沖縄県では戦前、神聖天皇主権大日本帝国政府下における農村民の常食はイモであった。そして、さとうきび栽培による黒糖生産のモノカルチャー経済であった。しかし、第一次世界大戦後の1920(大正9)年の戦後恐慌下において、その「黒糖」価格が大暴落し、沖縄県の農村民は痛烈な打撃を被り、常食であったイモもろくに食べる事ができず、職もない状況に陥った。そして、飢饉の際の非常用作物として植えていたソテツを食べて凌がざるを得ない状況に陥った。そこにメディアが「ソテツ地獄」と名付けた状況が起きたのである。ソテツは「サイカシン」という有毒物質を含んでいる。よく水洗いし、発酵させれば危険はないが、極度の飢餓に我慢できずに食べてしまい、中毒死する人も多かったのである。
このような沖縄県農村民に悲惨な状況が起きた原因は、国税面で本土の類似県よりも高い納付額を課されていた事が背景にあるとともに、この後、1927(昭和2)年の金融恐慌と1930(昭和5)年の昭和恐慌が追い打ちをかけ、さらに悲惨の度を増した。
そのような悲惨な歴史を生きながらえながら、戦後はまた、沖縄本島中部のさとうきび生産地は、アメリカ合衆国政府軍の嘉手納基地や普天間基地として強制接収され、変わる事なく現在に至るのである。
(2022年5月1日投稿)