スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

The Stockholm Solution (4)

2008-09-21 04:53:25 | スウェーデン・その他の経済
これまで書いてきたように、1990年代初めの金融危機に際して、スウェーデン政府は金融システムの崩壊を防ぐために、積極的な介入を行った。預金者・債権者の保護や、破綻した銀行の国有化、また、銀行の持つ不良債権を政府の銀行救済委員会のもとに移して処理を進め、銀行の財務状況の健全化および貸し出し能力の回復を図っていった。

しかし、これにはもちろんモラルハザードの危険も伴う。つまり、危機に陥ったときに政府が救済の手を差し伸べてくれると分かっていれば、銀行は貸し出しを行うときに借り手の十分な審査を怠り、信用性の低い相手にもどんどんお金を貸してしまい、新たな金融危機を近いうちに再び引き起こしかねない、という危険性である。市場経済の基本は、事業者にしろ投資家にしろ、各経済主体がリスクを冒すことによって、利益を上げ、それが社会の活力と成長を導いて行く、というものである。だから、成功したときの利益は自分のものにできる一方、失敗したときの損失も自分で背負わなければならない、という原則がある。しかし、もし、損失は政府が肩代わりし、利益だけは民間主体が丸儲けできる、というような期待が社会に生まれれば、長い目で見れば、社会全体は非常に大きな損失を背負わせられることになるという危険もある。

しかし、当時のスウェーデンの政策担当者は「金融システム全体がメルトダウン(炉心溶融)しようとしている時に、介入する以外に選択肢はない。」と断言していた。さらに「大切なのは、政府が介入するかどうかではなく、タイミングを見極めてなるべく早い段階で介入できるかどうか。政府はいずれにしろ、最後には介入せざるを得ないのだから」とも付け加えていた。

また、スウェーデン政府もすべての不良債権を引き受けたわけではない。銀行側もかなりの自助努力を強いられたようである。

モラルハザードの懸念があるかないか、ということ以上に重要なことは、バブルが膨らんで行き、それが弾け、危機に至るずっと以前に、金融危機の発生を未然に防ぐこと、だと思う。危機に際してのスウェーデン政府の措置は、確かに評価できるものかもしれないが、一番ベストなのは、それが必要になる状況に至るずっと以前に、それを阻止することだったであろう。だから、危機がいざ起こってからの教訓だけではなく、危機を事前に阻止するための教訓も学ぶべきだと思う。

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今日(土曜日)の日刊紙Dagens Nyheterでは『輸出されることになったスウェーデンの銀行救済 (Den svenska bankakuten går på export)』という見出しで、まさにこのブログに書いてきたようなことがまとめられていた。


ビルト首相(保守党)とカールソン社会民主党党首(野党)
(前回に掲載した写真の場面を別の角度から撮ったものだと思う)

まず、金融危機の本質は、システムに対する信頼の喪失である、と書かれている。つまり、信頼喪失によって、投資家はお金を投資しなくなるし、家計や企業はお金を借りなくなるし、銀行でさえもお互いにお金を融通しなくなってしまう。そして、流動性の極端な低下という問題が発生する。

だからこそ、スウェーデン政府の介入失墜したシステムに対する信頼の回復を目的としていた。ここでも、当時の財務副大臣のルングレン氏がコメントを述べており「危機の克服に決定的だったのは、1992年秋に政府が行った介入である。債権者や預金者に対して政府が保証を行った。また、生き残れる銀行には再建を支援する一方で、生き残れない銀行は解体を促進した(前者はNordbankenなど、後者は吸収合併されたGötabankenのことだと思われる)。それによって、金融システムの存続を保障することができた。今のアメリカに必要なのは、そのような政策だ」と語っている。

この記事は一方で、スウェーデンの経験をそのままアメリカに適用することの困難さも指摘している。お互い性格の異なる、数千におよぶ各種銀行にアメリカ政府が保証を行うことは容易ではないこと; 金融システム内のお金の貸し借りの仕組みは、1992年当時と比べて、今では非常に複雑になっていること、などである。

