ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

『日本はなぜここまで壊れたのか』

2013-01-13 20:32:50 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、『日本はなぜここまで壊れたのか』という本を読んだ。
著者はマークス寿子という人だが、面識のある方ではない。
本の奥付によると1936年生まれということで私とほぼ同世代の方である。
ところが1976年に英国国籍のマイケル・マークス氏と結婚ということで、それが1985年離婚となっている。
結婚生活はわずか9年間ということで、この点から見て素直に彼女の人格に蔑視の思いが募ってきた。
1936年に生れて1976年に結婚ということは40歳で結婚ということであるが、40歳にもなって将来離婚する相手と結婚するというのは、いささか女性としての知性と教養に疑問符を感じる。
18、9歳の小娘が熟年の男にだまされた、という話ならばまだ納得できるが、40歳で結婚して10年も持たないというのであれば、本人の人を見る目は機能していなかったのかということになる。
洋の東西を問わず離婚する夫婦は掃いて捨てるほどいることは承知しているが、離婚がキャリアー・ウーマンの勲章でもあるかのような昨今の風潮はどうにも我慢ならない。
アメリカの映画女優のエリザベス・テイラーは8回も結婚と離婚を繰り返したといわれているが、広い世間にはそういう人がいても不思議ではないが、大和撫子からすればそれはあくまでも異端の存在で、本来ならば嘆かわしく思われるものである。
そういう人が、日本とイギリスを往復しながら文明論を比較検討しているような内容であるが、その考察があまりにも表層的過ぎて深みのない論旨になっている。
確かに昨今の日本人、特に若者は、他の国の若者と比べればひ弱な存在であることに間違いはない。
この本の表題からすれば、21世紀の日本の若者がひ弱になった根本原因を掘り下げて考察すべきところであるが、その考察が深層の部分にまで深く掘り下げられていない。
1936年生まれということは私と同世代なわけで、ならば戦後の民主教育を身を以て体験してきている筈で、離婚がマイナスの価値観であるという過去の認識も判っている筈である。
結婚とか離婚という問題は、どこまでも個人の問題であって、第3者がとやかく言う話ではないということは充分わかっているが、この部分の価値観が変わってしまったということが、その後の日本人を腑抜けにした大きな原因である。
その価値観を徹底的に壊したのが戦後の民主教育というGHQの押し付け教育改革であった。
対日戦に勝利したアメリカにとって、日本が、一度は敗れたとはいえ瞬く間に再建して、再びアメリカに歯向かうかも知れない、という想いは殊の外恐ろしかったに違いない。
1945年の8月に一応は勝利したとはいうものの、その後再び日本が勢力を盛り返してもう一度連合軍側に挑戦してくるのではないか、という恐怖心に苛まれていたと思う。
だから日本民族を徹底的に再起不能にする気でいたわけで、その為には日本民族の根底に流れている大和魂という精神的なバックボーンを全否定することに血道を上げたということだ。
その具体的な運動が、封建主義の全否定であったわけで、それはとりもなおさず民主化路線とも軌を一にしていたのである。
具体的には我々が古来から持っていた価値観や倫理観の否定であって、その中には夫婦であっても気に入らない相手ならばさっさと離婚しても構わない、という思考も入っている。
それを称して「女性の自立」と言っているが、言い方を変えて表現すれば「女性の我儘の奨励」でもあったわけだ。
古今東西、男と女の世界なので、一度一緒になってもで月日が経つうちにどうしても合わないということも多々あったに違いないが、そういう時は従来ならば女性の方が我慢していた。
これを戦後の言い方では「女性の犠牲で家制度は維持されていた」という表現になるわけで、それは古い考え方だから女性は辛抱することなくさっさと離婚しなさいということになったわけだ。
