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「青葉楓」金沢八名木の行方

2014-08-09 12:08:56 | 日記

 金沢の八名木(青葉の楓、西湖梅、黒梅、桜梅、文殊桜、普賢像桜、蛇混柏、雀ケ浦一本松の八種)の行方について、前回に引き続き、金沢区役所、金沢土木事務所に赴き聞き取りを行いました。
 金沢区役所の案内係りは、現在の金沢区役所の建て替えに伴い、同敷地に隣接する泥亀公園敷地に、区庁舎の新築工事敷地となることから、この公園の樹木(イロハカエデ1本は、平成25年に富岡総合公園に、西湖梅4本・桜梅3本は、同じく平成25年2月に能見台東公園に)移植したが、それらの樹木が名木であるか否かは分からない。と云われた。
 また、実際に移植を手掛けた金沢土木事務所にあっても由緒ある金沢名木であるかは分からなかった。
 やむを得ず、「青葉楓」がある「称名寺」に行き社務所の事務の方に聞いてみましたが、現在ある青葉楓は、平成20年頃「謡曲史跡保存会」が横浜市から寄贈された楓を、従来からあった青葉楓の場所に、植樹した青葉楓はこれです。と紹介されたが、詳しいことは分からないから、「文庫図書館」に行けば、何か有るかも知れない。と云われて行って見ました。
 いろいろな文献はありましたが「青葉楓」は、昭和10年当時は現存しているが、戦後枯れてなくなったとされていました。その他の名木「西湖梅、黒梅、桜梅、文殊桜、普賢像桜」も称名寺の境内に、金沢・北条氏の豊かな財力により、中国から移植したと伝えられているが、青葉の楓以外は、すべて絶えたとありました。
 「青葉楓」についてのエピソードとして、称名寺の庭の一本の楓が紅葉していたので、その情景を詠った「為相卿」が「いかにしてこの一本のしぐれけむ山にさきだつ庭のもみぢ葉」と詠んだ後は、この木は、冬になっても青葉のままで、紅葉しなくなったと言い伝えられていた。
 しかし、江戸時代に、この外の詩人「堯恵」が「北国紀行」で「さきだゝばこのひともとも残らじとかたみの時雨青葉にぞ降る」また、「東国紀行」では、「宗牧」は「けふぞ思ふみぬ世の秋の色までもこの一本の花の匂ひに」加えて、「秋もいざ青の露」と詠った。
「鎌倉紀行」では、「沢庵」は「世々にふるそのことの葉の時雨より染めぬに色はふかきもみぢ葉」とも詠んでいる。と文庫図書館の書物にありました。
 この様に、青葉楓は、当時からの名木と云われものは現存していませんでした。また、称名寺から移植されたと云われる西湖梅・桜梅は、区政60周年を記念して植樹したものとあることが分かった。8番目の雀ケ浦一本松は、現在の日産自動車の海側の敷地にあったが、枯れてしまったとなっていることから、現存しているのは、枯れてはいるものの「瀬戸神社の境内」に横たわっている「蛇混柏」のみであることが、私の中では明らかとなりました。

(称名寺正面本殿)

(称名寺の沿革等)

(青葉楓三代目)

(青葉楓のエピソードと移植団体名)

(国指定史跡の内容)

(称名寺中庭全景)

(鎌倉時代から続く「文庫図書館」)

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