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ところで、スウェーデン政府の当時の迅速で大胆な措置が「The Stockholm Solution」と賞賛される一方で、それとは全く異なる措置を取ったおかげで今でも90年代の危機の影を引きずっている国がある、と言われる。それは、日本である。

前回紹介したBusiness Weekの記事の中でも、

“At about the same time (as the Swedish crisis), Japan fell into its own financial crisis. But in sharp contrast to the Japanese, a rapid response by Swedish policymakers helped contain the damage and set the country up for more than a decade of strong growth.” (スウェーデンの金融危機と同時期に、日本も金融危機に陥った。しかし、日本とは対照的に、スウェーデンは政策担当者の素早い対応のおかげで、被害がなるべく抑えられ、その後10年以上におよぶ高成長の時代に移行することができた。)

と書かれているし、National Journalの中でも、

”the cost of partisanship was only too evident in Japan in the 1990s, where factional bickering prolonged banking difficulties.” (与野党間の抗争のおかげで社会が被ったコストは、そのために銀行の苦境がいつまでも長続きした90年代の日本を見れば、明らかである。)

と説明されている。
また、スウェーデンラジオの番組でも、スウェーデンの金融専門家は

「悪い例は日本であり、政府が適切に対応しないまま、時間が過ぎていき、最後にはコントロールが効かなくなる状態に陥ってしまった。スウェーデンは全くその反対であり、数年で経済危機を乗り越えたのに対し、日本ではいまだにその余波を受けている。」

と答えていた。

私は実のところ、勉強不足なので、日本のケースとの比較がどこまでできるのか分からないが、前回頂いたコメントにあるように、日本政府も1992年の段階で公的資金の投入の構えを、当時の宮沢首相が見せたらしいが、野党やマスメディアの大反発にあったようだ。リチャード・クーもこう書いている(このリンクの3ページ目)。

“92年に宮沢喜一首相は「早く資本投入をして、公的資金で銀行の問題を片付けなければならない」と発言した。その結果、何が起きただろうか?日本中から「銀行を救うなんてとんでもない」という凄まじい銀行叩きが始まったのだ。一部のマスコミが先導し、それに日本中が乗って国民的スポーツの様相を呈した。”

これはまさに上のNational Journalの指摘している点である。その結果、1997年になるまで公的資金の投入ができなかったようである。

最後に。Business Weekの記事の中で、当時のスウェーデン関係者が

"People never believe it is as bad as it really is."(人々は、状況の実際の深刻さを認めようとしない。)

と答えている。これも前回のコメントに頂いたように、日本は市場をコントロールできるという幻想を抱いていたが、結局それが無理であることを後で思い知らされるようになる、という点をまさに指摘しているように思える。

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3 コメント

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Unknown (里の猫)
2008-09-22 14:59:22
とても参考になりました。
スウェーデンに30年も生活しているのに、なんかボット考えていたことが少しはっきりしました。
それにしても、人間という動物はなぜいつまでも同じ間違いを繰り返すのでしょうね。
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Unknown (ちりちり)
2008-09-22 16:19:03
悪い例として出されていた日本の例「銀行叩き」「国民的スポーツ」で正直ハッとしました。確かに当時の日本国内の報道姿勢はそうでした。
昨今の劇場型選挙もそうですが、「分かりやすい」というのを「面白おかしい」と履き違えているんですかね?日本のマスコミって。本質を手短に簡潔に伝える事の大切さを痛感します。
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Unknown (Yoshi)
2008-09-26 07:38:55
>人間という動物はなぜいつまでも同じ間違いを繰り返すのでしょうね。

そうですね。スウェーデン語にgirighetという言葉があると思いますが、目先の利益に惑わされて、バブルを煽った金融機関は、今頃どういう気持ちなのでしょうね。

>昨今の劇場型選挙もそうですが、「分かりやすい」というのを「面白おかしい」と履き違えているんですかね?日本のマスコミって。

マスコミも、政治家もそうですね。特にマスコミは、一方的な意見や見方を垂れ流しにするのではなく、それと対立する意見を表明している人の声なども、広く掬い上げて、読者に物事の複雑性を提示して、読者自身の頭でも考えさせるような報道の仕方をすべきかな、と思います。
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