1%の自責理論、ってのを考えついた。
なんでも自責すれば明るくなれるよ、っていう人生哲学として。
他責しない方がハッピーになれるよ、ってライフハックとして。
どんな諍いにも、100対ゼロでいずれかが悪い、ってことはない。人間関係は鏡だから。
相手の悪意の、ムカつく、心ない振る舞いも、もしこちらが完璧に礼儀正しく誠実な態度を取っていたら、そうはならなかったかもしれない。
そう考えると、どんな事案においても、1%くらいは、自分に対して自責することがある。
謙虚に向上心を持って、その1%を自責する。反省する。
それが人格者、人徳者の振る舞いだろう。
だって、相手はそんな簡単に変わらない。他責したって変わらない。
その「どうせ変わらない、ダメな」相手に対して、不機嫌になって人生を過ごすことは、自律的な生き方ではない。
他律的。
ダメでセコくて卑しくて不誠実なクソ野郎に、人生を支配されてしまっている。
悪が人を苦しめるのでない。
人が悪に苦しむ。
そんな人生は面白くない。楽しくない。
他人は変えられない。
でも自分は変えられる。
気持ちの持ちよう一つで、自分は、他人を変えるよりはるかに簡単に、変えることができる。
だからに、自分が不機嫌になった場合に、その原因を他責するのではなく、とことん自責する。
1%の自責をする。
不機嫌になったら、「自責のチャンス」と捉える。
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仮に、1%も自責する点はない。0%だ。100%相手が悪い、と思ったらどうだろう。
そんな事案があるんだろうか?
ある。
例えば、私が東京にいるのに、大阪の道頓堀で転んだ人が、「私が転んだのは東京の中山達樹のせいだ」と思った場合。
でも、この大阪にいる「東京の中山のせいにする人」は、頭おかしいですよね。ビョーキです。
ビョーキの人に腹立ててもしょうがない。
お可哀想ですね、お大事になさってください、と哀れみと温かみのある眼差しで、見てあげればいい。
だから、100対ゼロ、の場合でも、他責をする必要はない。
ダメでバカな他人に、人生を支配される必要はない。
どうしょうもないクソ野郎のせいで、自分が不機嫌になることはない。
これが私の1%の自責理論。
私はそうやって、自分の精神衛生を保っています。