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川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

創業経営者はパワハラ

2025年05月06日 | 経営・インテグリティ
創業経営者はパワハラ。

パワハラは言い過ぎかもですが、みなワンマン。

■ 松下幸之助は熱海会談後、69歳で会長から営業本部長に復帰した。

 69歳で営業本部長、、、
 今、孫正義67歳、柳井正76歳、永守重信80歳です。
 孫正義が営業本部長に復帰、って考えられないですよね。
 ワンマン創業者社長は、考えられないことをする。
 だから業績が上がるのかもですが。

■ 稲盛和夫は78歳でJAL幹部におしぼりを投げつけた。

この、経営の神様の69歳、経営の仏様の78歳のエピソードは、、、

とても神様仏様と崇めることはできない。やり過ぎパワハラワンマンだろ、、、

____________

でも、ソフバン・ファストリあたりの方が、どれだけ孫さんとか柳井産に対してビクビクしているか、私はある程度仄聞して知っている。

そういう情報を合わせ鑑みると、松下・稲盛バリの「無茶、やんちゃ」を、今の孫さん柳井さん永守さんは、たくさんしている、と高度に推論できる。

松下・稲盛の経営理論と実践からは学びたい反面、これらの「老齢になっても衰えぬパワハラぶり」を知ってしまうと、松下電器も京セラも、「トップが怖いから」頑張ってた部分が多そうだ、、、
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絶海の孤島における「誠実さ」とは

2025年05月06日 | 経営・インテグリティ
誠実さは他者に対するリスペクトだとすると、絶海の孤島に独り居たら、誠実さを示すのは難しそうですね 

ってChauHub(ChatGPTとGeminiの回答が無料で並ぶ)に訊いたら、ChatGPTよりもGeminiの回答の方が端的だった。

以下Geminiの回答を抜粋:

おっしゃる通りです。絶海の孤島に一人きりであれば、誰かに対して「誠実さを示す」という行為は、通常想定される状況下では起こり得ませんね。

もし誠実さを「他者へのリスペクト」と定義するのであれば、他者が存在しない状況では、その定義に基づいた誠実さを示す対象がいなくなってしまいます。

しかし、この状況は「誠実さ」という概念そのものが、他者の存在を前提としているのか、あるいはもっと内面的な要素も含むのか、という問いを提起します。

例えば、孤島で一人でも、以下のような行動は「誠実さ」と呼べるかもしれません。
  • 自分の決めたルールを守る: 例えば、食料の配分について自分で決めたことを守る。
  • 自然に対して正直である: 危険な場所には近づかないなど、自然の法則に逆らわない行動をとる。
  • 過去の自分や未来の自分に対して一貫性を持つ: 過去の経験から学び、将来の自分のために行動する。
これらの行動は、必ずしも「他者へのリスペクト」とは言えないかもしれませんが、自己への誠実さ、あるいは原理原則への誠実さと捉えることができるかもしれません。

あなたのこの問いかけは、「誠実さ」という言葉の多面性や、それが発揮される状況について深く考えさせられますね。

あなたにとって、絶海の孤島に一人でいる場合の「誠実さ」とは、どのようなものだと考えますか?

~~~引用終わり~~~

ですって。ふむ。

なお、ChatGPTの回答では、よりアカデミックに、

~~~以下引用~~~

誠実さは「自己との関係」でもある(内面的一貫性説)

一方で、カントやストア派のような倫理学では、誠実さとは自分自身との約束を守ることともされます。
  • 誰にも見られなくても、日記を正直に書く。
  • 誰の目もなくても、決めたルーティンを守る。
▶ これは「自己に対する誠実さ」、つまり**自己との整合性(self-integrity)**という考え方です。

~~~引用終わり~~~

って、カントの倫理学から回答してくれました。
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誠実さとは他者に対するリスペクト

2025年05月06日 | 経営・インテグリティ
平時のインテグリティは他者に対するリスペクトだと思っています。

誠実さも、要するに、他者へのリスペクトと理解できますね

ってChatGPTと壁打ちしたら、それなりの良い回答が得られた。

