Sbagliando si impara. (間違うことで人は学ぶ。)

イタリア語の勉強に、nonna ひとりでフィレンツェへ。自分のための記録。

メキシコ国立自治大学の壁画

2018年01月29日 | 日記
朝食
うちわサボテンも入ったサラダ




このフルーツゼリーが美味しくて、おかわりしちゃいました。


メキシコシティの街。カラフル~~!


メキシコオリンピックスタジアムだった「エスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオ」

聖火台が残ってます。今はメキシコ国立自治大学のスタジアムです。


標高が高くて空気の薄いメキシコシティでの競技は大変でしたでしょうね。


リベラの壁画


立体的な壁画で他国人と原住民から産まれた混血の子供が平和の象徴である鳩を持っている姿や
メキシコシティの紋章である鷲、メキシコのコンドル?、蛇の姿をした農耕神が描かれている。

肌の黒いメキシコ人はコロンブスがアメリカ大陸を発見した時、アフリカから奴隷として
連れて来られた人たちではとか・・・。
特にメキシコ北部で黒い肌のメキシコ人が多く見かけられるそうです。

メキシコ国立自治大学



学生数が30万人で、広い敷地にルート13本のバス、消防署、郵便局、スーパー、映画館等、があり、
ひとつの都市のようです。
優秀な教授のもとで優秀な学生が学んでいます。入学するのも、卒業するのも難しい。

画家シケイロス作のペンを持つ手


立体壁画には5つの年号が書かれていた。
1520年の先住民反乱、1810年メキシコ独立、1857年改革憲法制定、1910年メキシコ革命、そして
19??年。最後の19??年にシケイロスは何が起こると・・・。



図書館
オゴルマン作の壁画で迫力満点。


アステカ文明、スペイン植民地時代、太陽と月、宇宙、科学、政治、大学の校章等をテーマに描かれている。


校章


図書館の中


大学の敷地内は美術館そのもの




犬のお散歩もしてました。
(直訳;あなたの犬はあなたの責任であり、私たちが綺麗に保つのを助けます。)


シケイロス作の立体壁画は修繕中で、3分の1は見られませんでした。
「民衆から大学へ、大学から民衆へ」
手にはペンとコンパスを持ってます。






オリンピック開会前にメキシコシティで自由と民主化を訴えて大規模な学生デモがあり、
政府は軍隊や警察を導入して鎮圧し、多くの犠牲者が出たそうです。

この悲劇を忘れないように字の読めない人でも分かるように壁に絵を描いて
革命の意義やメキシコ人としてのアイデンティティー、メキシコの歴史等を国民に訴えた。
これが次々と拡がり、壁画運動となったそうです。

