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ベントなどを写真で紹介したいと思い開設をいたします。

金沢七井 御井戸編

2014-09-27 11:55:05 | 日記
 今日は、「金沢七井」のうち、前回の「白井」に引き続き「御井戸」へ行くことにして家をでました。場所は、「称名寺の赤門」から東に約100メートル、行った右の角にあると「金沢区生涯学習わの会」にあったので、先ずは、「JR新杉田駅」からモノレール「シーサイドライン柴口駅」で下車して西に700百メートル程行った称名寺の赤門の前に立ました。
 しかし、「称名寺の赤門」の東に、と云われても方向が分からないので、当たりを見渡すと、赤門の向えに、称名寺の住職の家と思われる風格のある家があるではありませんか。早速、玄関のベルを押すと玄関に、風格のある中年の男性が出てきましたので、「金沢七井」について説明し、そのあった場所を知りたいと申し上げたところ、自分が子供のころ、この家の前の道を右に100メートルほど行き、再度、右に狭い坂道がありますが、その中間あたりです。と説明していただきました。
 云われたとおり、右に行くと細い下り坂の道がありました。しかし、降りていっても何処か見当がつかないので、誰か出会わないかと歩いていくと、生垣を手入れされている家の主人風の人に尋ねると、この道を戻ると街灯があります。その「街灯の柱」の処に、我々子供のころからありましたが、家を建て替えた時に、残念ながら井戸は埋められました。と説明がありました。また、その街灯の立っている処の左の道の奥まった処に、「御井戸」と云う家があり、子供のころ、その家のことを「御井戸」と土地の人は云っていました。何故かは知れないと聞かされました。
 これは、行く価値があるのではないかと思い行ったところ、家の主人がおられたので、早速、「金沢七井」について説明したところ、前述と同様に、あの街灯のあった処に大井戸がありました。と説明されました。
 そこで、お宅は「御井戸」と云われていたこと聞きましたが、と尋ねると、主人いわく、私の家の「屋号」です。当時、この辺の旧家は、それぞれ「屋号」を持っていていたと聞かされて、期待していた「金沢七井の御井戸」と関係がないことにがっかりでしたが、理解いたしました。
 さて、「御井戸」の由来でありますが、「金沢区生涯学習わの会」には、昔、「神様を祀ったお宮が井戸の近くにあったことから、その「神様の井戸」と云う意味から、「御井戸」と呼ばれたのでしょう。土地の人々は大井戸と呼んでいたとなっていました。
 帰りに、一番初めに伺った住職の家に、「お陰様で場所が明らかになりました」とお礼を云って帰ろうとしたところ、チョットお待ちくださいと云われ、待って居ると「汗をかいていたこともあって」ボトルに入ったお茶1本をいただくことになってしまいました。尋ねた方からお礼するところ、逆にお茶をいただいてしまい、心からお礼を申しあげましたが、考えてみますと、お寺であることから、「慈悲の表れ」だったのか。?と思いながら、帰り道、美味しくいただきました。

(称名寺の赤門正面)

(赤門から東に100m「門に向って右」)

(御井戸があった下り坂の細道)

{御井戸があった場所 「街灯の柱の周りに白く見えるコンクリート部分附近」}

(上に同じ)

(坂道の下から上を望む)