~~~以下引用~~~

おっしゃる通りです。

平時のインテグリティ(integrity)を「他者へのリスペクト(敬意)」と捉えるのは、非常に本質的な理解だと思います。

🔍 なぜ「誠実さ=リスペクト」なのか

インテグリティとは、語源的にはラテン語 integer(完全・一体性)に由来し、

  • 「内面と外面が一致していること」
  • 「原理原則に忠実であること」
を意味します。

ただ、現実の生活では、この内面の一貫性や原則の尊重が、しばしば「他者への配慮」や「敬意ある態度」として現れます。

たとえば:
  • 約束を守る → 相手の時間と信頼を尊重している
  • ごまかさない → 相手をだまさないという誠実さ
  • 礼儀正しくする → 相手の存在を軽んじないという敬意
つまり、誠実であること(integrity)は、実は「他者を軽んじないこと」そのものだと言えるのです。

🧭 平時のインテグリティのかたち

有事ではなく、平時においてインテグリティが問われるのは、たとえば以下のような瞬間です:

行動        背後にあるリスペクト

遅刻しない 相手の時間を大切にしている
無視しない 相手の存在を否定しない
批判を陰で言わない 相手の人格を尊重している
答えを曖昧にしない 相手に正しく判断する権利を与える

つまり、「誠実な人」というのは、自分の誠意を他者へのリスペクトとして表現できる人です。
 
✳ 結論:

平時のインテグリティとは、他者の存在を真摯に受け止め、軽んじない態度である。

それは誠実さの正体であり、人格の土台をなすものです。

~~~引用終わり~~~

「誠実さ」って言われると、なんだか分かったような分からないような。

「他者に対するリスペクト」って思っておけば良さそうですね。

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平時のインテグリティは、他者に対するリスペクト

2025年05月06日 | 経営・インテグリティ
花王のインテグリティ経営には一目を置いている。

「平時のインテグリティは他者に対するリスペクト」だと思っていますが、花王のウェブサイトからも似たような考えを読み取れる。


正道を歩む

「正道を歩む」は、創業者・長瀬富郎の言葉を源としています。彼は、勤勉に働き誠実に生きる人々のみが幸運をつかむことができると考えました。私たちはたとえ困難であろうとも、常に正しい道を選択します。

  • 私たちは、すべての人に敬意、公平さ、共感をもって接し、使命感を抱いて誠実に仕事に取り組みます。これにより、人として、志を共にする仲間が集う花王として、最も力を発揮することができます。
      敬意、公平、共感、高い志

  • 私たちは、易しいことではなく、正しいことを行ないます。合法的で倫理的なふるまいが、私たちのビジネスの基本です。
      法と倫理の遵守

  • 私たちは、企業の責任を真摯に受け止め、社会に役立ち地球を守ることのできる、安全でエシカルかつ高品質な製品、ブランド、技術、ソリューションを創造します。
      社会的責任の遂行
~~~以下英語サイト~~~
Values

Integrity as the only choice

The Japanese word we use for “integrity,” seido wo ayumu, literally means “walk the right path.” 

This unique phrase comes from our founder, Tomiro Nagase. He taught us that good fortune is given only to those who work diligently and behave with integrity

We will always choose the path of integrity, even when it is not easy.

