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ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

『無国籍』

2013-01-21 09:53:57 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、『無国籍』という本を読んだ。
著者は陳天璽という横浜中華街生まれの女性ということである。
1971年生まれということで日本の年号で言えば昭和46年生まれで、我が息子よりも若い世代の女性であった。
この本の表紙を見ても判るように、『無国籍』というものを誇示するかのように、堂々と表舞台に立った印象を受けるが、これは無責任な思い上がりのように見えてならない。
この本は、著者である横浜中華街で生まれた女性が、成人して日本国籍を取るまでの自分史としては実によく書かれている。
無国籍になったのは本人の所為ではなく、両親の選択の結果であったが、私はこの両親の国籍に対する考え方が我慢ならない。
彼女の父親は元満州と言われた中国東北部の出身で、母親は中国の南の方の出身だそうだが、それが第2次世界大戦の終了の混乱の中で結ばれ、台湾に逃れた国民党政権とともに、一時台湾で生活していたが、その後、父親の日本留学に際して家族全員が日本に居ついたとなっている。
いわゆる華僑であるが、本人は日本の横浜中華街で生まれたと述べている。
本人が無国籍あった理由は、両親がそういう選択をした結果だ、と述べられているがこの両親の選択そのものが私には納得できるものではない。
戦後の混乱の中で、日本に渡って来た父親は、横浜で居を構え生活をし、それなりに家族を養っていたが、1949年、昭和24年、中華人民共和国がアジア大陸に誕生した。
同時に台湾は蒋介石の中華民国のままであったので、外国にいる中国人は、そのどちらかの国の国民として自分の意思を表明しなければならなかった。
その時もう一歩踏み込んで言えば、日本に住み日本で生活している以上、日本に帰化するという選択肢も彼らにはあったものと推察する。
この両親は、こういう状況下で、敢えて自己の意思で、無国籍を選択したわけで、彼女の父親というのは日本の大学にも留学したインテリ―であったので、無国籍とコスモポリタンを同一視していたのかもしれないが、これは独りよがりの思い上がりでしかない。
日本で生まれ、日本で育って、日本で生を全うしている純粋日本人からすれば、国籍などというものを真摯に考えたことはない。
そんなものは空気や水と同じで、どこにでもあって当たり前、国籍を持たない人間など想像だにできない。これは何処の国でも、どの民族でも同じだろうと思う。
自分の生まれた場所で、自分の周りの人々に育まれて成長し、自分が成人した暁にはそれらに何らかの貢献をする心つもりの人間にすれば、国籍などというものは、海外旅行をするときのパスポートの申請の時にいくらか意識の底に思い浮かべる程度のものでしかない。
そもそも自分の国籍を意識して生きるということ自体、自分の生き方が問われているわけで、その人の生き方がしっかりと足を地につけた生き方であれば、国籍が問われることはない。
この著者の父親が、無国籍を選択したという点が、私ども純粋日本人の視点からすれば、非常に不遜で、一人善がりで、独善的であり、国家というものを舐めた態度だと思う。
華僑という言葉の定義も、正確な解釈があるに違いなかろうが、私の無責任な認識では、中国の地を離れて海外で生きている中国人の総称と捉えている。
そういう人達は押しなべて商業を生業としているわけで、この本の著者の両親も、横浜中華街でレストランを経営している。
純粋日本人の価値観の中には、21世紀の今日においても、士農工商という価値観の順位は歴然と生きているわけで、古典的な日本人の思考からすると、商売というのは最も価値の低い生業である。
だが、生きんがためにはそんな綺麗ごとは通用しないわけで、他国から流れ着いた者が、てっとり早く生きる糧を得るためには、商いに精を出すことは当然の成り行きではあろう。
問題は、その商いが軌道に乗っても、自分が華僑であるという誇りを捨てずに、周囲に同化しようとしない思考にある。
周囲に同化することを潔しとしない思考の奥底には、漢民族固有の華夷秩序の思いが残っていて、自分たち以外の人間は下等な人間、という意識を払拭仕切れないので、それが日々の生活態度に反映されているものと推察する。
彼らの生業が、周囲よりも一段を低い生活様式であろうとも、意識の中では「自分達は周囲の日本人よりも気高い存在だ」という意識を持っているので、ある意味で孤高でいられるのである。
そこに持ってきて、彼らの価値観では、自分の親兄弟、一族郎党が幸せならばそれで万々歳なわけで、他者に対する気配りとか思いやりというのはありえず、文字通り生き馬の目を抜く処世術を身につけなければならなかったのである。
我々のような純粋日本人であれば、国籍などというものは全く意識せずに日々暮らしているが、自分の国の外に出て、外国人の立場になってみれば、その国の法律を順守することは当然のことである。
そういう立場に身を置いてみれば、自分の国籍という意識は、寝ても覚めついて回るのが普通であって、パスポートは自分の祖国が本人の身分を保証するものである。
本人が無国籍であるということは、どこの国でも、どこに行っても、国家としても、行政としても、救済の手を指しのべる術が無いということになる。
彼女の父親は、そういう選択を自らの意思で行ったわけで、その上母親に至っては、日本国籍を嫌悪している風にも描かれているが、こうい思考だからこそ中国人は世界から嫌われるのである。
母親が日本を嫌悪する根底には、戦時中に日本軍が大陸であこぎなことをしたということが理由になっているらしいが、ならば日本におらずに中国に帰ればいいではないか、という想いに至るのは私だけの事であろうか。
この本の著者は、この母親の娘であるが、その娘が日本国籍をとる、いわゆる日本に帰化するについては大反対であったと言うのだから驚く。
この母親の思考は、中国人の思考、漢民族の潜在意識、華僑の生き様を如実に表していると思う。
つまり、人が生きるということは、自分一人が得をすればすべて良し、世界は自分一人の為にある、という思考で他者との共存共栄を信じていないということである。
世の中は、人と人が助け合って成り立っていることに思いが行っていないわけで、この母親の信念である中国人のアイデンテイテイーは、日本人は何処までいっても敵国人で、まさしく華夷秩序の刷り込みから抜け切れていなかったということだ。
戦後の復興期を経た横浜中華街の繁栄の中で、商いに精を出しておれば、自分の国籍について思い煩う暇もなかったかもしれない。
だが、その家の商売が繁盛するということは、日本の政治がきちんとしていたからに他ならず、この一家の故郷では革命があり、飢饉があり、文化大革命があったではないか。
そういう事が我が日本の戦後には何もなかったので、この一家は成功をおさめ、豊かな生活が出来ているのであって、それはまるまる個人の努力だけではなく、社会のシステムとしての成果でもあったことを忘れてはならない。
ところがこの母親はそれを理解しようとせず、娘が日本国籍を取ることを、旧敵国に身を委ねるという想いを描いているので、それに対して不快感を示したということだ。
日本が戦後復興に成功して、高度経済成長を驀進していた頃、日本の労働力不足を補うため、あるいはただ単なる金稼ぎのために諸外国から大勢の人間が入ってきたが、そのなかには当然、昔の女衒という類の人に騙されて日本に来た人も大勢いるに違いない。
人に騙されるような人だから教育程度も低く、そういう女性が日本で子供を産み、無知なるが故に正規の手続きもしない、出来ないまま、無国籍の子供が増え続けるわけで、我々の認識からすれば無国籍者と言えば、こういう人間をイメージする。
だから無国籍者ということは、犬か猫ぐらいのものでしかないわけで、人の形をしていても人と見なされない。
だから何処の国でも、受け入れを断り、援助の手の差し出しようもないわけで、一人路上をさまようということになる。
人間は自分の国を選択してこの世に出てくるわけではなく、たまたま生まれ落ちたところで正規の手続きを踏んで、それが承認されて自分の祖国として国籍が付与される。
しかしそうであっても、そういう手続き、いわゆる正規の手続きというものは人為的なものであって、時の情勢でどういう風にも変わってしまうので絶対的なものではないが、一応今の世界では既存の政府の発行した書類で以て個人の国籍を示すものとして通用している。
この本の著者の父親は、無国籍がコスモポリタンの理念に一案近いと思ったから、無国籍という選択をしたのであろうが、それは高度な教育を受けた人の発想としては最も狡い思考である。
自分が無国籍のままこの日本で生きるということは、世間一般の恩恵は最大限に享受し、それに対する見返り、いわゆる義務は、無国籍を理由に免れようという思考だと思われる。
一例を挙げれば、在日韓国人で韓国籍を持っておれば兵役の義務がついて回ると思うが、日本籍あるいは無国籍あれば、兵役という義務は追っかけてこないと思う。
それと同じように、この日本の繁栄の中で、すべての利便を最大限享受しておきながら、社会に対して何かを還元しなければとなった時、「私には国籍がありませんから」と言って逃げ口上に利用することが考えられる。
我々純粋日本人ならば、改めて自分の国籍について考えることもないであろうが、日本に住む外国人からすると、日本国籍というのは非常に価値の高いモノらしい。
ソフトバンクの孫正義氏も、金美齢女史も、ドナルド・キーン氏も、日本国籍を得た時の嬉しさを素直に表明されていたが、その感覚は我々のような純粋日本人には理解し難い物のようだ。
この著者は、自分が無国籍であったものだから、自分以外の無国籍者についての関心が膨らんで、自分の研究テーマとしているが、こういう人が問題提起したことによって、無国籍者が急に脚光を浴びるようになった。
だが、そういう人は今まで社会の隅で細々と生きてきたのではないかと思う。
この著者の両親は無国籍でありながら、横浜の中華街で堂々とレストランを経営していたわけで、娘がその真実を暴露しなければ、誰もその事に注意を払う者はいなかったにちがいない。
国籍が有ろうが無かろうが、それを要求される機会が無ければ、そのまま済んでしまうことであって、それが要求される機会というのは、大きな責任を伴う場合に限られている。
つまり、これを別の視点から見ると、大きな仕事、大事な仕事を任せるについては、身元のしっかりした、いわゆる国籍のはっきりした者でなければ任せられない、ということである。
それは、この本の中にも詳細に描かれているように、無国籍者では国連でも相手にされなかった、という事実が如実に示している。
無国籍がコスモポリタンと同意語、同義語と思う点からして間違っているわけで、国籍がないというだけで、人はその人を信用しないということである。
地球規模で見て、国籍が無い、どこの国もその人間を自国民として認識しない、何処の国でも認められない人間を信用するわけにはいかない、というのは極めて普遍的なことだと思う。 
国連、国際連合というのは国家主権や国境線を否定する夢想社会を目指すものではなく、現実を素直に認識して、規定のルールの中でベストの答えを出す工夫をする場であって、その基底にある信念は、主権の尊重と法による統制であって、何でもかんでも感情論で説くものではない。
感情論の入り込むすきなど全くないわけで、轍頭轍尾、理詰めの議論をするところであって、国籍の無い人間が近寄れるような場ではなかったわけだ。
この世に生を受けた人間が、自分の祖国や行った先々の法律をきちんと順守しておれば、国籍を失うなどということは有り得ないはずで、この本のケースでも、父親が自分の意思で、どこの国の国籍をも否定したので、そういう状態を呈したということだ。
この父親の選択は非常に奢った思考の結果であって、無国籍であるということはコスモポリタンに一番近い存在と思えたかもしれないが、コスモポリタンであればこそ、どこの主権国家もそれを受け入れなかったのである。
世界の精神性はそこまで進化しておらず、この地球上の既存の国家は、従来通りの主権と国境の概念を捨てきれていなかったということだ。
地球人、コスモポリタンという考え方も、人間の知恵としては有り得るであろうが、仮に国境と国家主権が否定されたとしても、人々がいきなり地球規模で流動化することは考えられない。
昨今の人間の生き様は、如何なる国でも地方分権の要求が高まっているが、この地方分権を要求する根底には、自分たちの事は自分たちでコントロールしたいというもので、それを推し進めれば、再び新たな境界線と新たなローカル・ルールの確立ということに繋がり、既存の国家システムの再構築に過ぎないではないか。
自分たちの事は自分たちで決める、というのが国家の基底にある精神性なわけで、それを主権と称している。
この著者の父親は、その部分を否定して、自分は何処の国の庇護も必要ない、自分の事は自分で決め処理すると決心したからであろうが、そういうロビンソン・クルーソーのような生活は、現代には有り得ないわけで、ただ単なるトラブルメーカーでしかない。
当時者でないからよくわからないが、仮に無国籍の者が役所に何かの申請に行った場合、無国籍なるが故に普通の人の2倍も3倍も余分な手続きを経ねばならず、本人もその煩雑さに閉口するに違いない。
この著者は、研究対象として無国籍の人とも接触をしてインタビューをしているが、国籍の無い人というのは、押しなべて棄民と同じなわけで、国家から捨てられた人々である。
国家から捨てられたという意味は、本人が必要な手続きをしなかったから救済の手が届かなくなった、という意味もあって、全て国家や行政が悪いとも限らない。
自分が裕福で恵まれた環境にいる人は、善意から「そういう気の毒な人を救済しなければ」というが、自らそういう環境から出る努力しない人に、どう説得すればいいのであろう。
アフリカ北部のナイジェリアの石油基地でテロ攻撃があって、日本人も少なからず犠牲になったようだが、こういう所から出てくる難民もきちんとした国籍など無いまま漂てくるのであろうが、こういう問題を如何にクリアーするかは大きな課題だと思う。
この本の著者のように高学歴であれば、自分で一つづつ関門をクリアーして前に進めるであろうが、難民として一括りされるような人たちは、きっと事務手続きなど自分でする才覚など持ち合わせていないと思う。
こういう人は社会の隅で細々と生き、誰にもみとられずに生を全うするであろうが、それがある意味で人間の自然の姿ではないかと思う。
大勢の親族に見守られて息を引き取る人もいるであろうが、そういう人の方が稀であって、生きとし生けるものは誰にもみとられずに自然死するのが自然の摂理だと思う。

