最近、毎年1冊以上のペースで本を書いている。
なぜそんなに本を書くか。
「与える人」でありたいから。
TakerではなくGiverでありたいから。
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あとは、出したら入るから。
古いネタは世に問うて、次のステップに自分が進むために、後ろに蹴り出す一里塚として、本の形に残すことにしています。
2月のワシントンIRFに出た縁で、こんなTV番組にも出演しました。
A Time for Truth Show - Samurai Courage and Honor in Fighting for Freedom and Dignity.
2週間前、ワシントンで、メールのやりとりだけをしたことがある、65ー70歳くらいの欧州の宗教者から、
私は50年、信仰生活を送っているけど、あなたほど魂レベルが高い日本人は見たことがない
的に言われた。いくつかはお世辞も入っていると思うけど、そうお世辞を言われるだけの何かが私にあることは自覚しておく。
人生は何をUSPとするか。自分のUnique Selling Pointをこれからも磨いていきます。
私がワシントンIRFで履いていた、勝負ソックス。
指先の方に書いているのは
アメリカの有名な、人権派の、最高裁判事、RBG。
ルース・ベイダー・ギンズバーグ。
女性よりの、リベラルな、勇気ある歴史的な判決を多く書いた。
映画にもなった。
指先の方に書いているのは
I DISSENT
私は反対する。
同調しない。
忖度しない。
ダメなものはダメ。
私のIRFでの発言も、I DISSENTの気概を持ったRBGの後押しがあったかもしれない。
なお、このソックスは昨年の今頃にハワイで買いました。
ワシントンのIRFでパネル・ディスカッションに出て5分話しただけで、アメリカのサイエントロジーの人が私に近づいてきて、
お主、サムライみたいよのう。
興味あるから、話を聴かせてくれ、とのこと。
二つ返事で、なんかのビデオ番組に使うって趣旨で、30分くらいのインタビューを英語で受けました。
サイエントロジー界隈でそのうち使われるでしょう。
私が話して5分で、よく私がサムライを目指していると見抜いたな。
さすがサイエントロジーには炯眼の士が多い。
侮るべからず。
笑って死ねる人生論とか、葉隠死ぬことと見つけたりとか、To live in hearts we leave behind is not to die とか、私がイエス・キリストをライバルとして頑張っていることとかを、語ってきました。
縦と横について話したら、「よく分かるよ」だって。
お世辞かもしれないけど、嘘を言っているようにも見えなかった。
縦と横にも、普遍的なものがあるんだろう。
私の次男が中学受験。
次男はいろいろ恵まれてるんだよな、、、って思って、突然ですが私の兄のことをば。
頑固者。信念の人。私より2歳上。風貌は結構私と似ていると言われる。
中3のとき、成績的には、桐蔭学園高等学校の理数科に進めた。理系だったし。
でも、
「理数科に行く奴らは、勉強ばかりで、性格が悪いから、嫌い。
あんな奴らと一緒にいたくない」
と言って、頑なに、理数科を受験せず、あえて偏差値的にはレベルの低い普通科に。
中高はテニスに青春を捧げ、4大の国立大学に。大学院まで行って林業とか途上国支援とかを研究して、さて就職かと思いきや、
青年協力隊でアフリカに行く
と。1997年ころ。30年前だ。
父親としては、苦労して私立中高に入れた長男が、それで就職せず、プータローに、、、
父子の対立があり、お互い頑固なので(父は戦前生まれの九州男児)、、、その対立は10年くらい続いた。
今は和解している。兄は日本で家庭を築き、2児の父として子育てもしっかりやった。
兄が赴任するブルキナファソに、私と父とで訪れたこともあった。
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父も頑固だが兄も頑固。その頑固さの啀(いが)み合いを見て育った私は、それを反面教師として、それなりに世渡りが上手くなったか、、、
こう兄を振り返ると、それにまさる頑固だと思っていた父親の頑固っぷりの、いいエピソードが思い浮かばない。
「具体例が思い浮かばない」ってことは、たいしたことないってこと。
息子として、親を頑固だと思ってきましたが、具体例が思いつかない。
単に、息子としての反発から、「親は頑固だ」って思い込んできて、50歳になりました。
でも、その「頑固な父親の頑固っぷり」のエピソードが語れない、、、
たいした頑固じゃなかったんだな。私の思い込みだったんだな。
兄の頑固エピソードと比較して、父の恩愛を感じ、また父に感謝しています。
いずれにせよ、父や兄からは多くを教わり、多くを負っている。
恩返しせねば。
私は毎日のランニング時、そして今は自転車通勤ですがその通勤時、常に、中島敦『李陵』をAudibleで聴いている。何度も何度も。もう2年とかそれくらい。
なぜ私がそんなに李陵を毎日聴くか。