  • We treat everyone with respect, fairness, and empathy and work with sincerity of purpose. This brings out the best in us as people and as one Kao.
      Respect, fairness, empathy, and purpose

  • We do what is right, not what is easy. Lawful and ethical behavior is the foundation of the way we do business.
      Lawful and ethical business

  • We take our corporate responsibilities seriously, creating safe, ethical, and high-quality products, brands, technologies, and solutions that serve society and protect our planet.
      Corporate responsibility

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経営の王道の系譜

2025年05月05日 | 経営・インテグリティ
【執筆原稿から抜粋】

王道と覇道
 
儒教では「王覇の別」と言って「王道」と「覇道」を区別します。

孟子によるこの区別では、王道は徳による理想的な政治、覇道は力による現実的な政治です。

この王覇の別は、早稲田と慶應の応援歌にまで影を落としている―と言ったら言いすぎでしょうか。

早稲田の応援では「覇者、覇者、早稲田っ」と声を張り上げ、慶應は「陸の王者、慶應~」と高らかに歌います。

儒教的にいえば「王者」慶應の方が上ですが、「陸」限定の慶應に、早稲田は「全世界」の覇者だと張り合っているのかもしれません。

経営の王道の系譜

新紙幣発行で論語的な道徳を説いた渋沢栄一が着目されましたが、道徳的な経営は、渋沢が始めたオリジナルなものとはいえません。

道徳的・倫理的な経営・商売感覚は、日本には400年の伝統があります。

この「経営の王道」を紹介します。

 鈴木正三

江戸初期の旗本・僧侶です。「農業も商いも仏道」とし、日常の労働そのものを修行と捉えました。

この思想は、職業倫理や日本人の勤勉精神や職業倫理の源流とされ、倫理経営の先駆とも位置づけられます。

石田梅岩

江戸中期の商人・思想家です。「心を正し、正しい商いをすれば利は後からついてくる」と説き、商売の道徳的・利他的な側面を広めました。

心を正すことを強調する石田の考えは「石門心学」と呼ばれて庶民にも広く影響を与え、米国の社会学者に「徳川時代の宗教」と評されました。

近江商人

石田梅岩と同じ頃の江戸中期、近江商人の間で「三方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)の精神が広まりました。

近江商人・初代伊藤忠兵衛が創業した伊藤忠商事は、2020年からこの「三方よし」を企業理念に採用し、現代における倫理的経営の柱としています。

渋沢栄一

渋沢栄一は、鈴木正三、石田梅岩や近江商人が培ってきた日本人の勤勉さや職業倫理の延長線上で、「先義後利」「義利合一」「実業道と武士道の融合」を説きました。

企業活動に武士道的倫理を注ぎ込み、利益を超えた誠実な資本主義の王道を説きました。

松下幸之助

パナソニック(旧・松下電器)の創業者で「経営の神様」と称される松下幸之助は、8人兄弟の末っ子として生まれ、9歳で小学校を中退し、丁稚奉公に出されました。いわゆる「口減らし」です。

1918年、渋沢栄一の『論語と算盤』が刊行された直後、松下は松下電気器具製作所を創業しますが、14年後の1932年を「真の創業の年」と位置づけます。

これは、天理市を訪れた幸之助が、天理教の信者が懸命に働く姿に深く感動し、「世のため人のために、良質な製品を水道の水のように安く届ける」という使命に目覚めたことがきっかけです。いわゆる「水道哲学」の誕生です。

衆知を集める「新たな人間観の提唱」をしたり、PHP研究所や松下政経塾を設立したりして、利潤追求の枠を超える社会貢献をしてきました。

幸之助の著書『道をひらく』は、累計600万部以上の発行部数を誇る日本有数のロングセラーです。

現在のパナソニックも創業者の哲学を受け継ぎ、本社敷地内に「宇宙根源の神」を祀る「根源の社」を設けるなど、宗教的な理念を継承しています。

稲盛和夫

京セラ創業者で、通信自由化を求めて第二電電(現KDDI)を立ち上げ、さらに経営難に陥ったJALの社長に無報酬で就任し、2年で再上場に導きました。

異なる3業界で実績を築いたカリスマです。

盛和塾を率いて経営者に対する経営指導にも精を出し、ベストセラー『生き方』は大谷翔平の愛読書になりました。

『生き方』は中国で600万部売れ、アリババのジャック・マーも稲盛氏を尊敬しています。

稲盛氏は、若い頃は神道系の大本教に由来する生長の家、長じて中村天風の影響を強く受けました。

松下幸之助が経営の神様なら、75歳で得度して僧侶になった稲盛氏は「経営の仏様」です。

僧侶になっても情熱は衰えず、JAL再生時に78歳でJAL幹部におしぼりを投げつけました。

人間としての人格的・倫理的完成を目指すフィロソフィーを前面に出し、「心を高める」「魂を磨く」「利他」「動機善なりや、私心なかりしか」など、道徳を重視した経営を推進しました。

