【執筆原稿から抜粋】
なぜ勇気が出ないか
勇気の持ち方を考える前に、「なぜ勇気が出ないか」を考えましょう。
日本企業の消極的なカルチャーと勇気のなさの原因は、3つあります。
1 同調圧力
同質性の高い日本では同調圧力が高いです。高い同調圧力は自由に発言する勇気を挫きます。
女性や若手や外国人を登用して多様性を高めましょう。社会を変えるのはいつも「若者、よそ者、バカ者」です。
私が白いスーツを着ているのも、多様性を高めて日本の同調圧力を低くするためです。
2 戦後教育
敗戦の反動で、戦後は古典・道徳教育が疎かになりました。学生時代に美徳としての勇気を教わった戦後日本人はほとんどいません。100年前の知識人には常識だった論語を読む人は、今は100人に1人もいません。
しかし、徳(Virtue)は力(Virtus)であり、勇気は正義の3要素のうちの1つです(田中一弘教授『先義後利の経営』)。
高村光太郎は「義ならざるものは結局美ではない」「義にして美ならざるなし」と述べ、正義と美を同一視しました。
本書では「美しさ」を強調しました。犠牲を厭わぬ勇気ある正義に人は美しさ・気高さを感じます。
美、義、善、犠の漢字には「羊」が用いられます。これは天・神に捧げる生贄の羊に由来し、神聖さと崇高さを蔵するタテの概念です。
我々は、勇気のない卑怯さに醜さを感じますが、それと同じかそれ以上に、勇気のある義侠心に美しさを感じているのです。
3 高度経済成長
高度経済成長を支えた終身雇用の傘に守られ、「大過なく定年まで勤める」キャリアモデルが広がりました。
これが行動様式に染み込み、「自由に生きたら不幸になる。だから勇気より謙譲と従順が大事」という昭和日本人の生活感情になりました(島津、2025年)。そのため、学校のみならず家庭でも勇気を美徳として教えなくなりました。
しかし、日本の国際競争力も低下し、グローバル化したVUCAの時代、キャリアモデルも変わりました。
勇気より謙譲・従順を優先する昭和の生活感情は、令和の今には過去の遺物になりました。この時代の変化を感じ取り、「生活感情」つまり価値観自体を変革していかねばなりません。
消極的なカルチャーを生んだ勇気の軽視が日本の国際競争力を低下させ、かえって勇気の復活を必要とさせる状況を招いたのです。
この皮肉な事態を打開するため、勇気が古今東西変わらぬ美徳であると強く認識しましょう。
~~~引用終わり~~~
以上全部をChatGPTに入れて「批評してください」とコメントした。
そしたら丁寧な高評価をいただき、あまり修正の必要性を感じなかった。
こうやって、「原稿をChatGPTに校正してもらう」ってのも今の時代のAIの活用法ですね。