チョコっと、かじれば~最初は飲み物~

2014年02月10日 | 日記
     
立春すぎても寒い日は部屋にかぎります。この時期、時折眺めるのがこの本。
「BOOK OF CHOCOLATE」チョコレートの歴史が書かれています。

チョコレートの物語という章に、「カカオの物語は、中央アメリカの古代の王に
始まる・・・・」とあります。カカオといえば、ガーナの印象が強いので、てっきり
アフリカ原産だと思っていたのですが、カカオで調べてみると、

中央アメリカから南アメリカの熱帯地域が原産。樹高は4.5mから10mで、
規則的な降雨と排水のよい土壌、湿潤な気候、標高約300mの丘陵地に自生。
樹齢4年程度で開花。直径3cmの白(品種によっては、赤~黄色味を帯びる)

幹生花を房状につける。果実は、約6か月で熟し、長さ15~30cm、
直径8~10cm 直接ぶら下がる幹生果。カカオポッドと呼ばれ、中に
20から60個の種子があり、これがカカオ豆で、チョコレートの原料になる。
種子は、40~50%の脂肪分を含む。収穫は概ね年に2回。(wikipedia)

 

2005年に京都府立植物園(温室)で撮った「カカオ」です。この時は鈴なりで、初めて
幹から直接に生っているのをみて、驚いたことを思い出しました。

この中央アメリカとは、現在のメキシコのあたりであり、この地域は2万年前から人が住み、
8000年前にはトウモロコシが栽培され、紀元前2000年ごろにはカカオも栽培されていた
とのこと。

この地域はメソアメリカ(ドイツの人類学者・地理学者キルヒホフ(1900-1972)が提唱。
1943年から提唱された呼び方)と呼ばれ、その歴史をみると

定住農村村落の成立(紀元前2000年以後)
オルメカ文明(メキシコ湾岸;紀元前1250頃-紀元前後)
テオティワカン文明(メキシコ中央高原;紀元前後-7世紀頃)
マヤ文明(メキシコ南東部、ユカタン半島、グアテマラなど;紀元前3世紀-16世紀)
トルテカ文明(メキシコ中央高原;7世紀頃-12世紀頃)
サポテカ文明(メキシコ・オアハカ地方;紀元前10世紀-16世紀)
ミシュテカ文明(メキシコ・オアハカ地方;)
タラスカ王国(メキシコ西部地域、ミチョアカン州など;)
アステカ帝国(メキシコ中央高原;15世紀前半-1521年)

この後約300年間スペインの植民地となります。

トウモロコシやカカオはアステカ神話では、ケツァルコアトル(空気神・文化神・農耕神)
によって、もたらされたとされています。

カカオの学名は、Theobroma cacao 「神の食べ物 カカオ」を意味します。

この『チョコレートの本』では、「アステカやマヤ族はカカオを洗礼や、結婚、葬式を含む
節目の多くの儀式の重要な役割として使った」とも、「カカオは、勇気ある戦士の褒賞に与えられ、
通貨としてもかなりの価値だった」とも書かれています。

アステカの王、国王モクテスマ2世の飲み物xocolatlがどんなレシピだったのかもこの本に
書かれていました。

小さな鍋に500mlの水を沸かし、一つまみのチリペッパー、ターメリック、生姜の粉少々
ヴァニラの香りがついた砂糖のサシェ(袋)、蜂蜜ティースプーン5杯をよくかきまぜ温め
熱をさまして、細かく砕かれた75gのココアペーストを入れてかき混ぜる。よく混ざるまで
混ぜ、給仕するまえに力強くかき回す。とのこと。

Wikipedia ホットチョコレートの頁には、
「飲料用のチョコレートは元来、挽いて粉にしたカカオの実と水、そしてカイエンペッパー、
バニラ、ピメントのような香辛料を加えて混ぜた冷たい飲み物だった。後になってクローブや
シナモンといった薬味も用いられるようになった。この冷たいチョコレートを人々は大きな容器
で飲んでいたため、その芳香を味わうことができた。チョコレートがヨーロッパへ持ち出される
ようになる頃には既に、刺激の強い薬味が甘蔗糖に取って替わっており、暖かくして出されるよう
になっていた。」
とあります。

1502年にコロンブスがスペイン王 フェルディナンド二世にカカオを持ち帰りますが、好まれなかったようです。

しかしその後、アステカ王、モクテスマ2世の治世に、スペインのフェルナンド・コルテスが持ち帰り
トウガラシやコショウをやめて、砂糖を加えた飲み物としたこと。一世紀にわたってチョコレートの発見を
伏せて、赤道直下の植民地にカカオ農園を作ったが、イタリア商人、アントニオ・カルレッティが
秘密の製法をイタリアに伝えたとあります。(a)

1657年 チョコレートハウス ロンドンにオープン。(b)

1659年 フランスへは、ルイ14世の妃としてスペイン王女、マリー・テレーズ・ドートリッシュによって、
チョコレートがもたらされました。(c)

1828年、オランダのヴァン・ホーテンが、カカオに含まれるココアバターを絞りとること成功。
ココアケーキを作り、細かく粉砕。酸性が強いため、アルカリを加えて中性で、溶けやすく、飲みやすい
ココアパウダーを作った。(バン・ホーテンより)

1847年 イギリス ジョセフ・フライが固形チョコレートを作る。(チョコレート wikipedia) 

1879年スイス人 ダニエル・M・Dピーターがチョコレートに粉ミルクを入れてミルクチョコレートを
作る。リンツがそれを練り上げる機械を作り、食べるチョコレートができた(d)
(a)~(d)はベルギー・GODIVAの「チョコレート・文化歴史」参考)


日本人では、1617年に、支倉常長が、メキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)で、ビスケット・パン・コーヒー
金平糖・キャラメル・薬用としてのチョコレートを食べたとされています。


1797年には、長崎で「しょこらあと」と書いたものがあり、オランダ人よりもたらされたとされます。

1878年 風月堂でチョコレート販売「貯古齢糖」

1918年 森永製菓で、カカオ豆からチョコレート一貫製造開始。(明治製菓は1926年製造開始)

飲み物から、食べるチョコレートへ。美味しく食べたいという想いがここから伝わってくるようです。


追記:ちなみにカカオ豆の生産量を調べてみました。

1 コートジボワール 135万320
2 インドネシア 71万2,200
3 ガーナ 70万
4 ナイジェリア 40万
5 カメルーン 27万2,000
6 ブラジル 24万8,524
7 エクアドル 22万4,163
8 トーゴ 10万
9 ペルー 5万6,500
10 ドミニカ 5万4,279  (外務省の資料・2011年度分/単位トン)

1~5位のうち、2位のインドネシアを除くと、コートジボアール・ガーナ・ナイジェリア
カメルーンは、アフリカです。

6位のブラジル7位のエクアドルは、南米。8位トーゴ(西アフリカ)9位ペルーは南アメリカ
10位のドミニカはカリブ海にある島国。

2012年の資料による、チョコレートの一人当たり消費量は
1位スイス     11・9(kg)
2位アイルランド   9・9
3位イギリス     9・5
4位オーストリア   8.8
5位ベルギー     8.3
6位ドイツ      8.2
7位ノルウエー    8・0
8位デンマーク    7.5
9位カナダ      6.4
10位フランス    6.3(レザーヘッド食品研究所)
アメリカの15位は意外でした。

ちなみに日本は、2.1kgとのことでした。この数字をみるだけで
もうすっかり「ごちそうさん」の気分です。