稲盛財団や京都賞を創設して社会貢献にも熱心でした。

アメーバ経営

稲盛氏の経営理論として、各部署を独立採算制にして経営意識・当事者意識を持たせた「アメーバ経営」が有名です。

これは京セラが成長して大企業病に陥り、当事者意識が低い指示待ちの「ぶらさがり社員」が増えたため、硬直化した官僚的組織を活性化する息吹を吹き込むものでした。

これは「そこそこ」で満足する可燃性の人材を、「そこまで」やり切る自燃性の人間に成長させる工夫です。「言われなくてもやる」という積極的な道徳の、経営的な表れがアメーバ経営と言えます。

渋沢・松下・稲盛の次は?

渋沢・松下・稲盛氏に続く、経営の王道の系譜を継ぐ人は誰でしょうか。

 孫正義、柳井正、永守重信、新浪剛史、三木谷浩史、藤田晋、、、といろいろ探してみましたが、最有力候補はSBIホールディングス創業者・社長の北尾吉孝氏ではないでしょうか。

漢学者の家系に生まれた北尾氏は幼少から漢籍に親しんでいました。野村證券時代から将来を嘱望され、ソフトバンク孫正義氏との出会いでネット金融の世界に転じました。

金融改革とIT融合を推進する「金融維新」を掲げ、近年は地方銀行の再編にも注力しています。稲盛和夫氏の薫陶を受け、経営に哲学と宗教観を取り入れています。

易にも詳しく、2011年のSBIグループ年頭所感で大震災の発生を予言していました。

2005年のライブドアによるニッポン放送買収問題でフジテレビのホワイトナイトとなりましたが、20年後の今年2025年にはフジテレビの経営刷新を求める立場に転じています。

毀誉褒貶が烈しい人物ですが、私が彼に好感を持つのは、陽明学者安岡正篤と教育者森信三に私淑していることを公言していることです。

社会的に高い地位にある人が、「◯◯に私淑している」と公言することは稀であり、北尾氏の謙虚な人格が窺い知れます。

とても親孝行で、激務の合間を縫って母親に毎日のように電話し、今は自宅で介護していることも彼の信頼性を上げています。

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円の一部になろう -武道とスポーツの違いとインテグリティ

2025年05月04日 | 経営・インテグリティ
【執筆原稿から抜粋】

聖とは完全

渋沢栄一も、智・情・意(意志)を兼ね備えた「完(まった)き人」を目指せといいました。完全な人ということです。

インテグリティのある人です。英語圏では人格者を a man of integrity と言います。インテグリティの語源はintegerでラテン語の「完全」です。

インテグリティとは、不完全な人間が完全を目指して謙虚に向上心を持って歩むそのプロセスです。

地球上に80億人いて、誰1人完全な人間はいません。不完全な人間が自分の至らなさを自覚し、それでも完全を目指し、謙虚に、向上心を持って歩む。

ひたすら歩み続ける。その謙虚さと向上心が、古典や儒教から学ぶ価値です。

____________

聖者や聖人という言葉だと、宗教的でイメージしにくいかもしれませんが、完全な人を目指すのがインテグリティであり、古典から学ぶ価値です。

聖・完全に近づく方法として、アメリカのラルフ・エマソンが

Nothing is at last sacred but the integrity of your own mind
(自分の心のインテグリティだけが神聖だ)