『教育を問う』

2013-01-18 17:07:03 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『教育を問う』という本を読んだ。
日本経済新聞社が2000年10月から紙面に掲載した記事の集大成であった。
今から13年も前の事でいささか時代がマッチしていない部分もあるが、総じて今日でもそのまま通用するテーマである。
そもそも教育問題というのは期限があるはずのものではなく、人間が生きている限りついて回る永遠不滅のテーマではないかと思う。
日本の教育の低落はこの頃から話題にはなっていたように思うが、それはある種の錯覚にすぎず、教育に対する問題意識は尽きることが無い。
この本では制度の不具合と、文科省のガバナンスの問題が大きく取り扱われているが、それには抜け落ちた部分があって、それは日本教職員組合に対する視点である。
学校の在り方や先生の在り方には鋭く突っ込んでいるが、その中にある日教組の在り方については、いささかも記述が無いわけで、これも日本経済新聞というメデイアが大きく左に傾いているという証左である。
日本の教育の荒廃は、日教組の存在に大きく左右されているという実態を、報道しないという行為でもって、日教組の存在を擁護し、それをフォローしているということだ。
報道しないということが、「問題が無い」と同義語化しているわけで、この状況は学校当局がイジメがあっても公表しないことによってそれが無かったと認識する構図と同じであって、実に由々しき問題である。
そもそも公立の学校で、入学式や卒業式という式典で、国旗掲揚や国歌斉唱を拒むような先生の存在そのものが破廉恥なことで、その先生に教えられている生徒は尚のこと可哀想ではないか。
自分の祖国に、敬愛の情を示すことを咎める教育などというものがこの世に存在すること自体が考えられないことではないか。
少なくとも主権国家で、その国民が、自国の国旗や国歌に敬意を払わないことが許される国は無い。
普通の国ならば、そういう人間に対して、国旗や国歌を敬い、敬意を表すべく教えるのが初等教育の眼目になっているはずである。
確かに、不特定多数の国民の中には、自国の政府に対する不満や、反発や、反抗心を抱え込んだ人々の存在は認めざるを得ないが、それはそれで自分達の納得する政府が出来れば、敬意の対象がそちらに移って自分の納得する政府には敬意を表するということは有って当然である。
然れども、人は自分の祖国を選択して生まれ出てくるものではなく、たまたま生まれ落ちた土地が自分の気に入らない国だったとしても、成長の過程においてはその気に入らない国の恩恵に浴すからには、少なからぬ仁義はあった当然だと思う。
自分の祖国の象徴としての国旗と国歌に敬意を払わない行為が許される国というのはありえない。
日本の国公立の教育機関には、自分の祖国の国旗と国歌に敬意を表すると、それが軍国主義に繋がると思い込んで、「そうしてはならない」と説く先生がいるわけで、これでは教育を語る以前の問題でしかない。
主権国家において国家が国民を教育するについて、国家の望むような国民を作る、という国家の作為というのはあって当然である。
国が「自分たちの将来はこういう理念の国であってほしい、その為にはある指針を確立して、その指針に沿って子供の教育をしよう」という国家の意思はあって当然である。
戦前の我々の教育は、それが軍国主義の一辺倒であって、結果として我々は奈落の底に転がり落ちたけれど、戦後はその反省にたって、軍国主義は否定しなければならないが、自分の国を愛しようという祖国愛まで全否定する必要はない。
小中学校の先生は誰が何と言おうと、やはり聖職者であるべきだと思う。
しかし、聖職者だからと言って、全てが清廉潔白な存在であると思うのも一種の早とちりで、聖職者であっても過ちを犯す人もいるわけで、教育現場にイデオロギーを持ち込む行為も、その過ちの一つである。
本人は教育熱心のあまりかもしれないが、その部分の峻別が理解しきれないという部分に戦後教育の荒廃があり、日教組のイデオロギー戦略が見え隠れしている。
今更言う事でもないが日本の教育は明治維新以降、西洋列強に追いつき追い越せという国家指針の元で、義務教育が布告され、日本全国一律に小学校が設立され、中学校が整備され、そこで学んだ人たちが日本の近代化に大きく貢献したことは言うまでもない。
そもそも未開な国が近代化を目指そうとすれば、ある程度は開発独裁でないことには旧弊から脱皮できないはずで、その為には国家の指針を初等教育の現場で強力に刷り込まなければ、近代化への脱皮はおぼつかない。
だから国家が初等教育に大きく関わりを持つということも充分にありうる話である。
そのとき、普通の主権国家であれば、自分たちの国の将来を担う若者の教育に大きな期待を寄せることは当然で、その為には自分たちの国はこういう価値観を追い求めるのだ、という指針をはっきりさせて、その目的達成に沿う教育を施すのは当然の帰結である。
教育ということを素直に考えた場合、教育が有った方が良いか、無い方が良いかと問うたとき、有った方が良い事は当然で、その方がより良い生活に身を委ねるチャンスが大きいことは当たり前と思われる。
つまり教育があった方が、この世を生き抜くのに有利だということは歴然としている。
文字が全く読めない者よりは、読み書きそろばんが出来る者の方が良い仕事にありつけることは確かであろう。
今の世ならば、英語のできるできないの違いに匹敵することであろうが、人々は少しでも良い条件の仕事にありつけるように学校の門を叩くようになった。
ところがこういう学問、いわゆる仕事に有利になる学問、仕事のための学問、就職に有利な学科というのは、本来ならば本当の意味の学問ではないはずである。
明治維新以降の日本の近代化の過程の中で、学問の本義が誤解されてしまって、帝国大学で学ぶ学問が就職のため、あるいは立身出世のツールと見なされてしまった。
就職の為であったり、立身出世のツールとしての知識の習得であるとするならば、それは職業訓練校か技術専門学校の職域でガバナンスすべきものであるが、我々の先輩諸氏はそういう発想に至らなかった。
戦前の日本には海軍兵学校と陸軍士官学校があった。
共に日本の海軍や陸軍の高級幹部を養成する機関であったが、此処に入学できるのはいずれも優秀な若者であったと言われていたが、その優秀であるべき高級軍人、高級将校が、政治に嘴を入れて、結果として日本を焼野原と化し、奈落の底に突き落としたわけで、優秀と言われた評価は嘘だったということだ。
昭和初期の我々の同胞は、海兵も陸士も、帝国大学と同じような『学問の府』と勘違いして認識しており、そこが軍人の為の職業訓練校という認識には至っていなかった。
学問などというものは人間の生存にとって何の役にも立っていない虚業そのものだ。
古代ギリシャやローマでは、貴族の若者がコロッセオの中でのデス・マッチ、いわゆる殺人ゲームに飽きて、ああでもないこうでもない、ああ言えばこう言うこう言えばああ言うと、弁舌による討論をゲーム化して打ち興じていたのが哲学であって、これこそが真の学問であった。
『我思う、故に我あり』という言葉に如何ほどの価値があるのだと言いたい。
こんな寝言の様な文言に、大の大人が何故に思い悩んで呻吟しなければならないのだ。
その間に釘の一本でも作り、畝の一本でも耕せと私は言いたい。
だから学問などというものは普通の人間には何の価値もないものであるが、それを吹聴してまわると、周囲の無学文盲の大衆は「あの人は立派なことを言う」と崇め奉って、こぞって喜捨をするので、似非学者としては額に汗して働くこともなく、楽して左団扇で生きていけたわけだ。
その意味では、哲学も生きんが為の方便の一つであって、雲を掴むようないい加減な話で人を誑かして、弄することなく糊口を得る手段であった。
大学・ユニバーシテーなどというものは、基本的にはギルド・同業者組合かサロンのようなもので、人にモノを教えるという機能は無かったに違いない。
その組合に属する者が遠くの地に行って、学問らしきモノを吹聴して歩くなかで、「あなたのその知識はどこで重ねられたのですか?」と問われたときに、名乗った程度のもので、そもそも大学にはモノを教える機能は無かったのではないか思う。
しかし、モノを教えるについてタダ・無料・無報酬ということはおかしいと思う。
教えを乞うには、それだけの報酬というか対価があって当然だと思う。
この地球上の大部分の国では、子供の初等教育は無料であろうが、父兄の経済負担がゼロであっても、先生の報酬がゼロではないわけで、それは国税で賄われているのが普通であろう。
この本は、日本の教育が他の国に追い抜かれるのではないか、ということを非常に危惧しているが、教育などというものは競争ではないのだから、そんなことを心配する必要は全くないと思う。
主権国家同士の知の比較においてノーベル賞受賞者の数が話題になるが、これはある意味では無意味な比較であろうが、それでも素朴な疑問は私にはある。
と言うのは、中国の受賞者が極端に少ないが、中国は人口では世界でもトップの地位を占めているのに、ノーベル賞の授賞者が極端に少ないということは、社会の体制の所為なのであろうか。
最近は中国人が大挙してアメリカの大学に留学していると聞くが、こんなことは今に始まったことではなく昔からそうであったわけで、ならば中国系のアメリカ人の受賞者が出てきても良さそうに思う。
この本の書かれた頃から、中国人やインド人の教育への関心はトミに上がったと言われているが、その割には彼らが世界的な市場に打って出たという話は聞かない。
近代化以前の封建主義の時代には、女性への教育は機会が無かったので、女性の識字率が低いのは致し方ないが、人間の能力としては男女の格差は殆ど無いと考えていいと思う。
封建制度は男性にとっては有利な制度であったが、その裏をかく女性も皆無ではなく、表向きは男性を建ておいて、裏で操縦する女性も少なからずいた筈である。
それはそれぞれの人間の個性であって、それぞれの才覚でもあり、そういう特異な人間は何時の世にも存在するものであるが、この世の女性をすべてそういう風にしなければならない、という発想は余りにも独善的な思考である。
日本が戦争に負けたことによって、封建制度の名残も一気に雲散霧消して、占領軍による民主教育の元、男女同権にもなり、女性も男と同じ教育を受けるようになると、人間の基本的な権利として、教育を受ける権利というものが確立した。
人々が教育を受けることが権利として認識されると、権利であるからには人々が求めるモノは全て上から授けられて当然、という発想に至ったわけで、それが個人の我儘を容認するようになってしまった。
こういう風潮を諌めるべきが本来ならば教養知性に富んだ、文化人であり、教養人であり、学識経験者と言われる知識階層であれねばならないが、明治維新以降、帝国大学の「象牙の塔」の中で研鑽に励んだこういう人達は、こういう新しい風潮を煽る方向に働いた。
子供の教育を心配するより前に、子供の親の在り方を再検討する必要の方が優先度が高いように思う。
これは我々日本人という狭い枠内の話ではなく、アメリカにおいても子供の教育は親の再教育と大きく関連があるように思える。
それを私のいい加減で無責任な推測によると、世間一般に豊かな社会になったので、人々のモラルが後退したということで、貧しい時は少ない食べ物を分け合う気持ちがあったが、豊かな社会が実現したので、欲しいものは何でも自由に手に入るようになり、人の事に気を使う必要がなくなった。
他人の事に思い煩うこともなく、自分のことは自分の思う通りにできるようになったので、それを社会の上から俯瞰して眺めると、人々の個々の振る舞いが個人の我儘と映るのである。
これをオピニオン・リーダーと言われるような人々が、個の自立とか、個の尊重とか、自我の確立とか、プラスのイメージで煽るので収取が付かなくなっているのである。
豊かな社会の中で、自分の才覚で自分の道を自分で切り開き、右肩上がりに登れる人は何も問題ないが、豊かな社会の中で好き勝手なことをしておいて、落後してしまった人をどうするかということが最大の問題である。
そういう人が、人の子の親となったのが現状なわけで、自分の子供を車の中に閉じ込めて、自分はパチンコに興じている親を、どういう風に指導すればいいのだと言いたい。
こういう親にも、当然、そういう人間に育てた親がいるわけで、一人の子供がパチンコ屋の駐車場の車の中に放置されていたことに対して、その親と、その親を育てた親が密接に関連していると思う。
仮に3歳の子が車の中に放置されたと仮定すれば、その親の年は20代前半と想像され、又その親の世代となると40代後半から50代前半と考えられる。
典型的な戦後世代であって、この現実は日本の戦後教育の集大成とみなさなければならない。.
私は1940年昭和15生まれで、今年73歳になるが、私の頭の中にある母親のイメージというのは、子供を背負って髪を振り乱して働きまわっている姿であって、そういう母親の姿を見て、こういう苦労をしている母を何とか楽にしてやりたい、という想いで自分自身を律して生きてきた。
我々の世代のものは、その大部分がこういうイメージで母親というものを見ていたと思うが、それが世の中が豊かになるにつれて、そういう想いをどこかに忘れてきてしまったに違いない。
我々の世代が戦後の第2の世代ではないかと思う。
小学校で教科書に墨を塗ったという経験はないが、民主教育という意味では最先端の教育であったに違いない。
だが、それが真に普及するまでには少なからずタイムラグがあって、その中間の位置にあったのではないかと思う。
ところが戦後の復興が本格化してくると、世の母親が髪を振り乱して働くという姿がなくなってしまった。
家庭電化製品が普及したことによって生活の合理化が進んできたが、そうなるとその合理化された生活を維持するために、新たな金策に走り廻らなければならなくなった。
こうなると欲望と金策のメリーゴーランドになってしまって、卵が先か鶏が先かの論議に嵌ってしまい、子供の教育や躾けが疎かになってしまったということだ。
その風潮を後押ししたのが戦後の民主教育であって、戦前の価値観を全否定して、人足るもの自己の我儘を押し通すことこそ新しい生き方だと説いたものだから、世の中は混乱の極みに至ったのである。
今、73歳の老人は、車の中に3歳児を置いたままパチンコに興じている若い母親をどう考えたらいいのであろう。
教育の問題を超越して、日本人の在り方そのものが問われているということではなかろうか。
経済的な発展の行き着いた先ということであろうか。


