今日は、前回に引き続き能見堂跡地の石碑のうち、「武蔵国金澤碑」について投稿いたします。
横浜の句碑(古往今来)著者中島邦秋によれば、この武蔵国金澤碑の碑は、安永7年(1778)江戸の岡部四溟が金沢文庫や称名寺の荒廃を嘆き、八景だけは変わっていないとし、八景の探勝の基地能見堂に建立したものである。と記述されている。
一方、新版「かねざわの歴史事典」編集 金沢区生涯学習“わ”の会によれば、同じく安永7年(1778)江戸の岡部四溟が金沢に来遊した時に「かつては武家時代に学問の殿堂として栄えた称名寺と文庫が歴史の中でどうする事も出来ず。荒廃しているが、金沢八景の勝景だけは昔も今もこれから後も無窮である」との感慨を漢文で表し、石碑を建てた。碑文の中に「神は飃颻(ひょうよう)として目(め)眩(くらめ)く徒倚(しい)に蹇(なや)みていずくにか如(し)かん」と最大の賛美を与えている。碑全文は関靖著「かねさわ物語」に記載されている。とありました。
更に、武州金沢文学資料 発行横浜市金沢区役所 編集 福祉部市民課によれば、前述同様に、安永7年春(1778)江戸の幕臣 岡部四溟が金沢に遊び、能見堂に宿泊った。傍ら称名寺と金沢文庫を訪ね。「かつては武家時代に学問の殿堂として栄えた称名寺と文庫が歴史の変遷のまえにはどうすることもできずに荒廃しているが、金沢八景の勝景だけは昔も今もはたまた後も無窮である。」と感慨を後に残そうと夏季の6月、能見堂の境内に碑を立てた。讃の中に「神飃颻(ひょうよう)として目(め)眩(くらめ)く徒倚(しい)に蹇(なや)みていずくにか如(し)かん」と能見堂からの眺望絶佳のなかにいると心が飛んで行って遊神の境にいる思いである八景の勝を賛美している。
この頃から、藤沢、江の島、鎌倉のコースとともに金沢道の近道を通って、江戸から観光に来るものが次第に多くなり、第二の観光金沢の時代を画して貴重な碑である。と記述されていました。
能見堂跡地の樹木も繁茂して、今では、当時を伺うすべもなく勝景の変化して、碑の建立者の意に反する状態になってしまったが、その時代の人類の求める価値観の変化なのでしょうか。
(公園配置図)
(武蔵国金澤碑)
(明治時代勝景)
(明治時代勝景)
(明治時代勝景)
(現状の能見堂跡)
(能見堂跡周辺)
(現在の跡地からの市街地)
(現在の勝景遠く東京湾房総半島を望む)
(現在の勝景遠く東京湾房総半島を望む)
(現在の勝景遠く三浦半島を望む)
(不動池)
(不動池で休養する亀・かも)
(同じ)
(池周辺の草花)
横浜の句碑(古往今来)著者中島邦秋によれば、この武蔵国金澤碑の碑は、安永7年(1778)江戸の岡部四溟が金沢文庫や称名寺の荒廃を嘆き、八景だけは変わっていないとし、八景の探勝の基地能見堂に建立したものである。と記述されている。
一方、新版「かねざわの歴史事典」編集 金沢区生涯学習“わ”の会によれば、同じく安永7年(1778)江戸の岡部四溟が金沢に来遊した時に「かつては武家時代に学問の殿堂として栄えた称名寺と文庫が歴史の中でどうする事も出来ず。荒廃しているが、金沢八景の勝景だけは昔も今もこれから後も無窮である」との感慨を漢文で表し、石碑を建てた。碑文の中に「神は飃颻(ひょうよう)として目(め)眩(くらめ)く徒倚(しい)に蹇(なや)みていずくにか如(し)かん」と最大の賛美を与えている。碑全文は関靖著「かねさわ物語」に記載されている。とありました。
更に、武州金沢文学資料 発行横浜市金沢区役所 編集 福祉部市民課によれば、前述同様に、安永7年春(1778)江戸の幕臣 岡部四溟が金沢に遊び、能見堂に宿泊った。傍ら称名寺と金沢文庫を訪ね。「かつては武家時代に学問の殿堂として栄えた称名寺と文庫が歴史の変遷のまえにはどうすることもできずに荒廃しているが、金沢八景の勝景だけは昔も今もはたまた後も無窮である。」と感慨を後に残そうと夏季の6月、能見堂の境内に碑を立てた。讃の中に「神飃颻(ひょうよう)として目(め)眩(くらめ)く徒倚(しい)に蹇(なや)みていずくにか如(し)かん」と能見堂からの眺望絶佳のなかにいると心が飛んで行って遊神の境にいる思いである八景の勝を賛美している。
この頃から、藤沢、江の島、鎌倉のコースとともに金沢道の近道を通って、江戸から観光に来るものが次第に多くなり、第二の観光金沢の時代を画して貴重な碑である。と記述されていました。
能見堂跡地の樹木も繁茂して、今では、当時を伺うすべもなく勝景の変化して、碑の建立者の意に反する状態になってしまったが、その時代の人類の求める価値観の変化なのでしょうか。
(公園配置図)
(武蔵国金澤碑)
(明治時代勝景)
(明治時代勝景)
(明治時代勝景)
(現状の能見堂跡)
(能見堂跡周辺)
(現在の跡地からの市街地)
(現在の勝景遠く東京湾房総半島を望む)
(現在の勝景遠く東京湾房総半島を望む)
(現在の勝景遠く三浦半島を望む)
(不動池)
(不動池で休養する亀・かも)
(同じ)
(池周辺の草花)