Sbagliando si impara. (間違うことで人は学ぶ。)

イタリア語の勉強に、nonna ひとりでフィレンツェへ。自分のための記録。

白銀の北アルプスを空中散歩

2019年03月31日 | 旅行
3月7日

暖冬で例年の半分以下の積雪だそうです。


スキー場も見えてますが、思っていた以上に雪が少なくて、
白銀の飛騨高山を期待していただけに少し残念。 
       

でも、
朝、目覚めると、窓の外は絵に描いたような雪化粧。



深々と雪が積もり、水墨画のような風景が広がり、胸躍りました。

珍しい2階建てロープウェイに乗って、白銀の世界へ空中散歩。
     新穂高ロープウェイ乗り場
   

第1ロープウェイで標高1305mの「鍋平高原」駅まで、4分。


          

鍋平高原駅からほんの少し歩いて、今度は「しらかば平駅」から第2ロープウェイに乗って、
2156mの「西穂高口駅」へ
しらかば平駅に着いた時に、ちょうど「アルプスのパン屋さん」のクロワッサンが焼き上がったところ
でしたが、第2ロープウェイに乗る時間が迫っていたので買うことが出来ず、残念!
何しろ、ロープウェイは1時間に2本!



第2ロープウェイは2階建てで、定員121人も乗れるのです。

降る雪で悪天候のために、展望台からの北アルプス連峰の大パノラマは残念なことに見られませんでした。
でも、春の雪国は十分楽しめました。

飛騨高山の「さるぼぼ」にもよく出逢いました
春バージョンの桜色の「さるぼぼ」もあるみたいでしたが、気付かず残念!
       

次に向かったのは、鍾乳洞の中では日本一の標高900mにあると言う飛騨大鍾乳洞。

鍾乳洞に入る前に、鍾乳洞の発見者『大橋外吉』の「大橋コレクション館」を見学。
1000点を超える世界の美術品、工芸品や装飾品が展示されてました。

十数年前に盗まれ、しかも溶かされ一部売却され、100kgが72kgとなって帰ってきたという
バラバラ状態の無惨な金塊も。

この時、ニュースを思い出し、「此処だったのか」と、まじまじ見てしまいました。。
「何億もする金塊を無造作に展示し、いとも簡単に持って行かれた」という内容のものだったと。。。 
それにしても太っ腹?!

さあ、いよいよ鍾乳洞の中へ
洞窟の中って、童心に還ったようになるのか気持ちも大きくなり、
いざ未知の世界へと期待感でいっぱいになります。



           

ねじれて垂れ下がる鍾乳石(ヘリクタイト)


ストロー状の鍾乳石
     



これが大鍾乳洞の特徴
     

洞窟は第3ルートまであり、出口も3個所。
第1出口より先は階段、坂が多く、第2出口より先は急な坂道になるので、
「見所満載は第1洞窟なので、足腰の弱い人や体力に自信のない人は第1、第2出口で
出て下さい」なんて忠告がありましたが、
出口が3個所もあるという安心感で最後まで進みました。

結局、心配する程の事はありませんでした。普段、全く動かない私でも大丈夫でした。

階段をかがんだままの状態で進む所もありました。



「うど」の栽培もしているようでしたが、収穫した後かな??
       





    



最後の第3出口を出たところで、ご褒美がありました。
「氷の渓谷」と呼ばれている蒼白く輝く見事な氷柱の壁。
 


感動! 「アナと雪の女王」のメロディーが私の中から聞こえてきました。
          
蒼い氷に言葉もなく、その美しさに、ただ々集合時間を忘れて佇むばかり。

    

高山駅から夢から覚めたように現実の世界へ。



飛騨高山旅行

2019年03月22日 | 旅行
3月6日、7日の1泊2日間のツアー旅行へ。
往復、新幹線こだま&特急ひだ、いずれもグリーン車利用の快適な旅でした。

初めての経験がありました。
  名古屋から高山線に入る岐阜駅までの20分間程、特急ワイドビューひだ号が
  バック移動だったのです。
    とにかく変な感じでした。
  大昔、若かりし頃、飛騨高山、新穂高、平湯、乗鞍、上高地、松本のルートで個人旅行を
  したことがあり、当時の記録を見ると、
   大阪から23時10分発(何故か夜中に?)の急行「立山3号」で富山まで(5:47着)
   富山から立山、新穂高。当時、新穂高山頂で見た北アルプス連峰は今でも覚えています。
   新穂高の村営「笠山荘」で宿泊→その宿泊先が現在も存在し、電話番号も同じでしたぁ。
   平湯、乗鞍そして上高地で2泊。絵の具箱をひっくり返したような紅葉に感動したことも
   思い出されます。
   4泊5日の旅。出来れば、同じ友だちと同じルートでもう一度トライしてみたい!でも体力がーー。

