【執筆原稿から抜粋】
王道と覇道
儒教では「王覇の別」と言って「王道」と「覇道」を区別します。
孟子によるこの区別では、王道は徳による理想的な政治、覇道は力による現実的な政治です。
この王覇の別は、早稲田と慶應の応援歌にまで影を落としている―と言ったら言いすぎでしょうか。
早稲田の応援では「覇者、覇者、早稲田っ」と声を張り上げ、慶應は「陸の王者、慶應~」と高らかに歌います。
儒教的にいえば「王者」慶應の方が上ですが、「陸」限定の慶應に、早稲田は「全世界」の覇者だと張り合っているのかもしれません。
経営の王道の系譜
新紙幣発行で論語的な道徳を説いた渋沢栄一が着目されましたが、道徳的な経営は、渋沢が始めたオリジナルなものとはいえません。
道徳的・倫理的な経営・商売感覚は、日本には400年の伝統があります。
この「経営の王道」を紹介します。
鈴木正三
江戸初期の旗本・僧侶です。「農業も商いも仏道」とし、日常の労働そのものを修行と捉えました。
この思想は、職業倫理や日本人の勤勉精神や職業倫理の源流とされ、倫理経営の先駆とも位置づけられます。
石田梅岩
江戸中期の商人・思想家です。「心を正し、正しい商いをすれば利は後からついてくる」と説き、商売の道徳的・利他的な側面を広めました。
心を正すことを強調する石田の考えは「石門心学」と呼ばれて庶民にも広く影響を与え、米国の社会学者に「徳川時代の宗教」と評されました。
近江商人
石田梅岩と同じ頃の江戸中期、近江商人の間で「三方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)の精神が広まりました。
近江商人・初代伊藤忠兵衛が創業した伊藤忠商事は、2020年からこの「三方よし」を企業理念に採用し、現代における倫理的経営の柱としています。
渋沢栄一
渋沢栄一は、鈴木正三、石田梅岩や近江商人が培ってきた日本人の勤勉さや職業倫理の延長線上で、「先義後利」「義利合一」「実業道と武士道の融合」を説きました。
企業活動に武士道的倫理を注ぎ込み、利益を超えた誠実な資本主義の王道を説きました。
松下幸之助
パナソニック(旧・松下電器)の創業者で「経営の神様」と称される松下幸之助は、8人兄弟の末っ子として生まれ、9歳で小学校を中退し、丁稚奉公に出されました。いわゆる「口減らし」です。
1918年、渋沢栄一の『論語と算盤』が刊行された直後、松下は松下電気器具製作所を創業しますが、14年後の1932年を「真の創業の年」と位置づけます。
これは、天理市を訪れた幸之助が、天理教の信者が懸命に働く姿に深く感動し、「世のため人のために、良質な製品を水道の水のように安く届ける」という使命に目覚めたことがきっかけです。いわゆる「水道哲学」の誕生です。
衆知を集める「新たな人間観の提唱」をしたり、PHP研究所や松下政経塾を設立したりして、利潤追求の枠を超える社会貢献をしてきました。
幸之助の著書『道をひらく』は、累計600万部以上の発行部数を誇る日本有数のロングセラーです。
現在のパナソニックも創業者の哲学を受け継ぎ、本社敷地内に「宇宙根源の神」を祀る「根源の社」を設けるなど、宗教的な理念を継承しています。
稲盛和夫
京セラ創業者で、通信自由化を求めて第二電電(現KDDI)を立ち上げ、さらに経営難に陥ったJALの社長に無報酬で就任し、2年で再上場に導きました。
異なる3業界で実績を築いたカリスマです。
盛和塾を率いて経営者に対する経営指導にも精を出し、ベストセラー『生き方』は大谷翔平の愛読書になりました。
『生き方』は中国で600万部売れ、アリババのジャック・マーも稲盛氏を尊敬しています。
稲盛氏は、若い頃は神道系の大本教に由来する生長の家、長じて中村天風の影響を強く受けました。
松下幸之助が経営の神様なら、75歳で得度して僧侶になった稲盛氏は「経営の仏様」です。
僧侶になっても情熱は衰えず、JAL再生時に78歳でJAL幹部におしぼりを投げつけました。
人間としての人格的・倫理的完成を目指すフィロソフィーを前面に出し、「心を高める」「魂を磨く」「利他」「動機善なりや、私心なかりしか」など、道徳を重視した経営を推進しました。
稲盛財団や京都賞を創設して社会貢献にも熱心でした。
アメーバ経営
稲盛氏の経営理論として、各部署を独立採算制にして経営意識・当事者意識を持たせた「アメーバ経営」が有名です。
これは京セラが成長して大企業病に陥り、当事者意識が低い指示待ちの「ぶらさがり社員」が増えたため、硬直化した官僚的組織を活性化する息吹を吹き込むものでした。
これは「そこそこ」で満足する可燃性の人材を、「そこまで」やり切る自燃性の人間に成長させる工夫です。「言われなくてもやる」という積極的な道徳の、経営的な表れがアメーバ経営と言えます。
渋沢・松下・稲盛の次は?
渋沢・松下・稲盛氏に続く、経営の王道の系譜を継ぐ人は誰でしょうか。
孫正義、柳井正、永守重信、新浪剛史、三木谷浩史、藤田晋、、、といろいろ探してみましたが、最有力候補はSBIホールディングス創業者・社長の北尾吉孝氏ではないでしょうか。
漢学者の家系に生まれた北尾氏は幼少から漢籍に親しんでいました。野村證券時代から将来を嘱望され、ソフトバンク孫正義氏との出会いでネット金融の世界に転じました。
金融改革とIT融合を推進する「金融維新」を掲げ、近年は地方銀行の再編にも注力しています。稲盛和夫氏の薫陶を受け、経営に哲学と宗教観を取り入れています。
易にも詳しく、2011年のSBIグループ年頭所感で大震災の発生を予言していました。
2005年のライブドアによるニッポン放送買収問題でフジテレビのホワイトナイトとなりましたが、20年後の今年2025年にはフジテレビの経営刷新を求める立場に転じています。
毀誉褒貶が烈しい人物ですが、私が彼に好感を持つのは、陽明学者安岡正篤と教育者森信三に私淑していることを公言していることです。
社会的に高い地位にある人が、「◯◯に私淑している」と公言することは稀であり、北尾氏の謙虚な人格が窺い知れます。
とても親孝行で、激務の合間を縫って母親に毎日のように電話し、今は自宅で介護していることも彼の信頼性を上げています。