Sbagliando si impara. (間違うことで人は学ぶ。)

イタリア語の勉強に、nonna ひとりでフィレンツェへ。自分のための記録。

「法廷遊戯」

2020年10月30日 | 読書
昨夜は十三夜。見上げた夜空の南東にきれいにお月さまが輝いていました。

4,5日前に読み終えた「法廷遊戯」
きれいで華やかでありながら、何かを隠し何か深い問題の始まりを予感させる装画。
   

2部からなり、<第1部 無辜ゲーム>は
 ○ むこ【無辜】≪「辜」は罪の意≫罪のないこと。 また、その人。
丁寧な説明から始まった。
作者「五十嵐律人」は東北大卒の司法試験合格者。現役司法修習生。
その知識を存分に活かした小説で、知らない世界を楽しみながら読み終えました。
法曹を目指し、ロースクールに通う3人の話しである。

     
 
主人公ともう1人は過去に同じ児童養護施設で生活していた。
主人公は彼女を庇うことで施設内で障害事件を起す。
その時、付添人になった弁護士に出会うことによって、
論理だけが正義とされる法律学に心惹かれる。
主人公はいつも論理よりも感情が優先される現実に腹を立てていた。
大学で法律学を学ぶ事を決意をし、その資金集めをする手段として
危うい痴漢詐欺を彼女と2人で始め、罪を犯す。

そして時は経ち、ロースクールで出会う3人。
ロースクールで初めて出会った3人目の人物は、既に司法試験に受かっていた優秀な人間。
模擬法廷で、優秀な彼が審判者となり無辜ゲームが始まる。

主人公と彼女の「過去」を告発する差出人不明の手紙をきっかけにストーリーは
大きく先へ進んでいく。

<第2部 法廷遊戯>
3人は、殺人容疑の被告人、その被告人の弁護人の主人公そしてもう1人は被害者となり、
裁判に。
過去の3人が繋がっていく過程を自分でも推測し、大変驚き、先へ先へと読みました。

被害者は語ります。「有罪か無罪かは裁判官が決めるが、冤罪かどうかは
神様しか知らない。再審請求はできるが、無実を証明するための裁判なんて
開かれるはずがない」
被害者の目的は再審の扉を開くことにあり、命を懸けて仕掛けた法廷遊戯。

彼女はただ倖せになりたいだけが望みだった。
「罪を受け入れないで、罪と向き合って生きていく」と言い切る。
主人公は・・・。
私の想像だけでは終わらなかった二重の展開があった。

「再審請求」出来るのは被告人自身である。
被告人が請求しない限り、家族はどんなに望んでも「再審請求」出来ない。
被告人が死亡後にしか家族は再審請求できない。初めて知りました。

最後のページにこう書かれていました。
「正当な報いとは、誰が決めるべきものなのだろう。
 司法権の担い手である裁判官か、あるいは、罪を犯した者自身か。」



読書の秋 2

2020年10月18日 | 読書
「ヒナギクのお茶の場合」を読み終わった後は付箋だらけ。
三日後には結論さえも忘れてる。
穏やかな題名とは異なり、ストーリーについて行こうとすると、
コンガラガッタことばにヒトイキもつけない。
       
紅茶で染まって、シミまで濃く残ってしまった様子のちょっと古びた感じの装丁。

読んでる進行形の時は、興味深い文章の中に何か大事なことが
隠されていて、それを見つけたような違うようなモヤモヤ感を
持ちながら文章を追っかけてます。
どれもみな、不思議なストーリー。読んでる私も夢を見ているよう。

この本は、○「枕木」○「雲を拾う女」○「ヒナギクのお茶の場合」
○「目星の花ちろめいて」○「所有者のパスワード」の5つの短編
が収められています。
どれも人間、環境、自然界、未来に通じる今現在を警告している
ように感じたのですが・・・  
この単行本は20年前に発刊されたもの。

「目星の花ちろめいて」は『あやめびと』、『むかしびと』、『わたりびと』、
『ほかひびと』の4つの不思議な話からなっています。
まるで、清少納言か紫式部かのような古典文学を思わさせる。
「ちろめいて」なんて。

