Sbagliando si impara. (間違うことで人は学ぶ。)

イタリア語の勉強に、nonna ひとりでフィレンツェへ。自分のための記録。

「燕は戻ってこない」桐野夏生

2022年09月25日 | 読書
   この身体こそ文明の最後の利器。
    29歳、女性、独身、地方出身、非正規労働者、
     子宮・自由・尊厳を赤の他人に差し出し、東京で「代理母」となった彼女に、
     失うものなどあるはずがなかったー。  
                         (帯より)
      
                  装画 ササキエイコ
主人公のリキは、地元北海道の短大を出て介護老人ホームに就職しましたが、上京します。
憧れの東京に来たものの非正規雇用ゆえに、働いても充分なお金は得られない暮らしに
絶望しているとき同僚に誘われてエッグドナーに登録、そのクリニックで代理母になるよう
誘われます。
自分の遺伝子を受け継いだ子が欲しいと望む著名な元バレエダンサー草桶基とその妻悠子。
生殖医療の発達で選択肢が増えたがゆえの悩みと迷いが生じ、夫婦の間に亀裂も生まれます。
しかも、代理母は日本では法的な夫婦しか適用されない。

第一章の「ボイルドエッグ」では、
貧しいリキは、たんぱく質の補給としてゆで卵をよく食べます。ほかにもタラコのおにぎり
やイクラ、数の子、からすみも連想に出てきます。
どうしても、人間の卵子をも連想してしまいました。
また、
卵子を提供する側の容姿、学歴、年齢等によって、卵子のランク付けがされ、提供金額も
変ってくるという、、、ついついスーパーに並ぶ食品の産地、消費期限や有機・無農薬を
チェックする姿を思い浮かべてしまいました(^^;)。

難しいテーマも、主人公リキの性格や登場人物の誠実さのため、素直な気持ちで
読めました。
リキ本人の気持ちを周囲が尊重し、押しつける事なく個人の問題として捉え、話し
が進んでいったからだとも思っています。

登場人物はかなり個性的な灰汁(アク)の強い、ユニークな人たちばかりで興味津々で、
読む速度も上がっていきました(^^)
その中のひとりで悠子の友人「リリコ」は「自分はアセクシュアル」であると、リキに
季節の話しでもするかのように普通に語ります。リキも私も「アセクシュアル??」(^^;)?

「LGBT」は知っていましたが、それに「QIA」と付いた性多様性のことばが出てきました。
「Q」(questioning)は異性愛者、またはどちらとも決めかねている人のこと、「IA」は
(Intersex Asexual)性的欲求もない、恋愛もしない人たちのことだとリリコは説明。

当初は思い悩み、迷った結果、
「ビジネス」「取引き」と割り切り、クールに代理母になったリキは、双子を出産しま
した。   果たして母性本能は・・・  結末は、、、、、

戻ってくるはずの「燕が戻ってこない」ということは、心配で不安なことではありますが、
きっとより良い新しい場所を見つけ、自由になったのかもしれません。

「奇跡の人」原田マハ

2022年09月10日 | 読書
崇高な信念と怯まない意志力を持った弱視の「安(あん)」に圧倒され、終始
感動し続けていました。
読み終えた最後のページを開いたまま、しばらくは津軽三味線の音色を感じたまま、
「奇跡の人」たちの人間の強さを改めて思い返していました。

ヘレン・ケラーの「奇跡の人」を原田マハがオマージュした作品と言えるのではない
でしょうか。
 
     
       装画 「生々流転」横山大観

 『時は明治、青森県弘前。 重い障害を負った少女のため、アメリカ帰りの
  女教師が招かれた。 ふたりは苦難の道をゆく。』 ー本の帯よりー

始まりは「昭和二十九年 2月 青森県北津軽群金木町」にひっそりと暮らしている
盲目の「狼野きわ」を文部省の役人と大学教授が訪ねていくことから始まった。
「きわ」は重要な人物、つまり「奇跡の人」のひとりでもあると思います。
そこから、67年前「明治二十年四月 青森県東津軽群青森町」から感動の物語が
始まります。

この物語は「ヘレン・ケラー」と同じ流れで綴られています。
三重苦の「介良れん」、この名前もけら(介良)」れん」←「ヘレン・ケラー」、
弱視のアメリカ帰りの先生「去場安」も「さりば あん」←「アン・サリバン」
名前まで漢字に置き換えてあることに、途中で気付き、原田マハさんに一本取られた
感じでした!

「ヘレン・ケラー」と同じく「れん」は裕福な男爵家の家に生まれましたが、
日本の明治時代において、また津軽という土地柄もあり家制度、差別、偏見が
より強く、より過酷な状態に置かれてました。

三重苦の六歳の少女「れん」は、屋敷の奥深くに閉じ込められており、人間として
のしつけもされず、生きていたのです。
そして、女子教育の普及と発展のためにと日本に帰ってきた「安」の凄まじいまで
の努力が始まるのです。「サリヴァン先生」、「アン」どころではありません!

日本という家制度のせいもあり、より悲惨で過酷な胸詰まるストーリーになっていました。