次男が小学校6年生になって、少年野球を卒業しました。
コーチとしての私の役目も終了しました。
次男の親への感謝状なんて、ここで公開する意味もないんですが、なんでも記録するというユビキタスキャプチャーの考えに従って、記録しておきます。
ここに書かないと永遠に検索できない。ブログは検索ツールです、みなさまもいい検索ツールをご活用ください!
豪州の友人弁護士も、Microsoftの自動翻訳を通じて、このブログを読んでくれている。
宗教関連のこととか、CoCo壱番屋の宗次さんのこととか、しっかり、理解してくれている。
海外の方にご理解いただけるとは全く想定していませんでしたが、翻訳の精度がそれだけ高まっているんですね、、、
私が書くことは、武士道の本とか、論語とか、全く個人的な興味であって、国際的に関心が高いことなんかは全く意識していませんが、、
何かSNSに書いたことが「どうせ海外の人には理解されないだろう」って思うのは早計で危険ですね、、、
「SNSで何か書いたら、即座に世界80億人に伝わる」。
そう理解して、慎重に、品のあることを、SNSに書くようにしましょう。
私も、翻訳しやすいように、主語述語をしっかり整えた文章を書くようにしようかな、、、
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後記:仕事関連で、私が書いたブログをいちいち自分で翻訳することがあった。今後はその労力も不要ということが分かりました!
Reactive (後手、反応的)ではなく、
Proactive(先手、予応的)でありたい。
誰かが何かを言ったのに反応するのではなく、
自分から、自ら、独自の、オリジナルな、仮説を提示する。
そういうアウトプットを癖にしたい。
そういう媒体を確保したい。
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そのためには、Twitter/Xではだめ。
どうしてもReactiveになる。誰かのTweet/ポストに反応しちゃう。
noteとかブログが良いと思う。
字数制限もないし。
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「どんなアウトプット媒体を仕組み化しているか」で、人の思索も、だいぶ変わってくる。
数日前から、アプリからのブログ投稿時に、「今日いち」って機能が追加された。
Facebookのストーリーズみたいな機能だと思う。
取り急ぎ読者様にご報告。
海外の、IPBA(環太平洋法曹協会)の友人の弁護士も、どういう翻訳か知りませんが、翻訳を通じて、このブログを読んでくれている。
家庭連合に関する私の立場を応援してくれている。
そうか。
翻訳して読まれているんだ。
ありがたいことです。
今後は、翻訳して分かるような、やや冗長の、主語と述語がありすぎるような、ブログを書くかもです。
最近は、ふっと立ち寄った(なにかの検索で引っかかって通りすがった)方のために、専門用語を使わず、噛み砕いて冗長な文章を書くこともある。
そんな感じで、えらい冗長な文章を書くかもしれません、平にご容赦を!
「ユビキタス・キャプチャー」ってのは、何でも記録する、ってこと。
ネタになるから記録する、とか、オチがあるから記録する、ってのではなく、とにかく全部記録する。
これ、備忘のためにもいいよ的に、名著『ライフハック大全』で堀さんが書いていたと記憶する。
愛機Macbookを新調したので、ブログ環境が改善しました。ちょっとユビキタス・キャプチャー的にMacbookを叩いています。
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今朝は、朝3時少しに起きて、近くのコンビニまで歩いてコーヒーを買いに行きました。Kindleで読書しながら。日頃やっていないことに挑戦。毎日少しずつ「人生初めてのことをする」と刺激になっていいですね。
朝3時のコンビニには、消費期限切れのケーキとかが50円引きとかで売ってるんですね。買っちゃったw
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明日からIRF SUMMIT ASIA。アメリカの70代国務長官のマイク・ポンペオさんとかが来ます。
そのアレンジとかで、日本の外務省とかが絡んできて、IRF(International Religious Freedom)側(要するにアメリカ)としては、「如何に日本の状況が異常か」つまり、unpopularな家庭連合に対する差別意識が強いかを学んでいるところ。
「unpopularな団体の人権を守る」のが民主政の成長だと思うんですが、日本ではそうなっていないことに、国際社会が気が付き始めた。
ま、家庭連合さんのレッテルからの脱却は50年単位。長い目で戦っていきましょう。
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そうそう、札幌+岡山のシンポジウムで、家庭連合2世信者の小嶌希晶さんから聞いた話。
彼女のお母さんも監禁された。
家で縛られて、、 毎朝4時とかに来る新聞配達の方に、何日もかけて監禁状態にあることを気づいてもらって、窓のガラスかなんかを割ってもらって、それで脱出した。
そういう事例が、もう何千もあります。宗教迫害がひどい時代がありました。
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こういう事例は、家庭連合の解散騒動がなければ、私は知らなかったし、世間でも知られることがなかった(まだ「世間に知られている」とまではいえないけれど)。
だから、家庭連合解散せよ!って息巻いていらっしゃる紀藤正樹弁護士なんかは、50年単位の長い目で見ると、これでよかったんでしょうか。
彼らが騒がなければ、拉致監禁も知られることはなかった。しかし、今は拉致監禁のことは永久に(知られる層には)刻印された。
紀藤正樹弁護士も、解散騒動前は「消費者運動で有名な弁護士」だったのに、今や「家庭連合の信者(小出浩久さんとか)の拉致監禁を利用したのにしらばっくれている最も邪悪な弁護士」になっちゃった。
50年100年単位で見て、紀藤正樹弁護士とか霊感弁連さんが、「これでよかった」となるのだろうか。