彼女が1936年生まれということは、戦後の発展を身を以て体験しているわけで、1945年の我々の国が今日21世紀の現状を呈するまでになったということは、人類にとっても想定外の事ではないかと思う。
彼女は東京生まれだそうだが、だとしたら尚更の事、1945年の東京から今日の東京は想像できなかったに違いなかろうと思う。
我々の先輩たちは、こういう今のような日本を造ろうとしてアジアに進取して、それを当時の西洋先進国に咎められて、総スカンを食ったということだ。
その結果として国土が焼野原になって、当然のこと、軍備に回す金もなく、無手勝流でやってきた結果が今日の姿なのである。
国土が焼野原になって、そこに海外からの引揚者を抱え込んで四苦八苦している中で行われた民主化政策は、既存の価値観を見ごとにひっくり返してしまった。
敗戦、日本が外国の軍隊に敗北を帰すということは、我が民族が今までに一度も経験したことのない未曾有の事態で、それを経験した日本の成人は、一様にPTSD(外因性ストレス症候群)になり、精神的に再起不能に陥り、昔の価値観に戻れなくなってしまったのである。
その上に、GHQは民主化の一環として政治犯の釈放を要求してきたので、戦前戦中に弾圧されていた共産主義者が解放されてしまった。
これはまさにパンドラの蓋を開けたようなもので、GHQの唱える民主化の要求と、共産党員が唱える民主化の波長が見事に合致してしまって、古い道徳、過去の倫理観が全部否定されてしまった。
その中で、戦争に生き残った人たちは、次世代に対して生きる指針を指し示すことが出来ず、人は如何に生きるかと説く事にも自信喪失してしまった。
だから、自分の子供に対しても見本を指し示すこともできなくってしまったのである。
そして学校では何でもかんでも平等ということを教えられ、合わせて個の自立、独立ということを教えられたが、皆が平等でありながら個の尊重ということは有り得ないことであるが、その矛盾に答えを出さないまま既存の秩序に反抗することが善と捉えられた。
私は不幸にして学校の現場の状況というものを知らないが、以前、小学校の徒競走で、1等から2等3等と順位を競うことがダメだという論が出て、そういう区分けをせず全員で一斉にゴールするということが話題になった。
だが、この時それを決めた先生方は一体どういう議論をしたのであろう。
当然、「従来のやり方を踏襲しよう」という意見も出たであろうと思うが、どういう議論でそういう意見が封殺されたのであろう。
この事例を見ても判るように、世の中の変革というのは、こういう些細な事例の積み重ねで世の中が変革していくと考えられる。
徒競走の順位を否定して全員で一斉にゴールする、というアイデアを発言した人はきっと勇気が要ったと思うが、それに追従してそれを承認した人もきっと勇気が要ったと思う。
ところが、この場にいた人々の常識・コモンセンスは一体どうなっていたのであろう。
教育現場の人、教育に携わっている人が、徒競走の順位を格差とか、不平等と捉えているとしてら、その人は教育者にあるまじき知性を欠いた人と言わなければならない。
10人の子供にテストをすれば、その結果は1から10まで順位があって当然である。
人は往々にしてこの順位を問題視するから教育の本旨がゆがんでしまうのである。
教育には順位がついて回るモノであって、人々はこの順位に右往左往、一喜一憂するからモノごとの本旨を見落とすことになるのである。
テストは教育の効果を計るモノであって、教えを受ける側がどれだけ習得したかを計るものであるが、世間ではそれを個人の頭脳や能力の善し悪しを計るものと勘違いしている。
この誤解を解く役が、本来ならば教育現場でなければならないが、この部分でも教育に携わっている人が勘違いしている。
教育の目的は、単純明快、知識を教え込むことにあるわけで、結果的にその年度のカリキュラムのミニマムの知識が備わっていない者は進級してはならない。
教えたことが既定のカリキュラムのミニマムの線に達していなければ、再教育があって当然だし、次のステップに進むことができないのが当然と考えるべきである。
