2019年6月7日の朝日新聞が、「安倍首相 在任歴代3位に」「2721日同郷の伊藤博文を抜く」という見出しの記事を掲載していた。これをみて、メディアの昨今の質の低下を感じ失望し嘆かわしくなった。これほど読者を馬鹿にし紙面を無駄にした記事はなく、購読料のぼったくりというべきだ。なぜなら、戦前と戦後の総理大臣のその在任日数だけを比べても記事にするほどの意味がないからである。戦前と戦後の内閣制度は名称は同じでも、まったく異質な制度である事は誰にも明らかな事であり、それを無視して日数だけを比較して記事にする事にどれだけの意味があるのかという事である。
戦後の場合、日本国憲法において、行政権は内閣に属し、その行使については国会に対し連帯して責任を負う。また、内閣総理大臣は国会議員の中から国会の議決で選び、国務大臣を任命罷免する事ができる(議院内閣制)。しかし戦前の場合、大日本帝国憲法では内閣制度を定める条文は存在しない。また帝国憲法は、宮中と府中(行政権)を区別し、陸海軍の統帥権は天皇大権と定め、内閣は行政全般を担当するのではなく、行政を行う天皇を補佐する輔弼機関であった。内閣総理大臣は元老などの推薦に基づいて天皇が任命し、他の国務大臣は天皇が任命したが、総理大臣も他の国務大臣と対等であり、内閣は天皇に対して責任を負うとされていた。
1924年第1次加藤高明内閣以降「議院内閣制」のような運用が見られたが、1932年の5・15事件以後は軍部・官僚内閣となった。1937年の第1次近衛内閣以後、元老による推薦は行われなくなり、重臣層の会議によった。
このような違いがあるにもかかわらず、総理大臣という名称だけで単純に在任日数を比較して意味づけをしようとする姿勢には呆れてしまう。
(2019年6月11日投稿)