と言っています。

自分の良心に訊けばすべてが分かる、良心の声から逃げなければ完全に近づくということです。

円の一部になろう

聖路加国際病院院長で106歳で亡くなった日野原重明さんは、

 大きなビジョンを描きなさい。
 たとえ自分が生きている間に実現できなくとも、円の一部にしかなれなくても、後に続く者たちがいつかその円を完成してくれる。

といい、「円の一部」であることを説きました。これは大きな志を抱こうということです。

志と野心の違い

志とは何でしょうか。志と野心の違いは何でしょうか。利他的か利己的かという区別もできます。

もう一つの区別は、「自分一人で、一生のうちに成し遂げることができるか」です。

野心は、自分の人生で成し遂げることが可能です。大金持ちになる、世界一周旅行をする、月に行く、などです。

一方、志は、自分の人生では決して成し遂げることができないものです。

世界平和、差別の撤廃、戦争の撲滅、、立派な考えですが、とても一人で、これから数十年のうちに完全に達成することは無理でしょう。それを日野原さんは「大きな円」と表現しています。


私も円の一部になろうと思っています。日本の同調圧力を失くして日本を明るくすることです。私が10年前から白スーツの派手な格好をしているのも、日本の同調圧力を失くすためです。

死して後己む
 
この「大きな志に殉じる」ことを、論語では

死して後己む

と言います。「斃れて後已む」も同じです。戦中は特攻隊などがこの言葉をハチマキに書いていました。死ぬまで戦う気概です。

50年前の漫画『巨人の星』でも、「死ぬときは前のめり」という言葉が使われました。引き下がらずに敢闘精神を示して死ぬのが本望だということです。

歴史上の人物で人気があるのは、徳川家康より織田信長や坂本龍馬です。非業に倒れる方が、円の一部になって高い志のために前のめりになって倒れる感じがするからです。

武道とスポーツの違い

このカイゼンやインテグリティや志の考えは、武道とスポーツとの違いからも理解できます。

武道では、スポーツと異なり、勝っても喜びません。剣道の試合に勝ってガッツポーズしたら勝利を取り消されます。

私も空手を20年教えていますから、「勝って喜ばない」のがなぜかを説明できます。

試合に勝とうが負けようが、武道修行は死ぬまで続きます。勝敗に一喜一憂しないのが、「斃れて後已む」つまり死ぬまで続くエンドレスの修行の一つなのです。

死ぬまで謙虚に向上心を持ち続け、決して満足することがない。その求道的な姿勢がカイゼンであり、インテグリティであり、我々が古典から学ぶ志です。


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聖とは完全

2025年05月03日 | 経営・インテグリティ
【執筆原稿から抜粋】

聖とは完全

渋沢栄一も、智・情・意(意志)を兼ね備えた「完(まった)き人」を目指せといいました。完全な人ということです。

インテグリティのある人です。英語圏では人格者を a man of integrity と言います。

インテグリティの語源はintegerでラテン語の「完全」です。インテグリティとは、不完全な人間が完全を目指して謙虚に向上心を持って歩むそのプロセスです。

聖者や聖人という言葉だと、宗教的でイメージしにくいかもしれませんが、完全な人を目指すのがインテグリティであり、古典から学ぶ価値です。

____________

聖・完全に近づく方法として、アメリカのラルフ・エマソンが

Nothing is at last sacred but the integrity of your own mind
(自分の心のインテグリティだけが神聖だ)

と言っています。

自分の良心に訊けばすべてが分かる、良心の声から逃げなければ完全に近づくということです。
 
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危機管理のために、今、なすべきこと

2025年04月30日 | 経営・インテグリティ
警察大学校の樋口晴彦さんには勉強会などでお世話になっている。

今、私が執筆中の『インテグリティが浸透するコンプライアンス・カルチャーの創り方』でも、樋口さんの本をクレジット表記しようと、過去記事を見返していたら、、、

いい記事が見つかった。

 「危機管理のために特別なことをする必要はありません。普段の仕事で活力に溢れている組織は危機管理にも強いということです。」


ほんとにそう。

普段イキイキワクワクしていれば、危機にも対処できる。

私が危機管理とかのためにインテグリティないしいいカルチャーを導入しようとするときも、結局、日頃の心がけというかコミュニケーションというか「よいおせっかい」的な、普段から、痒いところに手が届くコミュニケーションをしましょう、ということを企業さんに伝えます。