日本の大学は入ってしまえばおおよそ卒業できるようであるが、これでは教育の本旨から外れており、暴力バーのやらずぶったくりと同じであって、父兄や学生は授業料の返還を迫ってもいいが、学校側が卒業証書を乱発していることを喜んでいる節がある。
まあそれで学生も喜び、親も喜び、学校も儲かり、先生も生活が出来るわけで、四方八方、万々歳なのだから第3者が僻みっぽく騒ぎ立てることはないかもしれない。
偽学生モドキの社会人がいっぱい世間に雪崩れ込んできても、普通の社会ならば実力主義であって、能力のないものはおのずと自然淘汰されるのであるから一般社会にとっては実害はないが、こういう状況になると知識人モドキのものが「そういう偽学生モドキも人間だから何とか救済すべきだ」と騒ぎ立てることが嘆かわしい。
戦後の民主化の中で、教育改革の次は女性が働くことの是非が大きな課題となっているが、人間のあるべき姿の理想形は、男は外で糧を得る労働をして、女性は家の中で家事に従事する姿だと思う。
人間の生業が農業であったころは、だいたいこの線で生活が営まれていたが、産業革命後、男の職場が工場に移ると、男の収入だけでは家計のやりくりに不都合をきたすので、女性も家で出来る内職という形態の仕事に精を出すようになった。
普通のサラリーマン家庭でも、子供が巣だってしまうと、女性の家事も手が抜けるようになるので、少しでも実入りのいい仕事を探すという風に自然になる。
けれども、主体は家の主人の収入に頼っているわけで、夫の収入で細々と家計を遣り繰りするのが普通であった。
ところが戦後の社会では、女性もかなりの高学歴になって、高学歴を身につければそれに応じた仕事がしたいという欲求は当然出て来る。
だからその欲求に応じて仕事をすれば、そのサラリーは全部自分のお金になるので、その魅力はたまらないものであったに違いない。
自分の稼いだ金で自分の好きなものが自由に買える、ということはかけがえのない魅力だと思う。
一度その魅力を味わったらもう家の中でじっとしていることは不可能で、外に出て働きたいという願望は尽きないものとなった。
そういう女性が結婚したからと言って、家の中で夫の帰りを待ちつつ、じっとしているわけにはいかないのも当然のことである。
大昔の人間にも、いかなる民族にも、女性には女性に適した仕事があって、それを順守している分には、分に応じた生き様をしているということだが、女性も教育を受けて高学歴になると、この分に応じた生き様に納得できなくなる。
そこから這い上がろう、のし上がろうという上昇機運に突き動かされる。
日本の近代化以降でも、女性の職場として小学校の先生や看護婦さんという職域は有った。
この事実を考察してみると、生き物としての女性は出産という大事業を成すために、幼い者やか弱い存在のものには慈悲の心が無意識に作用するというDNAレベルの刷り込みがあったということだと思う。
戦後の民主教育においては、こういう思考を封建主義の残滓として排除する考え方が蔓延して、女性も男性と区別してはならず、同一労働同一賃金を是とするようになったが、システムとして無責任体制の公務員はそれでもいいが、利益をはじき出さねばならない民間企業では、男性と女性で同一労働ということは有り得ず、当然のこと賃金は仕事に応じて払われるわで、結果として男女で差が出る。
そもそも人間は皆平等で、男女で差別や区別があってはならない、という考え方は旧ソ連や中国のような未開な地域で早急に近代国家をつくらねばならない時に、人々を叱咤激励するためのスローガンであった
コルホーズやソホーズあるいは人民公社で、人間を柵で囲んだ中に入れて、強制労働に駆り立て、共同食堂で食事をし、幼子は共同保育所で預かって女性をフルタイムで働かせることが目的であった。
戦後の日本で革新的な知識人は、その一部分だけを見て、日本もそういう風にならなければだめだ、保育所を沢山作って女性がフルタイムで働けるような体制を作らねばだめだ、と言っているのだが、生きた人間の在り様を冷静な視点で眺めれば、幼い子を母親から引き離して第3者に育てさせて、その親子が幸せである筈がないではないか。
