吉田松陰が、死罪宣告を受けた後、『留魂録』を書いたのは知られている。
ただ、その前の、死罪宣告を受ける前に、『諸友に語(つ)ぐる書』を書いていたのは知らなかった。
そこに、松陰と、松下村塾と、明治維新を象徴する文句が書かれている。
諸友蓋し吾が志を知らん、為に我れを哀むなかれ。
我れを哀しむは我れを知るに如かず。
我れを知るは吾が志を張りて之れを大にするに如かざるなり。
恥ずかしながらこれは知らなかった。
まさに、私が理解してきた、松陰が松下村塾に遺した影響そのもの。
我が死を哀しむな。
それよりも俺を知ってくれ。
俺を知るだけではなく、俺の志を実現してくれ。
という、悲痛な叫びを残して、松陰は死んだ。
その悲痛な叫びを実現せんと、晋作や玄瑞や俊輔らが邁進した。
その邁進が、明治維新と日本の近代化に結実した。