桃さん コメントありがとうございます。
左右木先生の事を知りたいとの事ですが 先生が 昭和56年 12月18日 国立市のアトリエにて 心筋梗塞で亡くなって 早 30年が過ぎました。
先生は テーマのモチーフを求めて全国を歩き回ってて 飯田地方に道租神を求めて
45年頃から来てた様です。
親しくなった家の人が 先生は 達磨は書かないの? と 聞いたら
得意題材との事で 書き上げてくれ それを観た近所の人も 書いて欲しいと
人から人に 知り渡りましたのが始まりと聞いてましたねぇ。
それからは亡くなるまで 毎年の様に 飯田地方に来て呉れてました。
↓ 当時 アトリエ誌 No 624 2月号に 先生の特集で
「水彩画・表現技法のいろいろ」 81ページにわたって載ってます・表紙絵も先生
その最後に 先生の紹介が出てるので載せますね。
誌の中の ほんの一部の画像より
先生が亡くなった後 先生と たまたま母達・今は佳き記念に
その後 先生の息子 玲氏も来飯 そして下條にも
父の事を知りたいと連絡入り 当時 職場を一時抜けさせてもらったのも懐かしい
先生が来飯知ると 宿に書いて貰いに集まる愛好家 そのご愛堂会に発展
小柄で髭を生やしてた先生は 大勢の前で 出来た製品に直接 筆
襖であれ 屏風であれ 自信が有るって事ですよね
般若心経でも書いてたもの
先生にも そして水彩画 作品にも魅かれましたねぇ。
玲氏は 当時 石版画を専門としてて その後 個展の はがきも戴いたが仕事で余裕が無くて 東京に行けませんでした。
今回 桃さんのコメントで 玲氏で検索してみたが全然見つからない
これを機に 調べてみたくなってます。
桃さんの事も詳しく判りませんので この範囲にしてみましたが
少しでも知る ヒントになって欲しいと願ってます。
水彩画とか拓画に興味あるとか それぞれ違うのかも知れませんが
知れば知るほど先生に魅かれる魅力いっぱいありますねぇ。
私 今は時間が出来たから先生の事・息子さんのその後の事も もっともっと知ってみたくなりました。
地元の方ではなかったのですね
色々と知りたかったことが、充分解決いたしました
左右木愛弼先生のお人柄も伝わるエピソードも、ありがとうございました