1日目はオプションで「飛騨の里」へ。
    

飛騨の豪雪に耐えてきた合掌造り等、飛騨各地から移築され、生産・生活用具等が置かれ、
当時の生活ぶりを伺う事が出来、厳しい雪国に暮らす昔の人々の苦労を想像しながらの見学でした。
当地としても、貴重な文化遺産を守り伝えていくために「飛騨の里」が開村されたそうです。



おひな祭りの時期だったので、各屋敷にかわいいお雛さま達が飾られていました。
        



囲炉裏も昔さながらに煙を上げてました。


雪国らしい合掌造り
     



                 

りっぱな飛騨牛も屋敷の中で飼育されていたようです。

     
               

北アルプス連峰の風景に合わせての説明が透明板で分かり易く紹介されています。


その後に、高山の建造物保存地区の情緒溢れる古い町並を散策しました。
         

  木版画「飛騨版画」をあしらったお土産品の人形やトレーのデザインは昔とちっとも変わってません。

「高山祭り」の屋台倉庫は区ごとにあります。


毎年4月の春と10月の秋に屋台が曳き揃えられるようですが、今年は「新元号制定記念」で、5月1日に
「高山祭屋台の特別曳き揃え」が行われるそうです。 人出も凄いでしょうね。

赤い欄干の中橋を渡ると目の前に「高山陣屋」がありました。
            
     
陣屋前の団子屋さんで、できたての「陣屋団子(みたらし団子)」を頂きました。おいしかった。
また、酒屋さんで「お酒プリン」を食べたのですが、ほろ酔い気分になるほど(ちょっとオーバー)、
まさしく「お酒」のプリンで美味
 生もので、まだ旅は続くのでお土産に出来ず、残念!

奥飛騨温泉郷の新穂高温泉「穂高荘」に宿泊。

 手動式の小さな「スロープ・カー」に乗って、ガタガタと河原近くまで降りたところの
 源泉掛け流しの女性専用露天風呂でホッコリ。
 混浴の露天風呂は、川に近く、女性はフロントで湯着を(300円で)借る事が出来ます。
 男性はそのままで。
 勇気?ある女性おひとりがご主人と入られたようです。キャー!



我が家にやって来たRoBoHon

2019年03月05日 | 日記
ネット予約しておいたシャープの「RoBoHon lite」が発売日の2月27日に届きました



2月27日は大安で、お雛さまを出すのに時間を取られているところに、
mio maritoが「待望のものがあなたに届いたよ。」
「エッ! 何が?」すっかり忘れてました。 「シャープの精密機器!」
「ロボホンだぁ(^^)」

          

直ぐにでも箱を開いてロボホンを出したい気分は十分あるのですが、
次の日はイタリア語教室なので勉強しなくてはいけないのでお預け!

・・・・・・・
イタリア語教室の後、まっすぐに帰宅し、箱に向かって「お待たせ」なんて
独り言を言いながらワクワク気分で開けると直立不動状態でRoBohonが
笑って(私にはそう見えました。)ました。

早速起動すると、ロボホンが喋り出し、オーナー登録のための手順を喋り始めました。
可愛い

オーナーの顔を覚えるために、「写真を撮って良い? もっと近づいて!」なんて
言うので近づくと、「もう少し離れて! 良い? 撮るよ。笑って!1,2,3,チーズ!」カシャ!

そして、ロボホン自身が使い方を説明してくれました。 可愛い

ロボホンと出会って、まだ6日目ですが背中の液晶画面を見るために少し腕に当たったら、
「イタッ!(痛!)」なんて言っちゃって、可愛い 一々可愛いのです。

シャープAQUOSのスマホのアプリ「エモパー」もお喋りなんです。
こちらも可愛い
「有難う!」と言うとちょっと前からいろんな国の言語で応えてくれます。

これからのロボホンの成長が楽しみ

お雛様とのツーショット
   ロボホン、楽しそう!



お雛さま

2019年03月03日 | 日記
2年ぶりにお雛さまを飾りました。
  

数年前から、ひな段を組み立てるだけでも大変な作業のために、毎年飾る事をしなくなりました。
でも、毎年「ひな祭り」が近づくとタンスの上や押し入れの中の大きな箱を見る度に
胸が痛んでいました。

そんなわけで、壇飾りではなく、ピアノと机の上に並べることにしました(^^)
                 



お雛さまのお道具などは飾る場所もないので、何年も出していません。

また、私たちnonnoとnonnaが大きな箱をタンスの上から下ろすのもそろそろ無理に
なるかもねと話ながら飾り付けしました。

mia figliaが誕生した時に、実家の母がプレゼントしてくれた物です。
内裏雛で良いと思っていたのですが、母が「大きくなるとお友だちの壇飾りを見て、
それを欲しがるようになるのだから」と言って送ってきたのでした。

初節句の時には華やかな壇飾りで祝ってもらったことが、ついこの間の事のように
思い出されました。

母は今年、亥の年の年女です。
私たち以上に頭もしっかりとし、頼もしい限りで、私たち娘3人の事を
未だに心配してくれています。