生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

飾らぬ女、おだてにのらぬ男

2016-06-28 00:42:27 | 日々の暮らし
昨晩の夜勤で、横浜鶴見にある禅寺、大本山総持寺の

檀家である利用者と

いろいろ話をしました。

夜勤にくるワーカー(介護士)が、

あらっぽい人もいれば、優しい人もいると

訴えられちゃった。

また、トイレか、

さっき行ったでしょ!

という人が夜勤だと、ついがまんしちゃうと。

気をつけないと。


総持寺で思い出したんだけど、節分の時に
5000人位が本堂に座り豆を頂きました。

なぜこんなに広いのか?

もしかして、お釈迦様が初めて法華経を説いた時、5000人がいたが、そんな話しは聞きたくないと大勢が退場して1200人が残った。

この人達が法華経の教えに感銘したことを聞いて、

再び帰ってくる事を考え、

本堂を広くするという話を聞いたことがありました。

総持寺もその為、あんなに広いのでしょうか?

さて、仏法とは

「どうすればみんなが

幸せになれるか」

という願いから出発しているといいます。

それは、この世は娑婆(しゃば)と呼び、

さまざまなことを忍ばなくてはならない忍辱(にんにく)の修行の場と言われています。

忍辱とは、どんな試練や仕打ちを受けても耐えて、心を動揺させないことです。

本当に悩みは尽きないものですね。

嫌なことは酒飲んで忘れて、逃げてばかりいた私ですが、

様々な悩み苦しみを乗り越えて来ました。

悪口を言われたり、殴られたり、蹴られたりしたこともありました。

カッとならず我慢できました。

しかし、忍辱の行で

一番難しい事は、

「おだてられても

有頂天にならないこと」

と教えています。

何でもうまく行ってる時(順風満帆の時)、

自分が試されるといいます。

権力や地位を持った時や有名人になった時などでしょうか。

井原西鶴が

「恐ろしきは、身を飾らぬ女、

おだてにのらぬ男」と

述べています。

肝に銘じたいと思います。

よう、日本一!

に心が動揺する

未熟者です。


合掌





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