ディスカバリー伊豆

伊豆の美しい自然と貴重な歴史物語を徒然なるままに気の向くままに綴りたいと思います。

幕末の砲台跡

2008-02-01 | 城ヶ崎海岸
今から約150年余前の1853年6月、4隻のアメリカ艦隊(黒船)が江戸湾浦賀沖に錨をおろし、更に翌年1月、今度は9隻のアメリカ艦隊がやって来て強硬に日本に開国をせまり、とうとう200年以上も続いた日本の鎖国に終止符が打たれたこと(日米和親条約締結)はあまりに有名である。実はこの事件の何年も前からアメリカ、ロシア、英国など外国の艦船が頻繁に日本沿岸に現れており、幕府は海防の緊急な必要性をひしひしと感じていた時だった。このため幕府は1839年から1841年にかけ、伊豆韮山の代官江川太郎左衛門に伊豆、相模(神奈川県)、安房(千葉県)などを巡視さ
せ何処にどの様な海の防備をしたらよいかを調べさせた。その結果を基に安房、下総、上総、相模(真鶴半島)。伊豆(川奈、富戸、稲取、下田白浜)に砲台が装備されたものである。

川奈、富戸、稲取、下田白浜の砲台は当時これらの地の領主であった沼津藩の水野氏(沼津城主)が建設にあたった。富戸の砲台は1843年城ヶ崎海岸の”こづり(岬)”のつけ根に築かれ4門の大砲が装備された。写真は4門の内の一つ夕顔型大砲(大筒)のレプリカである。
<更に詳しく>
富戸(城ヶ崎海岸)に装備された大砲は夕顔型と円柱型の2種類である。夕顔型は夕顔(瓜の一種)の実の形に似ていることから其の名がある(左の夕顔の写真参照。又、臼に似ていることから臼砲、又はモルチール砲型とも云う。夕顔型は標的の上の天に向かって発射され、弾は大きな円弧を描き標的に上から落ちる。従って、威力は弾の大きさに比例するので口径は大きく砲身は短くずんぐりした大砲)。


一方円柱型はカノン砲型とも云われ砲身が長く(2m以上)弾の初速を速くし威力を大きくしている。鉄球を直接標的に打ち込み破壊する大砲。
左の写真は円柱型大砲のイメージ(富戸の砲台に設置されたものではない)

富戸(城ケ崎海岸)砲台 4門の詳細
 500匁砲・・・1門 
  (注)弾の重さで大砲の大きさを表した。500匁は約2Kg
 200匁砲・・・1門
 100匁砲・・・2門

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