歴史に興味のある友人と一緒に浜松市天竜区にある二俣城跡を訪ねました。
あまり歴史に詳しくはない私は、武田信玄と徳川家康が戦った場所だ位の認識しかありませんが、
戦国時代の小説を読んでいますと、二俣城は結構姿を見せます。ただ私の中で消化されずにもやもやと
残っているんですが。
今は石垣だけが残っているのですが、地元の人の管理が行き届いてい適齢に整備されていました。
お城のすぐ下に天竜川が流れていて、水路も利用していたことがうかがわれます。
次に訪れたのは、清瀧寺
私は全く知らなかったのですが、このお寺は、家康の長男、信康がまつられています。
私の中では、信康は、家康と築山殿との間の長男で、武田に密通したことを、信康の嫁の信長の娘徳姫(五徳ともいう)
が、父に密告したために、切腹を命じたということや、信長の息子たちより信康が勝っていたために殺したとか
の情報しかないが、岡崎とあんまり縁が無いように思えていましたが、実際には1567年徳姫と結婚するころから
切腹を命じられた1579年まで13年余りを岡崎城主として過ごしているんですね。
それにしては、岡崎には信康に関するものが無いんじゃないでしょうか?
ここを訪れて信康ガ、地元の人や家康に手厚く葬られ、祀られていることを知りました。
ここ清瀧寺は、信康の死後家康の命により建立されています。
お寺の立つ山も、信康山と名付けられ、父の子への思いが伝わります。
時代を感じさせる門です。
お寺の扉に葵のご紋
信康廟は立派に手入れされていました。
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