金沢七井 荒井編

2014-09-20 09:27:15 | 日記
 今日は、「金沢七井」のうち、前回の「白井」に引き続き「荒井」へ行くことにして家をでました。場所は、「京浜急行金沢八景駅」近くにある「金龍弾院」前に、その昔「荒井光善」と云う屋敷跡の片脇に井戸があったと「金沢区生涯学習わの会」による資料に記されていたので、京浜急行金沢駅で下車して、「金龍弾院」の門の呼び鈴を押したところ、住職らしき方が門まで出て来てくれました。
 そこで、資料にあった「荒井」の井戸について、荒井さんの屋敷がこの近くにあり、その片脇に井戸があったことや「荒井光善」さんは、晩年には「上行寺」の住職をされていたことなども話いたしました。すると、私は井戸のことは承知していないので、その「上行寺」へ行って尋ねては如何と云われ、「上行寺」へ行く道順を教えていただき「上行寺」を訪ねました。
 「上行寺」を訪ねたところ、住職の奥様らしき方が迎えてくれました。早速、昔この寺の住職をなされた「荒井妙法」の屋敷がこの近くにあり、そこに井戸があったと「金沢区生涯学習わの会」の資料にありますが、ご存じでしょうかと尋ねました。
 私は、昔のことは分かりません。あいにく住職は、檀家回りでいませんないが、寺の行事など世話役を引き受けてくれていた方が、近くにおられるのから、電話で「荒井」の井戸を承知か問い合わせて見ましょうとその奥様から云われ、待っていましたところ、御存じでしたとにこやかに戻ってきて、その方が来られるのでちょっと待ってください。と云われるがままに待つていました。
 暫くすると、本当にわざわざお寺まで来てくれて、一部始終話をしながら、地図を書いて旧道と新道の交わる信号機のある横断歩道の当たりと説明をしてくれました。
 その内容は、旧国道はそままとして、新たに、国道16号を建設した時に、その井戸は道路用地として接収されて道路下に埋もれたと説明をしていただきました。
 また、計画通り道路が開通してから、その井戸のあった付近で交通事故が相次いだことから、井戸の供養などのお祓いをしたことまで、話されていました。その世話役の方は、生き字引の様に、「荒井光善」のことを次のように話されていました。
 荒井氏は、船をもって商売をされていて、千葉や焼津から、いろいろなものを仕入れ、商売をされていて、経済的にも余裕がったと。
 そんなある日、「荒井光善」の船に、日蓮宗のお坊さんが乗船され、舟談義と云うか禅問答をされて、宗教に関心をもたれて晩年は、出家されて、その後に、「上行寺」や新杉田にある「妙法寺」の住職を勤めたことなどを話してくれました。
 住職の奥様も話の内容があまりにも具体的であることから、戦前、戦中、戦後の寺のことや・地域のことなど含めて話を聞かせてほしいなどとお願いをしておりました。 
 今回は、「同業他社」と云うか 「蛇の道は蛇」ではありませんが、親切にお話を聞かせていただき井戸のあった場所を容易に確認することができました。

(「荒井」の場所を示す地図)

(旧道八景駅方向から現国道16号方向)

(国道16号がわから旧道方向)

(国道16号金沢文庫・横浜方向)

(追浜・横須賀方向)

旧海岸線に近い三浦半島の尾根の出張り)

