『金色夜叉』で知られる尾崎紅葉。
幸田露伴と「紅露時代」を築くほどの文豪。明治中期に活躍。
読売新聞に寄稿し、「読売の紅葉か、紅葉の読売か」と言われるほどに読売の評判を高めた。
泉鏡花や田山花袋などの多くの弟子を育てた。30代前半で、、、
親分肌の人格者で、広く慕われていた。
ある弟子の紅葉評:
正義を尊んで、非常に虚偽を憎んで、同情に富んで、愛情が深くて、よく勤めよく遊んで、清潔で礼容を重んじて、交際に巧みで、義理に固くて、家庭が円満で、談話に長じて、趣味が広い。
これを見て徳岡孝夫が「男して必要な資質が、すべて備わっている」。
でも、胃がんで35歳で死んだ。
胃がんとの闘病っぷりも立派。山本七平のがんとの闘病を思わしめる、と徳岡孝夫も太鼓判。
最期の一言は、見舞いに来た弟子たちがの泣いているのを見て「どいつもまずい面だ」。
その35年を振り返って、徳岡孝夫が
男して紅葉以上に立派に生きた人は、そういないだろう。
と。
男も女もない。
天下の徳岡孝夫にこう言われ、泉下で紅葉はまんざらでもないだろう。