平時にコミュニケーションできない関係で、有事にコミュニケーションできるわけがない。

今というときがイザであり、イザというときが今なんですね。

そういう危機感と緊張感を持って、今の目の前のコミュニケーションのカイゼンにベストを尽くしましょう。
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利口(結果の正しさ)よりも愚直(行為の美しさ)

2025年04月30日 | 経営・インテグリティ
利口と愚直(正邪と美醜の4象限)の文脈で、上の表を考えました。

「インテグリティが道徳である」的には私は(あえて)言ってこなかったのですが、誠実とか高潔とか訳される以上、道徳的なニュアンスはインテグリティには含まれています。

その道徳って、プラトン・アリストテレス・カントの流れでは、美。私がインテグリティを美しさ的にここ数年表現しているのは、西洋哲学の実はど真ん中に戻ってきた感があります。

最近、勇気を出すコツとして、「結果を先回りしすぎるのはダメ」って考えを知りました。

(超おすすめの)尾崎俊介『14歳からの自己啓発』に書いてました。

 

結果の正しさばかり考えて、眼前の行為の美しさを軽視すると勇気が出ない。結果の正しさよりも、行為の美しさを優先すると勇気が出る。

なんだか陽明学的ですが、こう考えるとコンプライアンスは「結果の正しさ」で、インテグリティは「行為の美しさ」なんだなと思います。

そんなことを冒頭の表にしました。

一番下に「利口」「愚直」を入れたのはオマケですが、利口と愚直はこういう関係にあるんだと思います。

この文脈で、私が今探しているのは、「結果の正しさ」よりも、「行為の美しさ」を優先して成功した例です。

いい例(ないし近い例)がありませんでしょうか?

遠慮なくご連絡お待ち申し上げております。
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やせ我慢は「誇り高き自己抑制」  ー道徳と美/コンプライアンス研修だけではダメ

2025年04月30日 | 経営・インテグリティ
最近、やせ我慢が道徳の関係で評価されていることを知った。

『論語とやせ我慢』って本がある。

 
小林秀雄がやせ我慢を「私情と公道の緊張において愚直に耐え抜くこと」と言っているらしい(『本居宣長』だとChatGPTには出たがこの本には載ってない)

私はやせ我慢を「誇り高き自己抑制」と定義して広めようと思っている。

他に、やせ我慢の定義を「静かな沈黙」「優美な忍従」「欲への気高い勝利」「欲を見せない美学」、、、信念、、、とか考えて、いい定義を試みた。

けど「誇り高き自己抑制」にまさる定義はない。

____________

こうやってやせ我慢を「誇り高き自己抑制」のように定義すると、道徳に近づく。道徳っぽくなる。

小林秀雄は、やせ我慢が発揮されるのが「私情と公道の緊張関係」だと言っているし。小林秀雄の言う「公道」が道徳に近い。

そうすると、やせ我慢は道徳と美の関係にもつながりそう。

実際、やせ我慢って「美学」だし。

プラトン、アリストテレス、トマス・アクィナス、カントに至る西洋哲学で、美を道徳の象徴としてきた。

道徳って美。
やせ我慢って美学。

このように、「美」をキーワードにしてつなぐと、道徳ってのはやせ我慢ってことなのかなという仮説も立てられる。

____________

  • 請求できるけどやせ我慢して請求しない。
  • 受け取れるお金だけどやせ我慢して受け取らない。
こういうやせ我慢(誇り高き自己抑制)が使われる場面って、美学に基づく。美意識。精神の美しさ。