『日本はなぜここまで壊れたのか』

2013-01-13 20:32:50 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、『日本はなぜここまで壊れたのか』という本を読んだ。
著者はマークス寿子という人だが、面識のある方ではない。
本の奥付によると1936年生まれということで私とほぼ同世代の方である。
ところが1976年に英国国籍のマイケル・マークス氏と結婚ということで、それが1985年離婚となっている。
結婚生活はわずか9年間ということで、この点から見て素直に彼女の人格に蔑視の思いが募ってきた。
1936年に生れて1976年に結婚ということは40歳で結婚ということであるが、40歳にもなって将来離婚する相手と結婚するというのは、いささか女性としての知性と教養に疑問符を感じる。
18、9歳の小娘が熟年の男にだまされた、という話ならばまだ納得できるが、40歳で結婚して10年も持たないというのであれば、本人の人を見る目は機能していなかったのかということになる。
洋の東西を問わず離婚する夫婦は掃いて捨てるほどいることは承知しているが、離婚がキャリアー・ウーマンの勲章でもあるかのような昨今の風潮はどうにも我慢ならない。
アメリカの映画女優のエリザベス・テイラーは8回も結婚と離婚を繰り返したといわれているが、広い世間にはそういう人がいても不思議ではないが、大和撫子からすればそれはあくまでも異端の存在で、本来ならば嘆かわしく思われるものである。
そういう人が、日本とイギリスを往復しながら文明論を比較検討しているような内容であるが、その考察があまりにも表層的過ぎて深みのない論旨になっている。
確かに昨今の日本人、特に若者は、他の国の若者と比べればひ弱な存在であることに間違いはない。
この本の表題からすれば、21世紀の日本の若者がひ弱になった根本原因を掘り下げて考察すべきところであるが、その考察が深層の部分にまで深く掘り下げられていない。
1936年生まれということは私と同世代なわけで、ならば戦後の民主教育を身を以て体験してきている筈で、離婚がマイナスの価値観であるという過去の認識も判っている筈である。
結婚とか離婚という問題は、どこまでも個人の問題であって、第3者がとやかく言う話ではないということは充分わかっているが、この部分の価値観が変わってしまったということが、その後の日本人を腑抜けにした大きな原因である。
その価値観を徹底的に壊したのが戦後の民主教育というGHQの押し付け教育改革であった。
対日戦に勝利したアメリカにとって、日本が、一度は敗れたとはいえ瞬く間に再建して、再びアメリカに歯向かうかも知れない、という想いは殊の外恐ろしかったに違いない。
1945年の8月に一応は勝利したとはいうものの、その後再び日本が勢力を盛り返してもう一度連合軍側に挑戦してくるのではないか、という恐怖心に苛まれていたと思う。
だから日本民族を徹底的に再起不能にする気でいたわけで、その為には日本民族の根底に流れている大和魂という精神的なバックボーンを全否定することに血道を上げたということだ。
その具体的な運動が、封建主義の全否定であったわけで、それはとりもなおさず民主化路線とも軌を一にしていたのである。
具体的には我々が古来から持っていた価値観や倫理観の否定であって、その中には夫婦であっても気に入らない相手ならばさっさと離婚しても構わない、という思考も入っている。
それを称して「女性の自立」と言っているが、言い方を変えて表現すれば「女性の我儘の奨励」でもあったわけだ。
古今東西、男と女の世界なので、一度一緒になってもで月日が経つうちにどうしても合わないということも多々あったに違いないが、そういう時は従来ならば女性の方が我慢していた。
これを戦後の言い方では「女性の犠牲で家制度は維持されていた」という表現になるわけで、それは古い考え方だから女性は辛抱することなくさっさと離婚しなさいということになったわけだ。
彼女が1936年生まれということは、戦後の発展を身を以て体験しているわけで、1945年の我々の国が今日21世紀の現状を呈するまでになったということは、人類にとっても想定外の事ではないかと思う。
彼女は東京生まれだそうだが、だとしたら尚更の事、1945年の東京から今日の東京は想像できなかったに違いなかろうと思う。
我々の先輩たちは、こういう今のような日本を造ろうとしてアジアに進取して、それを当時の西洋先進国に咎められて、総スカンを食ったということだ。
その結果として国土が焼野原になって、当然のこと、軍備に回す金もなく、無手勝流でやってきた結果が今日の姿なのである。
国土が焼野原になって、そこに海外からの引揚者を抱え込んで四苦八苦している中で行われた民主化政策は、既存の価値観を見ごとにひっくり返してしまった。
敗戦、日本が外国の軍隊に敗北を帰すということは、我が民族が今までに一度も経験したことのない未曾有の事態で、それを経験した日本の成人は、一様にPTSD(外因性ストレス症候群)になり、精神的に再起不能に陥り、昔の価値観に戻れなくなってしまったのである。
その上に、GHQは民主化の一環として政治犯の釈放を要求してきたので、戦前戦中に弾圧されていた共産主義者が解放されてしまった。
これはまさにパンドラの蓋を開けたようなもので、GHQの唱える民主化の要求と、共産党員が唱える民主化の波長が見事に合致してしまって、古い道徳、過去の倫理観が全部否定されてしまった。
その中で、戦争に生き残った人たちは、次世代に対して生きる指針を指し示すことが出来ず、人は如何に生きるかと説く事にも自信喪失してしまった。
だから、自分の子供に対しても見本を指し示すこともできなくってしまったのである。
そして学校では何でもかんでも平等ということを教えられ、合わせて個の自立、独立ということを教えられたが、皆が平等でありながら個の尊重ということは有り得ないことであるが、その矛盾に答えを出さないまま既存の秩序に反抗することが善と捉えられた。
私は不幸にして学校の現場の状況というものを知らないが、以前、小学校の徒競走で、1等から2等3等と順位を競うことがダメだという論が出て、そういう区分けをせず全員で一斉にゴールするということが話題になった。
だが、この時それを決めた先生方は一体どういう議論をしたのであろう。
当然、「従来のやり方を踏襲しよう」という意見も出たであろうと思うが、どういう議論でそういう意見が封殺されたのであろう。
この事例を見ても判るように、世の中の変革というのは、こういう些細な事例の積み重ねで世の中が変革していくと考えられる。
徒競走の順位を否定して全員で一斉にゴールする、というアイデアを発言した人はきっと勇気が要ったと思うが、それに追従してそれを承認した人もきっと勇気が要ったと思う。
ところが、この場にいた人々の常識・コモンセンスは一体どうなっていたのであろう。
教育現場の人、教育に携わっている人が、徒競走の順位を格差とか、不平等と捉えているとしてら、その人は教育者にあるまじき知性を欠いた人と言わなければならない。
10人の子供にテストをすれば、その結果は1から10まで順位があって当然である。
人は往々にしてこの順位を問題視するから教育の本旨がゆがんでしまうのである。
教育には順位がついて回るモノであって、人々はこの順位に右往左往、一喜一憂するからモノごとの本旨を見落とすことになるのである。
テストは教育の効果を計るモノであって、教えを受ける側がどれだけ習得したかを計るものであるが、世間ではそれを個人の頭脳や能力の善し悪しを計るものと勘違いしている。
この誤解を解く役が、本来ならば教育現場でなければならないが、この部分でも教育に携わっている人が勘違いしている。
教育の目的は、単純明快、知識を教え込むことにあるわけで、結果的にその年度のカリキュラムのミニマムの知識が備わっていない者は進級してはならない。
教えたことが既定のカリキュラムのミニマムの線に達していなければ、再教育があって当然だし、次のステップに進むことができないのが当然と考えるべきである。
日本の大学は入ってしまえばおおよそ卒業できるようであるが、これでは教育の本旨から外れており、暴力バーのやらずぶったくりと同じであって、父兄や学生は授業料の返還を迫ってもいいが、学校側が卒業証書を乱発していることを喜んでいる節がある。
まあそれで学生も喜び、親も喜び、学校も儲かり、先生も生活が出来るわけで、四方八方、万々歳なのだから第3者が僻みっぽく騒ぎ立てることはないかもしれない。
偽学生モドキの社会人がいっぱい世間に雪崩れ込んできても、普通の社会ならば実力主義であって、能力のないものはおのずと自然淘汰されるのであるから一般社会にとっては実害はないが、こういう状況になると知識人モドキのものが「そういう偽学生モドキも人間だから何とか救済すべきだ」と騒ぎ立てることが嘆かわしい。
戦後の民主化の中で、教育改革の次は女性が働くことの是非が大きな課題となっているが、人間のあるべき姿の理想形は、男は外で糧を得る労働をして、女性は家の中で家事に従事する姿だと思う。
人間の生業が農業であったころは、だいたいこの線で生活が営まれていたが、産業革命後、男の職場が工場に移ると、男の収入だけでは家計のやりくりに不都合をきたすので、女性も家で出来る内職という形態の仕事に精を出すようになった。
普通のサラリーマン家庭でも、子供が巣だってしまうと、女性の家事も手が抜けるようになるので、少しでも実入りのいい仕事を探すという風に自然になる。
けれども、主体は家の主人の収入に頼っているわけで、夫の収入で細々と家計を遣り繰りするのが普通であった。
ところが戦後の社会では、女性もかなりの高学歴になって、高学歴を身につければそれに応じた仕事がしたいという欲求は当然出て来る。
だからその欲求に応じて仕事をすれば、そのサラリーは全部自分のお金になるので、その魅力はたまらないものであったに違いない。
自分の稼いだ金で自分の好きなものが自由に買える、ということはかけがえのない魅力だと思う。
一度その魅力を味わったらもう家の中でじっとしていることは不可能で、外に出て働きたいという願望は尽きないものとなった。
そういう女性が結婚したからと言って、家の中で夫の帰りを待ちつつ、じっとしているわけにはいかないのも当然のことである。
大昔の人間にも、いかなる民族にも、女性には女性に適した仕事があって、それを順守している分には、分に応じた生き様をしているということだが、女性も教育を受けて高学歴になると、この分に応じた生き様に納得できなくなる。
そこから這い上がろう、のし上がろうという上昇機運に突き動かされる。
日本の近代化以降でも、女性の職場として小学校の先生や看護婦さんという職域は有った。
この事実を考察してみると、生き物としての女性は出産という大事業を成すために、幼い者やか弱い存在のものには慈悲の心が無意識に作用するというDNAレベルの刷り込みがあったということだと思う。
戦後の民主教育においては、こういう思考を封建主義の残滓として排除する考え方が蔓延して、女性も男性と区別してはならず、同一労働同一賃金を是とするようになったが、システムとして無責任体制の公務員はそれでもいいが、利益をはじき出さねばならない民間企業では、男性と女性で同一労働ということは有り得ず、当然のこと賃金は仕事に応じて払われるわで、結果として男女で差が出る。
そもそも人間は皆平等で、男女で差別や区別があってはならない、という考え方は旧ソ連や中国のような未開な地域で早急に近代国家をつくらねばならない時に、人々を叱咤激励するためのスローガンであった
コルホーズやソホーズあるいは人民公社で、人間を柵で囲んだ中に入れて、強制労働に駆り立て、共同食堂で食事をし、幼子は共同保育所で預かって女性をフルタイムで働かせることが目的であった。
戦後の日本で革新的な知識人は、その一部分だけを見て、日本もそういう風にならなければだめだ、保育所を沢山作って女性がフルタイムで働けるような体制を作らねばだめだ、と言っているのだが、生きた人間の在り様を冷静な視点で眺めれば、幼い子を母親から引き離して第3者に育てさせて、その親子が幸せである筈がないではないか。
ここで問題なことが、母親自身が自分の欲求を満たすために、そういう選択を由とする傾向である。
専業主婦に価値がないとか、家事労働は意味が無い、などという評価は誰が言いふらしたのであろう。
戦後の日本は戦後復興を成したせいで、生活するのには非常に便利になって、家の中の仕事、家事労働は究極的に合理化されてしまって、ほとんどすることはなくなってしまった。
当然、主婦は時間が余ってくるわけで、その余った時間を利用して子供が学校に行っている間だけパートタイムの仕事する余裕が出てきたということだ。
これが普通のサラリーマンの堅実な主婦の思考ではないかと思うが、ここで欲張りな主婦がいると「パートタイムの賃金では少ないからフルタイムの仕事が出来るように行政は何とかせよ」という欲求になってくる。
そういう要求に政治家や行政が応えようとすると、人々の欲求は益々エスカレートするわけで、最後は好き放題にセックスしておいて、出来た子供は国家の宝だから国が育てよということになりかねない。
確かに、戦前の我々の在り方は封建主義にがんじがらめに絡められており、女性を犠牲にした部分は多々あったに違いないが、戦後の我々の在り方にも、随分と大きな間違いを内包していたように思われる。
戦前の間違いは、軍部や軍人によってリードされたが、戦後の間違いは確実に革新的な進歩的知識人によって民族の昇華の方向に導かれたと思う。
アメリカ占領軍の占領政策と、共産主義国からのコミンフォルムの指針が見事に一致していたので、それを内側から煽りに煽ったのが戦前に治安維持法で排除された進歩的知識人であった。
私自身の体験を述べると、私は私立の高校であったが、その校長は戦前治安維持法に抵触して牢屋に入れられていた。それが、終戦で解放されて私立高校の校長に就任した。
その校長は中華人民共和国が誕生したとき、先方に招かれてその帰朝報告を聞かされた。
その時の話が例によって「中国には蠅が一匹もいない」という話であり、「女性もフルタイムで働いている」という話であった。
治安維持法で苛められたので、その反動として反体制・反政府という思考は判らないでもないが、だからと言って高校生に昔の大本営発表のようなデマゴーグを言いふらして良い訳ないではないか。
こういう話をきいた世代が、その後の全学連世代であったり、全共闘世代であったわけで、彼らは戦前の治安維持法でさんざん苛められた世代から教育を受けてきているので、その教育が民主化教育という美名のもとで大きく偏向していたということだ。
真の知識人ならば、人としての在り様、人としてのミニマムの倫理、人として守るべき道徳というものは普遍的なもので、体制やイデオロギーで揺らいではならないということは判っている筈である。
戦前と戦後を比較しても、中味の日本人、日本民族というのはいささかも変わっていない筈なのに、価値観や考え方が180度変わってしまうということは一体どういう事なのであろう。
いかなる状況でも、いかなる体制でも、変えてはならない核を維持、継承、伝承すべく人々を説き伏せる役目を負ったものが知識階層ではなかろうか。
我々は明治維新の前の江戸時代においても学問の研鑽に励み、明治維新以降はそれこそ西洋列強に追いつき追い越せを国是として学問に励んできたが、学問に励んだ成果というものは果たして手に入れたのであろうか。
国費で高等教育を授かった知識人が、自分の祖国に弓を引くような言動を弄して、それが高等教育の成果と言っていいものだろうか。
民主党政権になって鳩山由紀夫も管直人もそれぞれに祖国に思いを募らせたに違いなかろうが、結果としては大混乱をきたしたわけで、ならば東大や東工大の高等教育とは一体何であったのだろう。
21世紀に日本人の魂が宇宙に浮遊して、地上にいる我々の同胞は魂の抜けた空蝉のようなもので、過去の栄華に固く止まっているのかもしれない。



『国防の死角』

2013-01-12 08:21:56 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『国防の死角』という本を読んだ。
サブタイトルは「わが国は有事を想定しているか」となっている。著者は清谷信一という人だ。
2011年の3月11日に起きた東北地方の大震災に関して、「自衛隊はよく頑張った」という世評は、これはこれで良しとしなければならないが、こういう世間の評価の裏には、目に見えない瑕疵が潜んでいて、その瑕疵が目に見えていないが故に、重大な問題を内包しているというのがこの本の趣旨である。
ああいう未曽有の危機に際して、自衛隊がよく頑張ったという評価は、それはそれとして立派なことだと思うが、こういう成功体験にも学ぶべきことはあるのであって、自衛隊の活動においても、国家の危機管理という視点から眺めると、大きな不合理が潜んでいるということを縷々述べている。
冒頭にその問題点を4点列記しており、その一つが人員構成の不整合であって、最も数を必要とする兵隊クラスの人員の不足を挙げている。
組織の構成がピラミッド型ではなくて、ビヤ樽型に組織の真ん中が大きく膨らんで、下の方の数が少なくなっているというということだが、無理もない話だと思う。
自衛隊というは誕生の時から一番下の士のクラスの採用の基準が中学卒になっているが、平成の世になって、今どき中学卒業という人などほとんどいないはずで、高校卒業というのがミニマムの学歴だと思う
大学を出た人が一番下の階級に入ってくる、ということも昨今のような就職難の時代ならば無きにしもあらずであるが、そういう人は部内から幹部候補になる方法もあるわけで、下働き専門の階層はどうしても人員不足になりがちである。
昔流に言えば、地べたを這いまわる兵隊のクラスが居なくて、皆、指揮官の階層のものばかりが残ったという感じである。
いかなる組織でも、兵隊としての最下層の人々の活躍がない事には、組織そのものの運用が成り立たない。
今の自衛隊に、その部分を担う階層の若者がいないということは、少子化の影響がもろに出ているとも言えるが、そうであればこそ時代のニーズに合った組織に改編しなければならないことは言うまでもない。
そこがそうなっていないから、この本がその部分を指摘しているわけで、こういう組織の齟齬は、組織の中にいては案外気が付かないもので、外側から冷静な視点で眺めて初めて認識されるものである。
然し、ある組織が、組織としての欠陥に自分自身、無頓着でいるということは、組織のメルトダウンの一番大きな問題点なわけで、往々にしてそれが忘れられている。
東日本大震災で、自衛隊が創建以来の大規模な支援をして被災者救済に尽力して、そのかいがいしい姿がメデイアによって日本全国に放映されたが、あれこそ日本の自衛隊の真の姿であるが、本来、軍の組織というものは真の姿を国民大衆の前に晒してはならない性質のものである。
仮に自衛隊の能力が10であるとするならば、国民大衆の前に晒して公表できる部分は、3割か4割でなければならない。
後の7割か6割の部分は、秘密のベールに包んで隠しておくべきもので、自分の手の内を全部曝け出してしまっては、いざという時勝負にならないではないか。
こういう発想が真の危機管理であって、何でもかんでも隠し事をせずに晒せば良いというものではなく、こういう発想に至る根底には、戦略思想がない事にはこういう想いに至らない。
ああいう未曽有の被災地で、自衛隊員が黙々と被災した人を救済する姿をメデイアが報ずるということは、誰の目から見ても共感を呼ぶものであって、自衛隊が国民から信頼を得る大きなPRにはなる。
ところが、その裏には目に見えない組織上の瑕疵が潜んでいる、ということをこの本は述べている。
この本の言う不具合の中で、新たに開発された無人偵察機が一度も使用されなかった、という不満がある。
これは福島原発事故に際して、その状況把握のために原子炉の上をラジコン飛行機で偵察することを指しているが、確か航空法では原子炉の上は飛行機は飛べないようになっていたと思う。
ならばヘリに依る上空からの水の散布も法的には許されないことになるはずで、その辺りをどう考えていたのであろう。
国家の機構と言わず、人の作る組織は大なり小なり縦割り社会で、セクションごとに利害得失を考えるというのは、どこの組織でも根本的なものだと思う。
第3者が「こういう場合にこそあれを使えばいいものを」と思ったとしても、当事者はまた別の思惑があるわけで、第3者がとやかく言うことでもないかもしれない。
だが、あらゆる組織が縦割りである限りにおいて、それを上から俯瞰して考えた時、「省益有って国益無し」という状況も十分に考えられる。
戦前にあった大日本帝国の軍隊が消滅した過程にも、その根本のころには、この思考があったわけで、戦争のプロフェッショナルたちが、自分のセクションにのみを後生大事に抱え込んでいたので、国全体が奈落の底に転がり落ちたということだ。
自衛隊が新しく開発した機器は、須らく国民の血税で賄われているわけで、その意味で「有効に使え」と言う願望は無理もない話ではあるが、それはそれなりに理由があったに違いない。
それと合わせて、「無線機の数が足らなかった」と述べられているが、これは私にとっては不可解なことである。
日本は言うまでもなくモノ作り大国であって、無線機というようなハードウエア―の生産ならば、最も得意とするお国柄でありながら、それが足りないということは考えられない。
この本には、無線機が足りないので、個人の携帯電話で連絡をとっていると述べられているが、この事は個々の隊員の装備に対する問題を超越して、自衛隊全体としてのモノの考え方の欠陥である。
これでは旧軍の時からの発想から一歩も前進していないということを如実に示しているわけで、情報の軽視そのものである。
この本の表題そのもので、「国防の死角」、「有事を想定していない自衛隊の在り方」そのものを指し示している。
個々の兵隊、日本の場合自衛隊員のひとりひとりが皆携帯電話を持っていたとしても、それを作戦に、あるいは演習で、あるいは災害救助で使うということは、完全に自分のあるべき姿を見失っている証拠で、そこに違和感を感じない組織は、もう作戦遂行の能力を失ったものと同じだと思う。
演習なり、災害派遣がつつがなく遂行できれば、それですべて良しという発想そのものであって、自分たちが有事に備えた存在だということを亡失している。
無理が通って道理が引っ込んでしまった状況で、情報の重要性を脇に置いたまま、目の前に事態に対処して事なきを得たという観である。
この事は彼ら、自衛隊員が実戦というものを想定しておらず、あくまでも戦争ゴッコという認識でいるということである。
と同時に、先の大戦で情報の重要さをいささかも習得していないとことでもある。
今の戦争は、関ヶ原の合戦の様な戦いでは無いわけで、敵を知り己を知ることが勝敗を決するわけで、その為には情報が不可欠であって、それを確定するのが無線機である。
先の大戦の敗北の大きな原因にも、情報の軽視ということがあったわけで、情報というからには無線機を抜きには考えれない。
ただ、今の自衛隊が、災害派遣で国民の目から見てよく頑張っているように見えても、その裏側では全く実戦にならない組織である、という点がこの本の言わんとするところである。
日本の技術でもってすれば、歩兵の搬送無線機の性能向上など難なくクリアーできる筈のものであるが、それを成そうとする重要性も、発想も、熱意も無い所が大問題である。
無理もない話で、我々は戦後67年間も、戦争ということを真剣に考えてこなかったわけで、そんなものはどこか遠い宇宙の出来事でもあるかのような認識でいたものだから、災害派遣の現場で無線機が使えなくとも、それはそれで対処療法で乗り切ってしまうので、改めて装備の不具合を問題視するに至らなかったのである。
いかなる組織でも一人や二人の組織ではないわけで、何千人何万人もを擁する組織なので、自分たちの仲間内では少々の不具合でも創意工夫で乗り切ってしまう。
だから、全体として「装備に不具合がある」ということが見落とされてしまって、任務が完璧に遂行されたと勘違いされてしまうのである。
無線機が不足して、災害現場で動き回っている自衛隊員が無駄な労力を費やしていても、災害派遣である限りそれは何の実損も伴わないが、これが実際の戦争であれば、孤立してその部隊が全滅ということになりかねないのである。
災害現場においては傍の目から見て「自衛隊員はよくやっている」という風にしか見えないが、その良くやっている中味が徒労であったとしたら、実戦では許される訳もなく、誰もそれに気が付かないということに大きな問題点が潜んでいるのである。
無線機の数も問題であるが、その前に燃料の不足ということは致命的な欠陥であって、あの震災は従来の規模をはるかに超えた地震で、あの地方のインフラが全て遮断されたという状況は充分加味しなければならないが、国家の危機管理、国の安全保障ということは、そういう事を仮定して考えるべきであって、日常的な平和の中でこそ危機に瀕したときに如何に対応するかということを考えておくべきである。
当然、今回のような大規模災害も危機管理の枠組みの中に入れて考えるべきであるが、戦後の我々は、そういう事を考えること自体を軍国主義と結びつけて遺棄してきた。
来栖発言、三ツ矢研究、田母神発言等々、危機管理のことを一言公の場でしゃべると、それを軍国主義と関連付けて糾弾する傾向は、戦後の日本の学識経験者の習い性となっており、そういう「風が吹くと桶屋が儲かる」式の陳腐な議論で危機管理を糾弾してきた。
学識経験者、いわゆる知識人と言われるように高等教育を充分に受けて、並みの人よりも教養知性に優れた方々が、「風が吹くと桶屋が儲かる」式の陳腐な議論を弄していて良い訳ないではないか。
こういう人達はどうして世界で起きている現実を直視しないのであろう。
大震災が起きて、インフラが破壊されてしまったので、災害救助の燃料が枯渇した、では危機管理が根元から成り立っていないわけで、そういう事態がいささかも想定されていなかったことに最大の問題があると思う。
東北地方の三陸海岸は、過去にも何回か津波に襲われた経験があるわけで、過去の事例から教訓を学んだ地域は今回でも被害が少なかったが、過去の事例を蔑にして海岸べりに家を建てた人は同じように被害に遭っているのである。
それと同じで、防災という点からすれば、燃料の保管ということも危機管理の面からも知恵を絞っておくべきで、災害が起きてから運ぶでは余りにも対処療法にすぎない。
自衛隊のみならずあらゆる組織においては、危機管理に際して、本来ならば考え得る最悪の状況を想定すべきだと思が、そういう状況を公の場で言うと、すぐに軍国主義と関連させて、「戦争をしたがっている」という言い方で糾弾するのが進歩的知識人の習性であるが、本来ならばそういう学識経験豊富な人が、最悪の状況を想定して、それに対する措置を考えるべきではなかろうか。
ところがそういう立場の人に限って、国の危機管理、国家規模の大災害、国家存亡の危機という状況を思考できないわけで、そういう事態を考えたことがないので、それに対する対応も思いつかないということになる。
東日本大震災においても、津波に関しては事前に防ぎようもないので、揉み手傍観するほかなかったが、原発事故に際しては、地震発生から原子炉のメルトダウンまで時間があったので、その間にもっと適切な対応の仕方はあった。
その時の危機管理のトップが管直人であったが、彼は人権派の国会議員であって、人に金をばら撒くことは考えても、国家存亡の時には如何に振る舞うべきかという、国のリーダーとしての資質には欠けていたので、原子力災害が人災の態を晒してしまった。
彼は日本国のリーダーという気概を持って内閣総理大臣に就任したわけではなく、貧乏人に金をばら撒いて人気を博するためにその地位に就いたので、国家存亡の危機に際しては為す術を持っていなかったわけだ。
こういう場合にはリーダーの真の資質が問われるわけで、この時にもそれが如何なく露呈して、福島原子力発電所は管直人の指示によって人災になってしまったということだ。
知りもしないことをさも知ったかぶりで、偉そうに指揮するから、最終的にメルトダウンにまで至ってしまったということだ。
彼の立場から自衛隊を有効に使うということは今までの信念から素直には受け入れられないことであったに違いない。
想的平和論からいきなり国家存亡の危機に追いつめられたようなもので、原発事故のみならず東北地方の災害救助について何をどうしていいかわからなかったに違いない。
今まで敵視してきた組織に全面的に頼らねばならないわけで、彼の心の中の葛藤は随分大きなものがあったに違いない。
そもそも東京工大を出たようなインテリ―が、空想的な平和論者でいることの方が不思議で、理想を掲げてそこで思考が停止したとしか、言い様がないではないか。