ここで問題なことが、母親自身が自分の欲求を満たすために、そういう選択を由とする傾向である。
専業主婦に価値がないとか、家事労働は意味が無い、などという評価は誰が言いふらしたのであろう。
戦後の日本は戦後復興を成したせいで、生活するのには非常に便利になって、家の中の仕事、家事労働は究極的に合理化されてしまって、ほとんどすることはなくなってしまった。
当然、主婦は時間が余ってくるわけで、その余った時間を利用して子供が学校に行っている間だけパートタイムの仕事する余裕が出てきたということだ。
これが普通のサラリーマンの堅実な主婦の思考ではないかと思うが、ここで欲張りな主婦がいると「パートタイムの賃金では少ないからフルタイムの仕事が出来るように行政は何とかせよ」という欲求になってくる。
そういう要求に政治家や行政が応えようとすると、人々の欲求は益々エスカレートするわけで、最後は好き放題にセックスしておいて、出来た子供は国家の宝だから国が育てよということになりかねない。
確かに、戦前の我々の在り方は封建主義にがんじがらめに絡められており、女性を犠牲にした部分は多々あったに違いないが、戦後の我々の在り方にも、随分と大きな間違いを内包していたように思われる。
戦前の間違いは、軍部や軍人によってリードされたが、戦後の間違いは確実に革新的な進歩的知識人によって民族の昇華の方向に導かれたと思う。
アメリカ占領軍の占領政策と、共産主義国からのコミンフォルムの指針が見事に一致していたので、それを内側から煽りに煽ったのが戦前に治安維持法で排除された進歩的知識人であった。
私自身の体験を述べると、私は私立の高校であったが、その校長は戦前治安維持法に抵触して牢屋に入れられていた。それが、終戦で解放されて私立高校の校長に就任した。
その校長は中華人民共和国が誕生したとき、先方に招かれてその帰朝報告を聞かされた。
その時の話が例によって「中国には蠅が一匹もいない」という話であり、「女性もフルタイムで働いている」という話であった。
治安維持法で苛められたので、その反動として反体制・反政府という思考は判らないでもないが、だからと言って高校生に昔の大本営発表のようなデマゴーグを言いふらして良い訳ないではないか。
こういう話をきいた世代が、その後の全学連世代であったり、全共闘世代であったわけで、彼らは戦前の治安維持法でさんざん苛められた世代から教育を受けてきているので、その教育が民主化教育という美名のもとで大きく偏向していたということだ。
真の知識人ならば、人としての在り様、人としてのミニマムの倫理、人として守るべき道徳というものは普遍的なもので、体制やイデオロギーで揺らいではならないということは判っている筈である。
戦前と戦後を比較しても、中味の日本人、日本民族というのはいささかも変わっていない筈なのに、価値観や考え方が180度変わってしまうということは一体どういう事なのであろう。
いかなる状況でも、いかなる体制でも、変えてはならない核を維持、継承、伝承すべく人々を説き伏せる役目を負ったものが知識階層ではなかろうか。
我々は明治維新の前の江戸時代においても学問の研鑽に励み、明治維新以降はそれこそ西洋列強に追いつき追い越せを国是として学問に励んできたが、学問に励んだ成果というものは果たして手に入れたのであろうか。
国費で高等教育を授かった知識人が、自分の祖国に弓を引くような言動を弄して、それが高等教育の成果と言っていいものだろうか。
民主党政権になって鳩山由紀夫も管直人もそれぞれに祖国に思いを募らせたに違いなかろうが、結果としては大混乱をきたしたわけで、ならば東大や東工大の高等教育とは一体何であったのだろう。
21世紀に日本人の魂が宇宙に浮遊して、地上にいる我々の同胞は魂の抜けた空蝉のようなもので、過去の栄華に固く止まっているのかもしれない。




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