金沢七井 「白井」編

2014-09-12 16:53:19 | 日記
 今日は、「金沢七井」のうち、前回の「亀井」に引き続き「白井」へ行くことにして家をでました。場所は、「金沢図書館」から予め資料をいただいていたので、「京浜急行金沢文庫駅」付近に存在していたと云うことは分かっていましたので、京浜急行駅で下車して、一戸建ての比較的古い家であれば、当時を知る家ではないかと飛び込みで尋ねることに致しました。
 最初の家で「金沢七井」についての経緯を説明して場所を伺うと、この周辺は「京急の分譲」で移り住んだから分からない。もっと奥の方の家であれば昔から住んでおられると思いますので、そちらで聞いてくださいとあっさり断られてしまいました。
 歩きながら見渡すと奥の方に旧家が有るではありませんか、そこでも同じ説明をしたが、残念ながら、私は、嫁いできたもので昔の事は分からないと断られてしまい、やむを得ず一段高台の団地の道順を伺い高台へと向かいました。
 階段を登り詰めて、右に折れて、初めての家の玄関の呼び鈴を押すも留守の様で誰も出てきませんでした。続けて、次の家の呼び鈴を押すと年を召した女性が出て来てくれました。「金沢七井」について説明すると「古い井戸」のことを知っていました。場所は、文庫駅前の「みずほ銀行」の隣の家にあったと記憶していると云われ、行って見ましたが、門扉がしまっていました。
 しかし、このまま帰るわけにもいかないので、みずほ銀行で、お隣家に入り方を伺ったところ、銀行の裏側の方に門があります。そこの引き戸は、自由に引いて中に入れると聞き、早速行って見ると門がありました。
 引き戸を引いて中に入り、玄関の呼び鈴を押すと中から中年の女性が出て来てくれましたので、「金沢七井」について説明し、伺いましたところ、この家は、昔周辺を所有していた元地主であったと云うことでした。この方もはやはり嫁いできた方で、当時のことを振り返り話してくれて、この辺は、川もあって、京浜急行の車庫が立ち並んでいて、時代とともに宅地開発が進みすっかり市街地に変貌したと話されていました。
 昭和20年代までは、御姑さんが白井館を経営するかたわら、鉱泉の風呂も経営されており、湯の色は白いが、手拭いを使うにしたがって次第に赤くなってしまったそうであります。湯に入ると肌がすべすべと滑らかになり、お客さんに喜ばれたそうです。しかし、滑り安く湯船や床の手入れが大変であったと話されていました。
 肝心の井戸でありますが、四角のコンクリート枠口に、木の板で蓋をされていて健在でありました。中をのぞいてみましたが、水面は見えましたが、色は定かではありませんでした。
 さて、「白井」の由来は、地主の方の話の通り、また「金沢区生涯学習わの会」の資料でも水の色が白く見えたと云うことから、「白井」となったそうであります。
 今回は、「急がば回れ」のことわざどおり、後半、割と円滑に井戸の在りかを確認することが出来ました。


(金沢文庫駅前)

(駅前直ぐ右線路に沿っての道路ここを行き左側に門)

(道路から見える門)

(白井がある家の門)

(「白井」からみずほ銀行側の門を望む)

(健在な「白井」井戸)
 

金沢七井の亀井編

2014-09-06 14:50:05 | 日記
 今日は、「金沢七井」のうち、「亀井」へ行くことにして、金沢区にある称名寺の赤門内西側にある亀井を目指していきました。ところが、称名寺のどちらが西側なのかが分からず、境内で散策している方に「金沢七井」の由来などを説明して、尋ねると赤門から入った2つ目の左側に入る小道を歩いて行き、突き当ったら処を左に折れて暫く行くと民家の敷地左の庭に丸い井戸があります。と教えていただくことが出来ました。行って見ると井戸の原形がのこされ存在していました。
 早速、その民家の家の方に話を伺おうとしたところ、残念ながら留守でしたから、やむを得ず向か側の住民の方に尋ねると時々大勢の方が来て見ていくので間違いないと云われ確定で出来ました。
 しかし、「染井」と違い井戸の付近に「亀井」と彫刻した標石はありませんでした。区の由緒ある井戸と云えども民家の敷地と云うことから、石標を設置することはできないようであります。
 さて、金沢七井の名称の由来を「染井」を訪れてから、横浜市の住居表示や久良岐郡当時の地名にもないので、金沢図書館で調べたところ、「金沢区生涯学習わの会」によれば、「水赤く濁りて物染ぬれば柿色となりし」とあることから、「染井」と名付たとありました。
 今回の「亀井」は、その昔、亀井天皇が御巡幸の折、ここを通りかかり、この井戸で口をすすがれ、喉を潤していかれたので、亀井天皇の名にちなみ、亀井といわれるようになったそうであります。
 「人には沿ってみろ、馬には乗って見ろ」と云われるとおり、先入観で人を判断することなく、実際に精神誠意話をすれば、応えは返ってくることが体験できました。

(称名寺赤門正面)

(称名寺赤門内側から)

(向って右に折れる小路)

(民家の庭の中にある「亀井」の古井戸)

(同じ)