「モンスターマザー」

2013-01-10 08:14:17 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「モンスターマザー」という本を読んだ。
著者は石川結貴という女性であるが、2007年の発行ということで、いささか賞味期限切れという感がしないでもない。
内容的には「今どきの若い者は!」という人類誕生以来から続いている普遍的な嘆き節という感がする。
人間の進化というのは、大昔から若い世代が古い規範を乗り越えてきたからこそ今日があるわけで、もしそういう起爆剤が存在していなかったとしたらアマゾンの奥地に住んでいると言われている原住民と何等変わるものではない。
10年前も、50年前も、100年前も、千年前も、万年前も、年老いた者はいつもいつも、「今どきの若者はなげかわしい」と言いつつ、歴史を積みあげてきたに違いない。
その中で、アジアの一部の地域では、儒教思想が人々の精神を司どっていたので、この思想においては「老幼の長」が重んじられて、若者は年長者を差し置いて前に出ることが許されなかった。
それ故に、近代化に立ち遅れたということがあった。
この儒教思想は日本でも太平洋戦争で敗北するまでは生きていたので、この時代を知っている年長者の立場からすると当然「昔の方が良かった」という言葉になる。
儒教思想に裏打ちされた封建制度というのは、完全に男にとって有利なシステムであって、女性の犠牲の上に成り立っていたことは言うまでもない。
しかし、それは今日的な視点から眺めた場合の発想であって、当時の時代状況であってみれば、逆に女性保護の目的があったかもしれない。
当時は、当然のこと身分に応じた生き方が当たり前であって、農民が都会に出て一旗揚げて故郷に錦を飾るという発想は無かったに違いない。
女性は女性の分に応じた生き方をしている限り今のようにストレスを感じることもなかったに違いない。
分に応じた生き方というのは、代々親の職業を継承するという事であって、親が農民であれば子供はそれを継ぐという事が既定の事実として決まっておれば、それから抜け出す努力というのはしなくても済む。
いわゆるそれをストレスと感じなくても済むと言う事だ。
その中で女性の立場というのは明らかに子供を産む機械であって、子供を産まない、産めない女性に何の価値もなかったわけだ。
封建主義、封建制度というのも、今の価値観から考えれば、随分とひどい時代遅れの考え方のように見えるが、あれはあれで人類が生き残るための究極の選択だったと思う。
婚姻制度の確立というのは随分と後世になってからのことで、それまでは人間と言えども犬や猫と同じ様なもので、パワーを持っているものがハーレムを築くことも可能であったわけで、女性の立場などというものは有り得なかったに違いない。
封建制度の元では男子がすべてを決していたので、女性の出る幕は有り得なかったが、明治維新以降、女性のパワ-というものが見直されてきたことは確かである。
しかし、人の在り様、人の作る社会で、人間の数のおおよそ半分は女性であることを考えると、女性の力を無視する、考慮に入れないという選択は、非常に不合理だと思う。
封建制の元では女性にはもともと教育の機会が与えられていなかったので、無知な女性が多かったことは確かであるが、女性でも男と同じように教育を施せば、男と同等の能力がもともと備わっていると思う。
だがしかし、それは何でもかんでも同じかと言うと、それは極論であって、外形を比べたただけでもその相違は歴然としているわけで、「男も女も全く差別するな」という話とは次元が異なっている。
明治維新以降の近代化のなかで、女性に対する教育も徐々にではあるが浸透してきて、それが戦後になると一気に花開くことになったが、その中で新しい社会体制というか、新しいシステムの中で、新しい価値観の中で、男性も女性もそれに如何に対応すべきか指針を見つけ出せれなかった。
だから何でもかんでも男女平等と言う事が大手を振って罷り通ってしまったが、それはただ単に古い価値観を壊すだけの事であって、新しい価値観を考えるものではなかった。
戦後の教育では、アメリカ軍による占領政策として教育改革がなされたが、その目的は封建主義の破戒であって、それに関連してこれも占領政策の一環としての政治犯の釈放、つまり日本共産党の容認ということがあった。
この二つの大きなインパクトによって、戦前の古い考え方は一網打尽に排除された。
そして教育界、教育の現場が日本共産党員と同意語、同義語の日教組の支配するところとなった。
封建性の中にも時代の推移に合わせて改めなければならないところも多々あることは承知の上であるが、全否定すべきものでもないと思う。
「戦争に負けたのだから戦前のものは全て否定すべし」という発想は、そのまま戦前の軍国主義の蔓延と軌を一にするものであって、ある種の時流に迎合する姿である。
こういう傾向に対しては、本来、知識人と言われるオピニオン・リーダーたるべき人が警鐘を鳴らすべきであるが、そういう人たちが真っ先に時流の先頭になって籏振りをするから、世の中の軌道があさっての方向に進んでしまうのである。
モンスターマザーというのは、そういう日教組の先生方に教わった新しい世代なわけで、そういう戦後の教育が「個の尊重」ということを過度に教え込んだので、個人の我儘と個性の尊重の見分けが判らないまま、それらを混同してこういう事態を招いているのである。
今の世代は戦後世代の3世代目であって、戦後の最初の教育を受けた世代はすでに爺婆になっている。
戦後の一番最初に民主教育を受けた世代が爺婆になって、民主化教育の2代目、3代目に当たるのが今の親とその子供である。
第1世代はまだ戦前の価値観を持っていたが、戦後の民主教育ではその価値観が全否定されたので、この爺婆の世代が、自分たちの子供に対して人としての規範を教えることに自信喪失してしまった。
だからこういう時にこそ、普通ならば高等教育を受けた知識人と言われる人たちが、人の生き方の模範というか、基本的な倫理を説き、偏向した思考の軌道修正すべきであったが、こういう階層が全て時流に迎合して、共産主義に媚を売ったというわけだ。
戦前の「バスに乗り遅れるな」という発想と同じ構図そのもので、戦前のバスは軍国主義であったが、戦後のバスは共産主義であったわけだ。
それは戦前において、沈黙することで軍国主義に消極的とはいえ迎合した構図と同じであって、戦後はそれが逆向きのベクトルとして、声高に反政府・反体制を叫ぶことで時流に迎合していたと言う事に繋がる。
戦後の最初のころに、GHQの命じるままに新しい民主教育で教育を受けた世代は、過去のモノの考え方が全否定されたことによって、我が子に対してどういう指針で育てればいいのか判らないまま放置していた。
その前に、自分自身、明日食うコメもない状況下で、子供の事に構っていられないということも有ったであろうが、そういう中で成人に達した人たちが、古い価値観に戻るわけが無い。
新しい民主教育で自由を教えられれば、それを我儘の礼賛ととらえても誰も咎める者はいないわけで、それを知識階層がフォローするに至っては、もう従来の倫理は無いも同然である。
そういう環境下で育った子が、親となって育てた子や孫が今の若者であって、この時代になると日本がアメリカと戦争したことさえ知らない世代なわけで、政府は自分たちに金をばら撒く存在でしかないと思っている。
そう思われても仕方がない面は確かにある。
子供手当、高校無料化、生活保護、幼稚園や保育園の増設等々の施策を見れば、政府は自分達に金をばら撒いてくれる存在と思うのも無理からぬことだと思う。
民主党政権はこういう風に国民に金をばら撒く政策、いわゆるマニフェストで人気を博して一旦は政権を取ってはみたが、所詮、国家を統治という事はアイドルの人気投票とは訳が違うわけで、陽ならずして馬脚を現したということだ。
この世に生れ出てきた人間にとって、教育は無いよりは有った方が良い事は歴然としているが、教育というのもただで出来るものではないし、誰でも彼でも有れば良いというものではない。
世の中には勉強の嫌いな子もいるわけで、学校だけがすべてではないが、世の中で成功した人は基本的には勉強でも頑張った人で、勉強で頑張るという態度が何事にも通じている、ということだ。
「何かに頑張る」という部分が大事なのであるが、世の立派な方々はそういうアプローチをせず、学校の成績だけを見て一喜一憂しているのである。
江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代、平成時代という変遷の中で、常に新しい体制を作ってきたのは若い世代なわけで、大成した年寄りが嘆く世が、次世代の常態となる。
その意味からすると、日本の今後の在り様は、国家の消滅、民族の昇華しかありえず、日本列島から日本人はいなくなると考えねばならない。
そのことは必ずしも日本列島が無人島になるという意味ではなく、日本人もどき、あるいは日本民族の退化した人間が生き残ってはいると思われる。
2009年に民主党政権が出来た時、時の総理大臣・鳩山由紀夫は「宇宙人」と呼称されたが、ああいう人間ばかりになっているのではないかと思う。
小学生の親が給食費を払わないとか、理屈の通らないクレームを学校側に突き付けるなどと言う事は、もう社会そのものが破壊されているわけで、今さら修復の仕様もないと思う。
小学生の親の道徳教育、モラルの向上をどうしたら図られるか、答えがあるわけが無いではないか。
裕福ならば裕福の中で若い世代が堕落し、貧乏ならば貧乏のまま自堕落に陥り、まともに生きる気が最初からないわけで、気のない者にいくら説得を試みたって効果は期待できない。
それと合わせて世の中が至極合理的になったので、昔のような生活スタイルはどこを探しても見当たらず、人々は時代に合わせて生活をせざるを得ず、3度の食事を手作りするまでもなく、コンビニ弁当をチンして済ませられるのである。
今時の住宅事情で、3度3度の食事を家で作ると言う事は究極の贅沢であって、それこそ金があり余るほどなければし得ないことである。
そして情報化の時代でもあるわけで、この本の中にも登場しているが、10年程前には援助交際という言葉があったが、これも情報の発達がもたらした社会現象なわけで、情報が無ければ成り立たないことで、それが今ではケイタイやスマホに進化している。
人間が独りでは生きられないということは自然の摂理であって、お互いに助け合いながら生きるものであるが、その中でその助け合いに協力しない人、それを拒む人、それを拒否する人は、自然の摂理に任せるべきだと思う。
ところが今は福祉ということが声高に叫ばれているので、そういう人たちを自然の摂理のままに放置するわけにもいかず、仲間に引き込もうとして行政やボランテイアグループがあの手この手を弄しているが、どうしてそういうお節介に価値を見出しているのであろう。
一人のホームレス、昔の言葉で言えば乞食であるが、それを目にすると善意の人々は「あの気の毒なホームレスに温かい食事を」という発想に突き動かされて、「救済しなければ」ということを言いだす。
彼らは好きでホームレスをしているわけで、ホームレスの生活が嫌ならば、そこから脱出する手段や方法はいくらでもあるが、彼らはそういうシステムに従属することが嫌だから、自由気儘なホームレスという生き方を選択しているのである。
それが証拠に、乞食というのは何時の時代にも、どこの地域にも、いかなる国家にも居たわけで、人間の在り様の一つの形態なのである。
普通の人からは見下げられているが、その分、普通の人よりも自由を満喫して、自由気儘な生き方を選択しているわけで、何の束縛からも綺麗に解放されている。
ああいう人を救けなければという発想は、疑似文化人の奢り以外の何ものでもない。
自分自身が良い子ぶりたいだけの虚栄心でしかない。

