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写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ 私は、日常の風景やイ
ベントなどを写真で紹介したいと思い開設をいたします。

八聖殿資料館へ行って

2014-05-30 18:06:40 | 日記
 今日は、横浜市の中区本牧元町にある「横浜市八聖殿資料館」へ行ってきました。ここへは、JR根岸線桜木町駅又はJR根岸線根岸駅からバスで本牧市民公園前下車徒歩5分くらいのところにあります。
 八聖殿は、パンフレットによれば、八角形の建物で法隆寺夢殿(奈良)を模して、1933年(昭和8年)に熊本県出身の政治家で逓信・元内務大臣を歴任した安達謙蔵氏が建築したとあります。
 八聖殿は八聖像として、聖徳太子、弘法太子、親鸞、日蓮、釈迦、孔子、ソクラテス、キリストの世界の8聖人の彫刻像が建物の2階飾られています。
 建築当時は、この場所で安達謙蔵氏が政治等に関する勉強会を開き、地域の政治家の資質の向上を図るべく努力された模様でありますが、建物にガスの暖炉を設置した当時としては、滅多に見ることの出来ない設備を取り入れている。
 この地域は、当時、内陸部は農業を中心として暮らしを営む水田農家、畑作農家では麦や雑穀等様々な野菜を作り、現金収入を得る為にカイコを育てたりしていた。
 一方、海辺では、海岸線のほとんどが砂浜で遠浅の海には、海苔つくりや海水浴に絶好の場を提供してくれたとあります。
 また、神奈川県の無形民俗文化財に指定されている神事で、1566年(永禄9年)から伝えられている。茅で頭部を馬、胴体を亀形に作った6体の馬にすべての疫災を乗せて本牧沖に放流することで、村の人々の無病息災や大漁・豊作を祈願する(中区本牧神社で行われている)「お馬流し」があります。
 これら、展示物として、1階は、海に関する木造船を始め、ノリ養殖のためのヒビ建ての道具や海苔乾燥のすだれ、竹籠の生簀など今では見ることの出来ない数々の漁具が展示されています。
2階は、農業を主体とした、今では見ることの出来ない、縄編み機や俵造りの道具があり、加えて、暮らしぶりを家で使われた「ナガモチ」「米櫃」「粉櫃」「コタツ」などが展示されています。
 また、八聖殿では、2014歴史講座を毎月第三土曜日に、歴史講座や歴史散歩を開催しております。参加費は、資料代として、200円支払うことになっています。

(八聖殿資料館の位置)

(安達謙蔵氏)

(八聖殿資料館の外観)

(経緯)

(ガスの暖炉)

(海苔齲蝕の船)



(海苔採取)

(ヒビ建ての道具)

(海苔乾燥のすだれ)

(生簀籠)

(網補修針)

(右は脱穀機、左実とゴミの選別する器具トーミ)

(縄網機械)

(手前左俵網器具とその後ろモッコ)

(八聖殿像)



(お馬流し)

(お馬流しについて)

(ナガモチ)

(コタツ 炭火)

(米櫃)

(粉桶)

(ひき臼 粉を作る)

浜空神社へ行って

2014-05-24 06:27:43 | 日記
 今日は、浜空神社と云う所に行ってきました。この場所は、JR根岸線新杉田駅から京浜急行の金沢八景駅間を結ぶモノレールで新杉田駅の次の南部市場前駅で下車して、10分ほどのところに有ります。
 浜空神社の由来によると昭和11年10月1日飛行艇隊の主力として横浜海軍航空隊が開設されその守護神として造営されたのが、この浜空神社となっていました。
 碑に刻まれている内容は、激戦地アリューシャン、豪州、ソロモン島など広範囲に亘って行動しており、最後は、沖縄攻防戦に死闘を演じ慢心創疲全力を尽し果して戦の幕を閉じ閉じたとなっていましたが、中でも横浜航空隊は、ソロモンで反撃を受けて、昭和17年8月338名が壮烈な玉砕を遂げたとありました。また、戦没者殉職約2千柱の御霊を合祀しているそうであります。
 今、政府はきな臭い臭いがする憲法解釈を打ち立てようとしていますが、どの様な場合でも平和的解決の努力をすべきで、暴力は良くないと云いながら、ややもすると戦力を重んずる方向へと導かれてしまってからでは、遅いので確りと動きを監視していきましょう。

