知恵の増大は不機嫌の減少によって正確に測定され得る。
ニーチェ。
知恵ある者は快活たれ。
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似たような言葉を考えてみる。
■ 品性の向上は感謝の増加によって正確に測定され得る
…年取ると多くの人は感謝するようになります。
感謝しない人はお子ちゃまです。
■ 幸福の増大は笑顔の増加によって正確に測定され得る
…これは平凡すぎる。
■ 気力の増大は筋肉の増加によって正確に測定され得る
…たぶん当たっている
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んー、やっぱりオリジナルを真似て、
⚪︎⚪︎の増加は、▲▲の減少によって…
で揃えた方がいいな。増加は増加によって、では平凡だ。
なにか反比例するものを探せばいいんだな。
■ 知性の増大は愚痴の減少によって正確に測定され得る
■ 品格の増大は他責の減少によって正確に測定され得る
■ 品性の増大は言い訳の減少によって正確に測定され得る
■ 年齢の増大は性欲の減少によって正確に測定され得る
■ 魅力の増大は贅肉の減少によって正確に測定され得る
■ ストレスの増大は睡眠の減少によって正確に測定され得る
■ ハゲの増大は頭髪の減少によって正確に測定され得る
無理に世に出ようとするな。天の時を待て。
ゲーテの畏友が言った:
「まことの人は、彼の義務が要請する時と場合においてのみ、世間の舞台に現われねばならぬが、その他では、一個の隠者として、彼の家族の中に、僅かな友人とともに、また彼の書斎の間に、精神の風土に生活しなければならない」
(M・フォン・クリンゲル)
実力もないのに無理に世に出ても、嘲笑されるだけだ。鈴木エイト氏のように。
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このゲーテ畏友クリンゲル氏の言は、私が好きな史記の
夫(そ)れ賢士の世に処(お)るや、
譬(たと)えば錐の嚢中に処るがごとし。
そっくり。
立派な人間は、キリが袋を突き抜けるように、いずれ世に出るものである。
真理は古今東西を問わない。
君子は以下3つを畏れる。
- 天命
- 大人
- 聖人の言
Godに対してsubmissiveであれというキリスト教のメッセージに近い。
何かを畏れること。
- 尊敬する人物を持つこと。
- ロールモデルを持つこと。
- 好きな漢籍や聖書の一句を持っていること。
これって、すごく大事だと思う。
平日道を蹈まざる人は、事に臨て狼狽し、處分の出來ぬもの也
おお、我が尊敬する小泉信三ではないか。
西郷南洲遺訓
平生から道を踏む。日頃から修行しておく。日々、自分を苛めて、自分に厳しく、律しておく。
それがなければ、イザというときに、狼狽して、処分ができない体たらくになる。
平生のこころがけ が大事ですね。
そんな題名の本もあった。
おお、我が尊敬する小泉信三ではないか。
買って再読しよう。
不義にして富み且つ尊きは、我に於いて浮雲の如し。
私が一番好きな論語の一節。
論語
私が一番好きな論語の一節。
私が一番最初にビビッときた論語の一節。
高校生くらいか。遅くとも大学初期だから10代だったのではないか。
「我において」なんて、現代語チックで、論語らしくないですよね。
だから高校生の私にもすんなり入ってきたのかもしれない。
論語と言えば何を思い出す? と聞かれたら、最初か、3番目までには、この言葉が出てくる。
こういう言葉を聞いて、「かっこいいな」と思った。
そのかっこよさへの憧れが、今の自分を創っているのだと思う。
つくづく、言葉は大事だ。
富貴も淫する能わず、貧賤も移す能わず、威武も屈する能わず、これをこれ大丈夫という。
孟子
こういう言葉を知っているか知っていないかで、人生行路は違ってくると思う。
大学生の頃に、四書五経とまでは言いませんが、大学・中庸・論語・孟子(四書ですね)とかはよく読んだ。
言葉が人生を導く。
言葉が人生を救う。
初めに言葉ありき。
孟子に興味ある方は、 ↑ の一日一言シリーズが一番読みやすいです。
吉田松陰が最も愛した漢籍。
歴史好きの方は是非。
