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ベントなどを写真で紹介したいと思い開設をいたします。

「金沢七井」の染井について

2014-08-30 11:32:53 | 日記
 前回に引き続き、金沢区の名称旧跡と云うほどものではないですが、今回は、「金沢七井」(七つの井戸)について尋ね歩き投稿いたします。
 この地域は、片方は山に囲まれ、もう一方は海と云う地形から、飲料水に恵まれず昔から井戸を大切にされていた模様で、その一部が現存まで保存されているのでございます。
 この地の「金沢七井」は、横浜市金沢区でありますが、その昔、昭和11年に併合される前には、久良岐郡「金沢町」や「六浦壮村」でありました。しかし、第4次の横浜市の市域拡張に伴い、両域の住民の多くが飲料水や洗濯等の雑用水に苦しんでいたので、横浜水道の恩恵にあずかりたいという住民の願望から相まって、横浜市に編入されて、水道が給水されるようになると「金沢七井」は顧みられることなく消える運命となってしまい、これが現在保存されていると云うものであります。
 今回は、手始めに「染井」を尋ねようと思い、京浜急行金沢文庫駅前の金沢区の「行政センター」で井戸の所在を伺ったところ、多分「能見堂跡」へ行く道の傍らではないかと紹介され、トボトボとその道を歩きながら、住民らしい人3人に尋ねたが承知している方には恵まれかった。止むを得ず建物の古そうな家屋を見つけ飛び込みで尋ねるも分かりませんでした。
 引き続き「能見堂跡」に向かって歩いて道を曲がると幼児20人ほどをともなって歩いてくる保育園の集団遇ったので、多分わかるのではと思い先生に尋ねるが、残念ながら分かりませんでした。しかし、手がかりとして、染井公園なら、そこを曲がったところにあります。と云われ、もしかすると公園の片隅に井戸があるかもと思い行って見るが、井戸らしきものはありませんでした。
 孫と思われる幼児とジャングルジムで遊んでいる女性に尋ねると、5百メートルほど先の「あのマンションの反対側にあります」と云われ、そのマンションの裏側2百メートルほど歩いて見たが、それらしきものは見当たりませんでした。
 やむを得ず、また、飛び込みで尋ねると1建目に承知している方に恵まれ、無事に「染井」に出会うことが出来ました。「そめい」とはこの地域の地名でした。その方曰く、そめい地域は広いのですよと云われました。また、この井戸が何物かも分からなったとも云っていましたので、昭和の始め頃まで、この地域で共同で使われていた井戸であることを紹介して、分かれてきました。
 人は案外、直接生活に直接関係しないものには、興味を持たないし、その存在はなんであるかを究明しない。「それが人間の良さでもある」のかと思い帰路につきました。

(左の上に見えるマンションの裏に通ずる道)

(マンションの裏側の道)

(民家の駐車場の片隅に{染井」の存在)

(同じ)

(染井の標石)

(井戸真上から)