(浜空神社)

(二千柱の御霊合祀)

(浜空神社の由来)

海辺の散歩道

2014-05-18 05:58:56 | 日記
今日は、横浜金沢区の海辺の散歩道へ行ってきました。ここは、JR新杉田から京浜急行金沢八景駅までつながっているモノレールの横浜市大病院前で降りて、5分くらいのところから、福浦の海岸に沿って長浜水路までの3キロ程の散歩道であります。
 この海辺散歩道は、海岸線を護岸で固められている一方、背後に松の木が植えられているため、松の枝越に海辺も眺められ、タンカーやコンテナ船が横浜港や東京港から、入船、出船が引切り無しに行き交う光景や東京湾の向こうにある千葉の木更津などのコンビーナートが直ぐそこに見えます。
 この金沢区には、八景島にある大学のボート部のヨットはじめ、八景のプレジャーボートの専用の港がある幾つもことから、休日にはこれらの港から、家族や会社の仲間などが乗り合わせ、思い思いの航跡を描きゆったりと休日を楽しんでいる様子が伺えます。
 一方、休日には、この海辺の散歩道に沿って、釣り名人と云われる人々が腕前を競ったり、腕を磨いたり、四季折々の魚を目当てに、今では、釣りのメッカにもなり、日参している方々も相当におられるようであります。
 こさらに、この散歩道の中間の角に当たるところには、手づくり郷土「小さなふれあい広場」ありました。その広場の2ケ所に、6メイトル越える程の六法石の標柱が立っていて、その周りに、同石で、東西南北を示す方位を石に、E、W、S、Nと刻み込まれ、何故かこれが、長崎県の佐世保市、庵ノ浦産となっていたのにビックリでありました。
 ネットでしらべたところ、「地球上では最も広範囲に分布されていて、規則正しい柱状摂理を露呈するところは極めてまれです。我が国では、兵庫県豊岡市の玄武洞が、その砕石跡であり、地質学的に世界で貴重な存在となっているそうです。このため、周辺一帯は採石ができなくなったとありました。このため、長崎県佐世保の庵ノ浦産である謎が解けました。

(散歩道へのゲート)

(八景島を背景にハトが出迎え)

(東京湾を望む)

(一直線の散歩道)

(釣り人達)

(松に囲まれた散策道)

(同じ)

(同じ)

(直立不動の六宝石)

(方位を示す六法石の「小さなふれあい広場」)

(同じ)

(この六法石は)

三渓園にいって

2014-05-11 09:54:20 | 日記
 今日は、三渓園に行ってきました。ここには、JR横浜駅東口又はJR根岸線「根岸駅」からバスで20~30分程の所にあります。
 三渓園は、パンフレットによれば、明治から大正時代にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家「原三渓」(本名原富太郎)が東京湾に面した”三之谷”と呼ばれる谷あいの地に造り上げた、広さ約175,000㎡の日本庭園であります。
 これを明治39年に一般公開され外苑と原三渓が私庭としていた内苑の2つの庭園からなり、京都や鎌倉などから集められた17棟の歴史的建造物が、四季折々の自然とみごとに調和した景観がみどころとなっており、これから8月かけて、スイレン、サツキ、ハナショウブ、アジサイ、サルスベリ、ムクゲ、ハス、フヨウなどが次々と咲き誇ります。
 三渓は、芸術家や文学者などの文化人達と広く交流したことも知られ、三渓園は、美術・文学・茶の湯など近代日本文化の一端を育んだ場所でもあります。学術上、芸術上、そして鑑賞上優れていることから、平成19年には、国の名勝に指定され、庭園全域も文化財として位置づけられたとありました。
 このように、当三渓園の外苑には、国の重要文化財3点、内苑には、同文化財6点の建物等が存在し景観を引き立てております。
 イベントも年間通じて各種模様されていますが、主なものとしては、
 ① さつき盆栽展(5月18日から6月1日まで)
 ② 蛍の夕べ(5月31日から6月8日まで)
 ③ 早朝観蓮会(7月19日から8月10日の土日・祝日午前6時)
 ④ 夏休みには、三渓園をより楽しむ講座やワークショップ等の開催を予定されています。

