Sbagliando si impara. (間違うことで人は学ぶ。)

イタリア語の勉強に、nonna ひとりでフィレンツェへ。自分のための記録。

せとうち島たびクルーズ

2019年11月11日 | 旅行

  10月16日~17日、初日は新大阪から9時台の新幹線に乗って「三原」まで。

  三原港から「せとうち島たびクルーズ」へ。

         

  「ジパング倶楽部ーおとなび」の「三原港発、西向きクルーズ」ツアーに参加です。
      
                

          高速船でのクルーズ
     

「三原港」からは「うさぎ島」として有名になった「大久野島」へのフェリーも出ています。
  かつては、毒ガス兵器を製造していたことから「毒ガス島」と呼ばれ、その歴史を探訪する
  為に人々が訪れていたそうです。

この島のうさぎは、地元の小学生に飼われていたウサギが放置され、今は900匹以上になっているそうです。
夏期は特に多くの観光客が訪れ、餌に困る事もなく、また暑さでぐったりとして寝てばかりなので、
訪問お勧めの時期は、1,2月だそうです。
自家用車で行かれる人は無料駐車場のある「須羽港」から。

             

いよいよ、乗船。
     

 2階のデッキに上がると、船の時速50kmのせいか風が強く吹き飛ばされそうでしたが、瀬戸内海の
穏やかな海と島々が直に感じられました。
 
    日本最長の斜張橋で、鳥が羽を広げたような美しい「多々羅大橋」。
        
 
                
     穏やかな海面に鮮やかな白波を立てながらさっそうと快走する高速船

     

寄港地のひとつ「大崎下島 御手洗」で下船
           
「米倉」:  船を直接着け、お米等を荷出ししていたそうです。
          
 
江戸時代の防波堤「千砂子波止」
    

「七卿落遺跡」 クーデターによって破れた倒幕派の公卿のうち、三条実美ら七卿が長州に引き返す
途中に庄屋「竹原屋」で旅の疲れを癒やしたそうです。

                

「この竹原屋にオランダ人が駐在して、薩摩藩等と武器の密貿易もしていた等、御手洗港は明治維新の
陰の舞台ともなった」と島のボランティア案内の人から説明を受けました。

元薩摩藩船宿「脇屋」
             

伊東忠敬が泊まった町家、明治の時計屋さん等々見所いっぱい!

元映画館「乙女座」
                       

          

呉市重要文化財指定 「旧金子家」:様々な賓客を接待するために建てられた屋敷の
茶室を見学しました。見学料金は200円
         
露地
            

お殿様の茶室への出入り口
       

下々のための(^^;)茶室の躙り口
      

機嫌が悪く泣き叫ぶ赤ちゃんをお守りしながらのおじいちゃんの説明でした。
金子家の子孫の人かな?
歴史の香りがあちこちに漂い、興味深く去りがたい島でした。

再び高速フェリーに乗り、下蒲刈島へ。
  江戸時代、朝鮮からの使節団を迎える広島藩の接待所に定められた海の玄関口だったそうです。

    江戸時代に築かれた雁木。かつて朝鮮通信使一行も、この雁木を使って上陸したそうです。
  

4つの資料館のある「松濤園」
         

   

蒲刈大橋
      

小さな渦潮が幾つも見られました。
         
 

太陽の塔

2019年11月03日 | 日記
9月28日は私のお誕生日です。先ずは、イタリア料理店「poLpo」のランチでお祝い。

                

       

            

  antipasto


primo piatto



caffé


女性オーナーが「Buon compleanno. お誕生日おめでとうございます♪」の言葉を添えて。



「太陽の塔」の予約時間に合わせて、万博記念公園へ。

50年間もの長い時間、じっと立って、どうだとばかりに自己主張してました。




「太陽の塔」の形は何を表現しているのか、作家「岡本太郎」さんが語っていないので、
残念ながら分からないようです。

私が思うに、岡本太郎は、作家が何を表してるのかではなく、個々がそれぞれの時を、それぞれの想いで、
自由に何かを感じて欲しいのではないでしょうか。

太陽の3つの顔の事は、はっきり分かっていて、
お腹の「太陽の顔」は「現在」を、頂部の「金の顔」は「未来」、背部の「黒い太陽」は「過去」を
表しているそうです。

                      

50年前の大阪万博当時の「太陽の塔」
    初々しい感じ
        

「太陽の塔」の中に入ると、デッサンが数枚紹介されてました。


「太陽の塔」のデッサンの1枚
    

万博閉幕後に行方不明になり、復元された「地底の太陽」
   キンキラ金に輝いていました。
また、光と映像、音で彩られ、幻想的な空間の中に私たちが浮かんでいるようでした。 

  

12名位ずつで太陽の塔の胎内に入って行きました。
目の前には、高さ41mの巨大な「生命の樹」。そこは、岡本太郎の世界のど真ん中で、目まいが
しそうなくらいの衝撃的な色彩と、明る過ぎる光と独創的な造形のなかで、暫くその場で
ゆらゆらしていました。

            

写真撮影が許されるのは「生命の樹」の足元でのみ。
あまりの色の中で、取り敢えずシャッターを押すしかありませんでした。

   

                
単細胞生物からクロマニョン人までの生物進化を表す「天空に伸びる生命の樹木」は、階段を上りながら
の見学でした。

      

              



殆どのオブジェは修復されていました。
しかし、ゴジラだけは顔の半分の毛が抜け、土台の金属を覗かせたまま「生命の樹」の上で目立っていました。
そのゴジラはナイスガイだったのですが、残念ながら写真撮影は出来ません。
私には、一番輝いて見えました。

是非、「太陽の塔」を訪れ、あなたの何かを感じて下さい。
見学予約をした上での、30分の説明案内付き見学ですが、自分自身の過去、現在そして未来をしっかりと
大切にして行こうという思いを持ちました。

忘れられないお誕生日会になりました。企画してくれた家族にありがとう

万博記念公園も広く、楽しめそうでしたが、何しろ真夏日のように暑かったので、
ららぽーとエキスポシティでティーして帰りました。