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ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

『蠢く!中国対日特務工作丸秘ファイル』

2012-12-25 20:42:14 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『蠢く!中国対日特務工作丸秘ファイル』という本を読んだ。
著者は中国人のようでもあるが、よくわからない。
内容的には日本における中国のスパイ活動は実に凄惨なもので、日本人は安易に中国のスパイの餌になっている、ということが赤裸々に記述されている。
日本は中国ばかりではなく、あらゆる国の諜報機関にとって天国だということはツトに有名なので、今さら驚くこともない。
しかし、今や世界で日本を抜いてアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国にまでなった主権国家が、モノ作りの現場で余所の国や、他の企業にスパイを送り込んで、技術を盗まねばならないということは、どういう事なのであろう。
この本には、日本企業が中国からの留学生を雇用したがため、技術が盗まれたということが縷々述べられているが、そもそも自分の企業内に中国人を雇い入れること自体が、「泥棒を飼っている」という認識に至っていない。
日本と中国の関係は、遣唐使の時代からあるわけで、日本人が中国大陸から優れた文化を輸入する分には、我々は真面目に付き合いをしてきた。
ところが近世以降になって、より緊密に接触するようになると、価値観の衝突を招くようになった。
我々の価値観と向こうの価値観は同じものではなく、物事を考える上での土俵が違っているわけで、これは風土に起因する民族の潜在意識の相違であって、どこまで行っても相互に理解しあえるということはありえない。
我々は、こういう冷徹な現実を直視なければいけないのであるが、日本人には謙譲の美徳という価値観があって、相手を性善説で見る気風があり、相手を突き放した視線で見る勇気が無い。
こうしておけば相手は喜んでくれるに違いない。こう言えば相手は我々を寛大に扱ってくれるに違いない。素直に謝れば相手は許してくれるに違いない。という自分勝手な思い込みに嵌ってしまうのである。
日本企業で、中国人に技術情報を盗まれるのは、盗まれる方が阿呆であって、盗まれて困るような情報のあるセクションに、中国人を配置する方がバカである。
そんな警戒心もない会社ならば、そのうちにケツの毛まで抜かれるのがオチであろう。
そもそも中国からの留学生を受け入れる大学こそが諸悪の根源なわけで、なぜ日本国民の血税で、我々の祖国を貶めようとする国の学生を養わねばならないのか。
日本人学生の10倍ぐらいの授業料をとっているのならば、まだ留学生を受け入れる整合性があるが、何故、自分達の金で敵国の学生に学問を教えねばならないのかということである。
中国人が日本国内でスパイ活動するということは、相手は日本を敵国とみなしているわけで、この実態は日中戦争から今日まで連綿と生きており、それを忘れて相手が我々と同じ価値難を共有する仲間だと思う方がバカである。
先方は、日中戦争の最中に、日本軍が中国の一般市民を大量に虐殺したという論旨を声高に叫んでいるが、あれも彼らの独特の文化なのであって、民族としてのある種の特質なのである。
つまり、攻撃の矢面が日本だからありもしない虚偽の事柄をことさら大声で叫んで、嘘も百編言えば真実になる、という論理で以て行動しているのである。
彼らの言う事が1から10まですべて虚偽とは言いきれないとしても、白髪3千丈式の誇大な表現を文字通り真に受ける愚は、我々の側の責任と言わざるを得ない。
相手の言い分の真価、真意、本質を正確に測りきれないという部分は、我々日本民族の人の好さに起因しているわけで、もっと実直な表現をすれば、我々はバカだったということに尽きる。
我々の同胞の中には、相手の言い分を全面的に容認して、相手に媚を売って自己の利益に繋げようとする売国奴の存在も由々しき事例ではある。
相手、中国の側から日本を眺めれば、有史以来連綿と彼らの認識では我々は辺境の野蛮人であったわけで、明治維新以降、日清戦争で勝ったと言っても、相手は何の痛痒も感じていなかったにちがいない。
ただ我々の側が、巨大帝国清王朝に「勝った勝った」と有頂天になっていただけのことである。
相手にしてみれば、今の状況と合わせて比較すれば、尖閣諸島を盗られた程度の認識でしかなかったと思われる。
国民や普通の一般人にすれば、日本と戦ったことすら知らずに済んでいたかもしれない。
ところが我々の側は、国土が狭く、そこに大勢の人が住んでいたので、その実態は瞬く間に全員に知れ渡り、「勝った勝った」で有頂天になったのである。
言うまでもない事であるが、中国には50余りの民族がいるわけで、彼らの視点から日本を見れば、我々もその中の一つの部族ぐらいの認識でしかないと思う。
我々と彼らの間には海があって、その中間の所に朝鮮民族がいたが、朝鮮民族は中国に朝貢していたので、中国側の認識からすれば朝鮮は完全に属国であって、「憂い奴だ」という感覚であったに違いない。
ところが日本・倭の国は、中国に対して朝貢する気などさらさらなかったわけで、先方にしてみれば可愛げのない小憎らしい存在であったに違いない。
日本はそういう風土の中に、力づくで押し入ったわけで、先方からすれば「侵略された」という想いであろうが、我々からすれば新天地の再開発、フロンティア精神の発露、死ぬか生きるかの生存競争であって、その基底の部分には力、武力、軍事力があったということだ。
この力の使い方を誤ったのが、昭和の初期の日本政府と大日本帝国の軍であって、いかなる主権国家でも基本的にはシビリアンコントロールであったが、あの時期に軍部が政治家を差し置いて政治の前面に出たということは、軍部の独断専横であったことは紛れもない事実でぁる。
ところが、それを許した政治家の怠慢も同時に責められねばならない。
それで話を21世紀に戻せば、外交交渉ということは、いわば言葉による戦争なわけで、戦争であるからには、相手を知るということが鉄則である。
だからこそ中国は日本に対してスパイを送り込んでくるわけで、それに対して我々の側は、「あまりにも無防備ですよ」ということをこの本は指し示している。
そもそも日本の大学が中国の留学生を受け入れるという点からして発想が甘いわけで、そういう文化交流も国際関係を円満に回すためには必要という考え方も一理はあるが、ならば国益にいささかも影響に出ない文学とか、古代史とか、芸術というような人文科学系にとどめておくべきである。
技術流出を伴うような最先端の部門からは排除するように措置を講じるべきである。
我々の同胞でも、高学歴で教養知性に富んだ学識経験者というような知識人は、何事も理想主義を仰ぎ見て、綺麗ごとを目指そうとする。
「友達の友達は友達だ」とか「人類皆兄弟だ」とか、この世の中は善人ばかりであるかのような錯覚に浸った物言いをしているが、こういう人にかかると日本の最先端技術は、世界の人々の至福に貢献するのから、留学生にそういう技術を伝授して、世界平和に貢献するなどとのんきなことを言っている。
知識人がこういうのんきな思考でいるものだから、中国のスパイが日本で暗躍するのである。
今の日本でスパイ防止法案などという措置をしようとすれば、日本の知識階層に巣食っている売国奴たちが徒党を組んで反対運動を起こすであろうから、それをする必要はないが、我々は国民レベル、市民レベルで中国人を警戒すべきだと思う。
特に留学生、その中でも相手国の国費留学生は、まるまるスパイと認識してかからねば、彼らに尻の毛まで抜かれかねないことを忘れてはならない。
中国から、祖国の国費で日本に留学するということは一体どういう事なのであろう。
彼らの深層心理の中では、日本を見下げているにもかかわらず、自己の立身出世のツールとして日本留学という免罪符を手に入れていると思われてならない。
彼らには、日本留学で得た知識を祖国に還元するという発想は全くないと思われる。
この本の中には、日本企業が中国人技術者を雇用したがために、情報を盗られたという記述があるが、その企業の経営者は、中国人を雇用すればそういう事が当然起こり得る、ということが判らなかったのであろうか。
だとすればバカの上塗り以外の何ものでもないではないか。
我々の側に、中国人を大量に受け入れて、その彼らに日本語を教えて、求人難の職場に送り込む目的で、訳のわからない大学が乱立したが、国としてこういう行為を容認すべきではなく、断固として取り締まるべきである。
ところが、相手が中国で、それに輪をかけて教育という言葉が付くと完全に腰が引けてしまう。
外交ということは武力を使わない戦いなわけで、日中友好を真に受けるということは余りにもノー天気な思考である。
しかし、日本の知識人は、過去の歴史の中で異民族に支配された現実に直面したことがないので、自分の持っている経験則で物事を計ろうとするため、相手の術中に嵌るのである。
太平洋戦争の、我々の側の言い方によれば大東亜戦争であるが、この戦争の我々の側の大義は「アジアの解放」であったが、それを主導したのが単細胞的思考の軍人、軍部であったので、我々の側の大義は誤解され、誤解されるような行動を軍部がしたことは、歴史的事実として認識しなければならない。
この時、中国は日本人によるアジアの解放を拒否したわけで、西洋列強に散々国土を蚕食されながらも、その西洋列挙にすり寄って、彼らの側についてしまったのである。
それで1945年8月、ふと気が付いてみると、我々が散々侮蔑していたシナは、連合軍側に身を置いていたわけで、彼らは勝者の栄誉に浴していたことになる。
日清戦争に勝ち、日露戦争に勝った我々は、その時点で有頂天になり、天に舞い上がった気持ちになって奢り高ぶってしまったが、こういう立ち居振る舞いは、我々の価値観ではしたない行為、忌むべき行為、侮蔑すべき行為として我々の風土の中に定着していた筈である。
それがどうして我々はこの時、こういう我々の根源的な潜在意識を捨て去ってしまったのであろう。
この事実は、相手側にすれば極めて有効な交渉のカードになるわけで、事実相手はそれを周到に使いわけて敵国としての我々に対する武器としているのである。
相手は、国内に50余りの異民族を抱え込んでいるので、その意味では日本など50分の1の存在でしかないわけで、その微々たる存在の吹けば飛ぶような小さな国が、アジアを仕切ろうとし、中国をも仕切ろうとすれば、彼らの自尊心は黙っておれないのも無理からぬことである。
その屈辱を晴らすために、成り振り構わず日本に対抗してくる彼らの心理は充分に考察する必要がある。
彼らには1+1が2、2+2が4という論理は通らないわけで、彼らは1+1が3,2+2は5という論理で以てこちらに対抗してくるので、これは正攻法ではどこまで行っても平行線のままで解決には至らない。
ならばどうするかといえば、彼らの不合理、不整合な行為、立ち居振る舞いを世界に向けて告発して、中国という国家の欺瞞性を国際社会にアピールする事しか解決の糸口は無い。
産業スパイということで言えば、日本もアメリカの企業から技術情報を盗んだ盗まないという論争があって、裁判所に告発されたケースもあったが、基本的に日本のハイテクは、日本人の手で開発されたとみなしていいと思う。
しかし、旧ソ連でも、中国でも、他の国の技術を盗むということはどう考えたらいいのであろう。
私の言いたい事は、中国の人口が13億人であるにもかかわらず、その中から新しい発明や新しい技術や新しいアイデアがどうしてこの13億の中から出てこないかということである。
古代においては、文字や火薬や紙という文化のベースになる基幹技術を発明発見していながら、近世以降は全くそういうものを輩出できないということは一体どういう事なのであろう。
思うに、アジアの普遍的なものの考え方は儒教だと思うが、儒教では親を思い、年長者を思い、そういう先輩を乗り越えることは親孝行とか忠節の度合いを無視する行為で、人足るものはそういう事をしてはならないという不文律があったので、忠良な臣民は新しい事に挑戦する事が憚られたからではないかと勝手に想像している。
だから国として、民族として、アジアとして、この時代には何一つ新しいものが登場せず、何から何まで真似、模倣するか、技術を盗むかするしかなかったと思われる。
そういう環境から来た中国人を、盗まれてはならない重要な技術を扱うセクションに配置する事自体、「盗んでください」と言わんばかりの愚劣極まる行為である。
企業として、それが判らない経営者ならば、経営者としての資質が問われて当然である。
日本と中国との関係は今に始まったわけではなく、人類の誕生以来連綿と生きているわけで、その間に我々の側が相手よりも有利な環境におかれたことは一度もないと考えなければならない。
アジア大陸の漢民族も、匈奴も、女真族も、倭の国の元寇も、共にそれぞれの生存競争に明け暮れてきたわけで、そこでは適者生存の自然の摂理の元に人々が生き抜いてきたわけで、これを今の日本の文化人は正義とか、善悪とか、良し悪しという極めて狭量な価値観で計って、自分たちの同胞を貶めて喜んでいる図である。
この本には中国国内で日本人の外務省の職員や商社の人間が、ハニートラップに引っ掛かって脅されて情報を提供させられた事例が縷々述べられているが、ハニートラップという言葉は綺麗だが、日本流に言えば美人局なわけで、それを官憲が使うということ自体、法体制と人権意識の欠如を如実に表しているということである。
罠に嵌る人間は最初から下心があったわけで、その責は本人が負わなければならないのは当然であるが、問題は、中国の官憲がそういう汚い手を安易に使うセンスである。
以前、アフリカの奥地を車で移動していると、突然警官が出てきて、交通違反を告げられて法外な罰金をその場で取られたという話を聞いたことがあるが、中国のやっていることはこのレベルの事で、まさしく満州の荒野に出没した馬賊、匪賊、山賊、赤卑と同じレベルの行為でしかない。
それを21世紀の今日、官憲ぐるみで行っているわけで、政府機関、警察機構すべてがこの様に法秩序もなければ、人権意識もないわけで、あるのは個人の利得関係のみで繋がっているということに他ならない。
ハニートラップで罠に嵌めて、その脅しの実行力が効かないとなると、組織ぐるみでコネクションが作動して、罠に嵌ったカモはそれなりの制裁を受けることになるが、その間にきちんとした法秩序が全くないので、各セクションのさじ加減でどういう風にでもなるのである。
まさしく山の中の道路で偽警官が罰金を取るようなものである。
これって山賊と同じというわけで、これが中国の全土で起きているとなれば、もう主権国家というよりも近代国家の体をなしていないということである。
国家の体を成していなくても、その領域の中に生息している人間は何とか生きているわけで、国家の保護があろうがなかろうが人は生き続けねばならない。
統治者あるいは為政者の立場として、隷下の人民、臣民、国民、庶民を腹いっぱい食わせねばならないという使命感はどこかにおいてきているので、あるのは組織のトップの覇権争い、派閥抗争でしかないということである。
相手がこうであるにもかかわらず、我々の側は、相手を自分と同じ価値観の人たちだと思って日中友好を信じて疑わないが、それは綺麗ごとの自己満足以外の何ものでもない。
社会的な地位があって、公的な職務に就いている人が、安易で無責任な言辞を弄するわけにもいかないことは重々承知しているが、だからと言って相手を利するような措置を取ることもなく、あくまでも自分たちの国益を考えて、日本の国益にそうような措置を講ずるべきだと思う。
両国の留学生の交流というのも、普通の常識としてゼロというわけにもいかないであろうが、技術流出が懸念されるようなセクションンには、よくよく注意が肝要である。
それと規則とか契約の厳格な施行を相手に迫って、彼らが勝手に拡大解釈して、なし崩し的に無政府状態にならないように監視が必要だと思う。
留学生で入って来て、不法就労とか不法滞在とかをさせないように、厳重に注意して、日本では金稼ぎがとても採算に合わない、ということを知らしめるべきだと思う。

