小泉進次郎環境相は2020年2月26日の衆院予算委員会の分科会で、同月16日の安倍自公政府の新型コロナウイルス感染症対策本部の会合に欠席し、地元・横須賀で後援会の新年会に出席していた事について、同月20日の同委に続いて、「横須賀に戻った事実は謝ったところで変わらない。反省し、大臣として職責を果たす形で反省を示したい。反省していると言っても、反省しているように見えないという指摘を頂いている事も反省している」と述べた。
この発言は一言でいえば、小泉氏が「開き直った」発言と言って良い。謝罪と反省を混同した発言でもある。謝罪は「罪や過ちをわびる事」であり、反省は「自分の過去の行為について考察する事。省みる事」である。謝罪は相手、他者に対して行う行為で、反省は自分自身に対して行う行為である。似ているようで意味は異なる。だから、謝罪しないのである。それに対する説明として上記のような屁理屈を述べたという事である。
端的に言えば、小泉氏の発言は、彼の傲慢さや、から威張りの表れである。統一会派の小川淳也氏が主権者国民を代表して謝罪を求めているのだという認識がうかがわれない発言だという事である。そして、俺は大臣だという優越感(劣等感の裏返し)に基づく傲慢さが表れた発言であり、謝罪する事は彼としてはプライドが許さなかったのであろう。しかし、そのために結局、自ら「小者」である事を暴露する事になったと言える。