インテグリティも結局は優先順位じゃないか、って問題提起を先日しました。ビジネスなのかプライベートなのか、どれだけ相手方をリスペクトしているか、でインテグリティの発露も変わってくる。
まあ本当はそうやって「優先順位付け」をしてはいけないのだけど。人間は完璧ではない。キャパの限界もある。
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思い出すのは、8年くらい前、縁のあった女性Aさんに、社会的に活躍する有名な女性Bさんを紹介したことがあった。青山で3人でランチした。素敵な女性同士がつながればいいケミストリーが生まれて日本の女性と社会が元気になれば、って思って。ご両人とも、女性のロールモデルになるような有名な人。
残念なのは、Aさんからお礼の言葉もなかったこと。今でも私がその無礼?を根に思っている、というわけではない。私に対する優先順位、私へのAさんのリスペクトがないというだけの話。私が軽んじられた、というだけの話。
インテグリティってのは、単に神に対する対峙、完全への道程、的に考えるのではなく、やっぱり対人的な要素もある。どれくらい信頼関係を保持したいか、ってことでもある。
人間関係は鏡。自分が相手を尊重すれば、相手も自分を尊重する。自分が軽んじられたとすれば、自分のその人に対するリスペクトが足りなかった、ってだけの話。なんでも他山の石にすべし。
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という文脈でやや繋がりがあるのが、仕事の能力も、結局は責任感や当事者意識(コミットメント)に収斂されるのでは、という仮説を立てている。
たとえば、中山国際法律事務所での評価指標は:
- スピード
- 文章力
- 事務処理能力
- コミュニケーション能力
- リーダーシップ
- 戦略設定能力
ですが、これらすべては、結局、責任感と比例する。責任感があればスピード増すし、誤植もなくなって文章力上がるし、ミスも減って事務処理能力上がる。
責任感があれば丁寧なコミュニケーションをするだろうし、リーダーシップを発揮してProactiveに動く。クライアントのために知恵を働かせて良い戦略を描くことができる。
だからこれら6つの指標は、結局「責任感」の問題だったりする。インテグリティある行動も、その行動にどれくらいの責任感を感じているか、っていう優先順位の問題だったりする。
って仮説を立てている。昨日のインテグリティ研究会の第三部でこの話をしたら、ある程度の賛同が得られた。
我々に最も大事な能力は、責任感・当事者意識・コミットメントなんですね。