『草の根の軍国主義』

2012-12-25 20:00:01 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『草の根の軍国主義』という本を読んだ。
著者は佐藤忠男という人で奥付によると映画評論家ということだ。
表題の「草の根の軍国主義」というフレーズは私も共感を覚える言葉だ。
私のように戦前生まれではあっても、戦後の教育で育ったものからすると、軍国主義というのは一部の悪人としての軍人に強制されて軍国主義であらねばならなかったので、軍人以外の人は皆被害者だという意味合いで教え込まれていた。
しかし、この地球上に生きている人間を、人間という生き物の自然の在り様として眺めた場合、軍国主義も平和主義もあり得ないと思う。
この地球上に生きている生命体は人間ばかりではなく、動物も、植物も、あらゆる生物、微生物もいるわけで、それらはお互いに食ったり喰われたりして生きている。
野生動物でも自分の同族はお互いに食い合わないと思う。
虎が虎同士で食い合うということはないと思し、ライオンもライオン同士で食い合うことはないと思う。
ところが人類は人類同士で殺し合うのは一体どういう事なのであろう。
人間は地球上の生きもの中でも、万物の中の霊長類として一段と崇められる立場であるにもかかわらず、同類同士で殺し合うことをどういう風に説明したらいいのであろう。
この本は日本が昭和の初めの時期に、アジアで覇権を追い求めた背景には軍国主義があったからではないかという考察から解き起こしているが、覇権を追い求めるためには自分たちの結束が不可欠なわけで、その接着剤として軍国主義が機能していたのではないか、という疑問を掘り起こすことから始まっている。
今の日本人は、この時期の日本の振る舞いをアジアに対する侵略という言い方に何の疑問も、良心の呵責を感じずに使っているが、それは歴史を見る視点としておかしいと思う。
侵略という言葉には、明らかに他人の領域に押し入って、そこにあるものを略奪するというイメージがある。
だから正義ではない、正しくない、悪い事だ、という価値判断は人間の生存を否定する綺麗ごとだと思う。
現に中国の歴史は、異民族が既存の民族、既存の王朝を征服した歴史であって、それが何層にも重なった歴史ではないか。
その最後に日本民族が彼らの上に覆いかぶさった時だけが何故侵略という悪魔の再来のような言い方で非難されるのだろう。
漢民族、元という王朝、匈奴、女真族、日本民族などなど、皆、生きんがために熾烈な生存競争を展開しただけで、攻められた方の憤懣やるかたない憤怒の気持ちは理解できる。
だから、彼らが言うのは致し方ないが、我々の側から使う言葉ではないと思う。
我々はアメリカと戦争して完膚なきまでに徹底的に敗北したが、アメリカが日本を侵略したという言い方は決してありえない。
けれども、その敗北の原因追究として「無謀な軍国主義に酔っていたからではないか」という反省に立って、あの時代の我が同胞の立ち居振る舞いを検証しようとしている。
我々は今、戦争中に中国を侵略したことを申し訳ない、という気持ちで負い目を感じているが、あの時代の我が同胞の目に映る中国の地は、まさしく広大なユートピアに映っていたわけで、その地に住んでいた原住民は西部劇に出てくるインデアンでしかなかったわけである。
そこを肥沃な農地に変え、緑の大地にして、穀倉地帯にするには、日本人のバイタリテイーでなければならず、それは同時に日本の生命線でもあったわけだ。
ところが相手からすれば、日本鬼子が勝手に入って来て俺たちの土地を取り上げた、という言い分になるのも当然のことである。
この生きんが為の両者の諍いを、文明論的に理由付けをすると成ると、我々の側では支那事変といったり、日中戦争といったり、言い方はいろいろだが、実質は日本と中国の生存競争の一端なわけで、これを正義とか、善悪という価値観で測ること自体不遜なことだ。
ただ日本はトータルとして連合軍に敗北したので、負けた方の言い分が封殺されるのも自然のことで、我々が悪者にされて「侵略した」と相手から言われても反発はできないのは当然のことである。
だからと言って、我々の側から侵略という言葉を使う必要はないわけで、こういう物ごとの筋を通すということが我々は極めて曖昧で、それが戦前の我々に軍国主義をのさばらせた最大の理由なのではなかろうか。
公立学校に奉安殿を作って、そこに御真影を安置して、恭しく奉るということを誰がどういう目的で遂行したのであろう。
私は昭和の初期の時期に軍人がのさばった最大の理由は、当時の政治家の堕落だと考えている。
この本にも述べられているが東条英機の経歴を見ても、彼は軍の機構の中で完全に純粋培養されている。
それに比べれば当時の政治家でも立派な高等教育を受けた人も大勢いたに違いなく、そういう人達が軍の機構の中で純粋培養された単細胞の軍人に対して、弁論と知恵と才覚で太刀打ちできないはずはなかったと思う。
あの当時だって文部省はきちんと存在していたと思うが、その文部省は奉安殿の御真影をどう考えていたのであろう。
年間の節目節目の記念日に、学校長が恭しく御真影を戴いて、教育勅語を奉読する式典をどういう想いで見ていたのであろう。
私は戦後に教育を受けた世代なのでその実態は知る由もないが、戦時中は日本全国、津々浦々に至るまで軍国主義一色であったが、この時、当時の知識人、ジャーナリスト、国会議員、大学の先生方、教育関係者は一体どうしていたのであろう。
この本の中では、中学校の校長が入試で御製を奉読して、それに首を垂れなかった生徒を不採用にしたという事例が述べられているが、こういう事例は随所にみられたわけで、その当時、社会的地位の高い人のこういうナンセンスな行為を誰も咎める者がいないということは一体どういう事だったのだろう。
中学校の校長ともなれば、それなりに高等教育も受けていたであろうに、こういう階層のものが、「御製に首を垂れなかったから進級する資格がない」と判断するナンセンスぶりは一体どこから来ているのであろう。
この事例を鑑みるに、この時代の社会的地位の高い人たちの享受した高等教育の実態というのは一体何であったのだろう、またその効果がいささかもあらわれていないということは一体どういう事なのであろう。
教育というものが、人間の知性や理性やモラルの向上や、合理的な判断力の涵養にいささかも貢献しうる要因を含んでいないということであろうか。
この校長ばかりでなく、当時、つまり戦前の日本社会で、まさしく陳腐としか言いようにない立ち居振る舞いが、皇国史観として大手を振って罷り通る状況の中で、その時の文化人、教養人、学識経験者、ジャーナリストという人たちは何をどう考えていたのであろう。
問題は、そういう人達は無学文盲の烏合の衆ではないわけで、当時においても立派な高等教育を受けた人たちであった筈で、その人たちの受けた高等教育が、軍人や軍部の跋扈する事態に対して、どういう対応を指し示したのかという点である。
鳩山一郎の統帥権干犯問題や、美濃部達吉博士の『天皇機関説』や、斉藤隆夫の粛軍演説に対して、その当時高等教育を身につけた教養人、知識人はどういう対応をしたのかということである。
私の推測では、おそらく口にチャンクをして沈黙していたのではないかと思うが、それでは身につけた高等教育が意味をなさないではないか。
無学文盲の大衆が、特高警察や青年将校がちゃらちゃら鳴らすサーベルの音に震え上がった、というのならばまだ理解できる。
だが旧帝国大学を卒業して広範な知識を持ち、教養知性にあふれたインテリ―が、軍という井戸の中で純粋培養された狭量な思考しか持ち合わせていない軍人に、弁論や知恵や才覚で負けるとは思えないが、そういう教養人は軍人に対して正面から議論を挑んだであろうか。
非軍人としての教養人の受けた高等教育は、軍人の偏狭さを打ち破るに足るだけの能力が無かった、それだけのパワーを持ち得なかった、ということを我々はどう考えたらいいのであろう。
それと同時に、この時代の高級将校の通った道として、幼年学校、士官学校、陸軍大学という職業訓練校の中で行われた教育というのは一体何であったのだろう。
この本によると、東条英機という人は非常に派閥抗争に長けていた人とされているが、こういう職業訓練校の中で仲間内の足の引っ張り合いを奨励していたとも思えないが、この足の引っ張り合いというのも陸軍だけの現象ではなく、日本民族のあらゆる状況下で起きているわけで、ある意味で日本社会の縮図という面も無きにしも非ずである。
問題は、こういう環境の中で行われた教育の本質そのものである。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という孫子の兵法は、当時は子供でも知っている普遍化した常識であったが、にもかかわらず英語を適性語として使用禁止にするという措置をどう考えたらいいのであろう。
これに対して幼年学校、士官学校、陸軍大学というエリートコースを歩んだ陸軍の高級将校、高級参謀はどういう所感を持ったのであろう。
英語を禁止して、敵の情報をどうやって探りだせると考えていたのであろう。
この時、非軍人の教養人や文化人は一体どういう感想を持ったのであろう。
戦争をしている敵の言語を禁止して、どうやって敵の情報を探ったらいいのだ、という疑問を誰一人抱かなかったということは一体どういう事なのであろう。
特に軍人、高級将校、高級参謀になればなるほど、情報収集の重要性を痛感しているはずなのに、そういう立場の者が率先して、敵の言語を禁止するように籏振りをするなどということは、本当に戦争の意義、近代戦の本質を知っていたのかと大いに疑問に思わざるを得ない。
幼年学校、士官学校、陸軍大学では一体何をどう教えていたのか大いに不思議でならない。
それと同時に、こういう職業訓練校の出身者に政治をほしいままに翻弄されている教養人、文化人、知識人の有り体も実に情けない。
中国の前線では一銭五厘のハガキで集められた同胞が血みどろの戦いをしている一方で、内地では恵まれた環境で高等教育を享受した教養人、文化人、知識人が、単細胞の軍人のサーベルの音に縮あがって震えている構図である。
戦後67年を経た今日、歴史の検証としてすべきことは、日本を敗北に導いた軍人たち、特に高級将校、高級参謀たちの受けた教育は一体何であったのか、ということを深く掘り下げて考える事だと思う。
それと同時に、文部省、今の文部科学省の元での高等教育の本質を検討しなおすることも合せて重要なことだと思う。
軍人、軍部が邪なコースに入り込もうとした時、当時の政治家にはそれを正す方策も手段も勇気も持ち合わせていなかった。
この時の政治家といえども、有象無象の輩ではないわけで、それなりに教養知性を備えた帝国大学を出た人士であったに違いなかろうと思が、そういう人達の教養知性が軍人の独断専横を抑制する力になり得ていない、ということをどう考えたらいいのであろう。
あの時代の軍国主義の隆盛には、当時のメデイアが大きく貢献していたことは否めないと思う。
当時のメデイアと言ってもあの頃は当然のこと、新聞とラジオしかなかったわけで、その責任は新聞により多くの責があると思う。
ラジオは当時はまだNHKしかなく、当然のこと、国営放送みたいなもので、政府と軍の広報を担っていたに違いない。
問題は新聞であって、これが軍国主義を煽りに煽ったということだ。
新聞は民間の営利企業であって、利潤追求が至上命令であるので、売れる内容でなければならない。
大衆が喜んで買ってくれるように企業努力を重ねばならないが、その為には真実を大いに誇張して、人々が感激し、感涙にむせぶような記事にしなければならないわけで、そこで軍国美談のねつ造ということに行き着いてしまったのである。
肉弾三勇士の話も、木口小平の話も、読者を喜ばせるために過剰に誇張が加えられて報じられたわけで、そこで英雄がねつ造されるということになったのである。
戦争を報道するメデイアについてよくよく考えねばならないことは、百人切りの話だとか、大江健三郎の「沖縄ノート」などにある、事実の歪曲であって、それこそ戦意高揚のために、あるいは平和を愛するという美名のもとに、事実を針小棒大に報じて、その拡大された虚報が事実として定着してしまうことである。
私が不思議でならなことは、あの時代の我々の同胞は、死に対して如何にも安易に考えていた節があるが、あれは一体どういう事なのであろう。
サイパンでも沖縄でも民間人が安易に自決しているが、軍人や兵隊が徹底抗戦で結果的に死に至るというのならばまだ理解できるが、民間人が敵と目の前で対峙しても死ぬことはないと思う。
サハリンの電話交換手の自決も、民間人でありながらロシア兵からの辱めの前に命を絶つという心境も判らないではないが、それにしても命を粗末にし過ぎのような気がしてならない。
基本的には命の値打ちが低かったから、特攻隊という死に方に至ったように思われる。
そもそも日本の軍の高級将校にとってみれば、下士官とか兵というのは一銭五里のハガキで集められる消耗品でしかないわけで、自分たちの同胞という感覚は無かったに違いない。
日露戦争の時の乃木希介には、203高地の攻略で下士官を大勢死なして申し訳ないという意識があったが、第2次世界大戦時の高級将校には、そういう意識はあまり無かったように思う。
我々の日本民族は、為政者や統治者にたいして極めて従順な民族で、上から命令には極力素直に従う性癖があるようで、先に述べた英語の適性語にしても素直に従っているが、これは我々の価値観として、「素直に従うことが善き事」という刷り込みが根強く社会に浸透しているからだと思う。
そうでなければ社会は円滑に回らないわけで、その部分はそれでいいが、問題はそれから逸脱した振る舞い、あるいは個人に対してどういう対応をするかという点である。
法に抵触するような逸脱行為ならば法に則って処罰すればいいが、それほど極端ではなく軽便な場合は、周囲の同胞のパッシングを受けることになって、これが我々の行動を大きく抑制するパワ-になっている。
他人が自分のことをどう思っているか、という思いが自己の行動を大きく規制している。
問題とすべきは、自己以外の他人の忠誠心なわけで、例えば適性語の英語を使うと、隣の人が警察に密告するが、この密告する人は隣人を貶める為というよりも、祖国を愛するために国の指針に忠実であろうとする善意として、結果的に隣人を官憲に売るということになる。
戦時中に知識人や文化人が沈黙を通したというのは、こういう我々同胞の性癖を知っていたので、自分が時流に掉さすような言動をすれば、家族や親せき縁者に迷惑がかかることを恐れて、「見ざる聞かざる言わざる」に徹したのであろう。
考えなければならないことは、国家に貢献する、自分の国を愛するという美名のもとに、他人の立ち居振る舞いを批判し糾弾する行為である。
こういう他人の自己への干渉が恐ろしくて、本音を隠さねばならなかったわけで、人々が自分の本音を封殺されたから、軍国主義に抗えなかったに違いない。
しかし、昔の大日本帝国には陸軍には陸軍大学があり、海軍には海軍大学があって、それぞれに戦争について如何に勝つべきか、勝つための最良の方策は、最も経費の掛からない勝ち方は、などなど勝つことを前提に研究がなされていたと思うが、それが結果として敗北ということは、そこで行われていた教育とは一体何であったのであろう。
戦後の歴史への検証でも、この陸軍大学、海軍大学の教育内容を考察する言及は見当たらないような気がしてならない。