インテグリティも、道徳も、やせ我慢も、美学=美しさの問題。

世のコンプライアンスが面白くなく、コンプライアンスをいくらやっても不祥事がなくならない。

それは、コンプライアンスつまり「ルール守れよ」という言葉には、美しさが宿っていない。美を蔵していないから。

むしろ、「ルール守ってますけど、何か?」のような感じで、コンプライアンス的にはOKだけど、美しくない、みっともない、セコい、アコギな事例を許しちゃう。広めちゃう。

そういうデメリットがある。

つまり、コンプライアンスばかりだと、人は美しくなくなる。醜くなる。人心が乱れる。

これがコンプライアンスのデメリットなんですね。

コンプライアンスばかりだと人はセコくなる。

これがコンプライアンスの最大のデメリットですね。

だから企業は、コンプライアンス研修のみならず、車の両輪として、倫理研修やインテグリティ研修をしないといけない。

本稿は、書き出したときはオチまで考えておらず、ちょっと長くなりましたが、いいオチにまとめることができました。


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美と道徳

2025年04月29日 | 経営・インテグリティ
最近2年くらい、インテグリティを「美しさ」的に捉えている。

ヨコの正しさではなく、タテの美しさ。
歪む「正しさ」ではなく、歪まない「美しさ」。

正しさを補う二層構造として。
暴走する正しさに歯止めをかけるセーフティネットとして。

その「美しさ」を追及する過程で、最近、道徳や倫理も美しさと関連すると学んでいる。

プラトン、アリストテレス、トマス・アクィナス、カントあたりが、美と道徳を結びつけた代表者のようだ。

プラトンが真善美を言い出し、アリストテレスとトマス・アクィナスが継いで、カントが

美は道徳性の象徴である(Die Schönheit ist das Symbol der Sittlichkeit)」
——『判断力批判(Kritik der Urteilskraft)』

で美と道徳との関係を完成させた。

そんな関係にあるようだ。

なんだ。

私が苦労して「美しさ」を言い始めるようになったけど、プラトン・アリストテレス・トマスアクィナス・カントが言っていたんだ。彼らをもっと早くから学んでいればよかった。

何事にも先達はあらまほしき。

遠回りしちゃったな、と思う反面、彼らの助力を借りずに、私がインテグリティとかの文脈で「美しさ」を言い出したことに、ちょぴっと誇らしくもある。

おお、オレも彼らと同じこと考えていたのか、同じところに到達したのか、と。

これからも、美と道徳について、掘り下げ、語っていくことになりそうです。
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スピークアップ・チャート

2025年04月29日 | 経営・インテグリティ
スピークアップ・チャート

企業不祥事の主原因は、モノが言えないこと、つまりスピークアップ(Speak up)できないことです。

  1. ちょっと感じた怪しさ
  2. 何だかきな臭い不正の匂い
  3. 微妙な違和感
  4. 気になる引っかかり
これらに対してスピークアップできれば、不祥事が起こることはありません。

そこで、「どうやったらスピークアップできるか」を考えるために、人がどんなときにスピークアップし、どんなときにスピークアップしないのかをチャートにまとめました。

以下、3つの基準(①重大性、②露見可能性、③責任)があります。

① 重大性

まず、一番左の重大性から考えます。
重大性は、ヤバいかヤバくないかです。

ヤバくない(=法律にも契約にも違反せず、顧客にも迷惑をかけない)ミスのとき、我々は殊更にスピークアップしないことが多いです。

例えば、細かい誤植や、見えるか見えないか微妙な傷が製品にあるときなどです。これが一番下の「NO 3」に至るラインです。

② 露見可能性

次の基準は、②露見可能性、つまりバレるかバレないかです。

重大なミスであっても、露見しない(バレない)だろうとタカを括って、スピークアップしないことがあります。下から2番目の、赤字の「NO 2」に至るルートです。

バレなくても重大なミスはスピークアップしましょう。重大だということは、バレるおそれは必ずあるのです。「絶対にバレない重大なミスはない」と心得ましょう。

③ 責任

最後に、③責任です。

まず、重大な(ヤバい)ミスで、露見可能性がある(バレそうな)場合で、かつ自分に責任があれば、我々はスピークアップする方向に強く動機づけられます。図の一番上の「YES」のラインです。