夫婦で「500ペソ札」の顔となった「リベラ」、岡本太郎が大好きな人「シケイロス」、
建築家「オルゴマン」の壁画もそのひとつだそうです。

シケイロスが好きな岡本太郎は何度もメキシコを訪れたそうですが、ナットク
影響をかなり受けてますね。(^_^)v  

















ウシュマル遺跡

2018年01月17日 | 旅行
ウシュマル遺跡はユカタン半島の都市メリダのマヤ文明の遺跡

<魔法使いのピラミッド>

魔法使いが温めた卵から産まれた「こびと」が一晩で完成させたそうです。


頂上の神殿へと続く急斜面の階段が有りましたが、上ることは出来ませんでした。


頂上にハゲタカがいました。
ズームで撮りましたが・・・。


反対側はかなり崩れていましたが、楕円錐形でなんとも言えない丸みが優美で、
その上に迫力さえ感じました。




頂上の神殿入り口にはチャックの顔が並んでいる。




ピラミッドから壮麗な尼僧院へ。







東側の建物


幾何学模様のようなシンプルデザインに感動


華麗な装飾の北の建物


不思議なマヤアーチ


そのアーチにあった人の謎の手形が幾つも。


<球技場>
チチェンイッツア遺跡の球技場と違って、コンパクトでゴールの輪も
低い位置にありここは儀式としてではなく、スポーツとしての球技場だったのではないかと。




尼僧院から徒歩で


現れました<グランピラミッド>


この階段も凄い




上からの景色
ジャングルといっても低木なので遠くまで見渡す事が出来ます。




球技場、魔法使いのピラミッドと尼僧院が見えます。
まるで映画のワンカットのよう


上にある宮殿


下りるのも一苦労


総督の宮殿




渦巻き文様と斜め格子のデザインを組み合わせた精巧なモザイクが美しい。


宮殿前の双頭のジャガー
お猿さんかと思いました。


亀の宮殿


建物の上部に亀の彫刻が付いています。


地下レストランでランチ
ライムスープ


白身魚のソテー


スイカなどの赤い色鮮やかフルーツ


メリダの空港内で見つけたひょうきんな骸骨


さようなら ユカタン半島
再び空路メキシコシティへ。


ディナーはセブンイレブンで用意して貰ったとかの「日本食弁当」。
海外で食べるのは初めて。間違いなく日本の味でした。
日本の人が料理したのかしら??


お弁当が入っていたコンビニのかわいい袋


夜遅かったのですが、ウエルカムドリンクをバーでグイッと(^_-)
もちろん、テキーラ!




















マヤ人の一般家庭訪問

2018年01月17日 | 旅行
サンタエレナ村のマヤ人のお家を訪問




77歳のマヤ人の末裔の女性がマヤ語でご挨拶。
マヤ人の平均身長は男性が155cm,女性145cmだそうで、彼女も小柄でした。
でも、シワがあまりなくきれいなお肌でした。食べものがいいのかしら?


彼女が着ている白いワンピース「イピル」はマヤ族の衣装です。
街で白い服を着ていればマヤ人だと分かるそうです。
スペインが征服したときに上半身裸状態だった女性に白い布を与えたそうです。
そのうちに自分で各々丹精込めて刺繍を施し、華やかなワンピースに変わっていったようです。

この地方の気候は蒸し暑いので(夏は最高42℃、湿度100%)夜寝るときはハンモックで
眠るそうです。えっ~~!日本の蒸し暑さどころではないのですね。(^_^;)


ハンモックも手作りで、拡げるるといくらでも拡がりたいへん綺麗な赤色で編み上げてありました。
虫除けにハンモックに包まって眠ることもできるそうです。
このハンモックの使い方を彼女が実演してくれました。
現地ガイドさんもハンモックで寝ているそうです。それでも蒸し暑くて寝られないとか・・・。

広い敷地に何個かの小屋があり、木と椰子の葉とモルタルで作られていました。
マヤ族は2,3世代で暮らしているので、それぞれの住居と台所などの目的別の小屋が建てられている。






トルティーヤを料理してくれました。


側に火をおこし、トウモロコシの実の粉を練って丸く引き伸ばして焼く。
フライ返しなんて使いません。手掴みでひっくり返していました。(^_^)v
毎日、何十枚も作っているそうです。
便利な日本で暮らしている私なんて絶対無理!
焼き立ては、おいしかった

小麦粉で作られている匂いもきつくない<フラワートルティーヤ>もあるそうです。

この日は彼女の夫は外出中でしたが、壁に写真が貼ってありました。




エネケンという細長い葉っぱをこすり、繊維を取って乾かし、ハンモックや縄などを作って利用。
お孫さんが実演してくれました。
擦りだしたその繊維の1本は髪の毛くらい細いのですが、すごくしっかりとして強度があり、
それを寄って編んだハンモックが丈夫なのもナットク


彼の側で説明している現地ガイドさんは色黒の肌と体型がメキシコ人と似ている為か、
日本人だと言っても近所の人に未だに信じて貰えないそうです。(^^)

そう言えば、メキシコに着いてからずっと、外国に来た感じがしないのはそうなんですかぁ
言い換えれば、メキシコ人が日本人に似てるって事ですよね。

黒い小豚さんが飼われていました。


日本での神棚のようなもので、毎日お供え物をするそうです。


手作りブランコで遊ぶ可愛い曾孫さんたち。
左の子は5歳でたいへん人懐こい可愛いい女の子でした。
彼女に歳をイタリア語で尋ねたら通じました。スペイン語はイタリア語と似ているので・・・。
スペインでイタリア語を使って話すと大変訛ったスペイン語に聞こえるとか。