『文民統制』

2012-12-20 16:47:18 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、『文民統制』という本を読んだ。
サブタイトルには「自衛隊はどこへ行くのか」となっているが、著者は纐纈厚という学者である。
学者であるから極めて明確に反体制、反政府、反自衛隊というポーズを鮮明にしての論旨であるので、それはそれなりに意義のある内容である。
だが少々新鮮さに欠けていて、2005年の発行では旬の時期はとうに過ぎているわけで、いささかタイミングを逸した記述だ。
しかし、学者らしく言葉の定義から解きほぐしているが、この言葉の定義というのも実に低次元のものでしかない。
シビリアン・コントロールのシビリアンは一体何なんだ、というところから掘り起こしているが、こういうアプローチそのものが議論の組み立ての幼稚さを指し示していると思う。
以前、日米安保の議論の時、「極東の範囲」ということで国会が紛糾したことがあるが、こういう幼稚な議論は日本の政治の堕落そのものである。
自衛隊という武力集団のトップに内閣総理大臣を据える、という現行体制そのモノがすでに立派なシビリアン・コントロールになっているではないか。
昭和の初期の時代には東条英機という軍人が総理大臣を務め、その時にアメリカとの開戦になったので、そのトラウマから戦後は自衛隊という武力集団のトップは、非軍人の内閣総理大臣が務めることになった。
戦後の日本で、あるいはこれから先の日本で、自衛隊の幹部が内閣総理大臣になる可能性が考えられるであろうか。
内閣総理大臣は軍事とか、安全保障以外にも様々な決済事項を抱えているわけで、当然その下にはそれを専門の所管する防衛庁、今では省に昇格して防衛省になり防衛大臣を拝するまでになった。
行政の組織としては、大臣の下に大臣を補佐するスタッフを置くことは充分に考えられることで、防衛庁にも内局という部門と、実施部隊の峻別というのは当然あった。
どこの国家でも、軍という組織は戦うことに特化したグループであって、その意味では特殊な集団であり、技能を持ったグループであり、武器を携行した実力部隊であることに代わりは無い。
戦後の自衛隊は、先の戦争の体験がトラウマとなって、その創設の時は内務省の管轄下で警察の延長線上の組織として考えられていた。
普通の主権国家の軍隊ならば、軍に関する人事権、補給の調整、予算に関して、直接軍籍にあるものがそのままタッチできるが、戦後の自衛隊はその部分が一般の公務員、要するに背広組が行っていた。
だが、この背広組は実施部隊の実情に疎いものだから、いろいろと齟齬が生じるわけで、それが制服組のストレスになって、制服組が背広組を疎ましく思いつつあるのがケシカランという論旨である。
ここに大学教授というような知識人の奢りがあるわけで、自衛隊の制服組に対する偏見があって、自衛隊で制服を着ているものは、人殺がしたくてしたくてたまらない連中だ、という誤認がある。
その誤認を自ら正そうとせず、間違った思い込みのまま論議を推し進めるのである。
それは戦前の我々の同胞が、社会の上の方の、あるいは組織の上の方の人の言う事を鵜呑みにした構図と瓜二つで、そういう人の言葉を自分の頭で以て斟酌せず、鵜呑みして社会の上の方に、あるいは組織の上の方に忠実たらんとしたからに他ならない。
天皇陛下の御真影を遥拝して戦争に勝てるわけがないではないか。
天皇陛下が現人神であるわけがないではないか。
誰がそんなことを普通に常識のある社会人や、理性的であるはずの学生に無理強いして教え込ましたのだ。
それを黙って受け入れる方もどうかしているが、ましてそれに忠実たらんと従った、向こう3軒両隣リの近隣同胞の存在も、今から思うと不可解千万である。
昭和の初期の日本がこういう状況に陥ったのは、明らかに政治の腐敗堕落であったわけで、政治が腐敗し、政治家が堕落したから軍人が政治を牛耳ったわけで、政治家がきちんと政党政治を全うしておれば、軍人がその隙に出てくることはなかったはずである。
では何故政治家が堕落し、軍人をのさばらせる状況に至ったかといえば、その理由は我々日本民族は政治の本質を未だに理解し切れてい、ということだと思う。
つまり我々の過去の歴史、明治維新までの歴史では、普通の市民、すなわち市井の庶民が政治をした経験が無いわけで、それまでの政治は武家か皇室のものであった。
明治維新になって一般の庶民から選出した代議員によって政治が行われるようになったが、一般の庶民から選出された代議員も、国の舵とりをした経験は無いわけで、何をどう決すればいいか皆目わからなかったに違いない。
2大政党制になって、健全な議論を積み重ねようとしても、今までに自分たちに統治という経験がないものだから、相手を舞台から引きづりおろして、自分がそれにとって代わるぐらいの事しか思いつかなかったのである。
軍人をのさばらせるきっかけになったのが、ロンドン軍縮会議において全権団が艦船の保有率を決めてきたことに対して、「統帥権の干犯だ」と鳩山一郎が騒いだことにある。
これは明らかに彼のスタンドプレーであって、人気取りのパフォーマンスでしかなかったが、政党政治はこれによって死滅してしまったのである。
鳩山家というのは3代にわたって日本の政治を混沌の渦に巻き込んだ家系で、世が世ならば獄門磔に処せられるほどの日本民族の敵である。
政友会と民政党の意味のない言葉狩りの典型的なものが統帥権干犯問題であったわけで、我々の場合2大政党の議論が双方の言葉狩りに終わってしまうところが討論のテクニックの未熟な部分である。
論理的に考えれば、政府から全権を委任されて交渉に臨めば、野党であろうともその条約は順守されるべきものであるし、それは天皇の権利としての統帥権を犯すものでないことは当然なわけで、 にもかかわらず相手の党を引きづりおろす為に執拗にそれを強調したわけである。
そこには正常な判断力が欠如していたわけで、その隙に軍人が主導権を押し込んできたのである。
政治家の堕落ということは、普通に常識のあるものが、普通に考えれば、今までとは変わった在り様になる筈がないのに、ある時、この普通ということがマヒしてしまって、普通でなくなってしまうのである。
その後日中戦争が進化してくると、ますます軍人に依拠する部分が多くなって、軍人が政局をフォローするのに、それを後押しするような形になってしまった。
大政翼賛会は軍人の強制で政党がそういう体制になったわけではなく、政党の方から軍部にすり寄って、政党の空中分解という態様になってしまったのである。
これはひとえに政党側の堕落の結果であって、その堕落の行き着いた先が、日本全国津々浦々にわたる軍国主義であった。
政府から全権を委任された交渉団が、交渉を締結して帰ってきたら、天皇の統帥権を干犯したという論理は、普通に考えれば有り得な話で、政治家たるものがこの軍部の横車をそのまま容認するということは、政治家足り得ないということだ。
だから政治家の瑕疵の部分を軍人・軍部がカバーしたわけで、その間当時の日本の国会議員は一体何をしていたのかということに尽きる。
あの戦時中にも日本の国会は完全に機能していたわけで、開戦の時の総理大臣東条英機は、ミッドウエー海戦の敗北で以て引責辞任したが、国会はきちんと機能していた筈である。
大本営の戦況報告は天皇に対しても、国会議員に対しても、国民に対しても嘘を言っていたわけで、それを是正できなかった政治家は一体何をしていたのかと言う事になる。
あの頃、軍人の中の跳ね上がりで政治感覚の欠落した若者が一方的な思い込みで蹶起する風潮があったことは大いに認めざるを得ないが、それをコントロールすべきが世の識者であり、組織のトップであり、政治家の使命であった筈である。
軍人の中の若手将校と言われる無鉄砲な連中が、前後の見境もなく過激な行動、つまりテロに走る状況を鑑みて、そのテロが恐ろしくてこういうリーダー的な地位にいる人たちが、自分の発言に尻込みした結果が軍人の跋扈を招いたと考えられる。
中国戦線では赤紙一枚で招集された将兵が血みどろの戦をしている最中に、暖衣飽食でのうのうと生きている内地のリーダーが、テロに怯えて言いたいことも言わず、筋の通った論議もせず、バカな軍人の言うがままになった政治家を、我々はどう考えればいいのであろう。
大本営の発表、ミッドウエー海戦の敗北を、当時の日本人は皆、日本側の勝利と聞かされていたというが、この欺瞞は一体どういう事なのであろう。
軍部の中からも、海軍の中からも、その結果に対する疑問というものは一切封殺されたということだが、こういう大日本帝国海軍が、時を経ずして海の藻屑と消えるのも極めて自然の摂理だと思う。
こういう愚かな軍を使いこなす政治が、シビリアン・コントロールであって、アジアに生息する諸民族の間では、普遍的に文民が野蛮な武人を使いこなすという思考が根付いていて、ものの考え方の基底には潜在意識としてこの発想が潜んでいる。
中国でも、朝鮮でも、君主が人々を統治するシステムとしては、文武両道を使い分けている。
その中でも文官の方に重きが置かれて、戦を専門とする武人、武士、防人というレベルの人々は一段下に見られるのが普遍的であった。
あくまでも政治の道具、統治の尖兵であって、文官はこういうレベルの人が政治の前面に出ることを忌み嫌うものである。
ところが昭和の初期の我々の政治家は、その根本理念を投げ捨ててしまって、愚かな軍人に政治の一切合財を投げつけてしまったということだ。
政治家として、未完の制度とはいえ国民の一部の選択を経た国会議員が、自分たちの鼻面をサーベルの音をチャラチャラさせて闊歩する青年将校に震え上がってしまって、そこで思考停止になってしまったことでシビリアン・コントロールが雲散霧消してしまったということだ。
我々日本民族の政治感覚は、その稚拙さにおいてつとに有名で、その稚拙さの元にある要因は、我々は言論というものの価値を認めないという点にあると思う。
我々日本民族というのは、比較的単一民族で、以心伝心という言葉もあり、男とは「黙って何とかビール」というコマシャルにもあるように、寡黙に価値を見出す習性があるので、口から唾を飛ばしながら声高に議論する有様を卑下する風潮がある。
ところが民主政治というのは究極の言葉の戦争なわけで、黒を白と言いくるめ、赤を黒と言いくるめる技が問われるわけで、そういう技量も才覚も我々には備わっていないので、国内の政治では嘘が罷り通り、異民族に関しては相手のごり押しに押されてしまうのである。
我々日本民族というのは極めて単一民族に近いので、他の民族との接触の経験に乏しいものだから、他の民族もみな自分たちと同じ思考回路で物事考えると思い違いする傾向がある。
「友達の友達は友達だ」という心理であって、「人はみな兄弟」という発想であるが、世の中はそんなに甘いものではない。
政治の局面において、今の時点で、あるいはその時点で解決を迫られている事柄に関しては、国全体として与党も野党も立場の相違というのはありえないはずである。
尖閣諸島の問題に関んして、与党も野党も立場の相違がないとなると、ならば両方を一緒にして大政翼賛会でもいいではないかという事になる。
これが戦前の日本の政治状況であって、その意味であの戦争の意義は、当時の日本の民族としての総意であったと私は思う。
人間の歴史の中で、統治のシステムとして文官と武官、武士との峻別は普遍的なものであって、戦を、つまり戦争を専門とするセクションは文官よりも低く見るのが、人類の普遍的な思考であったわけだ。
ところが我々の場合、文官つまり政治家が堕落していたので、きちんと武官、戦の専門家を統御しきれなかったため、軍国主義の蔓延となってしまったのである。
この本の趣旨は、防衛省には背広組と制服組があって、背広組が制服組の行動を縛っているので、制服組が反発するようになったので、シビリアン・コントロールが危機に瀕しているという論調であるが、この論旨には非常に偏見に満ちた視点だ。
制服組、つまり実質上の武力集団としての自衛隊を完全な人畜無害の集団のままにしておこうという意図のもとにこの本が編まれている。
この世のあらゆる組織にはラインとスタッフという仕事の役割分担というものはある。
組織の、組織としての究極の目的を追求し、実施し、遂行するラインと、そのラインを補佐するスタッフという部門があるのは組織としての普遍的なパターンだと思う。
防衛庁の中の背広組というのは、このスタッフに相当する位置付けだと思うが、ラインを補佐するスタッフが、ラインのことを何も知らないままでは有効な支援はありえない。
だから軍の組織としては、このスタッフにも軍人を配置するのが普通の思考であるが、日本の場合は自衛隊の成り立ちからして、他の国の軍隊とは異質なわけで、その部門に文民、文官がなっていた。
この著者は、この事自体をシビリアン・コントロールと認識しているようだが、まさしく盲人が像を撫ぜる構図と同じで、ラインとスタッフの考え方が合わないのも当然の成り行きになる。
この関係は、両方が車の両輪のように、本体のめざす指向に対して、足並みがきちんと揃ってこそ、組織の機能が万全となるわけで、それがちぐはぐでは前に進めないのも当然の帰結である。
シビリアン・コントロールの本質は、、この武力集団のラインとスタッフの身分に関わる問題ではなく、この組織の上に立って、それを有効にかつ迅速に動かすべく采配を振るうものが政治家であれねばならないということを指し示しているのである。
政治的決断によって軍隊が動くべきものであって、軍隊が勝手に動いてしまってはならないわけで、そうさせないためには政治家がきちんと軍の手綱を握りしめて、軍が勝手な行動をしないように監視しなければならない。
日本が戦争という奈落の底に転がり落ちた最大の理由は、政治家がテロの恐怖に怯えて自分たちの使命を放棄して、口をつぐみ、言うべきことを言わずに、時勢にすり寄った点にあった。
ここでも我々は言論による戦いが極めて稚拙で、例の美濃部達吉の『天皇機関説』でも、斉藤隆夫の粛軍演説でも、事件の初めのころには当人たちに大いに共感を覚えながら、事件が熾烈化してくると口をつぐみ、自分に振りかかる火の粉を振り払う仕儀に至るわけで、最終的には衆愚に阿ね日和見に徹し、みんな一緒に奈落の底に転がり落ちたということになったのである。
気が付いてみると軍部に騙されたということになるが、その軍部に一生懸命協力してきたことを忘れてしまって、騙されたという結果だけを言い立てても何の役にも立たない。
騙されまいと自助努力した人を非国民と言って差別し、蔑視してきた報いでもあるわけだ。
昨年の3月11日に東日本大震災が起きて、東京電力の福島第1原子力発電所の原子炉がメルトダウンして、放射能が周辺地域に飛び散って大惨事を呈した。
これは地震による災害に、東京電力の対応の不味さが重なって未曽有の被害を出したが、そのことによって日本の国民は原子力発電の危うさを身に染みて悟ったわけだ。
そうなってみると、日本全国津々浦々に至るまですべて原子力発電反対というムーブメントが湧きあがって、まさしく戦前の軍国主義の蔓延と構図が瓜二つになっているではないか。
国民、一般大衆、庶民というレベル、言い方を変えれば衆愚と言われる人間の塊が、そういう運動を起こすのならばまだなんとなく納得できるが、日本の知識階層や、ジャーナリストや、政治家がこぞって原子力発電反対の運動に馳せ参じるということは一体どういう事なのであろう。
放射能汚染のことを考えれば原子力発電など無いに越したことはないが、資源の何もない日本で、その後のエネルギー政策を考えた時、本当に原子力発電をゼロにして良いいものだろうか。
「地震によって原子力発電所が甚大な被害をこうむったから、もうそういう危険な物はいりません」とあまりにも短兵急に片付けてもいいものだろうか。
こういう場面で、日本の知識人や、ジャーナリストや、政治家や、大学教授というオピニオンリーダーたるべき人たちが、皆が皆、同じ方向を向いてしまっていいものだろうか。