一方、重大で(ヤバくて)、バレる可能性があっても、自分の責任でない場合、人はスピークアップしないことがあります。これが上から2番目の「NO 1」のルートです。

この「自分の責任ではないから言わない」のは、自己中心的で消極的なカルチャーが原因です。仲間意識が希薄だからです。

____________

まとめますと、この赤字の「NO 1」(自分の責任ではないから言わない)と「NO 2」(バレないから言わない)でスピークアップしないことが、不正の原因です。

ですから我々は、「自分の責任ではなくても言う」「バレなくても言う」を身につければいいのです。

具体的には、「自分の責任でなくても言う」ため、仲間意識を高めましょう。

また、「バレなくても言う」ため、インテグリティを身に着けましょう。

インテグリティの代表的な定義は「誰も見てなくても正しいことをする(Do the right thing even when no one is watching)」です。

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同質・閉鎖・硬直的で昭和的な組織風土

2025年04月29日 | 経営・インテグリティ
フジテレビの中居性加害の調査報告書では、「オールド・ボーイズ・クラブ」(OBC)という言葉を用いて、フジテレビの

「同質的・閉鎖的・硬直的で昭和的な組織風土」

が批判されています(43頁)。こちら

昭和が終わって36年、こういうシリアスな文書で、ネガティブな意味で「昭和的」という表現が使われたのは初めてかもしれません。他に例があったら教えて下さい。

昨年からJTC(Japanese Traditional Company)という言葉が使われ、伝統的な日本企業の姿勢・態度が批判されるようになりました。OBCも使われるようになるかもしれません。

私は、JTCのOBCの昭和的な風土を打開するために、10年くらい前から白スーツを着ています。

みなさまも、JTCのOBCの昭和的な風土を打開するために、なにか始めませんか。
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正邪と美醜の4象限

2025年04月29日 | 経営・インテグリティ
正邪と美醜の4象限

『組織不正はいつも正しい』(中原翔)と言われるように、「正しさ」は、時に歪み、暴走し、色褪せます。一方、「美しさ」は、歪まず、暴走せず、色褪せません。

組織不正を防止するためには、「正しさ」のみならず、「美しさ」も価値基準として持つ必要があります。

この「正しい」と「美しい」を、4象限で表すと冒頭画像のようになります。


人間社会の都合で時に歪む「正しさ」は、横軸。世俗をヨコでイメージします。

精神的な価値を持ち歪まない「美しさ」は、縦軸。崇高さをタテでイメージします。

1 正しくて、かつ、美しいのが、右上の「高潔」。
2 正しくて、でも、醜いのが、右下の「小利口・小賢しい」。
3 悪くて、でも、美しいのが、左上の「愚直・愚鈍」。
4 悪くて、かつ、醜いのが、左下の「卑劣」。

現代社会は2(右下)の「小利口・小賢しい」に偏りがちです。

4(右上)の高潔にまで行けずとも、3(左上)の「愚直・愚鈍」を目指しましょう。

利口になるくらいなら愚直であるほうがいい。

宮沢賢治が皆に「デクノボー」と呼ばれようとし、スティーブ・ジョブズが“Stay Foolish”とけしかけ、ドストエフスキーが『白痴』の哀愁を謳い、老子が「大巧は拙なるが如し」と言ったのも、利口になるよりバカになることの美しさを説いたからです。

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エシックスはコンプライアンスの対極

2025年04月23日 | 経営・インテグリティ

今朝の日経新聞で、名和高司さんが、「エシックスはコンプライアンスの対極」とまで仰ってます。かなり大胆ですね。

名和さんがおっしゃるエシックスはインテグリティとほぼ同義です。ご参考まで。



↑ の名和さんの本では、2頁くらい、私の『インテグリティ』に言及していただいています。

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