『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 下』

2013-01-06 11:05:23 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 下』という本を読んだ。
先に読んだものの続きであるが、先回の終わりにメデイアのことを書いたら下巻ではいきなりメデイア論から始まったので大いに驚いた。
現代においてメデイアの存在というのはただ単に戦争に関する報道のみならず、政治全般にメデイアが大きく影響を及ぼしている。
先の戦争の時代には、メデイアと言っても新聞とラジオと若干の雑誌しかなかったが、今ではテレビがあり、週刊誌があり、インターネットあり、携帯電話あり、スマホありで、非常に媒体が豊富になってきているので、そういう物が政治に与える影響は計り知れないものがある。
先の戦争の時は、新聞にしろラジオにしろ、素人が安易に報道をするなどということは為し得る筈もなく、情報は一方通行であった。
ところが今日では情報発信は素人でもできるわけで、人々はメデイアに踊らされると同時に、それを批判する報道もあり余るほどある。だから、情報の一方通行ということはなくなってきた。
むしろ今日の問題は、メデイアの側が政治の動向を左右する力を持つようになってきて、野放図なメデイアの存在が危険な状態になりつつあるように見える。
しかし、この時代にはまだそこまでは達しておらず、新聞もラジオも未発達の状態であったが、国民の戦争に対する期待を煽る事には十分すぎるほど効果があった。
それはドイツのラジオやその他のメデイアの報道の仕方を研究した点も見逃せないが、メデイア自身が自己拡張の要因を内包していた、ということも有ったかと思う。
ラジオでも新聞でも、現場にいる人は飽くなき好奇心を持っているわけで、常に今よりも進化することを志しているので、報道自身が自己膨張してしまう。それに軍部が便乗したようにも見える。
そもそもメデイアというのは情報を伝えるツールであって、ツールそのものにはハードウエア―以上の価値は無いが、そのツールを使う人間の方に大いに問題があるのである。
あるツールを使って人々の意見を多くの人に知らしめる行為をジャーナリズムというが、これは世の中に起きている森羅万象を的確に把握し、それをチェックして国民が冷静な判断を下せるようにサポートするという潜在的な使命を持っている筈のものである。
江戸時代においては瓦版が当時のジャーナリズムの代表であったが、瓦版は当局、いわゆる幕府の施策の上げ足を取ってそれを面白おかしく言いふらすところに商売としての妙味があったのである。
そこには在野の人々のお上に対する批判精神が生きていたわけで、ジャーナリズムには多かれ少なかれ統治者に対する批判が無い事には庶民の賛同が得られず、その意味でジャーナリズムは常に反政府・反体制という立場を維持するのも致し方ない面もある。
批判するということは、「現政権が気に入らないか政権交代せよ」という程のものではなく、人の為すことには万人が賛同するはずもなく、その程度の不平不満の発露であったとしても、それを発信しようとうする側では、控えめな表現では人々の関心が得られないのでどうしてもオーバーな表現になるということはある。
江戸時代の瓦版にしても、今流の言い方をすれば民間のメデイアなわけで、儲けを加味しないことには事業そのものが成り立たないので、その為にはそれぞれに企業努力をして、売れる紙面、庶民が興味を持つ紙面、買ってもらえるように工夫を凝らすわけで、そこでジャーナリズムの宿屙を背負い込むことになる。
つまり、話を面白くするために誇大な表現をしがちで、その結果としてそのことが事実と大きく乖離した報道になってしまうのである。
ここでジャーナリズムの良心が問われることになり、ジャーナリズムの本質であるべき、「森羅万象を的確に把握し、それをチェックして国民が冷静な判断を下せるようにサポートする」と言う部分に抵触することになる。
目の前に起きている事実に対して、冷静で、倫理に叶った視点で見て、それを事実として報道して初めて真の報道となるが、事実を見た時点で個人の思い込みや、個人の先入観や、あるいはバイアスの掛かった視点でそれを見ては、事実を「的確に把握する」という最初の一歩から間違っていることになる。
それに、報道ということはたった一人ではできないわけで、江戸時代の瓦版でさえも大勢の人の共同作業で成り立っているわけで、現在のメデイアでも現場で取材する人から情報の受け手までの間には大勢の人が関わり合っている。
メデイアの発信に大勢の人が関わり合っているということは、チェック・ポイントが沢山あるということで、それでも偏向するということは、チェックがチェックの機能を果たしておらず、違和感が無いのでスルーするということである。
それに関わっている人の大部分が、自分のしていることに違和感を感じないということは、それが常態化しているということで、それはある意味で時流の真ん中に身を置いているということでもある。
だからメデイアが偏向するということは、その大勢の人たちの責任でもある。
先の大戦中に、日本の新聞やラジオが国の指針や軍のお先棒を担いだ、ということはある程度は致し方ない部分があると思う。
普通の庶民でも不合理とは思いつつ国の指針、あるいは召集令状にはシブシブながらも従わざるを得なかったわけで、その部分においてはどこの国でも似たり寄ったりではなかったと思う。
戦争を回避できなかった大きな理由は政治に帰結するが、我々日本人、日本民族というのは、21世紀の今日においても政治下手であることに代わりは無いわけで、これは一体どういう事なのであろう。
国のリーダー、内閣総理大臣が毎年毎年変わっていいものだろうか。
日本国内だけならば、リーダーが毎年変わっても左程大きなデメリットは無いかもしれないが、外国からの視点からすれば、日本人の誰が本当のリーダーで、誰が本当の権力者かわからないわけで、話の持って行きようがないということになる。
このリーダーが安易に交代するという部分が、非常な政治下手を象徴しているわけで、近衛文麿が安易に政権を放り出して、その後に東条英機になったが、この時点ですでにアメリカとの開戦は避けられない状況になっていた。
ここに至るまでのことを検証しなければならないが、本質的には明治憲法に瑕疵があったのではないかと私は推察する。
というのは日本の陸軍・海軍にそれぞれに大臣を置きながら、その大臣が閣僚として内閣の内側にはいっておらず、枠外に居て行政の一翼を担っていないわけで、ただただ予算を得る為にだけに行政サイドに身を置き、予算さえ取ってしまえばあとは「統帥権の独立」で好き放題のことが出来るシステムになっていた。
日米開戦の時の総理大臣がたまたま東条英機であったので、彼は極悪人のようにみられているが、彼が総理大臣になった時点で、既に日米開戦の歯車は廻っていたわけで、彼とてもそれを途中で止めることはできなかった。
それまでの過程で、天皇陛下に嘘を言う軍人・高級将校がいた事が大きな問題であるが、これもある意味で「統帥権の独立」であるが故の齟齬であって、その遠因は明治憲法の瑕疵にまでつながっていると思う。
日本陸軍のトップが天皇陛下に嘘の報国をするに至っては、日本陸軍が消滅に至るのもむべなるかなである。
こんな矛盾は、当時においても政治を志すというか、世情にいささかでも関心をもっておれば、普通の人でも分かるわけで、それが全く是正されずにいたという点に、我々の政治音痴の部分が如実に表れている。
21世紀の政治の状況を見ても、未だに内閣総理大臣は毎年変わっているわけで、70年前と比べてもいささかも進化していない。
この政治、統治の在り様は一体どう説明したらいいのであろう。
中国、朝鮮、日本というアジアの人々、いわゆるネイティブ・アイジアンの古代からの価値観の中には、統治という場面で、文官と武官の区分けは歴然として存在しており、その中では文官が上で武官が下に位置するという価値観になっていた。
これを今の言葉で言い表せばシビリアン・コントロールということになると思うが、人間の自然の在り様としても、人殺しに血道を上げている武人よりも、詩歌管絃をいつくしむ文人の方に価値を置く方がより平和的である。
しかし、平和は未来永劫続くわけではないので、その時には武人によって自己の利益を擁護し、他者の侵入を防ぎ、既存の社会体制を維持すべく武人の活躍が望まれる。
武人の存在というのは、いつの世においても安全保障のツールなわけで、そのツールが自ら統治をするということは、政治の上では邪道であるが、文人の側に武人を使い切る器量が備わっていないときには、往々にしてそういうケースが出来(しゅったい)するのである。
明治憲法も、そういう人類の英知から推し測って、軍人が行政の側に入り込むことを回避して、行政の側、つまり内閣総理大臣には武人を使う権利を与えず、それに関しては天陛陛下の専権事項として統帥権を行政のシステムの中に入れずに置いたのではなかろうか。
軍隊は天皇陛下の番犬として、日本国政府とは別仕立てにしたということではなかろうか。
逆に言うと、明治憲法のできた時点では、内閣総理大臣がそれほど信用されていなくて、総理大臣が軍隊を勝手に使うことが危惧されたので、天皇直轄にしたのではなかろうか。
大日本帝国憲法11条では「天皇は陸海軍を統帥す」となっていたが、この部分で天皇を内閣総理大臣に置き換えてあれば、押しも押されもせぬシビリアン・コントロールが生きていたということになる。
この時の日本の国情というのは、国民の大部分が農民で、その農民の2男3男が口減らしのために兵隊になってみたところ、日清・日露の戦役で大活躍をしたので、一気に日本中に軍隊に対する期待が沸騰したということだと思う。
そこでこの軍隊の中で純粋培養された軍人が、自分自身、井戸の中の蛙程度の思考回路でしかないものが政治の場に嘴を差し挟むようになったにもかかわらず、それを制止する文人、いわゆる政治家がいなかたったので軍人の跋扈を許すことになってしまったと言える。
普通の世間にもよくあることであるが、ある組織の立ち上がりの時というのは、あらゆるものが未整備で整っておらずかなり融通の利くのが普通である。
最初から規則でがんじがらめにして、コンプライアンスを律儀に順守していては大きな飛躍ができないので、ある意味で自由裁量を認め、リスクを覚悟して冒険に挑戦しないことには、大きな成果が有り得ないことは言うまでもない。
日露戦争の勝利から約30年近く経ってみると、その自由裁量で伸びきった人々が組織の中枢以上のポストにつくことになり、彼らは健軍の理念や、自分の存在意義や、国益とか周囲の国々の関係性とかに注意を払うことを怠り、謙虚さを失い,身の丈を忘れて慢心してしまった。
軍人や軍部の慢心した思い上がりもさることながら、それを放置した政治家、いわゆる文人の側にも一抹の責任はあると思う。
文人と武人という区分けをした場合、武人が猪突猛進で、単細胞的傾向が強いことは世界的規模で普遍的な常識なわけで、そうであるとするならばそれに対応する扱い方もある。
陸軍士官学校や海軍兵学校は優秀な学校という定評であったが、それが真に優秀な学校であったとするならば、そこを出た人、そこの卒業生がリードした戦争になぜ負けたかということが言える。
彼らが優秀でなかったから戦争に負けたのではないか。
にも拘わらず、今でも我々は陸軍士官学校や海軍兵学校を立派な学校だと思い込んでいるが、この思い込みこそが大間違いなわけで、そういう学校はただたんなる職業訓練校に過ぎなかったというわけだ。
警察官が警察学校に行くように、税務署員が税務大学校に行くように、自衛隊員が防衛大学に行くように、ただの職業訓練校に過ぎなかったが、あの時代には日本全国がああいう学校は立派な学校だと勘違いしていた。
勘違いと言うよりも、明らかに羨望の眼差しで見ていたので、それが立派で良い学校だという思い込みに落ち込んでしまったわけだ。
あの時代、日本人の大部分はまだ貧しくて、子弟を上の学校に進学させることは経済的に無理があったので、学費のいらないこういう学校は願ってもない存在であった。
現実の問題として、貧乏人の子だくさんというわけで、たくさんの子供の中で優秀な者はこういう学校に進学したのだが、学校では人としての倫理やモラルを教えることはない。
その専門性から見て、人殺しのテクニックは教えても、人として如何にあるべきかという、人生の機微に関するカリキュラムがあったかどうかは極めて疑わしいが、普通の学校に進学できない者にとっては有難い存在であったに違いない。
職業訓練校として、井戸の中の蛙同士の結束は固くなったが、それと一般社会の整合性は何ら考慮されることはなく、軍隊という深い井戸の中のコミニュテイーと、普通一般の社会、特に海外等の関係においては大きな認識の相違が横たわっていたが、単細胞の軍人はそれに気を配ることもせず、唯我独尊的に振る舞ったということだ。
江戸時代の封建制から脱皮して、近代化した民主制の社会を目指す過程で、貧乏人の中の優秀な子どもに、教育を授けて社会のリーダーにするという発想は真に結構なことであるが、俗に「三つ子の魂百まで」という言葉にもあるように、貧の心のままで成人に達し、個人の栄誉を追い求め、公への貢献を亡失した人が大勢いたということだ。
結果から見て旧軍隊が昭和20年の8月で消滅したということは、彼らは国家としての生き様を誤らせた。
それは彼らの受けた教育の成果でもあったわけで、優秀であるとされたこういう学校の教育が全否定されたということに他ならない。
そこに進学した優秀とされた若人の先輩たちに、その組織そのものを生き続けさせるだけの才覚が無かったということである。
陸軍でも海軍でも、深い深い井戸の中で蛙同士の結束は緊密になり、お互いに庇い合い、助け合い、責任を分散し合っていたが、その事と一般社会との整合性に関しては、毫も考えていなかったということだ。
言い方を変えてみると、軍が日本国を乗っ取ってしまったようなもので、軍が閣僚としての大臣を選出しないことで、閣議がストップするということは、大臣というポストを人質にして、政府が乗っ取られたようなものである。
俗に『赤子と地頭には勝てぬ』という言葉があるが、論理的な話の通じない相手には、何を言ってもダメなわけで、この時代の常識人は普通に論理的な話が出来ないので、沈黙せざるを得なかったのかもしれない。
普通のコモンセンスを持った常識人が沈黙しているので、売らんかな主義の新聞人が嘘の戦果報告や、白髪3千丈式の誇大報道に歓喜しているということなのであろう。
この時期のことを司馬遼太郎氏は『危殆の時代』と称していたが、まさしく危殆そのもので、嘘で塗り固められた砂上の楼閣であって、それを誰一人是正できなかったので、奈落の底まで転がり落ちたということなのであろう。
そもそも当時の軍の高官連中は、アメリカと戦火を交えて勝てないということは皆が知っていたわけで、にも関わらずそれを阻止できなかったということは、一体全体どういう事なのであろう。
それと合わせて、終戦の時に尚も徹底抗戦を唱えた戦争のプロフェッショナルがいたが、これも実に不可解な事実であって、何とも言いようのない愚昧でしかない。
彼らをこういう想いに仕向けた力は一体何であったのだろう。
軍国主義によって洗脳されていたと言ってみた所で、小学生ぐらいになれば東京の焼野原を一目見るだけでもうこれ以上の継戦能力は残っていないということぐらい一目瞭然と理解し得る。
結論的に言えば、こういう愚昧で愚劣な思考が、日本を戦争に追い立て、日本人だけでも300万人もの犠牲を強いたわけで、その事を我々は肝に銘じて忘れてはならないと思う。
とは言いつつも21世紀の今日でも、我々の総理大臣は毎年変わっている
我々は政治的に3流国であるが故に、平和ボケのままでノホホンとしていられるのかも知れない。