マヤ族も今ではマヤ語を話す人も少なくなって来ているようです。
この地域ではマヤ語も学校で教えているそうです。












カバー遺跡

2018年01月06日 | 旅行
メリダ市のオーランド病院にある重要文化財「野口英世の像」



非常に小さく、可愛らしいものでした。この銅像は野口英世の功績を残したく日本の私的機関から寄贈。
野口英世は黄熱病の研究と治療の為にメキシコに派遣されたのですが、3ヶ月しかいなかったそうで、
しかもこの時のメリダの病は本当は黄熱病ではなかったとか・・・。

メキシコの社会保険は任意であり、家族のうちひとりが持っていれば、両親、配偶者、子供までは
社会保険専用の病院で無料で受けられる。しかし、患者が集中するので、待ち時間が凄~く長い。
お金持ちは私立病院を利用するそうです。

驚いたことに、注射は処方箋を持って一般の薬屋さん(日本のドラッグストアのようなお店)で注射針とセット、
もしくは薬だけを購入して病院の看護師(金銭が発生)か近所の知り合いの看護師さん、
または家族か自分で注射するそうです

もっと驚いたのは輸血の血液は物々交換
メキシコ人はO型が圧倒的に多いので、O型以外の人はたいへんな事に・・・。

カバー遺跡(Kabah)

コズホープ


チャック(雨の神)の顔で埋め尽くされている




神殿前の祭壇に神聖文字が残っているが、解読されていない。


崩れ落ちた装飾のパーツが修復のために並べられているが・・・。


チャック像。
鼻は象の鼻のように巻いており、上向きと下向きがあるが折れてしまっているものが多い。


修復作業中の作業員のペットボトルが当時のまま残っている遺産の一部の石に無造作に置かれていました。
現地ガイドさんが「これもメキシコ人の大ざっぱでおおらかな性格だからかも」と。
(左端や上部の色の違うところが修復された箇所)


強い手を持つ像


左側は男性像で右側はバストが刻まれた女性像(女性像は顔と手が取れていた)
ガイドさんが「どうせなら、ぺちゃぱいでなく大きくしてあげれば良かったのにね。」


この像は「宇宙人では?」とも言われているそうです。
頭部にはヘルメット状のものをのせ、手を前に出し、五本の指を軽く開き、
特殊な装置を操縦しているような手つきをしていました。
メキシコ南東部では宇宙船の飛来がよく見られるそうです。(・・)!


戦いのレリーフ




遠足に来ていた現地の中学生?数人が修復作業中の遺跡に上り注意されてました。(^_^;)(左側)
「上ってはダメ!」とひと言注意されただけでした。日本だったら・・・。






コズホープの上から。



キリストの聖地イサマルからメリダへ

2018年01月04日 | 旅行
全ての建物がトウモロコシの実の色である黄色に塗装された黄金色の街イサマル





イサマルの<修道院>
訪れた時、綺麗に虹が架かっていました。
虹を見たのは本当に久しぶり。



広い中庭は回廊で囲まれていました。


ローマカトリック教の聖人の巡礼地として知られ、バチカンに次ぐ2番目の回廊の大きさ。
ヨハネパウロ2世が訪れたそうです。



正面入り口の両横にある壁画は当時のものが残っていました。


この修道院は異端審問によりマヤの多くの古文書を焼いた院長が勤めた事でも有名。
そのためにマヤ文明は多くの事が解明されず、謎のままである。



祭壇
マリア像を中心に聖人たちが並んでいる。
何か儀式でもあるのか、祭壇前に大きな台を作っていた。


ステンドグラスのマリア像


中からは光を通して輝いていたマリヤ。




観光馬車
黄色とピンク色にそれぞれ可愛くおしゃれしたロバさんたち



ピンク色の花飾りがキュート


イサマルからメリダまで、バスで1時間30分。

夕食

ライムのスープ(ソパデリマ)


<豚肉のグリル焼きのモレソース添え>
オリーブオイルを掛けたいほどの脂身無し(悪く言えばパサパサの)ポーク。
モレソースはチョコレート風味でピッリッと辛みがあり不思議な味。





ホテル周辺