「中国『反日』の源流」

2012-12-20 16:06:52 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「中国『反日』の源流」という本を読んだ。
題名の指し示している通り、中国の日本に対するあらゆる感情を掘り起こした記述であるが、これを一言で言ってしまえば、人間の持つ偏見という言葉に尽きる。
この世に生を受けた人間は、お互いの関係性の中で、「偏見を持ってはならない」といわれている。
それはそうに違いないが、それはあくまでも人間の理性がそういう綺麗ごとを言わしめているだけで、生きた人間の本音の部分では「偏見を持つな」と言われてもそう簡単に聞けるわけではない。
偏見ということは基本的には先入観に依拠する好き嫌いの事であって、嫌いなものを好きになれ、と傍から言われても、そう安易に相手の言う事を聞けるわけがない。
そんなことは常日頃、我々の身の回りにはある事柄であって、ことさら大騒ぎするまでの事ではない。
ところがこれが国家という人間の集団と人間の集団の関係性となると、個人の憎悪の関係とはまた異質のモノになる。
双方に、人間の塊としての社会が存在するわけで、お互いの潜在意識が社会の在り方にも大きな影響を及ぼすことになるので、この本の主題となりうるのである。
世の中の学者という部類の人たちは、モノの在り様を指し示すのに、何となく学問的な体裁を整えて、学究的な態度で物事を説こうと努力する。
それがいわゆる学会という世界であるが、アマチュアとして勝手に自由気儘に自分の思いを書き綴る遊びは、そういう既成概念にとらわれる必要もないので、それこそ糸の切れた風船のように、思考が自由気儘に飛躍する。
それで私メが思うに、アジア大陸に住んでいたネイテイブ・アイジアン、アジア大陸の先住民たちは、有史以来、大陸から離れた小島の住人を小ばかにしていたと思う。
ネイテイブ・アイジアン、アジア大陸の先住民たち、つまり漢民族であったり、モンゴル人であったり、女真族の人たちからすれば、絶海の孤島の住民など頭から小ばかにして、それこそ人間とさえみなしていなかったに違いない。
それが故に、ネイテイブ・アイジアン、アジア大陸の先住民たちはどこまで行っても陸の住人であって、陸から一歩離れて海を眺めてみると、絶海の孤島の住民はまさしく海人であったわけで、海の上では大陸の人々は手も足も出ずまさに恐怖にさらされたに違いない。
この現実が、いわゆる倭寇として先方に恐れられたが、その話には当然ありもしない尾ひれがついて、実際以上に恐怖感が煽られたに違いない。
そこには彼ら独特の民族文化も関わり合って、いわゆる「白髪三千丈」式の誇大な表現が罷り通る状況も加味されていたに違いない。
そのことによって倭寇の存在が実際の像よりも誇大に伝えられて、日本に対する恐怖と憎悪がより大きくなったと考えられる。
日本と中国という二つの国家の間で、先方の人々の考え方をこちら側、いわゆる我々日本人が云々言っても意味のない事で、あちらにはあちらの人々の考え方がある筈で、それをこちら側からああでもないこうでもないと言っても意味がない。
問題は、我々が相手に対してどう考えるかという点に尽きるわけで、我々日本人にとって中国という国は文化の先輩格の存在であって、日本文化の「師」と仰ぐ認識が根強く存在する。
それはそれで歴史的事実だから致し方ないが、問題はここで言う「師」に対してどこまで遜るかという点である。
戦前の中国、当時はシナ・支那という言い方が普通であったが、シナと日本ではあらゆる面で格差が顕著であった。
当時の中国は、西洋列強の富の草刈り場であったわけで、アヘンなどという麻薬が蔓延していて、ブラックマネーが普通に横行していたわけで、その中で日本は西洋列強と同じ歩調をとっていた。
言い方を変えれば、西洋列強の帝国主義的経済システムを運用して、富の集積を計ろうとしてが、西洋列強のようには、植民地支配イコール金儲けとドライに割り切って、富の収奪だけに徹し切れなかった。
同じアジア人、ネイテイブ・アイジアン、モンゴロイド、黄色人種という表層的なつながりで、ヨーロッパ系の白人と同じ思考様式にはならなかったが、これがあるが故に、中国大陸のネイテイブ・アイジアンからは舐められてしまった。
こういう経緯になるのもある面では致し方なく、我々の中国人を見る目は実に甘く、彼等ネイテイブ・アイジアンの本質を見抜けていない。
これは彼等の問題というよりも我々の側の問題なわけで、彼らは彼らの倫理で行動をしているので、彼らの倫理が我々のモノと同じだと思うから我々の側に欲求不満が高まるのである。
我々の側の欲求不満も、自分でそういう状況を創り上げているケースもままある。
我々の民族のモラルの中には、自己PRという行為に対してあまり好感を持ってそれを容認するという価値観は存在しない。
自分のことを他人に言いふらす行為を「はしたない」という価値観で以て戒める風潮があって、自分のことを他者にそうぺらぺらしゃべらないこと美徳としている。
だから「この島は俺たちのものだ」と先に言われると、それに対する反論が極めて稚拙で、結局は自らの占有権が宙に浮いてしまって、開発もままならないということになってしまうのである。
日本と取り巻く諸国は、中国、韓国、ロシアということになるが、これらの国は全て日本に対して文化的な優越感を持っており、その優越感が有史以来の潜在意識として刷り込まれている。
これはあくまでも偏見でしかないが、相手の偏見をこちら側から正すということはありえない。
だから相手の偏見はあるがままに受け入れねばならない。
普通の世界の常識では1+1は2であって、2+2は4であるが、彼らにかかると1+1は3で、2+2は5であって、それをこちら側がいくら「あなた方は間違っていますよ」と言ってみたところで、「我々の国ではこうだ」と押し切られてしまえばどうすることもできない。
そこで押し問答してみても一向に埒はあかないわけで、ならば国際的に我々の側の整合性を世界にアピールするほかない。
だが我々はこういう場合の対応が極めて下手で、世界に対して自分たちの整合性をアピールする手段と方法があまりにも稚拙すぎる。
だからここで自己PRの重要性が大きく影響してくるのであるが、この場面で我々は自分たちの価値観の謙譲の美徳を払拭仕切れないのである。
つまり、謙虚な態度を由とする価値観から抜け切れず、口から唾を飛ばして相手の悪口雑言を声高に叫ぶというという態度に出れないのである。
結果として、自分たちに正当性の主張が後手後手に回って、嘘も百辺言えば真実になってしまうということになるのである。
相手は自分の言っていることが正しいとか、嘘でないとか、真実でないということは一切お構いなしに、嘘であろうが、真実でなかろうが、自分の言いたいことを言いたいだけ、口から唾を飛ばして言いまくる。
こちらが反論すれば、ああ言えばこう言うこう言えばああ言うというわけで、そこには正義とか論理とか、整合性とか、筋道を通すという価値観は存在していない。
こういう発想をするところが中国人の中国人たる所以なのである。
中国の人々がそういう発想になるのも、人類の歩んできた道を考えれば必然的にそういう発想になるのかもしれない。
というのは中国には今でも50を超える民族がいると言われている。
これが一つの土地に生まれては死に、死んでは生まれてきたわけで、この地に住む人々にとって、自分の祖国というものはありえないはずである。
南北のアメリカ大陸にはネイテイブ・アメリカンとしてインデアンが住んでいた。
このネイテイブな人々は、ヨーロッパから来た人々に駆逐され土地そのものを奪われてしまって、その土地の住人は入れ替わってしまった。
ところがアジアではネイテイブ・アイジアンとして連綿と生き続けて、ヨーロッパ人に土地を奪われ、文化を抹消されることはなかった。
その代りそのことは同時に人種としての接ぎ木も、文化としての接ぎ木も経ずに来たわけで、ある意味で犬の純血種と同じで、極めて対応力の弱い、適者生存にもろい人々の集団ということになったのである。
だからその結果の在り様として、近代化に乗り遅れ、民主化に乗り遅れ、21世紀の人類としての適者生存に乗り遅れかかっているのである。
第2次世界大戦後のヨーロッパの先進国では、「そうがつがつ富や金を追い求めることを考え直しましょう、人間らしくもっとゆっくりと心に余裕を持ってのんびり行きましょう」という発想になっているではないか。
それに比べ中国や韓国のガメツさは一体なんだと言わなければならない。
このガメツさは、彼らの歴史と彼らの風土の厳しさが、その地に住む人々にそういう生き方を強いたというか、ほかの選択の道を閉ざしたと言える。
目の前に地球儀を置いて、それのアジアの部分を眺めてみると、その中で50余りもの民族がそれぞれに生存競争を展開しているのである。
食うか食われるか、生き残れるか死滅するか、それこそ適者生存の自然の摂理がそのままそこでは展開されるであるから、人間の英知などいうものは全く微小な存在で、あるのは自然の力のみである。
大自然が人間の生存を管理しているとなれば、それは人の生存が運によって左右されているということで、人為的なものでは何とも動かしようがないということになる。
この現実を身を以て認知している彼の地の人々は、人間が便宜的に、しかも人為的に、絵に描いた餅のような国家とか国とか民族という概念を全く信用していないのである。
彼らが信じている唯一のものといえば、自分自身でしかないわけで、それを補てん、補償するものは金でしかないということを知っているのである。
我々の認識では、人間は独りでは生きられないと考えがちで、人が生きるためには周りの人との協調関係を是認せねばならず、お互いに助け合って生きているという認識である。
ところが、アジア大陸の人びとは、独りで生きていけれないならば、周りの人から掠め取ってでも、自分一人は生き残らなければならない、という発想である。
相互依存、共存共栄などクソ食らえという思考である。
その根底には人口が多いので、人の命の価値が極めて低く、人などいくら死んでも構わない、という意識があるのでまさに怖いものなしである。
それに引き換え我々の側は、というよりも西洋先進国の側は、「人の命は地球よりも重い」という認識で、人が国家の意向で死ぬという状況を徹頭徹尾、回避しようとするので、死を恐れぬものと対峙すると、腰が引けてしまう。
今の世界を地球儀で眺めてみると、血で血を洗う抗争は各地で起きているが、人の死に対する価値観に大きな幅があって、それを安直に考えて国家や民族に対する貢献という形でもてはやして死を煽る国家もあれば、国家の名を冠した死を忌み嫌う国もある。
しかし、この生存競争の中で、適者生存の中で、死を恐れない者は一番強いわけで、民主化が進み人々が豊かな生活を望むようになると、どうしても個人の死を悼む感情が深くなり、死を忌み嫌う傾向になるので、諍いに直面したときは腰が引けた態度になりがちである。
ところが中国の人々は、最初から自分の民族とか自分の祖国という概念がないものだから、死に対しても極めて打算的で、自分が死ぬのは御免蒙りたいが、人が死ぬ分については一向に構わないのである。
ここで毛沢東の有名な言葉として、「原爆で人民が1千万、2千万死んだところで、まだ中国には13億という人間がいるのだから一向に平気だ」という趣旨のことを言ったとされている。
毛沢東の時代になると極めて現代に近いわけで、そうなればなったで新たな民族意識が醸成されて、それは資本主義や民主主義としてのアンチテーゼとしての思考を形つくることになる。
自分たちの内部に50もの民族を抱え込んでおきながら、それを内包した中華人民共和国という面の広さの権益にこだわることになった。
権益にこだわるということは、実利の軽重に重点を置くのではなく、あくまでも面子に重きを置いているわけで、虚像を飼う事にうつつを抜かしている姿であって、その基底の部分のある価値観が全く違っているので同じ土俵の上での議論にならない。
だからこそ彼らは国家とか民族という自らの同族性に価値を求めず、人間の個人個人の利得に揺れ動くわけで、それを別の言葉で言い表せば、究極の個人主義ということになる。
彼らには、種を撒いて、それが芽を出すのを待って、気長にその成長を見守り、丹精に世話をして、そういう血のにじむような努力の結果として美味しい果実を得る、という思考回路は存在していない。
美味しい果実を得るために、今まで陰で一生懸命努力して来た人を突き飛ばしてでも、目の前の美味しい果実を横取りするにやぶさかでないのである。
私個人としてどうしても我慢ならない事例は、中国から日本の大学に留学して、日本の大学で学位をとると、それを持ってアメリカに渡って、アメリカで生活する中国人の存在であるが、こういう人間の生き方はどうにも我々の価値観では受け入れ難い。
日本と中国の間では過去に不幸な諍いがあったことは厳然たる事実でるが、その諍いに対して「お前が一方的に悪い」という論法も相手を頭から否定する高飛車な態度であって、こういう論理で話し合いをするとなれば、相互理解はありえないではないか。
戦後、日本の政治的主導者は何度となく謝罪をしているにもかかわらず、その謝罪を意に介さないという態度は、日本に対して「朝貢の儀」を暗に求めているわけで、その潜在意識の在り様は、まさしく中華思想の再現でしかない。
今日においても彼らは世界の中心を意識しているわけで、13億の民のうち1億や2億死んでも何の痛痒も感じないという大きな自負心、あるいはグランドデザインがあるに違いない。
これが彼らの本質であったとしても、一衣帯水のわが国は、それを充分に認識したうえで彼らと付き合っていかねばならない。
そのためには相手を知ることが最も肝要であるが、その点が我々は極めて甘いわけで、我々の同胞の中に相手に通じて相手の利益に貢献する破廉恥な人間が数多くいる点が最も心配な部分である。
敵は目の前の相手ではなく、身内の中に居て、内側から相手に塩を送って、相手に有利な立場を提供して喜びに耽っているのである。


『孫文の机』

2012-12-12 08:04:46 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『孫文の机』という本を読んだ。
発刊まもない新刊書であった。
『孫文の机』というからには、孫文の中国革命、辛亥革命の事でも書いてあるのかと思って胸を躍らせてひも解いてみたら完全に期待はずれであった。
それでも孫文が使っていたという由緒ある机が、まわりまわって著者の関心を引いたということであって、読み始めると2・26事件の記述が詳細に書かれていたので、これは昭和史の深層をえぐる新事実でも出るのではないか、と期待を新たにしてみたが、それも詮無いことであった。
羊頭狗肉、上げ底の土産物と言った感じで、読み進むにつれてますます興が覚めていってしまった。
途中、足尾銅山の公害の話が出てきたので、ここでも社会の矛盾を鋭く突く記述に展開するかと思ったら肩透かしで、詩人と絵描きの話になってしまった。
私は高等教育を受けていないという僻みもあって、文学者とか芸術家という人たちを尊敬する気にはなれない。
その反対に、ノーベル賞を受賞するような科学者には、心から畏敬の念を惜しまない。
ただしここでも文学者という範疇の人は、私にとっては何の価値もない事に代わりは無い。
言うまでもない事であるが、人間はたった一人でこの世に生存しきれないわけで、他者との連携なしでは人間そのものが生存しきれない。
この現実を考えると、人々はモノを作る人、今流の言い方をすれば、製造業としての農家、魚民、それらの仕事をフォローすべく彼らの道具や漁具を作る職人たちこそ、人々から慕われ、尊敬され、畏敬の念を以て崇められて当然ではないかと思う。
ところが人類の誕生以来、具体的に人のために仕事する、人の仕事を支援する道具を作る人々は、モノを相手に仕事をしているわけで、どうしても対人関係には気を配ばないので、立ち居振る舞いが粗雑であるが故に、下品とか賤しいという価値観で見られがちである。
それに反して、花鳥風月を愛でるような環境の人たちは、今でいう富裕層なわけで、モノに立ち向かって肉体をぶつける肉体労働とは隔絶された位置にいるので、お互いに仲間内で寄り集まっては、ああでもないこうでもないと言葉を交わして、会話を楽しんでいる。
西洋でも日本でも、文学、芸術、哲学という学問というか人文科学というか、こういう範疇の形態は、いわゆる有閑層の占有物であったわけで、下層階級の者にとっては、そういう物を鑑賞する立場にはなり得なかった。
人間の過去の歴史において、人がモノを作るという行為は、下層階級の生業であったわけで、富裕なものが下層な人に命じて作らせたわけで、下の者は上から命じられるままに、依頼主の意向に沿うものを作っていた。
しかし、モノを作るという行為は、無意識のうちに創意工夫があるわけで、作る本人が少しでも楽がしたいがために、少しばかり工夫を凝らすと其れを今日の言葉で言い表せば「合理化」ということになる。
人類は太古の昔から、額に亜汗して働く人を卑下し、口先だけの綺麗ごとを言って人を誑かす人を畏敬の念を以て崇め奉るが、これは基本的に人間の業でしかなく、本当の人類愛があるとするならば、そういう世間一派の風潮は糾弾されて然るべきだと思う。
これは人類が生存にとって大矛盾なわけで、「戦争は悲惨だから止めましょう」と言いつつ戦争を根絶できないのと同じで、人は楽して金儲けが出来、役得の得られるポストめがけて、雲霞の如くに集中的に群がるのである。
100年前の人々は、自分の分に応じた生き方で満足していた。
ヨーロッパではごく普通に、パン屋の子はパン屋に、靴屋の子は靴屋に、大工の子は大工になるのが普遍的であって、日本でも明治維新まではそれが普通であった。
ところが明治維新で人々の潜在意識が大変革をしてしまって、従来の身分制度が全否定されたので、貧乏人の水飲み百姓でも高等教育を受ければ立身出世が可能だ、ということが白日の下に晒されてしまった。
その意味で、人々は自分の分に則って生きるという謙虚さを失ってしまって、目一杯、自分の至福を追いかけるという人間本来の野生のままというか、煩悩のままの生きる道を選んだということになる。
そこで本来ならば文学とか哲学とか芸術というものが、有閑層の慰みの思考であったならば、意識改革を成した庶民階層に対して、文明人としての立ち居振る舞いを説く行動を起こさねばならなかった。
西洋でならばノブレス・オブリージ、日本ならば武士道というものを庶民に解いて聞かせねばならなかったが、明治維新という変革の時期には、そういう精神的なインテリ―が日本にはいなかったと考えられる。
この「学問さえ積めば立身出世も意のままだ」という妄想は、我々日本人だけのものではなく、今では世界的に一般化した幻想になっている。
この地球上のあらゆる地域、国家、民族で、教育の向上が至上命令になっている感がするが、そうそう猫も杓子も高等教育を施す必要はないと思う。
教育は無いよりは有るに越したことはないが、教育といえども高等教育ともなればタダで出来る事ではないわけで、当然の事、費用対効果ということも考えねばならない。
日本のみならずアメリカでも中国でも、教育が一種の産業になっている感があり、「何々大学卒業」という紙切れが免罪符になっていて、それが金で売買されているのが現状である。
モノ作りの現場で額に汗して働いている人たちは、その大部分は高等教育を受ける間もなく、実社会に放り出されているので、その立ち居振る舞いは粗雑で気の利いた話しぶりはできないかもしれないが、そういう人たちも心の奥底では、自分の息子や娘たちには楽して儲けれる手段・手法を身につけさせてやりたい、という願望は持っている筈である。
つまり、私立の大学にでも入れてやれば、金を掛けただけの利得はあるに違いない、と思って学費を工面して子弟を進学させている人もいると思う。
私立大学にとっては、そういう人こそカモなわけで、私立大学という企業からすれば、学生がその後どういう軌跡を歩もうが、金さえ盗ってしまえばカモに用はない。
この世の中に学歴願望がある限り、私立大学という集金マシーンは根絶できないであろうと思う。
その集金マシーンが教育を旗印にしている限り、それを糾弾する動きは難しく、高等教育という大義の中で、一番学問として存在感のあるのが、哲学であり、経済学であり、文学である。
ところが、こういう学問はいわば口先の学問で、実習も実験もいらないわけで、ただ黒板とチョークがあればそれで成り立つ。
私立大学という集金マシーンにとっては最も設備投資の掛からない部門である。
私立大学という集金マシーンの中で、高い月謝を収めて4年間も、何をどう学んで、それを社会にどう生かすか、ということを考えているのであろうか。
こう考えると、私立大学というのも街中のパチンコ屋と何等変わらないように思えてならない。
だがこれが日本だけではなく、アメリカでも中国でも、その他の国でも同じように起きているわけで、世界的な現象になっている。
しかし、これは21世紀の今の現象であるが、問題は此処まで来る間に、日本の学問の在り様は一体どうなっていたのかということである。
金儲け主義の私立大学の設立に、日本の知識階層はどうコミットしてきたのかという点が大問題である。
日本の少子化というのはもう明らかになっていたし、日本の学問の世界の中のポジションも判っていたわけで、そういう現実に対して日本の知識階層はどういう問題意識で見ていたのかという点が最も大きな争点だと思う。
私は哲学とか、経済学とか、文学とか、法学とか、芸術などというものが、人間の生存に貢献する何ものも持ち合わせていないと考えている。
人間の生存にいささかなりとも貢献しうる行為は、やはりモノ作りに限定されると思う。
モノ作りの中には、当然のこと、農業を始めとする、漁業、林業も含んでいて、いわゆる一次産業を指しているつもりである。
明治維新以降の我々同胞は、術らくこの一次産業から逃げだすことを願って、高等教育を受けて、それを立身出世の踏切板として、第3次産業、第4次産業に就くことを夢見ていたということだ。
こういう我々同胞の潜在意識、あるいは時流に対して、文学や芸術は如何なる貢献をし得たのであろう。
夏目漱石の『吾輩は猫である』あるいは『坊ちゃん』という小説は、日本人に対していかなる社会的革新を持たらしたのであろう。
志賀直哉の『暗夜行路』は、我々に如何なる意識改革をもたらしたのであろう。
伊東深水の絵は我々に何を覚醒させたのであろう。
こう考えてみると、文学とか芸術というのは、人々の生き方の参考になるようなインパクトは何一つ持たないわけで、ただただ一瞬の心の揺らぎを喚起するだけで、有っても無くても誰もがいささかも困らないという存在でしかない。
ならば社会のゴミ的な存在ということになる。私自身は昔からそう思っている。
ただ資本主義の社会では、如何なることでも金になる工夫をしなければ生きていけれないわけで、先に述べた教育産業も、卒業証書という免罪符を乱発することによって私立大学というものが成り立っているわけで、それは企業の生き残り作戦としてあるのである。
それと同じ意味で、文学も、文学というものは気高いもので、創造力を涵養し、知的好奇心を満たし、自分が如何にも立派で教養深い人間であるかのように見せる小道具としては存在価値があるわけで、実態は何もないカオスに過ぎない。
こういう風に、文字を連ねて美辞麗句でゴテゴテに着飾った文章を発表すると、世間では立派な作品だともてはやすので、その事によって本の拡販に貢献でき、それが出版社の利益に直結するのである。
このように本の拡販に成功するように様々な賞を作って、その賞に入選するというポーズで以て、作品の付加価値を高め、本の販売の実績を上げているのである。
何なに賞に入賞したという作品は、本の販売実績の向上に貢献したことは事実であって、それは必ずしも作品の実際の評価を表すものではなくて、販売戦略の一環であったということも十分ありうる。
文学者とか芸術家という人が普通の人よりも崇められるのは、こういう人たちは自分から情報を発信し続けているが、普通の人はそういう事はありえないわけで、常に情報の受け手に甘んじざるを得ないので、どうしても発信する側にコンプレックスを感じ、相手を実態以上に大きく見がちになる。
ゴテゴテに飾った文章という意味では、この本の先の方で、2・26事件の蹶起文や、首謀者の一人栗原中尉の遺書の全文が記載されているが、その言葉の豊富さというか、修飾語の使い方の妙というか、美辞麗句の羅列というか、こういう文章はとてもではないが我々には書けない文体である。
この時代の人には、あの文章がすらすらと脳裏に反映したかもしれないが、我々には意味不明とも取れるほど難解な文章である。
2・26事件は昭和11年の出来事で、今から76年前のことであるが、この本に登場する栗原中尉は、28歳でこのにぎにぎしい遺稿を書いたわけで、その文学的素養を我々は今どう考えたらいいのであろう。
これの文章を今の時代に読むと、同じ日本文でありながらとてもすらすらと普通には読めない。
言葉が時代と共に変化するのは日本だけの事ではなく、あらゆる国、あらゆる民族で普遍的な事であろうが、古い言葉を時代を経てから読むということは、今ある知識の上にもう一段と昔の知識を積み重ねなければならないので、それだけ余分なエネルギーが必要ということになる。
ここで私が不思議に思えてならないことは、栗原中尉というのは軍人でありながら、軍人のグループがこういう蹶起文を書き、その軍人の一人がこういう遺稿を認めたわけで、ということは当時の軍人、いわゆる青年将校と言われる人たちは、こういう教養と知性を共有していたということになるが、これは実に驚くべきことだと思う。
私メの俗な言い方をすれば、実に頭の良い優秀な連中だった、という評価になる。
事実、彼らは頭が良く、頭脳明晰であったが故に、当時の政治家、経済界、軍部のトップの所業が我慢ならなかったに違いない。
これは戦後の全共闘世代にも通じることであって、頭が良くて政治的に早熟であると、理念理想を追い求める欲求が先走ってしまって、現実を直視することが疎かになる。
手順を踏んだ変革では飽き足らなくて、早急に理念理想を実現しよとするあまり、違法行為に走り、官憲に追い回されるような不手際を演じ、最終的には世間を敵に回すということになってしまう。
そういう世の中は基本的には政治の堕落であって、政治がしっかりしておれば、国の未来が揺らぐということはありえないはずである。
ところが国家の存立というのも、川の中の流れに翻弄される浮草のようなもので、自分だけがいくらしっかりしているつもりでも、周囲の状況が時の経過とともに変化するので、自分もそれに合わせねばならないことが往々にしてある。
大きな河に浮いた浮草が、「あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」と聞くと、ふらふらとこっちにすり寄ってくる。
そこで今までの利害得失に変化が起きるわけで、その時の利害得失が国民の各層でそれぞれに違っているので、この場面で意見が一致することがなく、国論は二分され、上へ下へと大騒ぎになる。
ところが、それを一つに収斂すべきが政治家の役目であるが、それをし得ない政治家が多すぎるので、軍部が政権を握ることになり、21世紀では火星人が政治の困窮を展開することになるのである。
ここで政治家が国の舵取りが出来ないという状況は、その民族なり、その国家の統治能力の問題なわけで、それこそがその国の強さであり、覇権であり、国力の表れなのである。
こういう場面で政治家が統治能力を欠くから、政治家に変わって軍人が出てきたり、党が出てくるのである。
我々は昔から「モノ作りには長けているが、政治は3流」と言われていることは、世界は日本民族をよく見ているということで、言われても当然である。
そこで我々は己の姿を鏡に写して、よくよく自分の本質を掘り下げて、自分の本質にマッチした進むべき道を戦略的に探究しなければならない。
だが我々は過去において、高等教育をそれなりに充実させてきたので、高学歴の人々、いわゆるインテリ―層の厚み、知識人が多くいるので、意見はなかなか一つに集約しきれない。
まさに「船頭多くして舟山に登る」ということになって、右に行こうとすれば危険だというし、左に行こうとすれば末世というし、上に行こうとすれば落ちるというし、下に行こうとすれば沈むというし、それぞれに一家言あるわけで、結局決まらないというわけで、決まらないまま流れているのが今の日本である。