葬儀の種類とその費用など

2014-08-23 16:34:08 | 日記
 今日は、前回に引き続き、介護老人福祉施設で行われた葬儀についての講演内容を投稿いたします。
先ず、一般的な葬儀の種別としては、大きく家族葬、直葬、一般葬の3つに大別される様でございます。これらのメリット・デメリットを講演では、次の事柄を上げられました。
Ⅰ 家族葬について
  故人の家族・親族だけの身内で執り行う葬儀の形態を家族葬と云うそうであります。
 1 メリット
  ① 故人とのお別れの時間をゆっくりもてること
  ② 参列者は、家族、親戚、場合によっては限定した友人などに限られており、会社関係など義理で
   参列される方がいないので、気を遣わなくてすむ。
 2 デメリット
  葬儀後の弔問への対応
   ア. 事後報告の場合には、町内会の回覧など速やかにご報告するのが良いでしょう。
   イ. 家族葬であることをお知らせしなかったことに対する不満を云われる場合がある。故人との関
     係の深い方には事前にお知らせすることも良いでしょう。
   ウ. 葬儀費用(自己負担分)が高くついてしまうこともあります。
    ア. 家族葬の費用は安いと思われているが誤解である。
    イ. 費用は、葬儀の祭壇、棺などのグレードより、価格に大きくひらきがあります。
    ウ. 寺へのお布施や斎場の使用料は、葬儀の種別に関わりなく掛かります。
    エ. 葬儀の総額は安いが、お香典の収入も少なく割高になる。
Ⅱ 直葬
  葬儀の通夜や告別式などの儀式を行わないで、直接火葬のみの葬儀の形態を直葬と云うそうでありま
 す。
 1 メリット
  ① 葬儀をあげる場合と比べ、必要最低限の内容の費用だけであり、葬儀費用はかなり抑えられる。
  ② こだわりたいポイントのみオプションで補える。(食事、お経、お別れ花) 
 2 デメリット
  ① 故人との最後の別れの時間が十分にとれない。
  ② 菩提寺にお墓がある場合、お寺への報告のタイミングが必要となる
  ③ 菩提寺の墓には、戒名がない場合には納骨が出来ない。
Ⅲ 一般葬
  会社や町内会にお知らせして、葬儀を執り行うことから、故人の社会的地位やお人柄などにより、葬儀
 の規模は千差万別となります。
Ⅳ 葬儀費用にはどのようなものがあるか
 1 全国平均
  ① 葬儀社に支払った葬儀費用としては、127万円
  ② 寺院費用             51万円
  ③ 飲食直接費用           45万円
 2 通常の葬儀費用の種別
   葬儀費用を大別すると
  ① 祭壇、お棺、骨壺などの葬儀費用一式}
  ② 遺体移動のための寝台車(距離により加算)、ドライアイス、遺体の保管料などの変動費用
  ③ 葬祭場使用料の3項目があります。
   これらに係る費用の見積り内訳を一つ一つ比べ吟味する必要があります。項目によっては、安かった
  り高かったりして、家族では単純に比較することは、難しいのが現状あります。
   注意点として、
  ④ 葬儀費用の見積りは、必ず総額の見積りを提出してもらうこと
  ⑤ 基本セット料金として上げられていれば、その内訳に何が含まれるかを確認すること
  ⑥ 別途費用として上げられていれば、その総額はいくらなのかを確認すること
  ⑦ 最後に、故人の葬式についての考え方や連絡する範囲など送る側の意志をキチット確認し、親族間
   の感情のこじれが残る結果とならないよう、意志の疎通を充分計り後悔のないようにすること。
  ⑧ 機会があれば、生前に意見交換や家族間の話し合いも必要である。
  と云う内容の講演でありました。




