調に材料が入り、糸は作れば作るだけ売
   れた。
  「ガチャ万時代」に入ろうとしていた。6機のガラ紡機がフル稼働していた。
  
  ロスアンゼルスの全米水泳大会で1500M自由形予選で、古橋広之進が18分 
  19秒で世界新記録を出した年でもある。

  戦前が何軒あったのかは不明だが、組合員は2倍に増えていた。
  がら紡工場での糸の生産の材料は、屑綿で岡崎市内またはその周辺にある
  反毛屋が集めてワタにしたものを、ガラ紡工場で糸が作られる。

  この頃は糸問屋が、毎日のように現金を持って買い付けにやってきたそうです。
  オートバイが出てきて、荷車を引っ張り、麻の袋の中に入れてがら紡糸を運んで
  行く風景があちこちで見られ、予測できない現金が毎日のように入ってきたそうで
  す。
  まさに「ガチャ万時代」です。この後数年間がガラ紡の歴史の中で最も華やかな
  輝きを見せる時代に突入します。
  
  昭和24年秋トヨタの三輪車で荷を摘んで走るように発展しました。

  昭和26年から家康行列が始まりました。
  昭和27年春本番  康生地区も商店街らしくなり、戦後の闇市は姿を消します。
  服装も着物が多かったが、カラフルな洋服を着てファッションを楽しんでいる
  女性の姿も見かけられるようになりました。
  
  東康生に、岡崎がら紡会館があって、この頃にはガラ紡協会の会合に出席する
  時は上下の背広とチョッキを着て参加した。
  
  染色工場でがら紡糸を綺麗に染める技術も進歩し、今まで活躍してきた
  水車は時代遅れとなり、動く姿はほとんど見られなくなったようです。

  30年代に入る前にもう水車は使用されなくなっていたんですね。
 
  笛吹童子が映画化され、連尺通りには丸庄、大賀屋、美濃屋、大久保商店
  等の呉服屋が100Mくらい両側に並んでいた。

  29年には不景気風が吹き、ガラ紡工場の女子工員の労働条件の悪化が
  叫ばれました。
  
  30年テレビが普及し、力道山の空手チョップがテレビ放映されました。

 
 右側は近藤紡績の工場全景  左側の写真は新築したガラ紡工場内部です。