『マッカアサーへの100通の手紙』

2012-12-09 15:52:19 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『マッカアサーへの100通の手紙』という本を読んだ。
サブタイトルには「占領下 北海道民の想い」ということで、北海道新聞の記者が綴った記録なので、取材の対象が北海道の人に限定されているが、占領下において我々の同胞の数多くの人が、当時の最高司令官マッカアサーに手紙を書いたことを記している。
この本のページを最初に開いたのが、きしくも(平成24年)12月8日、日本が71年前に真珠湾攻撃をした日であった。
私は朝起きて最初に新聞を開いたとき、どこかにこの日に関する記事があるか探したが、この日の朝刊にはどこを見てもそれに関する記事は無かった。
夕方、インターネットを見ていたら、ハワイの真珠湾でアメリカ人が追悼式が行った、という読売新聞の記事が目に付いたが、それも淡々と事実を伝えているだけである。
私は昭和15年生まれで、あの戦争の時はまだ小学生にもなっていなかったので、実体験というのはほとんどないが、それでも世代的にそういう話は身近にあった話として受け止めている。
終戦が5歳の時で、小牧飛行場に進駐してきたアメリカ軍のMPが、ジープで小牧の街中の女郎屋や飲み屋を巡回している光景がまぶたに映っている。
その時見たアメリカ人のMPの格好良さ、スマートさ、ジープという軍用車両の合理性に子供ながらにも驚嘆した覚えがある。
あのアメリカ人の体格の良さと、ジープという車の合理性を見て、「これでは我が方が勝てないのも無理ない」と子供心にも思ったものだ。
当時の日本の車、特にトラックは木炭車であって、運転席の後ろにドラム缶を二つ繋いだような窯を持っていて、そこに木炭をくべてもうもうと煙は出すが、一向に力の出ない車であった。
この現実を、洟垂れ小僧の私が指をくわえて眺めながら、どうして大人はこんなアメリカと戦争したのか不思議に思えたものだ。
歴史というものは実に面白いもので、時間が経つにしたがって、古い事実が次々の掘り起こされてくるところがある。
時間の経過とともに、過去の秘密が次々に解除になって、封印されていた事実が明るみに出るということがある。
最近、NHKで放送されたBS歴史館『ミッドウエー海戦』という番組の中で、加藤陽子という大学の先生は、連合艦隊司令長官の山本五十六は当時の日本国民を「衆愚の輩」という認識で見ていたと述べていた。
私の個人的な考え方としては、戦争に負けるような軍人、戦争に勝てないような将軍ならば、戦争のプロフェッショナルとして意味をなさず、国費でそういう人間を養う意味がなかったように思う。
このNHKの番組では、ミッドウエー海戦の敗北は、日本海軍の想定外の事があまりにも重なりあった、と述べているが、想定外のことを想定してはじめて戦争のプロフェッショナルなわけで、事があらかじめ想定された通りに動くのであれば、訓練も準備も最初から不要ということになる。
私の関心は、山本五十六が国民を衆愚とみなしていた点に、彼の慧眼を見る思いがする。
彼は世の中というものをよくよく知っていたに違いないと思うが、惜しむらくは、古典的な古武士の精神構造であったが故に、西洋のプラグマチズムの生贄になったと思えてならない。
というのは情報の軽視、暗号解読の認識の甘さ、が彼の生涯そのものを悪魔の餌食にしてしまったと思えてならない。
彼はある意味で生粋の海軍士官であり、イギリス風のジェントルマンであって、奇襲作戦とか、暗号解読という汚い戦法は、本来ならば忌避したいところであろうが、何が何でも勝つという大命題の前では、そういう綺麗ごとも言っておれず、真珠湾では彼の戦略が功を奏したが、ミッドウエーではそれが裏目に出たということになる。
ただ私が問題にすべきところは、山本五十六が衆愚とみなした日本国民である。
昭和の初期の日本の実情というのは、まさしく山本五十六のような経歴の人間から見れば、衆愚、烏合の衆、有象無象の輩に見えたのも偽らざる心境であったに違いない。
ところが世の中の動きというのは、そういう人々の意向に沿って動くわけで、その結果として戦前の軍国主義の跋扈ということが起きたと考えられる。
「天皇の軍隊」という言葉も、昭和天皇自身が自分の言葉で「帝国軍隊は朕の軍隊である」と言ったわけでもないのに、世間一般にはそうなってしまっていた。
日本陸軍が政府や天皇の意向を無視して中国に進出しても、誰もそれを正規の軌道に乗せるべく、プリンシプルを貫こうとせず、目先の利益に幻惑されて容認してしまったので、抜き差しならなくなってしまった。
その不整合の部分をアメリカは突いてきたのだが、その時点ではすでに既成事実が出来上がってしまっていたので引くに引けなくなってしまったということだ。
戦後に生きたものとして忘れてならないことは、先の戦争の悲劇性の根源を、我々はともすると軍部の責任として糾弾することで自己の責任を昇華した気でいるが、これは根本的に間違った認識だと思う。
軍部や軍隊の立ち居振る舞いの背景には、日本の国民の潜在意識が反映されているわけで、それは貧乏からの脱出という無意識の願望が軍隊を構成している構成員としての農民や百姓の中に息づいていたということである。
戦後になって、あの戦争の責任を軍部や軍人に蔽い被せて「悪いのは彼等だ」という評価を下して、国民大衆は被害者だという論旨で、自己を正当化しているが、彼らの言う悪人に仕立て上げられた軍人や軍部も、元を正せば地方の農民や食うや食わずの水飲み百姓であったわけで、そういう人たちが時の時流に便乗して、無責任にも軍国主義を吹聴して回ったのである。
人が生きるということは、基本的には生存競争を生き抜くということであって、自分が生きんが為には如何に上手に時流を見極め、その時流に便乗するかにかかっているのである。
だから生き馬の目を抜く厳しい現世を生き抜くためには、その時々の、その場の状況にあった時流を見極め、それが軍国主義の時代ならば真っ先にその旗振りをし、それが平和主義の時代になれば反政府、反体制の旗幟をはっきりさせることで、時流に乗っかることが出来るのである。
しかし、終戦直後の我々同胞の政治に対する関心というのは、戦時体制の元では我々は見事に騙され、嘘で塗り固められていた事実を知るにつけ、同胞の政治家および軍人に対する不信感は極限まで高まっていたに違いない。
そういう状況の中に、マッカアサーという新しい統治者が現れると、それに対する全幅の信頼というのも、ある意味で前世期の反動という面も無きにしも非ずであろう。
戦前・戦中・戦後と虐げられてきた日本の国民、庶民にとって、文字通り解放軍であり、救世主であり、慈愛に満ちた為政者として映ったとしても不思議ではない。
この本を読んでみると、占領下においてマッカアサーが絶対的な権力を握った新しい統治者として君臨している状況下において、「良い世の中にする」という口実の元、自分の周囲の人間を密告する気風が感じられる。
そういう事を考える人は、本人自身はそれこそ清廉潔白で、真面目で、正直な人だとは思うが、いかなる社会、いかなる組織でも、必ず腐敗した汚い部分はあるわけで、それは我々の国だけの事ではなく、いかなる国でも同じだと思う。
本人が真面目であるが故に、周囲の汚い部分が気に障り、それを正そうと真面目に考えた結果が、密告という手段になるものと推察する。
人が人を統治している社会で、正しいとか正しくない、善とか悪、正義と不正義という言葉は何の意味も持たないわけで、人は他者との生存競争の中で、適者生存の自然の摂理の中でサバイバルをして生きているのであって、綺麗ごとを言っていた日には自然淘汰されかねないのである。
昭和初期の日本は貧しくて、日本の大部分の人は食うや食わずの農民で、そういう人たちが軍隊に入ってアジアを自分の眼で見てみると、アジアにはまさにフロンティアであって、そこに進出すれば貧乏からの脱出が可能だと思うのも自然の流れである。
アジアの側からすれば、侵略されたという論理であろうが、我々の認識ではサバイバルであったわけで、そうしなければ我々は飢え死にしたかもしれない。
現に終戦直後は日本民族は餓え死にしかかったではないか。
それを救済してくれたのはアメリカの食糧支援であったので、その意味でもマッカアサーは日本国民から慕われるのも当然の成り行きではある。
しかし、我々の隣人が新しい為政者に同胞の悪事を密告するというのも、日本人にあるまじき行為ではあるが、組織の中で職権や権威をかさに着て悪事を働く同胞や同僚の存在も由々しき問題ではある。
しかし、密告と言うのはどうにも汚い行為に見えてならない。
この本の中でも述べられているが、戦前・戦中の軍国主義は案外在郷軍人会という組織の監視が厳しくて、人々は本音を言う事を憚ったのではなかろうか。
要するに、密告されることの恐怖に怯えて、言うべきことも言わずに沈黙してしまったわけで、治安維持法があったからモノが言えなかったのではなく、近隣の同胞や周囲の隣人の密告が恐ろしくて、本音を言う事を抑えていたと思われる。
この本の中には、旧ソビエットの日本人捕虜の扱いに対する救済の手を差し伸べるようにマッカアサーに懇請する手紙もあったが、旧ソ連の日本人捕虜の扱いに関しては、もっともっと積極的に相手の非を糾弾するキャンペーンが必要だと思う。
ポツダム宣言受諾後のソ連側の武力行使と戦争犯罪については、世界の世論にもっともっと積極的にキャンペンを貼るべきだと思う。
ソ連が崩壊したから言うのではなく、ソ連という国、旧ソビエット連邦という国家、共産主義という政治体制の元での不法行為、こういう点を相手に突き付けて、こちらの整合性を積極的にアピールすべきだと思う。
我々は自分がいくらひどい仕打ちを受けても、長い時間が経つとその恨みつらみを綺麗に忘れて、目先の利益に惑わされそうになるが、そうあってはならない。
戦後の日本が戦争放棄を憲法で謳っているのであれば、我々の武器は言論でしかないわけで、口で言い合うだけならば人を殺傷する恐れは全くないのだから、それを有効に使うべきだと思う。
こういう日本の立場を世界に知らしめるには、それ相当の戦略がいるわけで、こういう戦略、政策、施策の遂行ならば、我が同胞の知識人の総意を結集することも可能のように思えるのだが、そこがそうならないところがわが民族のアキレス腱ということが言える。
戦前の天皇陛下を頂点とする軍国主義も、天皇が自ら言ったわけではなく、日本という国家の組織の中のある段階の部分が、天皇および統治者の潜在意識を慮って、「こうしておけばお上はきっと喜ばれるに違いない」という発想が根底にあったものだから、下々の者は結果的に抑圧されることになったのである。
戦後になって天皇の上にマッカアサーが君臨したとなると、それと同じ心情でもって、新しい為政者にすり寄る気持ちが芽生えたに違いない。
本来の自然の人間の感情からすれば、今迄敵とみなして戦ってきた相手であって、その相手に占領されて、敵の親玉にすり寄ること自体不合理であり、その上不遜な態度であるが、それを我々は何の疑念も持たずにやって来たということである。
昭和20年8月15日において、天皇陛下が玉音放送をしても尚徹底抗戦を唱えた一部の軍人がいたが、彼らは戦争の大義、戦争という生存競争の本質に忠実たらんと思っていたに違いなかろうが、そこでの大義や戦争の本質は、当時の戦争遂行のための理念と理想でしかなかった。
明らかに現実とは遊離していたわけで、そのままその理念と理想を貫き通せば、日本民族の絶滅、日本民族の地上からの淘汰という現実が見えていなかったということである。
あの時点でそれが見えていたのは昭和天皇ただ一人で、我々の同胞の誰一人それが見えていなかった
歴史の教訓として我々が考察しなければならないことは、天皇制の元での軍国主義を、政府の機関、軍部の機関、統治システムの機関のどの部門、どの所管が国民に強いたのかという検証である。
小学校や中学校という教育の現場で、天皇の御真影の遥拝などという行為を誰が何処でそういう意味のない事を人々に強制したのか言う事である。
そういう指示命令が出ると、それに従わず自主的な学級運営すると、当局に密告する同胞、隣人がいたわけで、それが恐ろしくて結果的に「人の振り見て我が振り直す」ということになるのである。
この日本民族の特質は、今に始まったことではなく、日本民族が誕生したときから引き継がれていたはずであるが、それが移民族と生死をかけて生存競争を展開し、自然淘汰の摂理に抗う生き方の選択を迫られた時に計らずも露呈したわけで、我々の過去の歴史にはない事例に直面したということだと思う。
我々が戦争の勝者に対して、こういう手紙を出すということは、マッカアサーあるいはGHQというものがまさしく正真正銘の救世主として映ったということだと思う。
戦争が終わるまでの日本、昭和20年8月までの日本には、敵が内側にいたのかもしれない。
当時の普通の国民、市民は、正確な戦況は知らなくとも、日本の旗色が悪いということは薄々感じていたに違いない。
そもそも戦場に行く兵士を、喜んで送り出す家族の存在などというのは、極めて欺瞞に富んでいるわけで、いかなる民族にもそういう深層心理はありえないと思う。
自分の祖国の危機に貢献するという大義は、どこの国にもあるであろうが、その大義と家族愛を計って、どちらを重視するかという選択は個々の人間に課せられているであろう。
だが、喜んで自分の息子を戦場に送りたいと思っている親はいないと思う。
そうであるからこそ、出征兵士を送り出した家を褒め称え、崇め奉って自尊心を下支えする必要があったわけだ。
軍国主義が世相を風靡する事態に対して、それを牽制すべきが本来ならば知識人と、そのツールとしてのメデイアでなければならなかった。
山本五十六は軍人であると同時にハーバード大学に留学した経験もあったわけで、その彼の知見でもってすると、当時の日本国民の有り体は「衆愚」であったわけで、彼がそう思う基底の部分には、当時の世相が軍国主義という時流に翻弄されている現実からであろうと推察する。
問題は、彼のようなインテリ―で、軍人であって、海軍の中でも良識派として知られた影響力の大きい人ならば、国民に向かって「あなた方の目指していることは間違っていますよ」と大きな声で言うべきであった。
それを言うとテロの標的にされるので、身の安全のために海上勤務にした、とまことしやかに言われているが、前線では1銭5厘で集められて兵士がばたばたと死んでいるのに、「命が惜しくて言うべきことも言えなかったのか」ということになる。
基本的に民主主義というのは衆愚政治に限りなく近いわけで、その衆愚を想い通りに誘導するのが民主政治の本領であって、政治家たるものそのための戦略に巧妙にコミットしなければならない。
最大多数の最大幸福というのは、具体的には豊かな生活の補償なわけで、経済が常に右肩上がりであり続ければ、その政権は衆愚としての国民から支持が得られるに違いない。
だけれども、常に右肩上がりの成長というのは自分たちだけで達成されるものではなく、外部要因で常に揺らいでいるので、自分たちの努力だけでは何とも解決し難いモノを内包している。
普通の国民、市民が、為政者にこういう手紙が出せる、という状況は大いに人々の意識を覚醒したに違いない。

