【執筆原稿から抜粋】
道徳には2つある
道徳には2つあります。良いことをする積極的道徳と悪いことをしない消極的道徳です。
例えば、タバコの吸殻をポイ捨てしないのは消極的道徳で、巷に落ちているタバコの吸い殻を拾うのが積極的道徳です。
道徳は「公徳心」つまり公衆道徳を守る心と同じです。
人間には3種類いる
道徳を2つに分けると、人間には3種類いることが分かります。
1️⃣ 積極的道徳も消極的道徳もない人
タバコの吸い殻を拾わず、ポイ捨てをする悪い人です。人口の1割程度はいそうです。
2️⃣ 積極的道徳はないが、消極的道徳はある人
タバコの吸い殻を拾わないが、ポイ捨てはしない人です。人口の9割です。
3️⃣ 積極的道徳も消極的道徳もある人
タバコの吸い殻を拾うし、ポイ捨てもしない人です。人口の1割弱でしょうか。
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私も、積極的道徳のある③の人間になりたいと思い、車のトランクにはゴミ拾い用のマイトングとゴミ袋を常備しています。
あまりゴミ拾いできていないので、修行を続けます。
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仕事でも、だいたい人間には3種類いいます。
1️⃣「そこしか」やらない人
2️⃣「そこそこ」やる人
3️⃣「そこまで」やる人
これは上記の3種類の人間にだいたい対応しています。
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2:6:2の法則
「2:6:2の法則」があります。10人いたら
1️⃣ 言われてもやらない「不燃性」の人:2割
2️⃣ 言われたらやる「可燃性」の人:6割
3️⃣ 言われなくてもやる「自然性」の人:2割
の3種に分かれるという考えです。
この3種も、ほぼ「そこまで」「そこそこ」「そこしか」に対応しています。
「そこまでやるか」をどこまでやるか
古典から学ぶことは、この3種類の人間の一番上等な3️⃣の人間になろうとすることです。
言われなくても「そこまで」やる、積極的道徳を身につけることです。
それが佐藤一斎が言う「古今第一等の人物」であり、西郷隆盛が言う「聖賢」です。
古今東西全人類1000億人の中の一番を目指せということです。志を高く持つというのはそういうことです。
論語では:
朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり
がこの志の高さを表しています。
人の道を達成したら、もう死んでもいいという覚悟です。
死ぬまで、常に、謙虚に向上心を持って「人の道」を追求し続けるという求道的な姿勢です。
常に容赦なく(Relentless)完全を目指し続けるというトヨタのカイゼンのような姿勢です。
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渋沢栄一も、智・情・意(意志)を兼ね備えた「完(まった)き人」を目指せといいました。聖人ということです。
「そこまでやるかをどこまでやるか」という姿勢が、論語や渋沢栄一から受け取るスピリットです。