Sbagliando si impara. (間違うことで人は学ぶ。)

イタリア語の勉強に、nonna ひとりでフィレンツェへ。自分のための記録。

「スティル・ライフ」・「ヤーチャイカ」池澤夏樹

2021年09月14日 | 読書
「STILL  LIFE」 辞書では、静物、静物画。
        もっと調べると、オランダ語の「stilleven」に由来しており、直訳すると
        「動かざる生命」。また、装飾的テーマや「五感の寓意」としてよく描か     
        れている。*寓意:何かにかこつけて、それとなくある意味をほのめかすこと。

清い水色の表装をよく見ると気泡のようなものが不規則に点在しているのが
見えてくる不思議なデザイン。
       

主人公と知人「佐々井」との会話で「チェレンコフ光」という言葉が出て来ますが、
その光を描写しているのではないかと・・・  
                                                拡大した表紙
          

”この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。”
       ストーリーはこの文章から始まりました。

主人公が待ち合わせの喫茶店に入ると、佐々井がコップの中の水に「チェレンコフ光」が
見えないかと透明な水そのものを真剣に見ていました。

「チェレンコフ光」は宇宙から降ってくる微粒子が水の中の原子核とうまく衝突する
と、光が出るようですが、このコップの水の量では一万に一度くらいの確立だそう
で不可能に近い。また、「ニュートリノの飛来を感知できる宇宙的な君」、「ディメン
ションの、希薄な存在」とか、物理学を勉強している夏樹さんはさりげなく自然科学を
ストーリーの中へ織り込んで描いています。

チェレンコフ光のことや無数の微粒子のことが叙情詩のように語られ、染色工場で知り
合ったふたりの”3ヶ月間と決められた同居”へとストーリーが進んでいきます。

現実的な話しが最後には広大な話し???に、「心が星に直結していて、・・・」、
「今は、近接作用もなく遠隔作用もなくて、ただ曖昧な、中途半端な、偽の現実だけ」
となり、佐々井は存在したのか、タイムマシンでやってきたのか、大熊座へ帰ったのか。
最後まで佐々井と主人公は理想的な距離感を保ち計画的行動、ふたりの別れ夢の
中での出来事のよう静かに終わり、それぞれの人生へと。
最後も詩のような、幻想のような文章で終わりました。

主人公は佐々井との三ヶ月という期間内で目的達成に向けて協力するうちに、成長し
受け身から能動的に変わっていったと感じています。
面白い作品でした。 

「ヤーチャイカ(Я ɥaŇka)」
     ロシア語;「わたしはカモメ」
 この小説は、叙情詩的な表現もあり、美しい文章で書かれ読みやすく感じました。

離婚して娘カンナと二人暮らしの主人公とイルクーツク(シベリアのバイカル湖の西)
出身のMr.クーキンとのお話し。

シビアな話しからドラマチックな出来事や「ディプロドクス」という恐竜まで出てくる、
宇宙的(空間と時間)なストーリーだなと私は感じました。

軍用機の機器の開発にたずさわっている主人公「文彦」とロシア人「クーキン」との
偶然の出会い。果たして、クーキンはスパイなのか? 
ロシヤの性善説、情報機関性善説。核戦力の均衡による抑止等のふたりの論争。
また、恐竜の話しは娘カンナの幻想なのか? 彼女の平均台での「後方宙返り」を物理
学的かつ叙情的表現され楽しい~♪

最後には、カンナはディプロドクスの頭に乗ったカンナ自身を霧の中に消えて見えなく
なるまで見送っている。
そんな風にして、今までの自分と別れ、そうして新しい自分になるのだと語っいます。

きっと、自分を見つけ、自信をつけ、成長し少し大人になっていったのだと思います。
それにしてもディプロドクスという恐竜は何を意味していたのか???

約束の秋

2021年09月12日 | 日記
朝晩涼しくなりましたが、日中はまだまだ蒸し暑さが残っています。
今年の夏は、まるでフィレンツェのような刺すような痛い光線に加え、
湿気をたっぷりと含んだ蒸し暑さにうんざりした日々でしたが、
秋が約束通りづいてることを目で、肌で、香りで、音で感じる9月。

  

小さな、小さな黄色い花のそばで、来年に向けてまっ黒な小さな種を
付けています。 Carissimo!    Che cosa  seme di fiore?`
               

夏の名残の日中、真っ白な花を清らかに咲かせるムクゲ
          
      

「夏の約束」<Une promesse d'ētē (仏語)>

2021年09月06日 | 読書
藤野千夜さんの1999年芥川賞受賞作品「夏の約束」を10日ほど前に読み終えました、
同性愛者やトランス女性、障害のある兄をいじめから助けられなかった記憶を持つ女性
などの日常生活を、「じい散歩」と同じように軽いタッチで語られていました。

 
個人的写真のシールを貼った「日記帳のような表装」
メス犬なのに「アポロン」という男名のマルチーズの写真もある楽しそうな表紙。

”8月になったらキャンプに行こうという約束を、松井マモルはすっかり忘れていた”

この文からストーリーは始まる。
主人公マモルは、子供の頃には「ホモ」とからかわれ、鶏小屋に閉じ込められるなどの
いじめを受けていた。
中学生の頃から、食べまくり脂肪をため込み、弾力のあるからだを構築しなければ
生きていけないように思ったようだが、今ではそんなふうには考えてはいない。
中学時代には無線部、高校時代はマンドリン研究会、大学時代はチョコレートパフェ愛好会
に所属していたようで、孤立した青春時代ではなかったかも。詳しくは書かれてません。

「チョコレートパフェ愛好会」、なんて羨ましいサークルなんでしょう。
私も学生時代に「お茶する」といったら、パフェを注文してました。
その頃は痩せの大食いと言われてましたが、今では・・・空気を吸っただけでも太る
ようで。。。

会社のトイレの片隅に、小さく「松井ホモ」と落書きされた文字に「なんだか懐かしい響き」
を感じたのは何故だろう? 
子供の頃「ホモ」とはっきりと言われていた頃が、今よりは生きやすかったのだろうか?

こんなこともありました、
マモルの友だちトランス女性のたま代が交通事故に遭って入院した時、「男性美容師」
として報道され、しかも男性病棟の病室に。女性として生きている彼女の気持ちを
想像すると複雑な気がしました。

日常生活の中、偏見の多い社会で息苦しく生きづらい日々を、敢えて重苦しく
書かないことで、より彼らの苦悩を考える時間を与えてくれたのかも知れない。

マルオと彼の同性愛者である恋人ヒカルとの会話で終わっています

   ”来年、私たちはみんなでキャンプに行けるでしょうか”

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20年前に「LGBT」のテーマで書かれたストーリーは新鮮なものだったのでしょうか。
今では性的少数者「LGBT」であるかどうかに関係なく、すべての人が持つ性別や性的
指向に関わる概念を指す(朝日新聞)SOGI(ソジ)」という言葉があるようです。
性的傾向「Sexual Orientation」と、性自認「Gender Identity」の頭文字を取った言葉
だそうです。
「SOGIハラ」をなくすための行動は始まったばかりだと思いますが、こんな言葉が
使われなくったときが本当の意味で偏見がなくなったといえるのでしょう。