 『日本の進路を問う』

2012-12-09 15:41:09 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「NHKスペシャル 21世紀の日本の課題 安全保障 日本の進路を問う」という本を読んだ。
2004年平成16年に発行された本で、内容的には2003年の12月のNHkスペシャルで放送されたものを書き起こしたものである。
既に8年以上経過したトピックスであって、時宜を失した感がしないでもないが、「日本の進路を問う」という意味では今でもなお生き続けているテーマだと思う。
冒頭で、中曽根康弘、後藤田正晴、大江健三郎、栗山尚一という錚々たる面々の座談会が記されているが、彼らの発言にはそれぞれに個人の資質が浮き彫りになっている。
中曽根氏に至ってはこの時点では完全に保守本流の観を呈しているが、その後中国の恫喝にかなり気持ちにブレが生じた感がぬぐえない。
後藤田正晴氏に関しては、如何にも元内務省の官僚の気質を引きづっている感がしてならない。
極めて臆病で、自らは手を下すことを躊躇しつつ、時の流れと共に事態が流れ去るのを黙ってじっと待つという思考で、究極の無責任体制である。
栗山氏は学者肌であって、海千山千の外交交渉には不向きのように見えてならない。
問題は大江健三郎氏の思考であるが、こういう平和主義の人たちの存在というのは、まさにコクゾウムシ的な存在で、主権国家の構成員の内でも最も処遇に困る存在である。
自分たちの政府に協力することを拒否しながら、要求すべきことは最も大きな声で叫ぶわけで、いわゆる「やらずぶったくり」の精神を身上としているので、普通の社会で生きている中では最低の人たちである。戦争と平和、この二者択一で「戦争が良い」という人がこの世にいるであろうか。
自衛隊が海外に出ると「戦争に行く」、「人殺しに行く」、「先方の領土を侵略に行く」、と言う事を誰憚ることなく言っているわけで、こんなバカな話があっていいものだろうか。
大江健三郎を中心とした平和主義の人々は、こういう論理展開でもって自衛隊の海外への支援に反対しているが、人がいくら現状を誠意をもって説明しても、聞く耳を持たない。
その意味では戦前・戦中の極めて真面目な軍国主義者が、異を唱える人に対して「非国民」というレッテルを貼って、仲間外れにした構図と瓜二つではないか。
自分の思い込みでもって支離滅裂な思考を一方的に述べるだけで、他者の言う事は無視して、自分の思い込みのるつぼに嵌り込んでしまって、他を顧みようとしない。
こういう思い込に嵌り込んで、そこから抜け切れずに奈落の底に転がり落ちた経験を、日本民族、大和民族はつい70年前に経験したばかりではないか。
日米開戦の前の我々同胞の一般的な人々の普通の考え方は、アメリカなど恐れるに足らず、日本の最初の一撃でアメリカは戦意を喪失するであろう、人前で女とチャラチャラする輩など軟弱に違いない、という極めて楽天的な思い込みに浸っていたではないか。
政府や軍部が対米戦に慎重な態度でいたものだから、血気盛んではあるが無知蒙昧な壮士風情のものがテロを起こすかもしれないという不安が、真剣味を帯びて語られていたではないか。
要するに当時の日本の大衆は、対米戦を期待していたわけで、アメリカに対して戦端を開くことを嘱望していたことを忘れてはならない。
これは当時の日本の大衆の潜在意識として、国民の各層の基底に流れていたわけで、言い方を変えれば草の根の軍国主義に当時の日本の国民は罹患していたということになる。
昭和初期の時代、自分の祖国の将来を憂うものは、すべて軍国主義者であったわけで、一刻も早くアメリカと戦端を開いて、それに勝利することを夢見ていたわけだ。
昭和初期の我々の同胞がどうしてそういう思考に陥ったのかを冷静に考察してみれば、一言で言うと、相手を知らなかった。相手に対する研究をしなかった。相手の実力に無知なまま口先の綺麗ごとのスローガンを信じてしまった。というわけで巷間に流布されていた耳触りのいい、綺麗ごとの安直な思考に嵌り込んでしまったということだ。
大江健三郎の思考もこれと全く同じなわけで、世界の人々の生き様も、主権国家の熾烈な生存競争の場も、老獪な外交交渉の場も、何一つ現実を直視することなく、ただ血の抗争を回避すべく、口先で平和念仏を唱えている図でしかない。
いくら口先で綺麗ごとを叫んでも、相手のある問題なわけで、そうそう自分の想い通りにはならず、相手はこちらの意向など無視して行動する、という現実を知ろうとしない。
この座談会で意見を述べ合っている面々は、押しも押されもせぬ日本の一流の人士であって、政治家であったり小説家であったりするが、日本でも最高度の知性と教養を兼ね備えた人たちであっても、自分の祖国に対する考え方が一つに収攬されてこないということはどういう風に考えたらいいのであろう。
頭の良い人が集まっているからこそ、意見が分散して一つに収斂できない、ということがあるかもしれないが、だとすれば「日本の進路」というものは個人の思考にとってそれぞれに別々のものなのであろうか。
それならば日本民族の未来というのは、扇子の骨のように末広がりで、先に行くほど離反の幅が大きくなってしまうけれども、我々はそういう日本を望んでいるのであろうか。
日本の未来が扇子の骨のように末広がりに広がっても、扇子の要がしっかりしておれば、それはそれで由とし得るが、問題は、大江健三郎のような人が日本の知識人として跋扈していて、果たして日本の要なるものが出来るかどうかという点である。
大江健三郎という人は、自衛隊という言葉を聞くだけで、もう生理的な嫌悪感を露わにする人で、自衛隊についてその本質を知ろうともせず、何をしているのかも知らず、何をしようとしているかも知ろうとせず、ただ単に殺人マシンぐらいの認識でいるに違いない。
このような小説家という人種は、ある意味で夢を喰う獏のようなもので、建設的な社会の維持に関しては全く無力な存在である。
絵に描いた餅をさまざまな媒体を使ってさもリアルに表現して、オオカミ少年の話のように無知蒙昧な人々に警鐘を鳴らすことを生業としており、それで社会に貢献していると本人は思い込んでいる。
だか現実に生きている普通の人は、絵に書いた餅を追いかけるような愚を犯してはならず、現実を直視して、空想や理想に被れることなく、足を地にしっかりと付けて生きねばならない。
そこで我々はこういう無責任は警鐘に踊らされることのないように、自分の頭で考えて事を決しなければならない。
今、これを認めている時が12月6日で、太平洋戦争の開戦まじかな日であるが、戦前の日本人はどれだけアメリカ人について知っていたのであろう。
戦前は英語を適性語と称して、焚書まがいのことをしたとされているが、我々同胞のどこからこういう陳腐な思考が湧き出てきたのであろう。
敵を知らずに敵に勝てるわけがないのに、当時の我々の同胞の誰一人、そういうことを言う者がいなかったということは一体どういう事なのであろう。
「鬼畜米英」、「撃ちてし止まん」、というスローガンは極めて観念的な言葉であるが、その言葉に対して当時の知識人は誰一人「現実を直視せよ」とは言っていないのは一体どういう事なのであろう。
あの戦争で生き残った大部分の人は、戦後「日本が負けるなどとは思ってもいなかった」と、証言しているがその理由の一端は、軍部が真実を言わなかった事にあるとは思うが、当時の日本人でも現実を知り得る地位にいた人は大勢いたと思う。
軍や政府の高官は、現実の戦争の実態を知っていたに違いないが、それでも尚蟻地獄から這い出る手立てをせず、時流の赴くままに漂っていた、ということは一体どういう事なのであろう。
このことを考えると大江健三郎でなくとも、自分たちの同胞の為政者の不誠実、不正義、失政、ごまかしを糾弾したくなるのは偽らざる心情である。
だが大江健三郎を始めとする平和主義者たちの言う戦後の日本の平和の継続は、「平和憲法があった所為だ」という論理展開をしているが、東京大学を出たような人がこんな陳腐な議論をするぐらい野暮な話もないと思う。
現実を見る事なしに、理想ばかりを追いかけて風車に立ち向かって突進したドン・キホーテと同じで、空理空論の最たるもので、その有り体は終戦の時、あの東京の焼野原を目の当たりにして尚も徹底抗戦を主張した軍人の愚と全く同じではないか。
あの時代、昭和の初期という時代、我々の同胞は何故に人の死をあまりにも軽々しく考えていたのであろう。
官民を問わず死ぬことをいとも安易に考え、死ぬことを賛美していたわけで、それはイラクでテロリストが「自爆テロをすれば神から称えられる」という思考と全く同じであって、死ぬことがあまりにも美化され過ぎたと思う。
戦死者を出した家を「軍国の華」と言い換えて、肉親を失った悲しみを誤魔化そうとする考え方は一体どこから出てきたのであろう。
戦前の日本において、我々の日常生活の中では、人と同じことを言わない、人と同じことをしない、と周囲から浮いてしまって、人から後ろ指をさされ、それを言葉にすると非国民ということになり、自分の本心でなくとも人に合わせるということになったものと想像する。
これは庶民の間では普遍的な生きんが為の術であったろうが、庶民でない所、例えば国会議員とか、大学の先生とか、軍の中枢とか、メデイアのトップクラスとか、そういう階層では自分の本心を素直に表現出来そうに思うけれども、そういうところでも時流に流されていたわけで、そういう人が「日本が負けるなどとは本当に思っていなかった」ということが不思議で仕方がない。
そのことは日本の軍国主義というものが観念論で築き上げられていて、全く根拠のない理念と理想で出来た砂上の楼閣であったということであるが、それが見抜けなかった知識階層というものをどう考えたらいいのであろう。
ここに登場している大江健三郎は、『沖縄ノート』と言う本で、米軍の沖縄上陸に際して、日本軍の将校が「島民に自決を強要した」と記述したので、元将校から「事実と違う」と言って告訴されていた。
彼は自分たちの同胞に対しても、個人の名誉を貶めるようなことを平気でする平和主義者なわけで、平和を口にしながら自らの同胞を貶める事に何の悔悟の念も持っていない偽善者でしかない。
自決の強要もさることながら、軍が強要しなくとも、民間人でも米軍兵士が近づいてくればさっさと自決するということは一体どういう事なのであろう。
「国難に殉じる」という行為は、普通の主権国家の普通の国民であれば普遍的に存在する事であって、イギリス人でもアメリカ人でもフランス人でも、そういう状況におかれれば、命令を順守して死に至ることも不思議ではないと思う。
但し、生還できるだけの万全の態勢を整えても、尚生還しきれないミッションもままあると思う。
しかし、この本に描かれている自衛隊では、人の命は最大限守られているようで、誠に喜ばしい事であるが、その点が旧日本軍と根本的に違う面であろうと思う。
自衛隊というのは入隊の時に誓約書で、「自己の生命の危険を顧みず」とは謳っているが、身の安全ということは至上命令になっている。
きしくも今夜12月6日のNHK BSでは『ミッドウエー海戦』のことを放映していたが、旧日本海軍の情報軽視、兵站軽視という発想は一体どこから出てきたものなのであろう。
海軍の兵学校という特殊な学校を出た専門家、戦争のプロフェッショナルが情報を軽視するということ、情報の価値を認識できていない、ということは一体どういう事なのであろう。
彼ら戦争のプロフェッショナルは、鉄砲を撃ち合うことだけが戦争だと思い違いしていた節がある。
この旧海軍の失敗について、出席者からは後知恵の批判は出ていたが、戦争は政治の延長と言われていることから考えて、我々の同胞はあまりにも政治下手であり、戦争下手だと思う。
戦争に勝つということも、国家を如何に統治するかということも、ある意味である種のプロジェクトの遂行だとみなしていいと思う。
プロジェクトを完遂するためには、目標を定め、その目標達成のための方策を練り、その為の資材や道具を取り揃え、それらを最も合理的に機能させ、最も効果的に運用するように施策を講ずるわけで、その結果として戦争の勝利であり、右肩上がりの経済成長が実現するのである。
この一連の流れの中で、我々日本人の一番の難点は、官僚主義の跋扈であって、組織の人事が適材適所で行われるのではなく、学歴や、年次や、成績順で決められるので、プロジェクトの遂行に一番ベストの人材が、一番ベストのタイミングで、一番ベストの地位に配置されないという事実である。
2011年に起きた東日本大震災の東京電力福島第1原子力発電所の事故でも、地震で全てのインフラが壊滅的なダメージを受けたならば、現地の責任者に全ての権限を委譲して、組織としてはその責任者を全身全霊でもってフォローすべきであったのに、官僚的根性丸出しでセクショナリズムに陥っていたので、大事に至ってしまったといえる。
その意味であれは明らかに人災以外の何物でもない。
問題は、我々日本人のあらゆる組織は、有象無象の無知蒙昧な人々の集合ではなく、教養知性の塊のような人々の集合体であるにもかかわらず、肝心要の局面でその教養知性が何等生かされないというところにある。
普通に考えれば赤子でも対処できるような場面でさえも、頭の良い人が集まって「船頭多くして舟山に登る」という図になってしまうのである。
官僚は、全ての者が高度な難関を潜り抜けて、目の細かい篩を通って、その地位についているので、普通の常識的な知識には事の他秀でていると思う。
ところが、自分の地位を守ろうとするあまり、他との関わり合いを避け、革新への一歩を踏み出す勇気を持ってないのかもしれない。
旧日本海軍の戦争の仕方を見ると、表面的な戦艦と戦艦の鉄砲の打ち合いという点にのみ関心が行ってしまって、そのプロジェクトを支える情報や兵站に関しては全く無関心であったではないか。
戦艦と戦艦の大砲の打ち合いというのは、日露戦争の日本海海戦を彷彿させるので、そのイメージを払拭仕切れなかったといえる。
だとすれば、戦争のプロフェッショナルとして、何をどう学んできたのかということになるではないか。
日露戦争から太平洋戦争まで、37年のタイムスパンがあるのに、この間日本海軍は海戦について何をどう学んでいたのであろう。
確かに、航空機の拡充という課題はそれなりに克服してきたが、その為には国家総力戦が想定されるわけで、それを考えると対米戦は不可という結論は最初からあったと考えられる。
にもかかわらず、それをしなければならなかったのは如何なる理由なのであろう。