ならないように私もいろんなところで一肌脱ごうと思っています。
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長くなったので続きは別稿で。
コーチング資格を取ったので、コーチングを教える立場で、コーチングを学ぶ後輩に接している。
Style Cruiseってところで。そこでは、Log Bookと言って、自分と向き合う日記を書く。いわゆるジャーナリング。
ジャーナリング(Log Book)のいいところは、「人に見られる日記」なので、ネガティブな愚痴ばかりにならないこと。
「人に見られない日記」だと、毒を吐いて、悪口を言って、愚痴を言って終わりになりがち。
しかし、「人に見られること」を意識すると、その悪い経験を、なんとかポジティブに捉え直すことができないか、ポジティブに日記を締めくくれないか、って思う。やや見栄を張って。
その「ポジティブに見せる見栄」が、荒木博行さんがおっしゃる、
2ミリの学びを削り出す
努力になる。 こちら
どんな経験、どんな不遇、どんな逆境からも、2ミリは学ぶ。削り出すようにして、無理くり、「学び」を考え出す。
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この私の駄ブログも、そう。 3年か5年前までは、単なる私の備忘のために使っていた。
最近は、営業的に、「人に見られる」ことをより意識している。だから、愚痴や批判や悪口だけを言って終わらないようにしている。
2ミリのポジティブさを削り出し、滲み出させるようにしている。
その「2ミリの学び・ポジ」を削り出そうとする思考過程そのものが、自己肯定感を上げるのだと思う。
それがジャーナリングの効果なのだと思う。
メモは言葉の貯金。
たしかこの本に書いてあった。
メモしないと忘れるし。
記録しないと駄目。
私の場合、このブログがメモ。このブログが、言葉の貯金箱。
みなさんの「貯金箱」は何ですか?
ブログ? Twitter? Evernote? 日記?
何らかの媒体で、言葉の貯金箱を作り、いい言葉をストックすることをおすすめします!
以下の本に書いてあった。
「メモをする」のと、「書く」のとは、違う。
「メモをする」のは、すでに脳内で言葉として出来上がった言葉を、書き記すだけ。
「書く」のは、脳内にきっちり言葉として出来上がってない思いを、紡ぎ出す。書きながら、考える。
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この違いは、私のように、毎日ブログを書きながら、思考を発展させて行っている者には、よく分かる。
I do not know what I think until I write it.
George Bernard Shaw
書き出すまで、自分自身にも、自分がどう考えているか、分からないことがある。
書かなければ分からない。

書いて本当に分かる。
書いているうちに、「ああそういうことだったんだね」ってわかることがある。
対話しているうちに、何かを閃いたりすることがあるのと同様に。
ジョージ・バーナード・ショーも言った。
I do not know what I think until I write it.
書いて初めて、自分が何を考えているか、分かる、と。
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だから、言葉を紡ぐことで、書くことで、最も驚くのが、自分自身であることもある。
おお、そういうことだったんだ。そこがそう繋がるのか。
だから海外、主にアメリカではこう言われることがある:
Read to collect the dots and write to connect them
ドットを集めるために読み、それを繋げるために書く
書かないとドットは繋がらない。
書きましょう。
書くことによって心理的に安定する。それをジャーナリング Journaling と言ったりします。
書かないと忘れる。
私の場合、このブログに書かないと忘れる。
ブログ化しよう、と思って、メモしておいたけど、忙しさにかまけて、そのメモが何を意味するのか解らなくなる、、ってことがたまにある。
2ヶ月くらい前、イタリア人学者に、マックス・ウェーバーが、セクトについて◯▲☓&%みたいなことを言っていた。
それをメモったけど、何を言ったか忘れた。。。
ブログの質ばかりを考えて、良いブログを書こうと思って、スピード感をおろそかにした、、、
読者の心地よさよりも私の記憶忘却曲線を意識すべきでした、、、
みなさんが、ひらめいたこと、思いついたこと、忘れたくないことをどうされているか存じ上げませんが、、、
私のようにブログに記憶を一元化するデメリットは、「読者がいるので下手につまらないこと書けない」って思っちゃって、ブログ化する(記憶を記録化する)のが遅れて、結局忘れる、ってデメリットがあるんですね、、、
心せねば。
今朝、毎朝のルーティンとしてブログを書いていてひらめいた(=言語化できた、言葉が降りてきた)のは、「論理のレゴブロックの組み立て」だなってこと。
書いているうちに、「あれ、この件、あまり論理的じゃないな」って自分で気づく。書かないと気が付かない。
寸鉄人を刺す批評でノーベル文学賞を受賞した作家ジョージ・バーナード・ショーが、「書かないと本当に考えることができない」って言っている。
I do not know what I think till I write it.
って。直訳は、「書かないと、自分が何を考えているかわからない」。
書くことで、考えが、自然と、より緻密になる。より論理的になる。
みなさまも、私みたいに毎日シコシコ書くことをおすすめします!
先日お会いしたクライアントの社長さんから、
ブログ毎日見てます、なんか、中山先生を、メンターのように、思わせていただいています
って言われた。オンラインでの打ち合わせが多く、実際にお合いしたことは少ない方なのですが。
私のブログを見て、特にその方に宛てて何かを書いたことはないのですが、私をメンターのように捉えてくださるとは。
誠に畏れ多いお話。
広く皆様にメンター気取りするつもりはありませんが、私が書くことでなにかお役に立っていれば、それはとても嬉しいです。
これからも、世のため人のため。
人様にお役に立てる自分でありたいです。