生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

五人の天使

2016-06-21 08:29:43 | 日々の暮らし
今日は夜勤明けの休みです。

目覚めの時、五人の天使の事を思い出しました。

母のお通夜の時、昨年亡くなった兄が私に言った言葉です。

お前は三回死んだんだよね。
と思い出したように。

そうなんだ。

それだけ、家族を心配掛けたんだ。

その中の1つなのか、五人の天使の事を思い出しました。

バブル絶頂期の時でした。

150億以上をかけた、文化ホールの建設プロジェクトに、

当時テレビ局の事業部長をしていた私と部下の数名が3年間出向辞令を受けました。

私は1階のイベント広場と7階の250席の小ホールを任せられました。

1階フロアーは話題の人を呼んだサイン会とスピーチでした。

新人王をとった初々しいイチローを呼びました。

ワールドカップサッカーのマスコット絵を描いたアメリカの画家はすごい人気でした。


彼と1週間過ごした思い出は忘れられません。

彼は子供病院の見舞いを希望され絵やぬいぐるみを配っていました。


私と暮らした1週間で記念の絵とコメントをくれました。


僕はウサギだと。


あちらでは、ウサギは働きもののようです。


そして、自分をもっと大切に生きなさいと言ってアメリカに帰りました。

小ホールはチケットの料金を安くする必要があり、売れない新人タレントを毎日呼んでいました。

その中に、NHKの朝ドラに出始めたグッサンやココリコの遠藤、田中がいました。


ギャラが1万円で出て貰っていました。

客は私を入れて10名の日もありました。

みんな、汗だくで演じていました。

よくグッサンはトチって謝っていました。

それが力になったのでしょうね。

うちの老人施設に1万円で呼ぼうかな。

そんな予算もないか。

そんな時、突然倒れて意識を失いました。

地下2階の和室のタレント控え室に寝かされ、救急車を待っていました。

私は幽体離脱して宙から見ていました。

すると、私の周りを5人の着飾った子供が

歌い、踊りキャッ!

キャッ!と

笑いながら廻っているのです。

私は死んだのかと思いました。

1ヶ月前に2人の仲間が過労死してたから。

それから、私は足がないのに気づきました。

風もないのに、ズボンが後方の宙にゆったりと、たなびいていたからです。

私は子供達の合図で、頭目掛けて飛び込みました。

目覚めて、人工呼吸している救急退院に言いました。

足がありますか?

ありますよ。

過労から退院して

みんなから聞きました。

その土地は明治時代に大きな病院があり、

気を失った辺りは

産婦人科病棟だったと。

私はそれから、子供番組や、子供イベントや定年後は託児所やベビーシッターの会社を経営して恩返しをしました。

ベビーシッターさんからは家庭には老人が苦労して生きている現状を聞き、老人介護の世界に来ました。


老人と子供が一緒に

暮らせる施設を夢見て。

天使とは神の使者として派遣され、

人々を守護するといいます。

皆様にも五人の天使
(エンジェル)が

いると思います。

困った時は必ず応援してくれますので

呼び掛けてくださいね。

雨ですが佳い日を

お迎えください。


合掌

コメント
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