(公園配置図)

(正門)

(南門附近)

(〃南門付近)

(外苑大池を背景)

(外苑大池の亀の甲羅干し)

(早咲きのあやめ)

(〃)

(絵画グループ)

(涵花亭を望む)

(外苑に配置されている 旧燈明寺三重塔 重要文化財 建築年次 室町時代 康正3年(1457年)大正3年移築)

(旧東慶寺仏殿 重要文化財 建築年 江戸時代 寛永11年(1634年)明治40年移築)

(旧矢箟原家住宅 重要文化財 建築年江戸時代後期 白川郷から昭和35年移築)

(初音茶屋)

(臨春各 重要文化財)重要文化財 建築年 江戸時代 慶安2年(1649年)大正6年移築

(聴秋各) 重要文化財 建築年 江戸時代 元和9年(1623年) 大正11年移築

(月華殿) 重要文化財 建築年 江渡時代 慶長8年(1603年)大正7年移築

(天授院) 重要文化財 建築年 江渡時代 慶安4年(1651年)大正5年移築

(旧天瑞寺壽塔覆堂) 重要文化財 建築年 桃山時代 天正19年(1591年)明治38年移築

(海岸門) 建築年 江渡時代 大正時代 移築 京都西方寺にあったモの

海の公園にて

2014-05-03 13:38:16 | 日記
 今日は、海の公園へ行ってきました。この公園は、JR新杉田から、京浜急行八景駅を繋ぐモノレールがありますが、海の公園南口駅、海の公園柴口、八景島駅の3駅から、何れも徒歩5分で行けるところであります。
 公園について、公園管理センターに伺ったところ、昭和50年頃から砂浜の整備が始まり、昭和56年から平成4年までの12年程の間に、数次亘り部分開園を行って、今日に至っているそうであります。
 公園の目玉は、何と云っても夏の海水浴でありますが、ビーチバレーなども楽しめるそうです。また、夏の終わりには、花火大会も開催されると云う話でありました。
 春の連休時期には、潮干狩りが始まります。前述の埋め立て地であることから、砂浜は、千葉県の浅間山から、岩砂を運び東西4キロに亘り砂浜を造成し、背後地には、松を植えて防風林を兼ねた緑地帯となっていいて、昭和56年の砂浜開園当時は、アサリの稚貝を散布して、区民等が潮干狩りを楽しめるようと、管理センターがあまり小さな違いは採捕しないように、注意を呼びかけ指導した賜物として、今日では、天然の稚貝が発生して、水温が余り上がらない4月下旬から5月中下旬位まで、大勢の市民が楽しんでいる模様であります。
 また、公園の南側には、バーベキューのテーブルが配置されていて、釜、網等を借りて自分達の好きな材料を持ち込みで、家族やグループで楽しむ事も出来、加えて、近くには、八景シーパラダイスやテニス、ゴルフの打ち放し、極めつけは、温泉風呂もあると云う。差し詰め、一丁四石の多角的な楽しみ方が出来そうでありまた。

(公園配置図)

(岩場の造成)

(八景島駅広場)

(潮干狩り)

(潮干狩り)

(潮干狩り)

(カラスも参戦)

(潮干狩り)

(潮干狩り)

(監視・迷子等テント)

(バーベキゅー管理事務所

(釜の貸出準備)

(バーベキュー会場)

(海浜背後の松林)

(休息場)

(八景島シーパラダイスを望む)

(打ち放しゴルフ場)

(お風呂)