『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 上』

2013-01-05 17:36:47 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 上』という本を読んだ。
NHKが太平洋演戦争に入って70周年を迎えるにあたって、その原因究明をすべく総力を結集して取り組んだ番組の記述である。
このテーマに関しては、私も私なりに考えていたことでもあるので非常に興味を持って読んだが、いくら後世のものが英知を集めて考察しても、答えはありえないような気がしてならない。
NHKにしても、大学の近現代史を研究している機関にしても、歴史を学問として捉えている限り、答えはありえないように思う。
人間の生き様、人間の在り様というのは、学問では計り切れないのではないかと思う。
ゲルマン民族の大移動とか、モンゴル人のヨーロッパ席巻という動きを、学問ではその原因究明はしきれていないと思う。
歴史というのは事実の後追いでしかなく、事実の列記ではあっても、その事実がなぜ起きたかという、その原因の究明には至っていないと思う。
この本は日本が太平洋戦争に嵌り込む前の段階の日中戦争の段階を解きほぐそうとしているが、大雑把に言って、やはり昭和の初期の時代の一連の動きは、起きるべくして起きたと思える。
その前にやはりこれは我々日本人の組織論に行き着くと思う。
明治維新の前の江戸時代においては、人々は士農工商という身分制度の元で分に応じた生き方を強いられていたが、明治維新によってそれが全否定されたことによって、我々の価値観が逆転してしまったことに根源的な原因があるように思う。
江戸時代においては人々を統治する階層、いわゆる武士階級は全人口の7%ぐらいだったと言われているが、明治維新を経て近代国家になってみると、今まではそれぞれの地方で藩に仕えていた人たちがいきなり国全体の吏員となったので、統治される側の心理としては、立派に出世した成果という風に映ったに違いない。
統治される側の人々は全体の90%以上もいたが、その身分制度が否定されれば、その中から頭の良い連中は、統治する側に身を置きたいと熱望するのは自然の流れだと思う。
それと合わせて、近代においては独立国といえども絶海の孤島にただ一人で屹立しているわけではなく、周囲との関係性の中で存立しているわけで、周囲との関係を蔑にすることは致命的な過誤を招くことになる。
それは大河の流れの中の浮草と同じで、大きな時流に翻弄されながら、あっちの岸辺に寄ったり、こっちの岸辺に寄ったり、と浮動しているのである。
その中で昭和の初期のころの我々同胞の在り様を眺めてみると、周囲の状況には非常に敏感に反応していることが伺えるが、逆に言うと周囲の状況に悪のりした部分があって、その悪のりした部分に周囲からの批判が集まったという面もある。
こういう状況になってみれば、あっちに寄ったりこっちに寄ったりという状況が変えられないものであるとするならば、相手をとことん探究して、盲点を探り、自己が不利益をこうむらないように計らねばならないが、それは究極のグローバリズムの実践ということになる。
ところが我々の側にはそういう自覚は無かったように見受けられる。
というのも、我々と他の西洋先進国とでは物事に対するモノの見方が発想の段階から違っているわけで、我々のモノの見方は、その基底の部分に儒教思想が脈々と流れていたのだが、先進国との接触の頻度が増してくると、この儒教思想を持った担当者は時代遅れというレッテルを貼られて疎まれるようになり、変わって下賤な出自のものがそういう場で大きな顔をするようになっててきた。
もっと掘り下げて言うと、日本社会全体に下剋上の風潮が吹き荒れて、統治の心得のないものがそのポジションを占めたのが最大の理由といえる。
明治維新というのは押しも押されもせぬ革命・リボルーションであったわけで、ここで価値観が完全にひっくり返った。
だが、この時の革命というのが共産主義革命ではなかったので、我々は革命とは気が付かずに「維新」と称していたのである。
この革命に生き残った人々は、前の時代を知っているので、その人々にはまだまだ儒教思想の残滓を引きづっていたが、それが大正時代ともなると完全に世代交代していて、統治することに対するノブレ・オブリージが喪失してしまっていたのである。
日露戦争の時の英雄・乃木希典は、旅順港の203高地を攻めあぐねて大勢の兵士を死なしたことに悔悟の念を表明していた。
日本海海海戦の東郷平八郎は、戦いが終わって連合艦隊を解散する時、「勝って兜の緒を締めよ」と訓示した。
こういう言葉が出るということは、前の時代の精神的影響が残っていたれっきとした証であって、だからこそノブレス・オブリージの表明としてこういう言葉となったわけで、その部分が昭和の軍人と大いに異なる点である。
先に、我々と西洋列強の国々ではモノの考え方が発想の段階から違うと述べたがその一例が、武士階級の存在である。
武士階級というのは戦う集団であると同時に政治集団でもあったわけで、その二つを同時に合わせ持って人々を統治してきたので、政治と軍事を分けて考えることに慣れていなかった。
だが、近代国家では軍人と政治家はきちんと分離された集団であるべきが、我々の場合、昭和の初期になってそれが再び合体してしまったので、それらが絡み合って共に奈落の底に転がり落ちたに違いない。
その上、天皇を自分たちの上に押し頂いて、その下に陸軍と海軍を設け、それらが日清・日露と大活躍をしたので、こういう軍部に対する信頼が一気に醸成されて、国民は軍隊に対して過剰な期待をするようになった。
しかし、我々の同胞としての国民という人間の集団は、極めて自分勝手な存在であって、「こっちの水は甘いぞ、あっちの水は苦いぞ」と言われるとふらふらとよろめいてしまって、確とした定見を持たないのである。
これはどこの国の国民もそうであって、我々のみの特異な傾向ではないが、政治家はそれを組み込んで物事を考えねばならない。
江戸時代は人々は、それぞれに分に応じた生活をしておればよかったが、近代化に目覚めると世界は大いにグローバル化していて、余所の芝生が限りなく綺麗に見えて、自分もそう成りたいと望むようになってきた。
ここで個人の出自が大きくモノをいうわけで、もともと心の豊かな人間は、他者の立ち居振る舞いを見てコンプレックスに陥ることはないが、心の貧しい者は、他者の持っているものが欲しくて欲しくて、是が非でも自分のものにしたい欲望に駆られる。
それをそのまま実践に移したのが、明治以降の我々の国の在り様であったわけで、西洋列強の在り様を見て、彼らに追いつき追い越せという願望が潜在意識として我々の心の奥底に沈殿してしまった、とみなしていいと思う。
ここで従来の武士階級のようにノブレス・オブリージがきちんと機能しておれば、相手を武力によって押さえ込むという西洋列強の手法とは違う方法も有り得たが、相手も相手で、日本の言う事を頭から蔑視していたので、力でしか解決の方法がなかったということになる。
こういう成り行きは人間の織り成す自然の営為行為であって、それ自体は自然の摂理に則った人間の普遍的な営みであるが、問題は近代国家としてそれに失敗して、国民に多大な迷惑をかけた責任追及と同時に、再び同じ轍を踏まないための原因の追求である。
大昔ならば、自然の摂理の一環として事実の列記だけで済むかもしれないが、今日ならば歴史の教訓として、過去の失敗から大いに学ぶべく事例の研究ということは避けて通れない道である。
昭和の初期の時代に軍人や軍部が独断専行した背景には私は政治家の堕落があったと思う。
その前に、ワシントン軍縮で日本は軍縮を迫られ、シベリア出兵の撤退など軍縮ムードになった時、メデイアや国民の軍に対する対応が、日清・日露の戦いの時の対応と掌を返したような扱いであったので、その意味からしても軍が国民に対して不信感を募らせたことは否めない。
我々の民族の民族性かもしれないが、時のムードがある方向を指し示すと、洪水のように皆が一斉にそちらの方向を目指して雪崩れ込むという風潮は時がいくら経過しても直るものではなさそうだ。
戦後の反戦平和の運動もそうであって、昨年の震災後の原子力発電反対の運動もそうであるが、ある一つの理念が良さそうだと思うと、見境もなくそこに突っ込んでいく愚は何とかしなければならない。
ところが、そういう風潮に警告を発すべきは、本来ならば知性と理性に裏打ちされた知識人の知見であって、それを伝えるべきメデイアにことの善し悪し、倫理に叶っているかどうかを検証する能力があればいいが、そのメデイアが大衆に迎合する方向に世論をリードするのである。
こういう機会に政治家が軍を押さえ込む方策を考えればよかったが、政治家が政党政治に不慣れで、お互いの足の引っ張り合いに終始していたので、その間隙を軍部に突かれたという形になってしまった。
まあ「統帥権の独立」という憲法上の制約がある限り、政治家にはそれを乗り越える知恵はありそうもないが、しかし人間としての資質という点からすれば、軍人を欺く知恵を持った政治家も居そうな気がしてならない。
だが、政治家が軍人を監視する前に、政治家同士で足の引っ張り合いを演じている限り、軍部を抑えることなど到底望むべくもない。
日中戦争をリードしたのは陸軍のエリート集団として名高い人たちばかりであったが、そういうエリートが取り組んでどうして収集できなかったかと問えば、エリートと言われていた連中が蓋を開けてみたらエリートではなかったということだ。
こういう人達の経歴を調べてみれば、14、5歳で幼年学校から陸軍士官学校を経て、その後陸軍大学を出て将官になっているが、これは明らかに軍隊における純粋培養の過程であって、いかなる生き物も、いかなる組織も、純粋培養されたものが良い訳が無いではないか。
純血ほど生命力が弱いのは自然界の鉄則ではないか。
14、5歳で幼年学校に入る時点では優秀であったとしても、それから成人になる過程で、精神の試練を乗り越えて、精神的な脱皮を経て大人に成るのが普通だが、それを純粋培養の器の中だけに蛹になったものが並みの思考を持った普通の大人になるわけ無いではないか。
余所の国の士官は、普通の大学で一般教養を積んだのち、士官学校に来るのだが、我々の場合はそういうコースもあるにはあったが、純粋培養のコースの方が組織内で羽振りを効かせていたわけで、それが帝国陸軍と帝国海軍の縦割りのシステムとして、その両者が消滅するまで自分たちの欠陥に気が付かないまま消え去ったというわけだ。
そして組織内の官僚主義というのも、組織が解体されるまでその欠陥に気が付いていなかったのはどうした訳であろう。
官僚主義というのは一体どういう心境から生まれでるものなのであろう。
我々が日常的に認知している官僚の特質というのは、「休まず、働かず、遅刻せず」という風に聞き及んでいるが、これは戦後の共産主義の跋扈による無責任体制の比喩であって、事業体が決して倒産することが無い事を見越した一種のサボタージュであった。
ところが、軍国主義下の官僚化というのはそれともいささか意味合いが違っていると思う。
しかし、一度成ってしまえば、如何なる勤務態度でも決して馘首されることはない、という部分では全く同じなわけで、それがミニマムの共通認識であるというのが公務員の生き様として語り継がれている。
軍人の官僚主義という場合、これとはいささかニュアンンスが違うような気がして、陸軍の場合、皇道派と統制派、海軍の場合、艦隊派と条約派というグループ分けは一体どういう事なのであろう。
そもそも海軍でも陸軍でも組織のトップは、いずれも組織内で純粋培養された自分たちの仲間であり、同じ学校を出た同窓生であり、先輩、同輩、後輩で繋がっているわけで、誰かが大きな失敗しても、お互いにその尻拭いをしあって、責任の所在を曖昧にしてしまうということがある。
人の為すことには失敗はついて回るわけで、その失敗を教訓としてそこから新しいアイデアをひねり出し、半歩ずつ一歩ずつ前進するわけで、その為には失敗したリーダーは更迭しなければ失敗から教訓を得ることにはならない。
我々の場合、大きな失敗をした人を更迭すると、そこで失敗をしたリーダーの全人格を否定する思考が働くから、組織としては失敗を隠すという動きになる。
この辺りの微妙なさじ加減はそれこそ人事の妙であって、失敗したリーダーを更迭して、その後をどうするのかという問題は、官僚制の問題と、組織論の問題が複雑に錯綜しているわけで、この部分になると明らかに政治の問題とも関連してくる。
日中戦争の泥沼に足を取られる過程において、日本の陸軍の独断専行は確かに陸軍の責任であるが、あの時代状況の中でも、自分たちのしていることの善し悪しがきちんと判っている人もいたに違いなかろうと思うだが、そういう人は一体何をしていたのであろう。
普通の社会にも優秀と言われた人は大勢いたはずで、そういう人達が自分たちのしている事の善し悪しが判っていない人は一人も居ないと思うが、なのに泥沼に足を踏み入れることを阻止できなかったということはどういう事なのであろう。
やはりこの部分には論理的に解明のできない得体のしれない空気が漂っていたということなのであろうか。
よく言われる戦争の反省として、日中戦争には大義が無かったという言葉があるが、確かにそうだと言える。
私の解釈では、あの時代の日本人には貧乏からの脱出願望があって、アジア大陸、満州の荒野をフロンティアと同一視し、そこを目指して渡り、一旗揚げて故郷に錦を飾るというのが、人々の希望の星だったと考えられる。
これが当時の人々の潜在的な深層心理の中の願望であったと思うが、それを実現するためには具体的な政治活動としてのプロモートが必要であったわけで、単純な言葉で言い表せば、開発独裁が必要であったということになる。
満州国の建国はその線に沿った動きであったが、それは他の国々の視点に立てば、日本だけがアジアの富み、満州の富みを独占するように見えたわけで、最終的にはABCD包囲網ということになったわけだ。
昭和の初期の時代においても日本の政治の状況というのは議会制民主主義はきちんと機能していたと思われる。
治安維持法があって、あたかも暗黒時代であるかのように喧伝されているが、共産主義者にとっては暗黒であったかもしれないが、普通の市民からすれば、軍国主義者が肩で風切っていたことはあっても、まずまず普通の市民生活がなされていた。
問題は、こういう状況下においてメデイアは何をどう報道したかということである。
民主化が進めば進むほどメデイアの市民生活に対する欲求は高まるわけで、メデイアが世論を左右することは充分ありうることで、それは当然と言えば当然のことである。
市民が統治者の意向を知る手段はメデイアしかないわけで、その意味でメデイアを制するものは国を制すと言っても過言ではない。
それで昭和初期の時代のメデイアはどうであったか問い直してみると、これが軍国主義の吹聴一点張りで、反戦平和というフレーズは一言もない。
普通に民主化された普通の社会の人々は、メデイアの報道で自分の考えを固定化させると思うが、その時にこのメデイアの報ずる内容が偏向しているとすれば、人々の考えもその偏向の線に沿ったものに自然となると思われる。
戦前の我々が軍国主義に陥ったのもメデイアの報道により、戦後、そのベクトルが逆向きになったのも、メデイアの報道によるわけで、国を治めるということはメデイアを如何に制するかということになる。
ところが日本では国営放送というのは無いわけで、一番国営放送に近い存在がNHKであるが、そのNHKが不偏不党を旗印にしている限り毒にも薬にもならない存在である。
NHKが市民からの視聴料で成り立っている以上、不偏不党にならざるを得ず、だからこそ国家政策のPRさえもできないのも無理からぬことではある。
だが戦前は政府のちょうちん持ちのニュースを流し続け、結果的に国民にウソの情報を流して騙したことになったので、その反省からも不偏不党を貫き通そうと努力している。
しかし、これからの世の中は、時流・トレンドというものはメデイアによって導かられることには間違いないわけで、その意味からしてもメデイアは完全に自由化して如何なる主義主張もオープンにすべきである。
こういう主張をすると必ず公序良俗に反する過激な意見が出てきて秩序を乱すことになるので、ここで再び規制の網を掛けざるを得なくなる。
この部分が非常に民主化の未熟な部分であって、知性の劣化が如実に露呈しているということだ。

