ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 下』

2013-01-06 11:05:23 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 下』という本を読んだ。
先に読んだものの続きであるが、先回の終わりにメデイアのことを書いたら下巻ではいきなりメデイア論から始まったので大いに驚いた。
現代においてメデイアの存在というのはただ単に戦争に関する報道のみならず、政治全般にメデイアが大きく影響を及ぼしている。
先の戦争の時代には、メデイアと言っても新聞とラジオと若干の雑誌しかなかったが、今ではテレビがあり、週刊誌があり、インターネットあり、携帯電話あり、スマホありで、非常に媒体が豊富になってきているので、そういう物が政治に与える影響は計り知れないものがある。
先の戦争の時は、新聞にしろラジオにしろ、素人が安易に報道をするなどということは為し得る筈もなく、情報は一方通行であった。
ところが今日では情報発信は素人でもできるわけで、人々はメデイアに踊らされると同時に、それを批判する報道もあり余るほどある。だから、情報の一方通行ということはなくなってきた。
むしろ今日の問題は、メデイアの側が政治の動向を左右する力を持つようになってきて、野放図なメデイアの存在が危険な状態になりつつあるように見える。
しかし、この時代にはまだそこまでは達しておらず、新聞もラジオも未発達の状態であったが、国民の戦争に対する期待を煽る事には十分すぎるほど効果があった。
それはドイツのラジオやその他のメデイアの報道の仕方を研究した点も見逃せないが、メデイア自身が自己拡張の要因を内包していた、ということも有ったかと思う。
ラジオでも新聞でも、現場にいる人は飽くなき好奇心を持っているわけで、常に今よりも進化することを志しているので、報道自身が自己膨張してしまう。それに軍部が便乗したようにも見える。
そもそもメデイアというのは情報を伝えるツールであって、ツールそのものにはハードウエア―以上の価値は無いが、そのツールを使う人間の方に大いに問題があるのである。
あるツールを使って人々の意見を多くの人に知らしめる行為をジャーナリズムというが、これは世の中に起きている森羅万象を的確に把握し、それをチェックして国民が冷静な判断を下せるようにサポートするという潜在的な使命を持っている筈のものである。
江戸時代においては瓦版が当時のジャーナリズムの代表であったが、瓦版は当局、いわゆる幕府の施策の上げ足を取ってそれを面白おかしく言いふらすところに商売としての妙味があったのである。
そこには在野の人々のお上に対する批判精神が生きていたわけで、ジャーナリズムには多かれ少なかれ統治者に対する批判が無い事には庶民の賛同が得られず、その意味でジャーナリズムは常に反政府・反体制という立場を維持するのも致し方ない面もある。
批判するということは、「現政権が気に入らないか政権交代せよ」という程のものではなく、人の為すことには万人が賛同するはずもなく、その程度の不平不満の発露であったとしても、それを発信しようとうする側では、控えめな表現では人々の関心が得られないのでどうしてもオーバーな表現になるということはある。
江戸時代の瓦版にしても、今流の言い方をすれば民間のメデイアなわけで、儲けを加味しないことには事業そのものが成り立たないので、その為にはそれぞれに企業努力をして、売れる紙面、庶民が興味を持つ紙面、買ってもらえるように工夫を凝らすわけで、そこでジャーナリズムの宿屙を背負い込むことになる。
つまり、話を面白くするために誇大な表現をしがちで、その結果としてそのことが事実と大きく乖離した報道になってしまうのである。
ここでジャーナリズムの良心が問われることになり、ジャーナリズムの本質であるべき、「森羅万象を的確に把握し、それをチェックして国民が冷静な判断を下せるようにサポートする」と言う部分に抵触することになる。