介護施設の看取り介護について

2014-08-16 10:29:46 | 日記
 今日は、介護老人福祉施設の看取り介護の講演を聴きに行きました。この施設は、平成14年頃開設したところでありまして、収容人員は130人程です。
 常勤の医師は配置されていませんが、嘱託医師の往診により対応しているそうです。このため、入居者の健康状態に応じて健康チェックを随時行って健康維持に努めていと説明がありました。
 日本の核俗化の現象は、入居者にも及び健康を害し家庭での介護がままならない家庭が多く、この場合には、施設で看取り介護となっているのが実態の様であります。
 施設としては、長年施設を利用していただいている入居者であることから、24時間の連絡体制を確保して、精神誠意出来うる限りの介護を尽くしているそうでありますが、時には、嘱託が不在で緊急を要する時は、病院に搬送をお願いすることもあるそうです。
 入居者の方々も互いに同じ施設の中で、リクリエーションなどを通じ、共に助け合って一緒に生活し行っている事もあり、意志の疎通が図られていて、和気相合いの日常生活を過ごしており、職員共々家族同様の雰囲気の中にで、安心して生活を送っていただいているそうでありす。
 このように、家庭の事情を考慮して、予め入居の際に、看取り介護に関する説明を行い家族の了承を執り、施設の運営を行っているとの事でありました。
 具体的には、次による
① 医療機関の対応は、〇〇年〇月〇日をもって、本人に苦痛を伴う処置対応を行いません。また、危篤の状態に陥った場合も病院には搬送せず、この施設内にて最期を看取ります。
* 看取り介護を依頼されていないながらも、お気持ちとしては、揺れ動かれる事と思います。その都度申し出ていただきまして、お話をお伺いさせていただきます。また、病気により耐えられない苦痛を伴う場合、状態によっては、病院へ搬送させていただく事もあります。
② 身体的な介護では安心できる声掛けをし、身近に人を感じられるように、ご本人の尊厳を守る援助をいたします。食事は、できる限り経口摂取に努めます。(胃ろうの方を除く)
③ 医師に相談指示を仰ぎながら、苦痛や痛みを和らげる方法をとり、施設内で出来る限りの看取り介護を行います。
④ ご家庭の希望に添った対応に心がけします。
⑤ 看取り介護は、管理者、嘱託医師、生活相談員、介護支援専門員、看護師、管理栄養士、機能訓練指導員及び介護職員が協同・連携を取り介護を実施することで加算要件となります。(詳細は、重要事項説明書を参照ください。)
⑥ 本人の状況 変化があった場合、速やかに身元引受人に電話等で連絡を行い、介護面・精神面での援助を行います。また、死後の援助として必要に応じて家族援助(葬儀の連絡調整、遺品引き渡し、荷物の整理等)を行います。
⑦ 但し、ご本人、ご家族の希望、意向に変化があった場合は、その意向に従い援助させていただきます。
 
 以上の事柄を施設長、身元引受人、その他家族、説明医師、施設立会人含め同意書なるものが作成される模様であります。
 このような状態ので年間、実際に、この施設から退去される利用者の3~4割の方々が看取り介護の下に、退去されると説明があり、これを聞いて、つくづく時世を感じさせられました。
 なお、(胃ろうとは、鼻から管を胃に到達させて、流動食等を摂取する意味であります)



「青葉楓」金沢八名木の行方

2014-08-09 12:08:56 | 日記

 金沢の八名木(青葉の楓、西湖梅、黒梅、桜梅、文殊桜、普賢像桜、蛇混柏、雀ケ浦一本松の八種)の行方について、前回に引き続き、金沢区役所、金沢土木事務所に赴き聞き取りを行いました。
 金沢区役所の案内係りは、現在の金沢区役所の建て替えに伴い、同敷地に隣接する泥亀公園敷地に、区庁舎の新築工事敷地となることから、この公園の樹木(イロハカエデ1本は、平成25年に富岡総合公園に、西湖梅4本・桜梅3本は、同じく平成25年2月に能見台東公園に)移植したが、それらの樹木が名木であるか否かは分からない。と云われた。
 また、実際に移植を手掛けた金沢土木事務所にあっても由緒ある金沢名木であるかは分からなかった。
 やむを得ず、「青葉楓」がある「称名寺」に行き社務所の事務の方に聞いてみましたが、現在ある青葉楓は、平成20年頃「謡曲史跡保存会」が横浜市から寄贈された楓を、従来からあった青葉楓の場所に、植樹した青葉楓はこれです。と紹介されたが、詳しいことは分からないから、「文庫図書館」に行けば、何か有るかも知れない。と云われて行って見ました。
 いろいろな文献はありましたが「青葉楓」は、昭和10年当時は現存しているが、戦後枯れてなくなったとされていました。その他の名木「西湖梅、黒梅、桜梅、文殊桜、普賢像桜」も称名寺の境内に、金沢・北条氏の豊かな財力により、中国から移植したと伝えられているが、青葉の楓以外は、すべて絶えたとありました。
 「青葉楓」についてのエピソードとして、称名寺の庭の一本の楓が紅葉していたので、その情景を詠った「為相卿」が「いかにしてこの一本のしぐれけむ山にさきだつ庭のもみぢ葉」と詠んだ後は、この木は、冬になっても青葉のままで、紅葉しなくなったと言い伝えられていた。
 しかし、江戸時代に、この外の詩人「堯恵」が「北国紀行」で「さきだゝばこのひともとも残らじとかたみの時雨青葉にぞ降る」また、「東国紀行」では、「宗牧」は「けふぞ思ふみぬ世の秋の色までもこの一本の花の匂ひに」加えて、「秋もいざ青の露」と詠った。
「鎌倉紀行」では、「沢庵」は「世々にふるそのことの葉の時雨より染めぬに色はふかきもみぢ葉」とも詠んでいる。と文庫図書館の書物にありました。
 この様に、青葉楓は、当時からの名木と云われものは現存していませんでした。また、称名寺から移植されたと云われる西湖梅・桜梅は、区政60周年を記念して植樹したものとあることが分かった。8番目の雀ケ浦一本松は、現在の日産自動車の海側の敷地にあったが、枯れてしまったとなっていることから、現存しているのは、枯れてはいるものの「瀬戸神社の境内」に横たわっている「蛇混柏」のみであることが、私の中では明らかとなりました。