それは、弱いから。
自分が弱いから。
李陵みたいな、しっかりした古典に触れていないと、自分がダメになるから。
スケベだから。俗物だから。「縦」こちら を感じさせる古典に触れていないと、横野郎の、俗物に成り下がるから。
「ヨコ野郎」にならないため、李陵を毎日、毎日、毎日、聴いている。飽きもせず。
李陵に出てくる、特に蘇武の、「天は見ている」という「タテ」を、受け取っている。話・ストーリーの内容を聴いているのではない。
李陵とか司馬遷の「タテの精神」を、受け取っている。
世俗の欲望と、肉体の蠱惑と、物質の誘惑に、負けないために、毎日、毎日、『李陵』を聴いています。
いい小説には、そういう力がある。偉大なり、中島敦。
品行方正な人でも、深い愛のない人は、退屈になりがちなものである。
ヒルティ
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分かる。
万感の書を読み、知性が迸(ほとばし)り、人格識見にも優れている。
でもアウトプットしない。人に伝えない。自分だけの知識としている。
そういう人は、愛がないんじゃないか。
自分が、いい知識や敬虔や智慧を身に着けたら、それは人さまに対して還元したらいいんじゃないか。
それが人類愛なんじゃないか。
私はそう思う。
だから私は、人からは目立ちたがりとか自己顕示欲強いとか思われるかもしれないけど、毎日、少しずつでも、こうしてブログを書いて、アウトプットして、社会貢献せんと志しています。
どんなに品行方正でも、愛のない人は、退屈。
人それぞれだから、そういう人の人生を私は否定しない。
でもボクは、愛の深い人になりたい。
愛の鬼才・西村久蔵のように。
甲府の人権シンポジウムで、今日、こんな質問をいただきました。
中山さんは(そんなに敬虔なのに)なぜ特定宗教の信者にならないのか
私の答えを改めて備忘のためにまとめると:
1 勇気がない
5年くらい前から、牧師から聖書・キリスト教を学んできた。
洗礼受けちゃいないよ、って言われて、その気になったこともある。
キリスト教精神には、私をして入信を考えさせるくらいの、魅力はある。
「人と違うことをする」のが私の人生のモットーだから、1%しかいないクリスチャンになったら、またそれで違う世界が見えるんだろう、って好奇心はある。
でも踏ん切りがつかない。
私がチキンなのかな。なんでじゃあチキンなのかを分析すると、、
2 親孝行
親孝行というか、親への遠慮。
中山家は浄土真宗。母方は日蓮宗。
とはいえ、葬式や法事のときに念仏上げるくらいの、普通の日本人程度の、仏教。
でも、親との対話もなく、私がいきなりクリスチャンになったら、親はどう思うかな? みたいな遠慮がある。
クリスチャンになっても、別に中山家の墓に入れるんだろうけど、最初は、クリスチャンになったら家の墓に入れないのか?的な危惧もあった。
3 必要性を感じない
っていろいろ書いたけど、やっぱり宗教の必要性を感じていないからかな、、、
19歳から25歳までに、四書五経的な漢籍とか、陽明学の本はほとんど読んだ。だから私は陽明学徒。
陽明学とキリスト教はほとんど同じ。
だから今更クリスチャンになる必要があるのか?って思いはある。
取り急ぎ以上3点のみ。
また何か思いついたら書きます。
私は大学生時代(か遅くとも20 代前半)に、安岡正篤は全部読んでいた。当時出ていた本は。
この『王陽明研究』(1940年刊)まで持っていたのを覚えている。
戦前の本まで読んで研究していました。
いまAmazonで見たら、同じ本?が1981年に出ている、、
当時はAmazonとかなかったから、、 神田の古書街とかで集めてました。書店のカウンターで注文とかもよくしてました。
今はいい時代になりました!
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学生時代から『致知』を定期購読していた、と同じくらい、「学生時代に安岡正篤読破」は私のアイデンティティになってるな、と思ったので記録しておきます。
30年経って、『論語と経営・コンプライアンス』って本を執筆中です。30年越しのconnecting the dotsで投資効果回収。
いい本になるように、世に出ている論語関係の本を読み返しています。
廉潔の廉はなんでああいう字なんだろう。
正しいの正はどうしてこういう文字なんだろう。
そういうことを調べながら、モノを考えている。
50歳にして自統にたどり着いた。
私の思索と思考と思スイ(変換で出ない)が落ち着いてきたということかな。
備忘のために記録しておきます。
インテグリティの第二弾の実践編・カルチャー編の本を執筆中。170頁くらい、ほぼ書き上がった。ふぅ。
結構私オリジナルなネタを入れ込んだなぁ~って思って数えたら、「私オリジナル」って言えるネタが106個あった。
結構あるもんだ、読者はきっと退屈しないだろう。
『~の108のコツ』みたいなタイトルにするかなぁ。
明日もう一度レビューして、そろそろ脱稿しよう。もう数日、寝かそうかな。