目の前に起きている事実に対して、冷静で、倫理に叶った視点で見て、それを事実として報道して初めて真の報道となるが、事実を見た時点で個人の思い込みや、個人の先入観や、あるいはバイアスの掛かった視点でそれを見ては、事実を「的確に把握する」という最初の一歩から間違っていることになる。
それに、報道ということはたった一人ではできないわけで、江戸時代の瓦版でさえも大勢の人の共同作業で成り立っているわけで、現在のメデイアでも現場で取材する人から情報の受け手までの間には大勢の人が関わり合っている。
メデイアの発信に大勢の人が関わり合っているということは、チェック・ポイントが沢山あるということで、それでも偏向するということは、チェックがチェックの機能を果たしておらず、違和感が無いのでスルーするということである。
それに関わっている人の大部分が、自分のしていることに違和感を感じないということは、それが常態化しているということで、それはある意味で時流の真ん中に身を置いているということでもある。
だからメデイアが偏向するということは、その大勢の人たちの責任でもある。
先の大戦中に、日本の新聞やラジオが国の指針や軍のお先棒を担いだ、ということはある程度は致し方ない部分があると思う。
普通の庶民でも不合理とは思いつつ国の指針、あるいは召集令状にはシブシブながらも従わざるを得なかったわけで、その部分においてはどこの国でも似たり寄ったりではなかったと思う。
戦争を回避できなかった大きな理由は政治に帰結するが、我々日本人、日本民族というのは、21世紀の今日においても政治下手であることに代わりは無いわけで、これは一体どういう事なのであろう。
国のリーダー、内閣総理大臣が毎年毎年変わっていいものだろうか。
日本国内だけならば、リーダーが毎年変わっても左程大きなデメリットは無いかもしれないが、外国からの視点からすれば、日本人の誰が本当のリーダーで、誰が本当の権力者かわからないわけで、話の持って行きようがないということになる。
このリーダーが安易に交代するという部分が、非常な政治下手を象徴しているわけで、近衛文麿が安易に政権を放り出して、その後に東条英機になったが、この時点ですでにアメリカとの開戦は避けられない状況になっていた。
ここに至るまでのことを検証しなければならないが、本質的には明治憲法に瑕疵があったのではないかと私は推察する。
というのは日本の陸軍・海軍にそれぞれに大臣を置きながら、その大臣が閣僚として内閣の内側にはいっておらず、枠外に居て行政の一翼を担っていないわけで、ただただ予算を得る為にだけに行政サイドに身を置き、予算さえ取ってしまえばあとは「統帥権の独立」で好き放題のことが出来るシステムになっていた。
日米開戦の時の総理大臣がたまたま東条英機であったので、彼は極悪人のようにみられているが、彼が総理大臣になった時点で、既に日米開戦の歯車は廻っていたわけで、彼とてもそれを途中で止めることはできなかった。
それまでの過程で、天皇陛下に嘘を言う軍人・高級将校がいた事が大きな問題であるが、これもある意味で「統帥権の独立」であるが故の齟齬であって、その遠因は明治憲法の瑕疵にまでつながっていると思う。
日本陸軍のトップが天皇陛下に嘘の報国をするに至っては、日本陸軍が消滅に至るのもむべなるかなである。
こんな矛盾は、当時においても政治を志すというか、世情にいささかでも関心をもっておれば、普通の人でも分かるわけで、それが全く是正されずにいたという点に、我々の政治音痴の部分が如実に表れている。
21世紀の政治の状況を見ても、未だに内閣総理大臣は毎年変わっているわけで、70年前と比べてもいささかも進化していない。
この政治、統治の在り様は一体どう説明したらいいのであろう。
中国、朝鮮、日本というアジアの人々、いわゆるネイティブ・アイジアンの古代からの価値観の中には、統治という場面で、文官と武官の区分けは歴然として存在しており、その中では文官が上で武官が下に位置するという価値観になっていた。
