小池百合子の学歴詐称問題については、情報がすべて。
数年前の『女帝』とか、先日の文藝春秋5月号を読んだ人は、もう100%クロって思うはず。
『女帝』
『文藝春秋』5月号
ただ、これらの本・雑誌を読む人は、とても少ない。
片方を読む人が100人に1人もいない。100人に一人が読んだら120万部のベストセラー。
両方を読む人は、おそらく1万人に1人くらいなんでしょう。1万人に1人で、日本で、1万人か、、
この2つの文献を読んだ1万人に1人の1万人の日本人は、こういう事実を知ったら、知ってしまった者の義務として、しかるべき時に、しかるべき場で、発言したり行動したりする義務がある。
知ってしまった者は義務を負う。
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法律的には、この「知ってしまった者の義務」は、不作為犯の作為義務として論じられる。
法律的な話ではなく、道義的な話では、この「知ってしまった者の義務」は、インテグリティですねえ。
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こういう「作為義務」ってのは、コンプライアンス(守る)って言葉からは、導きにくい。
日本で、作為義務、つまりするべきSpeak up(異議を唱えること)をしないために、多くの数値偽装が生まれている。
日本の数値偽装は、コンプライアンス(守る)ばっかりやって、インテグリティ(勇気・信念)を教えないから、ではないでしょうか。