『近代のまなざし』

2012-12-05 08:38:25 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『近代のまなざし』という本を読んだ。
サブタイトルには、写真、指紋法、知能テストの発明となっている。
きしくも、再度、指紋に関する記述を読むことになったが、それは個人を確定するという認識の普及が時代と共に顕著になって来たということだ。
何故に個人の認識が近代と関係があるのかと言えば、近代は生存競争が個人のレベルのまで浸透してきたという事ではないかと思う。
近代はマスの中に個人が埋没してしまったが、それがため新たに個人の認識、個人の確定が必要になって来たということではないかと思われる。
大昔ならば、個人の行為の正邪を判定する裁量権を権力者が握っていたので、仮に冤罪であったとしても、それは社会に何の影響ももたらさなかった。
ただ間違えられた人が気の毒だ、で済んでしまったが、近代になればそういう権力者の間違いは権威の失墜に繋がるということが判って来たので、権力者も間違いを極力避けるように思考が傾いていった。
そのことは「悪いのは誰だ」という事を明確に確定しなければならなくなったわけで、それは当然の事、行為者の行為の確定を厳密にしなければならなくなった、ということである。
産業革命を経て人々が近代化に目覚めると、人々は富を求めて活発に移動するようになって、広い世界を目の当たりにすると、他者との相違を意識するようになった。
産業革命を経たイギリス人が、インドやアフリカ大陸に行く、そこでは大きなカルチャーギャップが厳然と存在するわけで、現地の人々が野蛮人に見えるのも致し方ない。
産業革命のような社会の大きな変革は、早々、誰でも彼でも素直に受け入れられるものではなかった筈である。
ヨーロッパの先進諸国の間でも、日本という国の中でも、新しい考え方に素直に順応出来る人とそうでない人はいるものだ。
それは国のレベルでも、民族のレベルでも同じように、新しいものへの順応の度合いとか対応の仕方には相違があって当然である。
ところが先に近代化に順応したものは、後からくるものが何となく野蛮に見えるわけで、この優越感が人類の悲劇を内包することになるのである。
先に近代化を成して、後ろを振り返ってみると野暮ったいものがのこのことついてくるわけで、「俺たちは彼等よりも優れているのだ」という自己満足に陥るのも当然といえば当然であろう。
この意識が個の覚醒でもあったわけで、それでもって自分の属する社会を眺めてみると、やはり野蛮な人々、野蛮な民族とは異質だと思うようになった。
それで自分の周りの人に視線を向けても、自分以外の他者は、それこそ人生いろいろで、考え方もいろいろなわけで、自分の気の合う仲間を選別しなければならない。
そのことはとりもなおさず、個の確立を推進して、自分と気の合う個の集団を創り上げねばならない。
こういう意識を抱く階層は、日々の生活に汲々している庶民ではなく、暇と金のある有閑層であらねばならず、それは当時の社会に普遍化していた世相を見事に反映していたと思われる。
言うまでもない事であるが、人間は独りでは生きておれないわけで、群れ、いわゆる社会を形成しなければ人間として生を全うすることが出来ない。
つまり、我々人類というのは、この世におぎゃあと言って生まれてきた瞬間から、社会との関わりなしでは生きておれないという事である。
それはヨーロッパの先進国でも、アメリカの開拓者でも、アフリカのマサイ族でも、北極圏のイヌイットでも全く同じであって、この世に生れ出た人間は、自分の属社会との関わりなしでは成長し切れない。
という事はおのずと、自分の属する社会の文化を身につけて成人に達するわけで、結果としてそれは文化の格差を生じせしめる。
この本の中では最後の方に知能テストに記述が及んで、各民族の優劣を比較する場面が出ているが、これこそ先進文明の奢りだと思う。
確かにこの地球上には数の概念のない民族や、文字を持たない民族がいることは承知しているが、だからと言って彼らが知能的に劣っているとは言えないと思う。
ただ近代化に素直に順応出来ないという部分では、これから先淘汰される運命であることは推察することができるが、だからと言ってそれを阻止することは多分できないだろうと思う。
現代に生きる我々は、そういう事象を何とか食い止めて、小数民族や、絶滅に瀕した民族を救済しようとするが、そのこと自体先進文化の奢りそのものだと思う。
この本の後半では、知能テストで白人が最も知能指数が高く、有色人種はそれに比べると劣る、と述べられているが、それは試験の方法に欠陥があるからだと思う。
今ある現状の中から被験者を選んでテストを実施すれば、知能テストに差異が出ることは当然ではないか。
何となれば、人は自分の属する社会の中で、その習俗風習に囲まれて成長するのであるから、数の概念のない種族、文字を持たない種族を同じ基準で測っても意味をなさないではないか。
民族間の知能の優劣を測るとするならば、同じ時期に生まれた赤ん坊を皆同じ環境で育てて、その後で知能テストをしなければ民族や種族の優劣は判らないはずである。
仮にそういう事をしたとしても、人にはそれぞれに個性が備わっているので、個人の個性でもって彼の属する民族の相対的な評価とはならず、その実験そのものが最初から意味を持っていないということである。
けれども、そんなことに挑戦しようという気持ちこそ、文明の奢りであって、文化人、教養人の傲慢さの表れである。
数の概念を持たない民族が不幸かと言うと、彼ら本人はそう思っていないかもしれない。
文字を持たない民族が彼らの歴史が残せないからと言って不幸かと言えば、彼ら自身はそう思っていないかもしれない。
我々は、自分以外の他者と比べるから、相手が羨ましく、自分が不幸だと思い込んでしまうだけで、他者と比較をしなければありのままに受け入れざるを得ず、自分が不幸などと思わないに違いない。
19世から20世紀のヨーロッパ諸国の帝国主義は、アジアに在ってヨーロッパにないモノを競い合って取り入れようとやっきになった結果である。
そのためには武力の行使も厭わないという考え方であった。
ところが日本の場合は、未開の人々を我々と同じレベルまで引き上げようという意図であったが、この真意はなかなか相手に伝わらなくて、最終的には武力でもって黙らせた結果として、戦後の日本の評価が確定してしまった。
戦前の日本が周辺諸国、具体的には台湾、朝鮮、満州を取り込んで5族協和を図ろうとした基底の部分には、いわゆる近代化への格差の是正があったわけで、この時点ではアジアで最初に近代化に成功した日本が、周辺諸国の近代化に手を差し伸べようとしてけれど、それが相手に伝わらなかったという事だ。
近代化ということは先進国のヨーロッパでも日本でも、いわゆる意識革命であったわけで、意識革命ということは従来の考え方の転換が伴うので、過去の思考の全否定ということに繋がる。
それを乗り越えないことには前に進めないわけで、アジアにおける日本の周辺諸国は、その部分で踏ん切りがつかなかったということであり、結果として日本が武力でもってそれを推し進めた為、戦後に至って日本は周辺諸国を侵略したということになってしまった。
この本のタイトルは「近代のまなざし」となっているが、眼差しということは視線、視点という意味合いがこもっていると思う。
だとすると、ここではメデイアについての論考も必要になってくると考えられる。
世界中が近代化に進むということは、情報が地球の細部にまで行き渡ったことによって、余所の地で起きたことを知ることになり、意識革命に拍車がかかったといえる。
人々が自分の知らない土地の出来事を知れば、良い意味でも悪い意味でも、格差を認識することになって、そこでは他者への優越観と傲慢さが同時に存在することになり、それは内なるエネルギーとして内在化してくる。
ここでメデイアの機能が大きくその状況を左右するようになるわけで、近代化の進捗状況は、メデイアの制御如何によって大きく結果に差異が生じることになる。
だから近代化の過程においては、メデイアの統御が大きな課題となり、ドイツのナチスや旧ソ連の情報操作のようなことが起きるのである。
近代化の流れの中で、情報を操作することによってナショナリズムというか、国民国家としての愛国心の涵養を推し進めて、それを国益追求の方向に仕向けるということが為政者によってなされたわけで、近代化ということはそういう意味でも、すべてが由とすべきものではなかったわけだ。
数の概念を持たず、文字を持たない民族でも、彼らは精神的に近代人よりもよほど素直な幸福感に浸りながら生きているかもしれない。
現代人はあまりにも多くのモノを持ち、あまりにも多くの知識を持っているので、そのモノや知識に押しつぶされて、息つく間もない状況で生かされているのかもしれない。
人間、人というのはただ生きていく、生物学的に生を維持するだけならば、物質文明の恩恵などなくとも生きていけると思う。
尖閣諸島に中国人がいくら来ようとも、竹島に朝鮮人が要塞を築こうとも、我々がただ生物学的に生を維持するだけならば、何の関係もない事で済んでしまうが、「ヤレ日本人の誇りだ、自尊心だ、愛国心だ」ということになるから、必死になって国益なるものを擁護しなければならないことになる。
弱肉強食、適者生存、輪廻転生という自然の摂理をそのまま容認すれば、他者に対して死力を出して抵抗しない種族は、自然淘汰されることは必定で、それぞれの民族ではそうあってはならないと思うからこそ、祖国を守るという意識が醸成され、それが自己保存の意識となり自衛権という言葉に還元されるのである。
人は自分一人では生きられないので、群れをつくり社会の構成員の一人として、自らの属する社会の保護を受けると同時に、その社会に貢献する義務も合わせ持っているのである。
しかし、社会の構成員の一人として、社会からの保護はありがたいが、その見返りとしての義務は嫌なことに代わりはない。
こういう人間の自然の深層心理を知ってか知らずか、今の日本の政治家は、国民に向かって嫌なことを強要する勇気をもたず、綺麗ごとの社会からの保護の面ばかりを強調して人気を得ようと画策しているので、混迷の度が深まるばかりである。
これが民主政治の真の姿であって、人々は天から授けられるものはありがたく受け取るが、それに対する見返りには躊躇するわけで、いわばこれが人間としての本性でもあるということだ。
人間が自然のままの思考であれば、文化、文明が進化することはありえないわけで、人々は天の授かりものに対して十分な見返りを献上したからこそ、今日の物質文明がありうるものと考えられる。 