これを今の言葉で言い表せばシビリアン・コントロールということになると思うが、人間の自然の在り様としても、人殺しに血道を上げている武人よりも、詩歌管絃をいつくしむ文人の方に価値を置く方がより平和的である。
しかし、平和は未来永劫続くわけではないので、その時には武人によって自己の利益を擁護し、他者の侵入を防ぎ、既存の社会体制を維持すべく武人の活躍が望まれる。
武人の存在というのは、いつの世においても安全保障のツールなわけで、そのツールが自ら統治をするということは、政治の上では邪道であるが、文人の側に武人を使い切る器量が備わっていないときには、往々にしてそういうケースが出来(しゅったい)するのである。
明治憲法も、そういう人類の英知から推し測って、軍人が行政の側に入り込むことを回避して、行政の側、つまり内閣総理大臣には武人を使う権利を与えず、それに関しては天陛陛下の専権事項として統帥権を行政のシステムの中に入れずに置いたのではなかろうか。
軍隊は天皇陛下の番犬として、日本国政府とは別仕立てにしたということではなかろうか。
逆に言うと、明治憲法のできた時点では、内閣総理大臣がそれほど信用されていなくて、総理大臣が軍隊を勝手に使うことが危惧されたので、天皇直轄にしたのではなかろうか。
大日本帝国憲法11条では「天皇は陸海軍を統帥す」となっていたが、この部分で天皇を内閣総理大臣に置き換えてあれば、押しも押されもせぬシビリアン・コントロールが生きていたということになる。
この時の日本の国情というのは、国民の大部分が農民で、その農民の2男3男が口減らしのために兵隊になってみたところ、日清・日露の戦役で大活躍をしたので、一気に日本中に軍隊に対する期待が沸騰したということだと思う。
そこでこの軍隊の中で純粋培養された軍人が、自分自身、井戸の中の蛙程度の思考回路でしかないものが政治の場に嘴を差し挟むようになったにもかかわらず、それを制止する文人、いわゆる政治家がいなかたったので軍人の跋扈を許すことになってしまったと言える。
普通の世間にもよくあることであるが、ある組織の立ち上がりの時というのは、あらゆるものが未整備で整っておらずかなり融通の利くのが普通である。
最初から規則でがんじがらめにして、コンプライアンスを律儀に順守していては大きな飛躍ができないので、ある意味で自由裁量を認め、リスクを覚悟して冒険に挑戦しないことには、大きな成果が有り得ないことは言うまでもない。
日露戦争の勝利から約30年近く経ってみると、その自由裁量で伸びきった人々が組織の中枢以上のポストにつくことになり、彼らは健軍の理念や、自分の存在意義や、国益とか周囲の国々の関係性とかに注意を払うことを怠り、謙虚さを失い,身の丈を忘れて慢心してしまった。
軍人や軍部の慢心した思い上がりもさることながら、それを放置した政治家、いわゆる文人の側にも一抹の責任はあると思う。
文人と武人という区分けをした場合、武人が猪突猛進で、単細胞的傾向が強いことは世界的規模で普遍的な常識なわけで、そうであるとするならばそれに対応する扱い方もある。
陸軍士官学校や海軍兵学校は優秀な学校という定評であったが、それが真に優秀な学校であったとするならば、そこを出た人、そこの卒業生がリードした戦争になぜ負けたかということが言える。
彼らが優秀でなかったから戦争に負けたのではないか。
にも拘わらず、今でも我々は陸軍士官学校や海軍兵学校を立派な学校だと思い込んでいるが、この思い込みこそが大間違いなわけで、そういう学校はただたんなる職業訓練校に過ぎなかったというわけだ。
警察官が警察学校に行くように、税務署員が税務大学校に行くように、自衛隊員が防衛大学に行くように、ただの職業訓練校に過ぎなかったが、あの時代には日本全国がああいう学校は立派な学校だと勘違いしていた。
勘違いと言うよりも、明らかに羨望の眼差しで見ていたので、それが立派で良い学校だという思い込みに落ち込んでしまったわけだ。