君子固より窮す、小人窮すればすなわち濫る。
論語の中で、とっても孔子らしい一節。孔子らしいというか、素の、孔丘仲尼らしい。
道を説けど、どこからも採用されない、哀れな浪人。
不遇のままに死んだ老人。
それが孔丘仲尼。
パーソナルな生涯では、全く浮かばれず、天を恨んでもよさそうな不遇の人生。
でも、「天を恨まず、人を咎めず」の言葉を残した。
君子だってそもそも窮している。この俺を見ろ。
でも、君子は窮しても乱れない。
小人は、窮したらすぐ取り乱すけどな。
「窮しても取り乱さない」自分に対する強烈な自負を見る。
この俺を見ろ、と行間に書いている。
論語の中でも大好きな一節。
聖人になろうとしないのは卑怯。
西郷隆盛が、西郷南洲遺訓36条で、こんな激しい言葉を使っていた。
聖賢にならんと欲する志なく、古人の事跡を見て、とても及ばぬと云ふような心ならば、戦に臨みて逃るよりなほ卑怯なり。
儒教でもキリスト教でも、究極の目標は聖人・聖者になること。他の宗教でも似たようなところがあるんだろう。
一世の知勇を推倒し、万古の心胸を開拓す
南宋の儒学者、陳龍川の言葉。
藤田東湖が好きだった。それを見た西郷隆盛がいたく気に入った。
西郷が書いたこの書が残っている。達筆。というか剛気。
現世のインテリの批判を恐れず、永久に万人の心を発憤させよ。
うつし世の毀誉褒貶ではなく、将来にわたって永遠に続く名を惜しめ。
いにしへの道を聞きても唱えても
わが行ひにせずば甲斐なし
先賢の道を学んでも暗唱しても、
自分がそれを実践しなければ意味がない。
拳拳服膺せねば。
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My life is my message
と言い遺したGandhiが、最も知行合一の人だった。
かくありたし。
当今の毀誉は懼るるに足らず、後世の毀誉は懼るべし。
佐藤一斎『言志四録』
私が言志四録の中でも大好きな言葉。
こういう言葉を30年前から好きだったから、評判の悪い家庭連合案件を、当今の毀誉を懼れず、引き受けたんでしょうね。
若い頃の読書は人格を作る。
100年、1000年のスパンでモノを考えない奴は「尻の穴の小さい奴」だと勝海舟も言っている。
士、すべからく知己を千載に俟つべし。
自らかえりみて縮(ただ)しくんば、千万人と雖も吾往かん
孟子の一節。このブログの読者様なら聞いたことがおありでしょう。
それを佐藤一斎が解説している。
自ら顧みて正しい、ってのは無我であること。
千万人と雖も我行かん、ってのは無物であること。世俗的な我欲がないこと、だろう。
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最近、偉くなること、立派になること、精神的に成長することってのは、自分を無に近づけて、自分以外の何者かを代表することなのではと思っている(エマソンや内村鑑三が描いた Representative man ってのはこういう意味だと解釈できる)。
自ら顧みて正しいと思う、ってのは無我の境地に至ることである
という佐藤一斎の考えも、この私の「自分を無に近づける」と似ている。
イエス、フランチェスコ、ガンディ、マザーテレサ、、、古今東西、聖に近づくというのは我欲を去るということであった。
自分を無に近づければ近づけるほと、大きくなるんですね。逆説的ですが。
一燈を提げて暗夜を行く。
暗夜を憂うるなかれ。
ただ一燈を頼め。
佐藤一斎 言志四録
言志四録で一番好きなフレーズ。
あまりに好きすぎて、大学2年生の時、母校の桐蔭学園軟式野球部の監督をしていたのですが、就任当初のミーティングで、新チームを前に、この言葉を黒板に墨書した記憶がある。
そしたらいつの日か、当時主将の、高校2年生の藤村将くんが、この言葉をえらい気に入ってくれた。
10代の、横浜の片田舎の野球少年にも刺さった言葉。
30年前の遠い日のこと。
いや。
私が今、「他責するな」とかよくここで書いているのも、30年前に「暗夜を憂うるなかれ、ただ一燈を頼め」という言葉に感動したという、素地があったからなのかもしれない。
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