『花森安治の青春』

2012-12-30 11:51:02 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、『花森安治の青春』という本を読んだ。
著者は馬場マコトという人だが私の知っているい人ではない。
花森安治といえば、「暮らしの手帖」の編集をしていた人だということは常識としては知っていた。
この本はその花森安治の自伝であるが、実によく書けている。
花森安治という人は「暮らしの手帖」を出版し続けるにあたって、広告を一切取らずに、本の売り上げだけでその本を出版し続けたということは立派なことだと思う。
ある意味では当然といえば当然であるが、この世の中はその当然のことが当然として通らないので、様々な事件に振り回されることに行き着く。
この「暮らしの手帖」は最初からかどうかは定かに知らないが、様々な商品テストをして、その結果を消費者に知らしめることをしていたので、企業から広告をとればその審査が公平性に欠けるという面があったからだとは思うが、それはそれで立派なことには間違いない。
様々な商品の商品テストをする目的は、この世の半分が女性であるからには、女性の役に立つというか、女性の視線に立って物を見る、という想いがそういう行動につながっているかのように描かれている。
しかし、結果的にはそれがメーカーのモノ作りの改善にも、フィードバックし寄与しているようで、それぞれのメーカーはこの「暮らしの手帖」の評価に答えるべく努力したに違いない。
そのことによって日本のモノ作りの評価が世界的に認知されたということにもなったと思われる。
だが、著者の関心はもう一歩踏み込んだ視点で、この花森安治という人物に食い込んでいる。
それは戦後の反体制、反政府に対する信念の強さがどこからきているのか掘り下げるべく彼の生い立ちにまで遡って言及している。
戦後の花森安治は反戦平和で一本筋を通しているが、それは彼の軍隊生活に起因していることは察してあまりあるものだが、「反戦平和を願う」ということは軍隊経験があろうがなかろうが普遍的なことではないかと思う。
我々は先の大戦で、東京をはじめとする都市の空襲や、広島・長崎の原爆投下、あるいは沖縄の悲惨な戦いを経験したが、そういう経験があろうがなかろうが、反戦平和というのは根源的な人間の希求ではなかろうか。
花森安治が軍隊生活の中で過酷な試練に直面したので反戦平和主義になったというのは、ただたんなる思い込に過ぎず、反戦平和は彼一人の占有物ではなく、万人共通の潜在的でなおかつ根源的希求でなければならない。
彼は戦後の具体的な反戦平和の活動には自ら進んで身を投ずることはなかったが、「平和と戦争とどちらが良いか」と問えば、「戦争が良い」という人間はいないわけで「平和が良い」と言うに決まっている。
この判り切ったことをさも重大事であるかのごとく言いふらすといことのは、極めて無責任な行為であって、彼ほどの学識経験に富んだもののすることではないと思う。
戦後の我々の反戦平和運動というのは、常に日本という井戸の中だけの運動であって、戦争というのは相手のある状況であるにも関わらず、自分達だけが一方的に「戦争反対」と言っても意味を成していない。
現にそれは戦後に限って言えば憲法ですでに規定されているわけで、それにもかかわらず日本という井戸の中で、「戦争反対」を叫び続けるということは、天に向かって唾を吐いているのと同じである。
そういうレベルの人々は、自分は戦争反対を叫ぶことで、自分の同胞に対して良い事をしていると思い違いをしているのだ。
その戦争反対というシュプレヒコールは、武力という力の行使をきちんと定義もせず、規定もせず、言葉に無条件反射しているだけで、パブロフの犬と同じ思考回路でしかなく、その裏には自分たちの選出した政治家に対する鬱積した気持の表れではないかと私は考える。 
政治家が自分たちの思い描いている政治とかけ離れたことをしているので、それに対する反発が反政府、反体制、反戦という行動をとらせているのではないかと思う。
しかし、民主政治というのは直接民主政治というのはありえないわけで、大勢の中から自分たちの代表を選挙で選出して、その代議員により間接民主制でしか政治は回らないので、それは当然すべての人を納得させるものではない。
自分はこの人が適任だと思うのに、実際に選ばれたのは、自分の考えとは相いれないものが代議員に選出された、ということが常にあるわけで、そうなるとそんな政権に素直に従うのは御免だ、という気持ちになるのも至極当然なことである。
その気持ちを態度で表すとなると、どうしても反戦平和、反政府、反体制、反原発というフレーズになってしまうのである。
「政治が自分の思いとは掛け離れた方向に進んでしまうのではないか」という想いを抱く人は極めて政治に対して真剣に考えている人であって、有象無象の無知蒙昧な人間は、常日頃そういうことを考えているわけではない。
政治に対して真剣に考えているからこそ、現政権の政治家のすることなすことが、心配で心配で居ても立ってもおれない、という危惧は察してあまりあるが、だからと言って直接行動でそれを是正しようという発想は、社会の秩序を乱すことも論を待たない。
そういう想いを抱く人は、並みの人よりは政治的に敏感な感覚であり、純な気持ちを持っており、頭脳明晰で学業成績もきっと良いに違いなかろうが、世の中はそういう綺麗ごとで割り切れるものではなく、権謀術数が渦巻く伏魔殿のようななものだから、若者らしい純な心で眺めていては過誤を招くことになる。
問題は、政治的に早熟で、頭脳明晰、学術優秀な若者ならば、政治の実態を自分の目で確かめ、政治の理念と実態のずれを暴き出して、それを国民に開示して、少しでもより良き方向に引導すべきだと思う。
戦後の反戦平和運動の在り様を見ていると、当時の日本政府があたかも軍国主義に逆戻りするかのようなアピールをしていたが、こんなバカな話もないと思う。
日米安保条約を結ぶと日本が再び戦争に巻き込まれるという論調であったが、ならば日本国憲法の第9条をどう理解しているのかと言いたい。
この論理的矛盾を政治的に早熟で学識経験豊富な人たちが理解していないはずがない。
そんなことは充分理性では判っているが、ただ自分の思い描いた人が自分の思い描いた通りの政治をしていないので、そこに欲求不満が鬱積したということだと思う。
この本の中には花森安治の本人には直接関わりのない事例が記されていたので、これは非常に興味ある部分であった。
それは1933年昭和8年の滝川事件で、その元凶が鳩山由紀夫の祖父にあたる鳩山一郎にあったというのだから実に興味ある歴史的事実といえる。
この鳩山家というのは日本の政治にとってはまさしくガンのような存在で、日本の国益を如何に損なったか計り知れないものがある。
これほど日本の国益を損ねた家系も珍しいのではなかろうか。
この滝川事件というのは、鳩山一郎が文部大臣の時に起きたわけで、彼に人を見る目があれば有り得ない事件であった。
彼が取り巻きの諫言に安易に乗ったが故の大騒動であったわけで、彼にモノの本質を見抜く眼力が備わっておれば、国を誤った道に嵌り込むような愚を起こさなかったと思う。
1930年昭和5年の統帥権干犯問題も、1933年昭和8年の滝川事件も、鳩山一郎という愚鈍な政治家がその時その場に居なかったら、日本はまた違う軌跡を歩んでいたに違いない。
政治家として、政党政治家として、こういう立ち居振る舞いをしておれば、政治的に早熟で純で学術優秀な若者が世を憂う気持ちになるのは当然のことで、その中で最も過激なものがテロに走るということは充分にありうる。
その状況は戦前戦後を通じて変わっていないわけで、政治的に早熟であるが故にその本質に無知な若者が、ことを急いで過激な行動に出ることが絶えないのである。
鳩山一郎と鳩山由紀夫の愚は、自分を過信して、ことの本質を見抜く先見の明に疎く、自分の周りの状況がさっぱり理解出来ていなかったという点に尽きる。
周りから煽てられると嬉しくなってしまって、「豚も木に登る」という状況を呈しているわけで、豚が木に登ったところですぐに落ちることは判り切ったことであるが、本人はそれに気が付かずにいたということだ。
この滝川事件でも、その後1935年昭和10年に起きた美濃部達吉博士の『天皇機関説』の問題でも、明らかに日本の知識階層の個人的なイジメに他ならない。
イジメの口実として、その対象者が「共産主義者ではないか」という嫌疑でもって、自分たちの仲間から排除しようという浄化作用があったわけで、この部分の解明というか、是正は極めて難しいと思う。
というのは、「滝川教授の講演がマルキストに偏っている」という思い込みをイジメた側は「日本にとっては良い事だ」と勘違いしているわけで、「それはただたんなる思い違いで、そんなことはありませんよ」ということをその人たちに分からせることは多分無理なことだと思う。
ここで組織のトップがきちんとしたプリンシプルでもって明確に公明正大な判断を下して、それを実行せしめれば価値観が悪い方のスパイラルに嵌り込むことはなかったが、この部分でトップにきちんとした信念がなかったものだから、声の大きい方にすり寄ったわけだ。
この二つの事件を子細に分析すれば、明らかに今学校現場で起きているイジメの構造と瓜二つなわけで、根も葉もないイジメの本質を探り出せない学校当局が右往左往している図でしかない。
日本を万世一統の誇り高き国家にすべく、日本から天皇制を批判する共産主義者を追い出そうとする思考は、当時の人々の共感を持たらしたことは充分考えられるが、それをより一生懸命に推進しようと頑張る人の存在がはなはだ困るわけで、滝川教授や美濃部教授を排斥しようとした人は、個人的な恨みでイジメたわけではなく、より良い日本にするために共産主義と思しき人たちを排除しようとしたに違いない。
ここで問われるべきは、国民は自分の祖国にどこまで殉ずるか、ということだと思う。
花森安治が東大を出ながら二等兵で招集されたということも、彼の国家に対する殉じ方の一例であったわけで、彼よりも要領のいい人間ならば、合法的に二等兵よりは楽な階級になり得たのに、彼はその部分で胡乱であったということだ。
その経験がトラウマとなって戦後は一貫して反戦平和に殉じたということは、それはそれで結構な事であるが、それとは別の次元で、主権国家の国民は国家存亡の危機になったらどういう態度を取ればいいのだろう。
我々の場合、憲法で戦争放棄を謳っているので、理論的には何一つ抵抗することなく、されるままでいるというのが素直な憲法解釈である。
反戦平和を唱える人、憲法改正に反対する人は、我々の祖国は外国から何をされても、されるままで何一つ抵抗してはならない、という立場を堅持しようとているが、果たしてそれでいいのであろうか。
戦後の花森安治は「それで良い」とはっきりと言い切っている節があるが、本当にそうであろうか。
こういう平和主義者の人たちは、「こちらから戦争を仕掛けなければ相手は決してそれを吹っ掛けてくることはない」と信じ切っているが、果たしてそんな甘い思考でいていいものだろうか。
今、この平和な日本に一人の人間が存在するということは、地球規模での生存競争の中に巻き込まれて適者生存の自然の法則に中で たまたま生かされているにすぎないのである。
だが、今の日本人の発想からすると、「自己の意思で生を得ているのだから、それに対峙するものは排除して、自分は正々堂々と胸を張って生きるのだ」という考え方である。
自分は他者によって生かされているという謙虚な発想には至っていないわけで、自分の欲望に立ち向かうものは全て悪しき者として排除する思考が働く。
だから祖国に殉じるという思考には至らないわけで、祖国は自分にとって欲するものを全部与えてくれる存在で、それを叶えてくれないものならば意味をなさない、という考え方だと思う。
だけれども、普通に常識のあるものならば、打ち出の小槌のように、願えば何でも叶えてくれる社会など有るわけない事は自明のことである。
ふんだんに社会保障を出し、ふんだんに生活保護を出し、ふんだんに学費を免除すれば、社会の活性化が削がれることは自明のことではないか。
北朝鮮のロケットが日本の上空を飛んいるのに、指を咥えて眺めていればいい、というのであれば日米安保もいらないし、沖縄の普天間基地もいらないが、自分の国ぐらいは自分で守りたいという普通の常識があれば、どこかで我慢して、どこかで耐えねばならないことも有り得るはずだ。
その時に、反政府、反体制の態度をあからさまに表明すれば、自分たちの仲間、いわゆる向こう3軒両隣の地域住民としての同胞が腹を立てることは必定だと思う。
この時に真面目に自分の祖国を思う者こそ、率先して自分たちと歩調を合わせようとしない同胞を密告し、糾弾しようとするわけで、結果としてそれが草の根の軍国主義になってしまうのである。
ところが戦後の平和運動というのは、そういう運動が戦後の憲法、戦後の法律で許される環境になったが故に、政治的に尖鋭な思考を持った人がお祭り騒ぎを演じたというわけだ。
御釈迦様の掌の上で、孫悟空が大暴れする図と同じで、それが出来る環境だからこそ、革命ゴッコにうち興じれたというわけだ。
問題は、この革命ゴッコであって、彼らはその時点でゴッコなどという安易な考えではなく、真剣に相手、敵を殺すことを考えていたわけで、その部分を甘く見てはならない。
全学連でも、全共闘でも、核丸でも、中核でも、ブントでも彼らの敵、いわゆる官憲、たとえば警察官や公安を真剣に殺すことを考えていたわけで、それは戦前の青年将校の立ち居振る舞いと全く同じ軌跡を歩んでいる。
「政治の腐敗を正す」という論理の組み立てからして同じ思考回路を辿っているわけで、こういう若者の無軌道で秩序を欠いた行動を褒めるバカな知識人の存在があるわけで、知識人がこういう無軌道な若者を煽てるものだから、日本が良くなるわけが無いではないか。
自分の祖国が余所の国と戦争するともなれば、戦争の理由や原因の如何を問わず、先ずは祖国に殉じる気持ちが無ければ近代国家の国民たりえないのではなかろうか。
戦争の原因や理由が如何なるものであろうとも、その国の為政者、最高責任者としては武力でもってしても事を解決しようと決断したわけで、その決断には国民たるもの従わざるを得ない。
自分の国の為政者の決断に従わないのであれば、当然何らかのペナルテイーが課せられても致しかたないわけで、その場合、自分の国から殺されるか敵に殺されるかの二者択一を迫られることになる。
国の要求する義務に応えるべく兵役についても、その中で行われる軍の制裁、兵隊同士のリンチは、国民に課せられた義務とはまた次元の異なる話で、何故に我々の軍隊ではこういう新兵イジメが蔓延したのであろう。
戦前の日本の軍隊は、それこそ1銭5厘のハガキでいくらでも集められたので、仲間内で一人二人殺しても全体には何の影響もない、という想いであったのだろうか。
しかし、兵、下士官というのは、どこの国の軍隊でも最下層の人間の集団であって、口で言っても理解できない人間の集まりということはあったと思う。
この本の主人公、花森安治のように東大を出て二等兵というのも珍しいケースで、普通は教育のあるものはそれなりのポストになるが、後は有象無象の無頼者という感があったに違いない。
少なくともアメリカやソ連や中国では、兵や下士官の位置づけは、無頼漢、与太者、流れ者という価値観で見られていたので、その中では鉄拳こそがルールであったと思われる。
ところが日本では制度として兵役に就くので、平時ならば普通の善良な市民であるべき人が、心を鬼にして人殺しをしなければならず、そのことを考えると普通の感情を持った人間ではそれが出来ないので、その鬱積がこういう無意味な仲間内のイジメという形の制裁になって組織の中に温存されたのでははなかろうか。 

『学問』

2012-12-30 11:25:18 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『学問』という本を読んだ。
著者は西部邁氏であるが、その内容の難しい事といったらない。
彼は田原総一郎の「朝まで生テレビ」にもよく出ていたので、その意味ではよく知った顔であるが、テレビの場面でも彼のものの言い方は回りくどい持って回ったような言い方で、それがそのまま文章に表れている。
彼は全学連の運動が華やかりし頃、学生運動の闘士でもあり、その方面でも大いに活躍したようだが、学生運動の現状に何か意に沿わないものがあったに違いなく、転向してしまった。
私はこういう若者の精神の葛藤は、極めて健全なことだと考えている、むしろ転向しない方が異常だとさえ思う。
だけれど彼と私は同世代であって、彼が全学連の闘士として、ヘルメットを被って角棒を振り舞わして警察官と渡り合っている時、私は自衛隊員の一人として地べたを這いまわっていた。
1960年代において、彼も学生運動の闘士として各地から集まって来た学生を引き連れてデモに参加して英雄気取りでいたであろうが、それに対峙していた警察官も、彼と同じ世代の若者であった。
一方は革命熱に浮かれて社会秩序の破戒に現を抜かしていたが、その対極には同じ若者でありながら、社会人として社会の秩序を守るべく、血を流す覚悟をしてデモと対峙した世代がいたのである。
60年代の安保闘争や、学園紛争、成田闘争で、デモをした側の人間、デモに参加した側の若者のその時の心情というのは一体何であったのだろう。
あの時、私は社会人として、社会のメカニズムの中に埋没していたので、デモを見に行ったり参加する余裕はなっかたため正確には判らないが、聞くところによると、デモの参加者には日当が出たという話も聞くが、その日当の出どころは一体どこなのであろう。
私は大学に進学していないので、僻み根性ではあるが、同じ若者でも体制側に身を置く若者は、デモ隊の若者と同世代でありながら額に汗して労働をしている。
だが、デモ隊で我がもの顔で道路を占拠して角棒を振り回している若者は、親からの仕送りで暖衣飽食の環境にいるということである。
学生運動の矛盾に直面して、西部邁氏はそれ嫌気がさして転向したのであろうが、それこそ健全な精神の生育であろうと思う。
若くして純な心の内は社会の矛盾は一刻も早く是正しなければならない、と思うのが当然で、その為には現行のシステムを清算して、新しいシステムを構築しなければならない、と思い込むのも無理からぬことである。
だがその方法論となるといくつもの方法があって、どれが最適かわからないわけで、その間に時が流れ、環境も、状況も変化してしまうので、世直しの情熱も覚めてしまうというのが普通の人の普通の思考遍歴である。
それはそれとしてこの本は実に難解で、まさしく現代の哲学書であるが、私は哲学なるものを認めない。
あんなものは知の遊戯でしかなく、「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」式の言葉の遊び以外の何ものでもない。
哲学者が凡人に物事を説くのであれば、凡人にも判る平易な凡人語でもって説くべきであって、高遠な学識経験者仲間の内でしか理解しあえないようなこ難しい言語で以て説かれても我々には理解できない。
学会誌にでも投稿する論文ならば、その文章は難解であればあるほど価値が生じるであろうが、凡人に自己の思考を説くのであれば、平易な文章でなければ読んでもらえないと思う。
この意味でこの本は読むには読んだが内容はさっぱり理解できなかった。
時間の浪費でしかなかった。