「ドキュメント・自衛隊と東日本大震災」

2012-12-01 20:58:18 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「ドキュメント・自衛隊と東日本大震災」という本を読んだ。
著者は瀧野隆浩という毎日新聞の記者であるが、この記者はこの本の奥付けによると、防大の出身者という事だ。
防大を出たけれども任官せずに毎日新聞の記者になったという経歴の人間らしい。
彼の経歴が本の内容に何らかの影響を与えたという風には感じれないが、しかし、素人の感覚としては、防大を出た人間がメデイアの毎日新聞の中で普通に仕事ができているとはとても思えない。
彼の経歴が仲間内で何らかの影響があって当たり前だと思えてならない。
けれども、文中にはそういうニュアンスは微塵も見れないが、その現実の中に既に何らかのバイアスが掛かっているようにも感じれる。
東日本大震災を語るについては、どうしても東京電力福島第1発電所の原子炉のメルトダウンの事が真っ先に頭に浮かぶことは致し方ない事だと思う。
あの事故に依って、日本全体が多大な被害をこうむったことは周知の事実であるが、だからと言って日本全国津々浦々に至るまで、「原子力発電反対」という大合唱になるというのも極めて短絡的な思考だと思う。
あの事故によって福島県民が多大な迷惑をこうむって、苛酷な試練に立たされた、という現実は当然のこと憂うべきことであるが、その一事でもって「日本の全ての原子力発電を直ちに止めよ」という論法はあまりにも乱暴だと思う。
あの事故が従来の安全神話を超越した想定外の大きな事故であったことは否めないが、仮にそうであったとしても、我々は冷静に合理的な思考でもってあの事故を検証しなければならない。
「原子力発電は大きな事故を起こすから直ちに全てを止めよ」という発想はあまりにも子供じみた思考回路でしかない。
あの事故を冷静に眺めてみれば、地震が起きた時点で、燃料棒の注入は地震を感知して自動で停止した。そこまでは従来の技術が十分に機能していたということを示している。
ところが地震があまりにも大きかったので、原子炉の補器を動かす電源が落ちてしまって、燃料棒の注入停止後、炉を冷やすための水の注入ポンプが地震と津波による被害で作動せず、メルトダウンに至ったというものである。
発電所全体が巨大地震に伴う津波に対応できていなかったことは完全に想定外のことであって、この部分は人為的な措置の失敗とみなさなければならない。
燃料棒の注入は止まったが、それを冷やす水のポンプが動かないという部分については、明らかに人災と言わなければならない。
原子炉を冷やす水が送れないという段階で、電源車をかき集めたまでは良いが、ソケットが合わないというバカな話もないと思う。
時の総理大臣が管直人で、この人権派で革新系の政治家には、国家の危機管理という概念すら無かったに違いないと思う。
2001年9月11日アメリカで起きたWTCビルに旅客機が突っ込んだ事件で、当時のブッシュ大統領は「これは戦争だ!」と言って国民の団結を図ったが、管直人総理大臣にはこういう危機管理意識は毛頭無かったに違いない。
2011年3月11日は原発事故だけではなく東北地方は地震と津波で大災害をこうむっていたわけで、福島の原発事故だけがあったわけではない。
日本国中が未曽有の大混乱になっており、その中で人権派の政治家が綺麗ごとだけを並べても、何も意味をなさず、国家存亡の危機に個人の人権など関わらっている暇はないと思う。
地震被害や津波被害には放射能の心配を伴わないが、原発事故には放射能という目に見えない恐怖が伴うわけで、その対応には慎重さが要求される。
東京電力という会社は、日本でも有数の優良企業であったわけで、優良であるが故に、その組織は極めて官僚化していたとみなされる。
事故の何もない時ならば、官僚システムに則って粛々と業務をこなせばいいが、大地震で燃料棒の注入が自動停止し、冷却装置のポンプが止まったという緊急事態では、現場の責任者に処置を丸投げ、つまり指揮権を委譲して、全幅の信頼を寄せてそれをフォローすべきだと考える。
地震と津波でインフラが寸断された中で、本社の本部が組織図にある指揮命令系統を順守する術は既に失われているので、現場責任者に全てを委ねる他ない。
事故が起きた時点で、電源がダウンしたという事は、それに関連する機能は全てダウンしている筈で、通信網は死滅し、道路網は寸断し、人があちらでもこちらでも死んでいるわけで、こういう状況下であって見れば組織もすでに崩壊したとみなさねばならず、現場を一番よく知っている人にすべてを託すのが最良の方策である。
東京電力の本社のスタッフにしろ、総理大臣にしろ、現場に関してはずぶの素人の筈で、そんな者が肩書きを振り回して偉そうなことを言ったところで、ただ混乱を招くだけで何の足しにもならないことは火を見るより明らかである。
我々には昔から「能ある鷹は爪を隠す」という戯れ言葉があるが、こういう場で偉ぶって喚き散らす人ほど中身が空っぽという事だ。
この本では現地で活躍した自衛隊員の姿を浮き彫りにして、それを賞賛している。
だが、自衛隊員というは、それぞれが「人のために危険を顧みることなく尽くす」ことを入隊の時に契約して入っているので、ある意味では当然の行為という事が言える。
とはいう物の、自衛隊というのは戦後の平和志向の中でどうしても日陰者に近い異質な存在という点からして、こういう場面では素直に喜ばれ、賞賛されているが、それと同じことは消防隊員も警察官も同じようにしていると考えねばならない。
消防隊員や警察官は普通の市民の身近な存在で、行方不明者の捜索をしても、遺体捜索をしても、それが市民にとっては当然の仕事とみなされてしまうが、同じことを自衛隊がすると余計に喜ばれるという風にも感じれた。
ただこういう状況下で、自衛隊、消防、警察という夫々に違う組織を一本化して、一つの組織として運用するという経験は大きなものが残ったと思う。
日本という国、日本国という国家の真の危機管理は、当然の事、自衛隊単独ではありえず、消防や警察とも緊密に連携しなければ、真の危機管理というのは有り得ないわけで、そういう意味ではいくらかのノウハウが経験として残ったに違いないないと思う。
ただ憂うべきとは、東京電力という民間企業がどうして官僚化という泥沼から抜け切れなかったかという点である。
巨大地震で燃料棒の注入は自動で止まったが、冷却水を送るポンプが津波で破損した。
メルトダウンが予想されるが、さてどうするという段になって、本社のスタッフが慌てふためき、あちこち電話をかけまくって情報収集に務めたが、有効な指示が無いまま事態は切迫して、ついに水素爆発に至ってしまった。
これでは烏合の衆の集まりと何等変わるものではないではないか。
東京電力と言えば、優秀な人材が掃いて捨てるほど居る会社ではないのか。
こういう優秀な人材は、こういう危機存亡の時にはどういう働きをするのか不思議でならない。
こういう危機存亡の時、原子炉がメルトダウンするかもしれないという緊急時に、優秀な人が優秀な大学で優秀な成績で習得してきた知識や知恵はどういう風に効果的な解決策を生み出すのであろう。
東京電力に籍を置く優秀な人達は、それまでに習得し、研さんしてきた知識と知恵をどう生かし切ったのであろうか。
彼らは優秀であるが故に、東京電力という優秀な会社の中で官僚化してしまって、自分で自分をコントロールしきれないロボットに成り下がってしまったということだ。
大地震という緊急事態に直面して、誰にどういう指示を仰ぐべきか判らなくなってしまって、右往左往する以外に何もし得なかったわけで、優秀な頭脳が何一つ有効に機能しなかったということだ。
指示がないと動けない、人から指示されないことには何をしていいか判らない、というのは完全に官僚化の極致に至っているという事で、これでは危機管理機能が無いも同様である。
しかし、これは東京電力という一民間企業の内部事情であって、日本のエネルギー問題の根本にかかわる話ではない。
我々同胞の思考回路の恐ろしい所は、こういう事態が起きたら最後、日本全国津々浦々に至るまで「原子力発電反対」のシュプレヒコールの渦に埋まるという現象である。
先にも述べたように、地震の震動で燃料棒の注入は自動停止したわけで、それについては従来の技術が立派に作動したが、問題は、地震と津波で補器を動かす電源がダウンしたことで、冷却水が送れずに原子炉がメルトダウンしてしまったことにある。
その部分については、東京電力という会社の対応の不味さがあったわけで、他の原子炉の不安材料とは次元の異なる話だ。
あの福島の原子力発電の事故を目の当たりにして、日本の原子力発電を全否定する発想は、あまりにも幼稚じみた思考だと思う。
原子力発電など無いに越したことはないが、日本のような無資源の国が永続的なエネルギーとして原子力を抜きには今後ともありえないように思うし、再生可能なエネルギーに転換すると言っても、風車を回して今の電力事情に追いつくわけがないではないか。
原子力発電を止めれば、必然的に化石燃料による火力発電にならざるを得ないわけで、日本国内で原発反対と叫べば叫ぶほど、産油国はほくそ笑んでいるわけで、彼らを喜ばせる結果になるではないか。
老朽化した原子炉を順次廃炉にするのは必然的な流れであろうが、新しく安全な原子炉までも建設を差し止めるなどという事は、あまりにも無責任な思考である。
そういう事を叫ぶ人は、自分を良い子に見せようとしているだけで、原子力発電が有った方が良いか無い方が良いかと問えば、無い方が良いに決まっている。
しかし、それでは我々の現在の生活が維持できないので、どうしようかと言った場合、風車や太陽光で今の電力が賄えるわけがないではないか。
こういう赤ん坊でも判る理屈を差し置いて、理想論ばかり並べて、自分を良い子ぶって見せても、何も益するものはない筈である。
この本は原子力の問題を論ずるのが目的であったのではなく、自衛隊員の活躍を称えるのが目的であった。
自衛隊員が自分の身の危険も顧みずに任務遂行を果たしたことを顕彰しているが、この我が身の危険を顧みずに公益に準ずる精神というのは、我々日本人の誇りとして良い部分だと思う。
先の戦争については、私も本で読んだ知識しか持ち合わせていないが、この自衛隊員が我が身の危険を顧みずに任務を遂行する精神は、そのままあの特攻隊員の精神と相通じるものがあるように思える。
特攻隊員も、あの時代の大義に殉じる気持ちであって、「死に行く」という想いではなかったと思う。
特攻隊員として志願したという事は、飛行機で敵に突っ込むことを「死に行く」と考えればとてもできないが、「国家が自分に与えた任務を遂行するのだ」と考え方をすり替えなければ、飛行機に乗り込めなかったに違いない。
あの震災直後の我々同胞の対応の仕方というのは、世界か賞賛したのも充分にうなずけることである。
あれだけの災害にもかかわらず人々は粛々と自らの運命を受け入れたわけで、この健気さは支援する側にも同胞を助けるという意味合いで共有していたという事である。
ただこれが政治という場面に投影されると、この単純な相互扶助という精神が歪んでしまい、いびつな態様に変わってしまうのが不可解な部分である。
被災地の人を支援する、被災した人たちを助ける、という行為は政治を超越して、人々の善意でもって盛り上がっているが、この自然の人間の感情の盛り上がりを、人為的に方向付けしようとするとそれが政治となり、混迷の渦に嵌り込むことになる。
私が思うに、人の上に立ちたがる人間は、そういう人々の善意を自分の利得につなげよう、という恣意が働くのではなかろうか。
この場合の私利私欲というのは、何も金銭的なものではなく、自己の大義であったり、自分の実績であったり、自分の名誉であったりするわけで、社会的な貢献と混同されがちで、純真な心の持ち主は、その部分の欺瞞に気が付かないという事ではないかと思う。
日本が先の戦争に嵌り込んでいった過程を見ても、戦争を欲していたのは草の根の国民大衆の側であって、昭和天皇も山本五十六も、対米戦を決断しなければ、自分がテロの犠牲になるかもしれないと心配していたではないか。
原子力発電でも、この震災が起きるまでは、資源小国の日本として大いに奨励してきたわけで、震災が起きた途端に一夜にしてベクトルが逆向きになるという事は、我々の思考回路は一体どうなっているのかと問いたい。
この状況を鑑みて考えられることは、我々、日本民族は、時の雰囲気、時の時流に極めてもろく、自分の頭脳で沈思黙考することが無く、風評に左右されやすいという事だと思う。
東日本大震災が起きて、大勢の人が苦労している。ならば皆で助けましょうというムーブメントが起きると、日本全国津々浦々に至るまでその熱気が吹き荒れて、それが大儀に昇華して、被災者の支援をしない者は極悪人だというレッテルが張られることになるのである。
その流れの中で、「甚大な被害をもたらす可能性のある原子力発電は止めて、風車と太陽熱で行きましょう」と無責任な発想に至っているのである。
こういう国家的な危機に直面した時に、建設的な指針を示すべきが本来ならば教養知性に富んだ学識経験者という人たちであらねばならないが、こういう人たちがすべて反政府、反体制、反行政というポーズをとるので、世の中がますます混迷の際に嵌り込んでしまうのである。
人の考えは千差万別で、人生いろいろで、十人十色で、いくら大学者でも人の考えを一つに収斂することはできない、という説は極めて整合性に富んだ意見であるが、それならばインターネットカフェで屯している人の考えと寸分も変わらないわけで、知識人としての教養知性は何の価値も持ち合わせていない、存在していないという事ではないか。
平成24年11月30日の新聞報道によると、東京電力が事故当時のテレビ会議のテープ300時間余りを今ごろ公開したと報じているが、これは一体何なんだと言いたい。
東京電力の隠ぺい体質というのも、筆舌に尽くしがたい噴飯ものであるが、既にこの事故に関しては政府をはじめとする3つも事故報告がなされているが、あれは一体何なんだということになる。
こうなるともう東京電力という会社の存立そのものが許し難い物となっている。
組織そのものが完全に根腐れしてしまって、組織の体を為していない。
組織というのは言うまでもなく人が作るものであって、東京電力という組織をこういう体たらくにまで貶めたのは当然のこと、東京電力の社員であり、その経営者であったわけで、そういう人たちもきっと優秀な大学で優秀な成績で卒業してきた人たちであろうが、そういう人たちが何故こういう不合理なことをしでかしたのであろう。
日本の高等教育の場・大学というのは、日本の未来を背負う若者たちにどういう教育を施していたのであろう。
昔も今も我々の同胞は大学という高等教育の場に群がって、教養知性の習得に励んでいるが、そこで授けられた高等教育というのは、果たしてどういう形で社会に還元され、人々に貢献しているのであろう。

『指紋を発見した男』

2012-11-28 13:14:13 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『指紋を発見した男』という本を読んだ。
昔から推理小説というか探偵モノというか、そういうモノを見聞きしていたので、指紋などというものは昔から犯罪捜査の決め手としてあったと単純に思い込んでいた。
しかし、「指紋はこの世で一つしかないものだ」という認識そのものがかなり近世になってからの事らしい。
何事にも隠れた歴史が存在するわけで、一朝一夕に何となく湧き出てくるものではないらしい。
この本のサブタイトルには「ヘンリー・フォールズと犯罪科学捜査の夜明け」となっているが、何事にも産みの苦しみというのはついて回るが、このヘンリー・フォールズという人の場合は、如何にも気の毒だと思う。
その上、このヘンリー・フォールズという人が、日本とかかわりのあった人だというのだから尚のこと興味ある物語となっている。
この人が「人間の指紋はこの世にその本人しか持ち得ない、唯一無二のものだ」ということをイギリスの科学雑誌エイチャーに寄稿したにもかかわらず、それがいささかも正当に評価されなかった、という点をこの本は強調している。
人の生き様には運不運という事はやはりついてまわるようで、この人の場合、実に如実にそれがあるわけで、読んでいても気の毒になる。
「人事を尽くして天命を待つ」といっても、結果は自分の思いとは反対の方向に転ぶわけで、これは運命としか説明がつかない要因ではないかと思う。
指紋について、二人の人がそれぞれに別々の場所で考察して、結果としてそれは個人を特定するのに有力な武器になりうる、という結論に至ったわけで、それに最初に気が付いたのは誰かという論争であるが、その事自体は大したことではないが、それによって犯罪捜査が一段と向上したという部分が大事だと思う。
定年になって毎日が日曜日で、家にいる時間も多く、自然とテレビの前に座る時間も多くなった。
テレビで何を見るかとなると、どうしても推理物のドラマという事になる。
ドラマの中の謎解きの部分に惹かれるが、そこで謎解きの定番として指紋照合とDNA鑑定というのが出てくることになって、その指紋照合が犯罪捜査に採用されるまでの過程が、この本に示されているという事だ。
この本の中では、19世紀後半という時代において、犯人を確定できないときに、指紋照合で犯人を確定することの整合性を如何に裁判で立証するかが問題であって、裁判でその有効性が立証されたが故に、犯罪捜査において指紋の照合が大きな意味を持つに至ったという事が描かれている。
しかし、人間の指紋がそれぞれこの世に一つしかないものだという事は実に驚くべきことだと思う。
指先の皮膚の表面を削っても、切り取っても、また元の通りに再生するというのも不思議なことだ。
だから一度罪を犯したものは、その時に指紋を採集しておけば、同じ人が再び罪を犯した時、指紋照合をすれば直ちに犯人が割り出せるというという事だ。
だが、この本を読むと、イギリスでもフランスでも、昔から罪深い人は大勢いたようで、凶悪な犯罪は巷にごろごろと散在していたようだ。
まさしく石川五右衛門の辞世の句、「浜の真砂が尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」という言葉そのままである。
この本を読むと、人間が犯罪を犯すという事を深く掘り下げていくと、優生学的な思考にまで行きつきかねない点は実に驚くべきことだ。
つまり、犯罪者は生まれつきそういう要因を抱えた人達ではないか、という考え方である。
私個人の考え方の中には、当然の事、この考え方はある。
私は、犯罪者は生まれつきこういう要因を抱えてこの世に生まれ出て来ていると思っている。
これを昔の表現で言い表せば、遺伝という言葉が最もふさわしいであろうが、今はそういう言い方は多分許されていないのであろう。
言うまでもなく、人権意識の向上で、犯罪者といえども普通の人間と同じ扱いをする、という偽善が罷り通っているので、軽微な犯罪ならば矯正できる、という発想の元に犯罪者にも温かい目を、という変な世の中になっている。
私の持論としては、犯罪者は確実に遺伝的性癖を先祖代々引き継いでいると思う。
それは犯罪が遺伝するのではなく、犯罪に対する意識、感覚、モラルとしての認識の軽重が引き継がれるのであって、犯罪そのものが世代を超えて引き継がれるものではない。
だから罪を犯す者は、いくら社会的地位が高くても、罪を犯す者は犯すが、その反対にいくら貧乏でも、人のものに手を出さない者は、餓死しても人のものに手を出さないではないか。
いくら教養が高くても、いくら学歴があっても、いくら社会的地位が高くても、司直の世話になる奴はいるわけで、それは個人の資質を超越して、当人の一族郎党に均等にモラルの軽視という遺伝子が引き継がれているという事である。
罪を犯す人は、本人のキャラクターだけで罪を犯すわけではなく、人としてあるまじき行為をしてはならない、という感覚に鈍感なわけで、この感覚の鈍さが、代々親から子に引き継がれていると思う。
だから罪の意識に対する感覚の鈍さが代々引き継がれるのだから、具体的な犯罪が引き継がれるわけではないので、中には頭脳的にきわめて優秀な人間でも罪を犯すものが出るのである。
そういう人間は、学術優秀で社会的地位も安易に得るが、モラルに対する認識が甘いので、ついつい違法行為と合法行為の線上を歩むことになり、時として違法の方に足を滑らせることになりがちである。
この本に描かれている情景では、ヨーロッパでも犯罪を犯す人には累犯が多いようで、同じ人が同じ犯罪を犯す傾向が強い、と述べられている。
ところが、その累犯を探し出すのに指紋照合が大いに役立ったと述べられている。
我々のように人畜無害の気の弱い人間は、垣根から出ている人の家の柿の実を一つ盗るにも、清水寺の舞台から飛び降りるぐらいの緊張感に締め付けられ、勇気を振り絞ってでなければできない芸当であるが、それを安易にこなすという事は、既にその事で以て、罪の認識の軽重が問われているという事である。
人間の原始社会では法というものが未整備であったに違いないが、そういう中では、法という拘束力・罰則を持たないモラルというものが社会を支配していたに違いなかろうと考える。
しかし、モラルに罰則という拘束力がなければ、モラルを順守する意味が無いわけで、極めて自然に近く、生存競争の原理そのままに弱肉強食の世界になってしまう。
それでは人間社会が円滑に回らないというわけで、法によるモラルの強制という事になったものと考える。
法によって個人を裁くとなると、「法を犯した者は一体誰なのか」、という個人の特定ということがついてまわるわけで、その有力な武器として指紋照合というシステムが採用されたのである。
ところが、モノごとの革新という事には、単純な右肩上がりのグラフでは表せない紆余曲折があるわけで、この本の主題は、犯罪捜査に指紋押捺を認知するまでの紆余曲折を書き記したものであった。
そのためには、人の指紋というものがこの世の一つしかない個人の特質だ、という事を世間の一般の人までもが認識しないことには、裁判で刑を確定できないわけで、そこに至るまでの様々な確執が描かれている。
その確執を描く過程で、ヨーロッパの昔の犯罪が描かれているが、それを一般論として考察してみると、洋の東西を問わず犯罪というのは人間の集団にはついて回るもののようで、警察の存在意義も未来永劫続くものと思われる。