『ほかひびと』の欄の読点の続く最後の一文。
もつれ髪が不自然に大きくふくらんだ乳元で戯れ、厚い化粧が汗で溶けかかり、
スカートからはみ出した脚は男の脚、眉に唾を付けてもう一度その顔を見る、
目尻に星形の傷、やっぱり、と目がくれて目星の花ちろめいて、よろめくように、
雑踏に呑まれる。」
多和田葉子ワールドに私も毎回、目星の花ちろめいて、疲れてソファーに横になる。

読書の秋

2020年10月17日 | 読書
最近本屋さんで買った3冊。
  

「フランスの小さな村を旅してみよう」を開いて、気持ちはフランスへ。
心地良い風を感じながら、小さな村の風景の中でバラ色に頬を染めて散策。
時折出くわす村人とお互いに交わすご挨拶。「Bonjour, comment allez vous?」

ハマってしまった多和田葉子の「言葉と歩く日記」
いろんな「言語」について考え、いろんな人と出会い、日記に書き綴ったエッセイ。
翻訳することで新しい「言葉」を創り出すことの不思議さにも触れている。
国によって、言葉のニュアンスも違ってくるので翻訳の難しさもあるでしょうね。
また、ドイツ語を母国語としない人達が使うことで変化していった「キーツ・ドイツ語」と
いう言葉の存在も知りました。とても合理的な会話のようです。
日本での若者言葉のようなもの?
イタリア語を勉強中の私には大変面白い1冊となりました。

もう1冊は「ダーウィン『種の起源』を漫画で読む」で、
きもかわいい人物画と繊細な生物画のアンバランスが実に楽しい、学べる本でした!
     


        

食欲の秋

2020年10月17日 | 日記
雑草の葉がレースのようにきれい!
   
食欲の秋なのでしょうね。 虫さんがたくさん食べたのでした。

稲刈りも殆ど終わって、美味しい新米がお店に並ぶ日も近く、
食欲も増しそうで、メタボの改善には支障の秋です。


何か違和感を感じたので見上げれば、蜘蛛が幅広く糸を張り小さな虫を
たくさんキャッチしてました。こちらも食欲旺盛!
           

ウオーキングで出会う鶏たちも小屋に入っていたり、離れた場所に
居ても、近づいて声を掛けると一斉に急ぎ足でやって来ました。
かわいい~! 鶏さん達も食欲の秋ですね。
 

10月11日 ウオーキング・スーパー  徒歩 7715歩
       12日 ウオーキング・本屋    徒歩 4159歩
  13日 ウオーキング・郵便局母へ 徒歩 8556歩
  14日 特定健診・インフルエンザ 徒歩 2515歩
  15日 ウオーキング・本屋、無印 徒歩 6443歩
  16日 郵便局・ならファ     徒歩 4573歩

十五夜

2020年10月02日 | 日記
10月1日
   満月がとても綺麗でした。
   スマホのレンズを通しての満月はどこか頼りなげな姿。
   私の目には、うさぎもお留守のようで澄んだ美しい十五夜の
   月が映ってました。
     
                 
9月30日  徒歩 8343歩
    2ヶ月ぶり奈良まで電車に乗りましたが、人は確実に増えてました。
    用事だけ済ませ、山崎屋の「うりの奈良漬け」を買うために商店街を
    歩くと観光客の姿がありました。増えてます。

心なしか不安そうで寂しそうな「せんとくん」と鹿の親子(近鉄奈良駅)
 
    
    山崎屋さんに「2ヶ月前よりはお客様が増えましたね。」と声を掛けると
    「いえいえ、まだまだ駄目です。店員も減らしたんですよ。」と困ったご様子
    でした。 おふたりだけで接客されてました。 
    今更ながら、海外からの観光客の影響は凄いのだと直に感じました。
    
9月29日  徒歩 7349歩
    図書館へ本の返却
    ススキが青空に揺らめいてました。
         
    透き通った清々しい空に浪を描くように浮かぶ雲
   

10月2日の夜空にも満月が見られるそうです。