『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』

2012-12-26 08:00:54 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』という本を読んだ。
著者は鳥居民という人で、2005年の出版だからもう旬が過ぎた感がしないでもない。
ところが読み始めたらめっぽう面白くて一気に最後まで読み通してしまった。
この表題の真意は、時の大統領トルーマンが自己顕示欲を満たすために、自分の実績、つまり原爆を使うことによって対日戦に勝利する、という実績を作るための工作であったということを述べている。
戦後の原爆使用に対する評価については、あれを使わなければ、対日戦に勝利するのにあと百万のアメリカの将兵がいったが、あれを使うことによってアメリカ将兵の命を多数死なせずに済んだ、だから道徳的なモラルは帳消しになる、つまり原爆使用の整合性はそこにあったのだ、という論理が展開された。
いわば普通に流布している、原爆使用の正当性の裏側を考察する趣旨のものである。
思えばあの戦争は第2次世界大戦と言われるだけあって、地球規模で展開された。
その中で我々の祖国日本はよく戦ったといえる。
だがしかし、戦い、戦争である限り、勝利しなければ意味がないわけで、まさにオール・オア・ナッシングでしかない。
私が過去の軍人たちを糾弾してやまない心情は、何故に勝利しえなかったのか、という点に尽きる。
あの時代、昭和の初期の時代、1920年代から40年にかけて、世界の指導者たちはそれこそグローバルな視点に立って、政治、外交、戦争というものを指導していた。
ところが我々の側はアジア大陸に食指を動かしてはいたが、その事が地球規模で如何なる影響を及ぼしたのか、という点にあまりにも無頓着であった。
世界は、そのことに、事の他腹を立てていたのだが、我々はその先方の立腹の真意を測りきれずに、表面的なメンツの問題という程度にしか理解していなかったということだ。
戦後の我々の同胞は、あの戦争の敗北を、軍人や軍部の所為にして全て彼らが悪かったのだ、という論法で自己弁護しているが、先にも述べた事ではあるが、あの時代の国民感情の底流には、明らかに草の根の軍国主義というものがあったと考えるべきである。
あの時代にも、軍の機関でない大学、帝国大学という立派な高等教育機関は存在しており、そこでは高遠な学問が教授されていたに違いないと思う。
そこで立派な学問を習得された方々は、それぞれにその学問を役立てるにふさわしいセクシュンに就かれ、そこで職務なり業務に専心することにより、それが回りまわって社会に貢献することになっていた筈である。
そういう人達が、新聞やラジオの報ずることを聞いておれば、「これはおかしな方向に進みつつあるな」ということは感じとれたと思う。
だから、ここで何故行動に出れなかったのか、という詰問は明らかに戦後世代の発想で、時代考証について無知に等しいということになる。
当時は治安維持法があったから、思ったことをそのままストレートに表明することは確かに憚られたであろうが、思ったことをその通りにストレートに表明するなどということは、バカな人のバカな立ち居振る舞いで、教養知性に富んだ人ならばそういう事はありえない。
少なくとも帝国大学を出たような人ならば、治安維持法の網の目を潜るぐらいの知恵と才覚は備えている筈である。
そもそも、軍人が政治を司る状況を座視して見ている知識人の存在そのものが、世紀末を予見していたということだ。
その前に何故軍人が政治の場にのさばりだしたのかと考えねばならないわけで、その理由は政党政治の堕落に他ならない。
それとは別に、この当時の高級将校は陸軍海軍を問わず、それぞれに陸軍大学、海軍大学を出ているが、その中の教育とは一体何であったのかということが言える。
もしこの中の教育が、真に国の在り様に資する内容のものであったとすれば、あるいは天皇制を真に憂う内容のものであったとすれば、負けるような戦争指導というのは有り得ず、政治に介入するということもなく、シビリアン・コントロールは厳然と維持されていたに違いない。
21世紀の今日、世界は完全にグローバル化して、ヒト、モノ、金は国境を越えて自由に行き来しているが、昭和の初期の時代でも世界はそれなりにグローバル化していたわけで、そのグローバル化の中で日本は孤立化させられていたのである。
何故我々が孤立化させられたかといえば、やはり中国に対する軍の進出であったわけで、満州という傀儡国家を軍主導で作り上げて、そこからの利益を独り占めしようという魂胆を見透かされていたということだと思う。
我々の立場からすれば、生きんが為の生存競争で、適者生存の自然の摂理に則った行動であったとしても、その事が世界の人々の生き方にも大きく影響してくるわけで、「小生意気なジャップを叩け」というスローガンが、地球規模でグローバル化してしまったということだ。
世界の歴史は、ある意味で政治の失敗の歴史でもあるわけで、我々の国が連合軍と戦争して負けたというのも、我々の側の政治の失敗であった。
ならば連合軍側にはこういう政治の失敗は無かったのかと問えば、やはり掃いて捨てるほどあるが、我々が経験したような祖国が灰燼と化すような激烈なものはさほど見当たらない。
この本は、あの時期の連合軍側の首脳の動きが縷々述べられているが、どこの国の首脳もそれなりに個々の悩みを持ち、さまざまに逡巡しながら国の舵取りをしている。
アメリカもソ連もそれなりに小さな失敗は重ねているが、結果が良かったのでその失敗は立ち消えになってしまっている。
この本を読んだ感想は、著者はトルーマンが自分の自己顕示欲を満たすための演出として原爆投下を決定したのであって、百万のアメリカ将兵の為ではない、ということを証明することにあったように見える。
つまり、トルーマン大統領の政治的瑕疵を暴き立てるのが目的のように見えるが、それは原爆使用が百万のアメリカ将兵の命を救った、という評価を正面から攻撃するものである。
私が面白いと思った部分は、そこではなくて、アメリカは旧ソビエットにも、中国・蒋介石の国民党政府にも、膨大な軍事援助をしていたということである。
日本に対しても戦後ではあるが食糧援助をしてくれたことは受けた側としては忘れてならないことであるが、アメリカ側として、彼らのした海外援助の中で真に報われたのは、対日援助だけではないかと思われる。
旧ソビエットに対する膨大な軍事援助、蒋介石の国民党政府に対する膨大な軍事援助、こういう物はすべてその後にはアメリカに歯向かう対抗勢力になってしまったわけで、戦火こそ交えなかったが、結果的に敵に塩を送った形になってしまった。
しかし、この対ソ援助、対中援助も、あの時期のアメリカ経済の底上げには大いに貢献していたのかもしれない。
モノ、この場合、軍需物資であるが、そういう物をどんどん作って、どんどん消費すれば経済にとっては好都合なわけで、それでアメリカは戦争さえあれば景気が上向くということになるのであろう。
援助した相手に裏切られたという意味で、アメリカの政治・外交の完全なる失敗であるが、その事によってアメリカ全土が灰燼に化すような事態にはならなかったので、何となくうやむやの内に時が流れてしまった感がする。
ソ連はソ連で同じようなミスを犯しているわけで、その一つがドイツの電撃戦の予兆を得ながらそれを無視した愚、あるいはゾルゲの情報を得ながらそれを無視した愚、アメリカの原爆開発の情報を得ながらそれを金庫にしまってしまった愚、こういういくつかの失敗を重ねながらも、結果としてヨーロッパの東の部分を大方共産主義で席巻してしまったので、その数々の失敗は帳消しになってしまったのである。
ところが我々の場合は、政治・外交の失敗が祖国の消滅の危機にまで至ってしまったので、ただたんに「失敗しました」、「失敗でした」だけでは済まされないのである。
第2次世界大戦、我々の呼称では大東亜戦争であるが、この戦争は実に大きな意義を抱え込んだ世界戦争であったとつくづく思う。
我々は1941年、昭和16年12月8日の開戦の詔勅で米英仏蘭に宣戦布告をしたと思っているが、その事は世界を相手に戦争を仕掛けた、という認識にまでには至っていなかったと思う。
ましてやソ連までが敵側に回るなどとは思ってもいなかったわけで、この認識の齟齬は一体どうしてだったのだろう。
ソ連、旧ソビエット連邦というものが共産主義の国で、共産主義というものがどういう思想なのかも知らずにいたのだろうか。
ならば治安維持法の真意も知らないまま法案成立させたということであろうか。 
前にも述べたが、昭和初期の日本にも、帝国大学という普通に広範な教養を教えて、智と理性の殿堂のような立派な国立大学があったわけで、そこを巣立った立派な外交官、政治家、官僚も掃いて捨てるほどいたにちがいない。
にもかかわらず、14、5歳から軍の職業訓練校で純粋培養された狭量で視野の狭い単細胞の軍人の跋扈を許したのはどういう事なのであろう。
軍人というのは戦うことが仕事で、彼らは日清・日露の戦でそれなりの実績を上げたことは事実であって、その実績に基づいて彼らの評価が高かったことは万人が認めることであるが、この万人が「軍人は偉い」と思い込んだことが諸悪の根源である。
その部分の悔悟を説くのが一般教養を備えた知識人であらねばならなかったが、彼らが軍人がチャラチャラ鳴らすサーベルの音に震え上がってしまったから日本は奈落の底に転がり落ちたのである。
ところがこの一般教養を具現化しているはずの知識人の一部が、先鋭な思想に走って共産主義に傾倒するものが多くなったので、治安維持法ということになるわけで、その意味でもこの時代の知識人の思考のバランス感覚が正常に機能しなかったために、軍人の専横ということになったと思われる。
日本の国内で、単細胞の軍人が官僚化して、官僚的発想で以て無責任な作戦を練っている時、連合国ではまさしくグローバル的に連携を取り合って、日本包囲の罠を萎めつつあった。
日本を奈落の底の落とすために、アメリカは持てる力の全てを注ぎ込んだが、その中にはアメリカ国民に損失をもたらした、対ソ援助や対中援助もあるわけで、その部分ではアメリカの外交の失敗の事例ということも言える。
ソ連や中国に対する膨大な軍事援助は、単純にソ連や蒋介石を喜ばすことはできたが、アメリカ国民にそれがフイードバックされたことはないわけで、その金は見事に宙に消えたということだ。
この本は初めから最後まで気の抜けない興味に満たされていたが、最後にアメリカが最高機密にしていた原爆開発の情報が、ほぼリアルタイムでソ連に筒抜けになっていたという事実の暴露は興味深いものであった。
そしてその情報をソ連のスターリンは過小評価していて、いささかも信用することなく、金庫の中にしまっていたという事実の暴露である。
この事例は、アメリカもソ連も上手の手から水が漏れるようなもので、第3者の視点から見れば笑っておれるが、彼らにはこういう失敗が重なっても、祖国が灰になることは無かった。
ところが我々の国は、こういう単純な失敗が重なって、国全体が灰燼となり、国民は塗炭の苦しみを背負うことになったのである。
私が不思議でならないことは、昭和20年8月15日、天皇の玉音放送があって、日本軍は戦闘を止めたが、この時の東京の状況は見渡す限り焼野原で、必然的に交戦能力はゼロであるにもかかわらず、なおも徹底抗戦を唱える軍人がいたという現実である。
この人たちの頭の中は一体どうなっているのか甚だ不思議でならない。
あの状況下で尚も戦えということは、まさしく死ねと言っているわけで、こんなバカな話もないと思うが、当人たちは真剣にそう思っていたわけで、現にそれで死んだ人もいる。
これは一体どういう事なのであろう。
あの時代、昭和の初期の時代に、普通の帝国大学を出でた人たちで、「軍人に政治を任せてはならない」ということを言った人は一人も居なかったのだろうか。
軍人の中から、「俺達が政治をすることはない、政府の指針に従うだけでいい」と言う人は一人も居なかったのだろうか。
何ともかんとも不可解な時代である。
私の独断と偏見で言えば、この時流は明治維新の矛盾がこの時期に噴出した現象のように思えてならない。
つまり、それは身分制度の崩壊のもたらした後遺症のようなもので、民主化の過程で避けて通れない通過儀礼であったように思えてならない。
江戸時代の約250年という期間は、人々は分に応じた生活で過不足なく生きていた。
つまり、西洋流の言い方をすればパン屋は代々パン屋で、靴屋は代々靴屋で、桶屋は代々桶屋で満足していたが、明治維新で個人意識が覚醒されると、誰もかれもが人の上に立って威張れる職業を目指すようになった。
そういう立場を得た人たちを「出世した」と言って、崇め奉り、自分もそれにあやかりたいと願い、その方向に向けて努力する。
その努力の第一歩が進学すること、学問を付けることで、より高度の学校に進学すると、その分自分の進路が開けるわけで、人々はより高いポストを狙って、ますます勉学に励むようになるのである。
それを具体的に目に見える形で具現化する職業が軍人なわけで、世の秀才の誉れ高い若者は、こぞってそこに集中したのである。
ところがこの現象を皮肉でうがった見方をすれば、優秀な奴ほど時流の潮の目を見るのに如才なく、時の風潮に見事に迎合して、良いとこ取りに抜かりがない生き方という評価もある。
日本の民主化はペーパーチェック一本で成り立っており、それは極めて公平で平等なシステムともいえるが、これでは個人のモラルを測ることはできない。
その上成績順というのであれば、個人の倫理観というのは全く問題にされないことになってしまう。
だから陸軍でも海軍でも組織内からの自浄作用が全く生まれてこなかったわけで、結果として組織が崩壊するまで自分たちの立ち居振る舞いを自己検証することがなかった。
明治維新で身分制度が崩壊したとき、明治政府は優秀な人材を広範なエリアから広く選ぼうとして、ペーパーチェックで篩に掛けたが、そこには水飲み百姓並みの子弟がわんさと応募してきたが、ペーパーチェックのみが篩の基準であれば、その中の多くが採用されて、そういう人達が数年後には軍の枢要な地位に就くということになったのである。
その過程で、個人のモラルに関しては何の篩もないわけで、ノブレスオブリージを欠いた高級軍人、高級参謀が大勢輩出したということだと思う。
このクラスの軍人からすれば、1銭5厘で招集された兵・下士官など、人間の内にも入っておらずに、犬か馬並みの存在でしかなかったのではないかと思う。
問題とすべきは、こういう感覚が何処で醸成されたかということで、少なくとも陸軍大学、海軍大学でそういう感覚に磨きが掛かったのではなかろうかという疑惑である。
こういう専門学校を出れば、当然、その職域の中で権威者になるわけで、ある意味で雲の上の人になるのであろうが、そういう人の見識が真に的を得たものであるならば、戦争に負ける、作戦の失敗ということはありえないということになる。
だが結果として、陸軍大学、海軍大学を出た人が戦争指導したにもかかわらず、負けたということは、そこで行われた教育は一体何であったのかということになる。
一方、一般の普通の大学、旧帝国大学にも大勢の優秀な若者が集ったわけで、そこの卒業生も数多くいて、それぞれの業界でそれぞれに活躍していたに違いなかろうが、そういう人達も単細胞の軍人の独断専横の行動に何ひとつブレーキを掛けることが出来なかったということは一体どういう事なのであろう。
我々が明治以降教育に力を注いきたのは、知識の吸収や技能の習得も教育の大きな目的でったろうが、それにも増して、モラルの向上ということも大きな教育目標ではなかったかと思う。
味噌も糞も一緒くたに篩にかけて、その篩の目に残ったのは、学術優秀ではあったが、モラル的には最低の人士が生き残ってしまったということではなかろうか。
そうでなければ軍人の職業訓練校としての最高学府を出た人が、負ける戦争をするはずがないではないか。
負けそうな状況ならば、その雰囲気を感じるや否や、機を失することなく和平工作を打って、敗北という屈辱を回避する手立てを講じると思う。
昭和の初期の時代、1920年代においても世界は充分にグローバル化していたわけで、その中において日本人と日本民族は充分に嫌われていたことを忘れてはならない。
何故我々は世界から嫌われたかと問えば、それは我々があまりにも優秀であったからである。
我々がフイリッピン人や、ポリネシア人、あるいはアポリジニぐらいであれば、アメリカは排日移民法など作らず、鷹揚に構えておれたが、我々が余りにも優秀であったので、庇を貸して母屋を盗られることを恐れたのである。
だから先方にすれば、日本に対する原爆投下も良心の呵責を感ずることなく、平然と行えたのである。
これが同じ敵国でもドイツとかイタリアへの投下ならば、おそらく対応が異なっていたと思われる。
それにつけても、あの戦争の前と後の我々の対応の不味さというのは一体どういう事なのであろう。
戦前においてはドイツと組む政治的外交的センス、終戦の仲裁を旧ソビエットに頼む政治外交のセンス。このバカバカしさは一体なんであったのだろう。