超時代的な使命。
最近、ランニングしながら、中島敦の『弟子』をAudibleで聴いている。孔子と、孔子の高弟・子路との師弟物語。
中島敦は、私の愛読書の『李陵』もそうですが、この『弟子』でも、運命・悲運について掘り下げている。
その文脈で、「超時代的な使命」という言葉を使っていた。
今の時代だけではない、自分の死後の、歴史的な見地からの、使命。
10年後30年後ではない。100年後200年後を考えて、行動する。
それが孔子だった。
該当部分を引用。
〜〜〜以下引用〜〜〜
いかなる場合にも絶望せず、決して現実を軽蔑せず、与えられた範囲で常に最善を尽くすという師の智慧 の大きさも判るし、常に後世の人に見られていることを意識しているような孔子の挙措 の意味も今にして始めて頷けるのである。
あり余る俗才に妨げられてか、明敏子貢には、孔子のこの超時代的な使命についての自覚が少い。
〜〜〜引用終わり〜〜〜
要するに、「後世の人に見られている」ことを意識していますか。
意識していれば、それは「超時代的な使命」を持っているに近かろう。
意識していない人は、「超時代的な使命」とは遠い。
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俗物と異なり、宗教者には、この「超時代的な使命」を感じている人が多いはずだ。
ってか、俗物には持てない「超時代的な使命」を感じなければ、宗教を信じている意味がないんじゃないか。
とまで言わせていただく。
人はすべからく超時代的な使命を持つべし。
こういう「超時代的な使命」を各々に感じさせるのが、教育の意義、少なくとも、高等教育の意義かも知れない。