(称名寺正面本殿)

(称名寺の沿革等)

(青葉楓三代目)

(青葉楓のエピソードと移植団体名)

(国指定史跡の内容)

(称名寺中庭全景)

(鎌倉時代から続く「文庫図書館」)

金沢の八名木を尋ねて

2014-08-02 09:41:29 | 日記
 今日は、横浜市金沢区の由緒ある「金沢の八名木」のうち、蛇混柏を瀬戸神社にあると云われてるので、それを見に行きました。行って見るとイヌマキ2本には、名古木指定(横浜市)とありましたが、「蛇混柏」はありませんでした。
 境内をよく見渡したところ、横たわっているではありませんか。社務所の事務の方に尋ねるとこちらのパンフレットにあるとおり、琵琶神社にある「柏槙」と同年の延宝8年(1680)の暴風雨の高波により、冠水して立枯れたので、それ以来、境内に横たえて管理させていただいている。と説明がありました。
 その他に、何かあるかと思い、区の観光協会にいって見ましたら、金沢区の観光名物として、金沢八名木が初めて文献に現れたのは、江戸初期に書かれた「巡礼物語」で、幕末になると「金沢名所杖」など多くの案内書や絵図に登場し、選定された金沢名木としては、青葉の楓、西湖梅、黒梅、桜梅、文殊桜、普賢像桜、蛇混柏、雀ケ浦一本松の八種を挙げている。とありました。
 この先、更に、深堀をするため、隣接する区の図書館に行って、区に由来する八名木の資料を借りて読んでみると、次のように書かれていました。
 名所案内やいろいろな文献に出てくる「八木」というのは、青葉の楓、西湖梅、黒梅、桜梅、文殊桜、普賢像桜、蛇混柏、雀浦一つ松の八種とあり、最初の6種の木は、当初、称名寺境内にあったが、今は、殆ど残っていません。とあり、私が見に行った「蛇混柏」は、瀬戸神社の境内にあった柏槙(ビャクシン・槙科の針葉樹)のことで、混柏はあて字ですと書かれていました。
 また、文明十八年(1468年)頃の僧・万里の「梅花無尽蔵」の条に「六浦廟前古柏屈する有り」とあることから、古くから名木として、知られていたようですが、瀬戸神社の「蛇混柏」は延宝8年(1680年の大風に倒れてしまった。しかし、そのまま腐敗せず、境内や弁天島の参道に立ち枯れたまま、名木の影響を今に伝えている。と書いてありました。
 従って、現存するのは、称名寺にある「青葉の楓」だけなのか、次回、詳細を調べことといたします。

(瀬戸神社)

(最初に目に付いたイヌマキ2本の名木)

(八名木のうちの「蛇混柏」脚台に横たわっている)

(「蛇混柏」の根の方向から、中心部分は、空洞であった)