あの時代、日本人の大部分はまだ貧しくて、子弟を上の学校に進学させることは経済的に無理があったので、学費のいらないこういう学校は願ってもない存在であった。
現実の問題として、貧乏人の子だくさんというわけで、たくさんの子供の中で優秀な者はこういう学校に進学したのだが、学校では人としての倫理やモラルを教えることはない。
その専門性から見て、人殺しのテクニックは教えても、人として如何にあるべきかという、人生の機微に関するカリキュラムがあったかどうかは極めて疑わしいが、普通の学校に進学できない者にとっては有難い存在であったに違いない。
職業訓練校として、井戸の中の蛙同士の結束は固くなったが、それと一般社会の整合性は何ら考慮されることはなく、軍隊という深い井戸の中のコミニュテイーと、普通一般の社会、特に海外等の関係においては大きな認識の相違が横たわっていたが、単細胞の軍人はそれに気を配ることもせず、唯我独尊的に振る舞ったということだ。
江戸時代の封建制から脱皮して、近代化した民主制の社会を目指す過程で、貧乏人の中の優秀な子どもに、教育を授けて社会のリーダーにするという発想は真に結構なことであるが、俗に「三つ子の魂百まで」という言葉にもあるように、貧の心のままで成人に達し、個人の栄誉を追い求め、公への貢献を亡失した人が大勢いたということだ。
結果から見て旧軍隊が昭和20年の8月で消滅したということは、彼らは国家としての生き様を誤らせた。
それは彼らの受けた教育の成果でもあったわけで、優秀であるとされたこういう学校の教育が全否定されたということに他ならない。
そこに進学した優秀とされた若人の先輩たちに、その組織そのものを生き続けさせるだけの才覚が無かったということである。
陸軍でも海軍でも、深い深い井戸の中で蛙同士の結束は緊密になり、お互いに庇い合い、助け合い、責任を分散し合っていたが、その事と一般社会との整合性に関しては、毫も考えていなかったということだ。
言い方を変えてみると、軍が日本国を乗っ取ってしまったようなもので、軍が閣僚としての大臣を選出しないことで、閣議がストップするということは、大臣というポストを人質にして、政府が乗っ取られたようなものである。
俗に『赤子と地頭には勝てぬ』という言葉があるが、論理的な話の通じない相手には、何を言ってもダメなわけで、この時代の常識人は普通に論理的な話が出来ないので、沈黙せざるを得なかったのかもしれない。
普通のコモンセンスを持った常識人が沈黙しているので、売らんかな主義の新聞人が嘘の戦果報告や、白髪3千丈式の誇大報道に歓喜しているということなのであろう。
この時期のことを司馬遼太郎氏は『危殆の時代』と称していたが、まさしく危殆そのもので、嘘で塗り固められた砂上の楼閣であって、それを誰一人是正できなかったので、奈落の底まで転がり落ちたということなのであろう。
そもそも当時の軍の高官連中は、アメリカと戦火を交えて勝てないということは皆が知っていたわけで、にも関わらずそれを阻止できなかったということは、一体全体どういう事なのであろう。
それと合わせて、終戦の時に尚も徹底抗戦を唱えた戦争のプロフェッショナルがいたが、これも実に不可解な事実であって、何とも言いようのない愚昧でしかない。
彼らをこういう想いに仕向けた力は一体何であったのだろう。
軍国主義によって洗脳されていたと言ってみた所で、小学生ぐらいになれば東京の焼野原を一目見るだけでもうこれ以上の継戦能力は残っていないということぐらい一目瞭然と理解し得る。
結論的に言えば、こういう愚昧で愚劣な思考が、日本を戦争に追い立て、日本人だけでも300万人もの犠牲を強いたわけで、その事を我々は肝に銘じて忘れてはならないと思う。
とは言いつつも21世紀の今日でも、我々の総理大臣は毎年変わっている
我々は政治的に3流国であるが故に、平和ボケのままでノホホンとしていられるのかも知れない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